2022年08月24日

『ダンジョンズ&ドラゴンズ』リプレイ小説 「カラメイコス放浪記」Vol.8

 2022年8月11日配信の「FT新聞 No.3487」に、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』リプレイ小説「カラメイコス放浪記」Vol.8が掲載されています。見どころは、詩を使って世界の成り立ちを説明するところでしょうか。マスタールールセットの設定を踏襲しています。戦闘も激しい!

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『ダンジョンズ&ドラゴンズ』リプレイ小説 「カラメイコス放浪記」Vol.8

 岡和田晃

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●はじめに

 本不定期連載は、岡和田晃が過去にプレイした、クラシックD&Dキャンペーンの小説風プレイリポート(リプレイ小説)で、新和版・メディアワークス版・未訳資料ほか各種の情報を参照しています。
 前回の内容はこちら(https://analoggamestudies.seesaa.net/article/489882767.html)をどうぞ。今回はキャンペーン第9話「薄明」(前編)の内容となります。

●登場人物紹介

タモト/『ジルチェフの欺きの斧』を持つドワーフ、6レベル。
ジーン/カラメイコス国教会所属のクレリック、6レベル。
グレイ/ブラック・イーグル男爵領出身のマジックユーザー、6レベル。
シャーヴィリー/カラーリー・エルフ、5レベル。
リア/ギルド「盗賊の王国」に所属するシーフ、7レベル。
ヨブ/ブラック・イーグル男爵領の避難民の戦士、6レベル。
プロスペル/ケルヴィンの貴族の息子。戦士、6レベル。

バーグル・ジ・インファマス/悪の魔術師。
ゴリーデル/カラーリー・エルフの長。
バリムーア/リッチ。
ステスシル/バンシー。もとカラーリー・エルフ。
ハラフ、ペトラ、ジルチェフ/カラメイコスの建国神話にちなんだ伝説の人物。
テレリィ・フィンゴルフィン/ロスト・ドリームの島のエルフ。
ハービンガー/ロスト・ドリームの島のエルフ。
ロキ/「エントロピー」を司るイモータル。

●グレイの死

 「悪名高き」魔術師、バーグル・ジ・インファマスを撃破することに成功した一行。しかし、「クラウドキル」(死の雲)が晴れていくと――エルフたちの死体に混じり――グレイまでもが倒れていた。
 すでに事切れている。
 その顔は赤黒く、表情には苦悶の跡が生々しい。
 そして隣には、彼の使い魔だった黒猫も倒れている。また一人犠牲者が……。皆、途方に暮れる。
 ただ一つの慰めは、バーグルが持っていた、多量のポーションとマジックアイテム、それに数々の魔法が記されたスペル・ブック(呪文書)だけだった。
 なかでもやっかいだったのは、バーグルが身につけていた「セキュリティー・ポーチ」(警報機能付き財布)だった。自我を持っており、パーティの神経を逆撫でするようなことばかり告げるのである。

●エルフの提案

 ゴリーデルが申し出た。「生命の樹」の力を使えば、彼を生き返らせることができるかもしれない、と。
 エルフたちにも多数の犠牲者が出たという事実を考え、戸惑うパーティ。
 しかし、ゴリーデルは恩人に対する当然の報いだ、と言い張って主張を曲げなかった。
 ようやく、バーグルがかくも執拗に狙い続けるロスト・ドリームの湖の秘密に関心が向くようになったというのだ。
 ロスト・ドリームの島が湖に沈んだときに受けた呪いのために、カラーリー・エルフでは、島に近づくと気が狂ってしまう。
 だが、バーグルがあれほどまでに執着していたからには、きっと何かがあるはずだ。
 その謎に触れることのできる機会は、今しかない。
 グレイを蘇らさなければ……。
 パーティは、エルフの申し出を受けることにした。

●「生命の樹」の奇蹟

 ゴリーデルの案内によって、一行は「生命の樹」のある広場に到着した。
 天まで届くかと思われるその威厳たるや、とても言葉で言い尽くせないほど。
 けれども彼らは、むしろ不思議な親しみを感じた。
 皮肉屋のヨブでさえ、ただ黙って樹を見上げている。
 多少の陰りを見せてはいたが、樹は日の光を浴びて燦然と輝いていた。
 エルフの族長は説明する――「生命の樹」は、死者への「想い」を媒介するにすぎない、と。
 すなわち、死者を甦らせる根本的な力は、それを願う人々の内部に根付いている。
 「樹」は、その力を増幅するのだ。
 エルフの導きに従い、一行はグレイへの思慕を高めていった。
 すると、「生命の樹」からまばゆいばかりの光が発せられ、グレイのもとへと集まってきた。
 光は一度途絶えかけたが、なんとか拡散を免れた。
 そして――グレイは息を吹き返した。

●バリムーアの襲撃

 狂喜する冒険者たち。
 しかし、それも束の間、辺りに暗雲が立ちこめてきた。何やら強大で邪悪な力が近づいてきているのである。
 とっさに戦闘態勢を整える一行。
 ――ローブ姿の男がそこにいた。
 フードから垣間見える相貌は、生ける者のそれではない。
 蛆のわいた骸骨そのものである。
 そう、冒険を志す者ならば必ずどこかで耳にする、「死王」リッチの姿があったのだ。
 彼らは直感的に彼こそが、「生命の樹」を狙う邪悪な存在、バリムーアだと気づいたのである。
 リッチはすさまじく強力だった。
 パーティは初めて、全滅への恐怖というものを痛感した。
 とりわけヨブは、バリムーアの放つライトニング・ボルトの直撃(注:ダメージ20d6、セービングスロー成功でダメージ半減)をまともに受け、半死半生の重体である。
 だが、一行も伊達に経験を積んできたわけではなかった。
 恐るべき猛攻を見せ、バリムーアをたじろがせたのである。
 なかでも、彼はタモトの斧に並々ならぬ畏れを感じていたようだった。
 予定していたはずのヴァンパイアの援軍もなかなか現れず、100ポイントを超えるダメージを被ったバリムーアは、かろうじて「マジック・ドアー」の呪文で退散したのであった。

●哀しみのあとで

 次から次へと現れる、思わぬ敵の数々との戦いですっかり疲弊したパーティ。
 生命の樹への危険は回避されたが、ぐずぐずしてはいられない。
 カギは、ロスト・ドリームの島にこそある。
 その日はとりあえず、バーグルとバリムーアによって殺されたエルフたちを荼毘に付すこととなった。
 悲しみに暮れるエルフたち。
 葬式のあとの集会で、ゴリーデルは今度こそ、正式に彼らに島の探索を依頼することにした。
 今度は、誰も反対する者はいない。
 詩人ドワーフのタモトと「語り部」技能を持つプロスペルは、共に手をとり、哀しみの歌を歌う。
 シャーヴィリーはそれに合わせて得意の踊りを披露するが、転んでしまい、大失敗。
 しかし、そんなことも気にならないほど、彼らの悲哀は深かった。
 一行は「エルフの友」と認められ、永遠の友情の絆が誓われた。
 なかでも弓使いのリアには、特製のエルブン・ボウ+3が贈呈された。
 一方、甦ったばかりのグレイはその隙を見計らって、なんとエルフたちの倉庫に忍び込もうとする!
 いたずら好きの性根は、奈落(アビス)より帰還しても直っていないようだ。
 が、さすがにそうは問屋が降ろさない。
 エルフたちに乞われて、タモトがその場を見張っていたのである。

●湖への旅路

 翌日となった。
 エルフたちに見送られ、湖を目指す一行。
 途中、シャルガグと名乗る奇妙な森の小人や、ジェリアンという騒々しい鳥人間をやりすごし、歩を進めていった。
 時はすでに、フラーモント(4月)の下旬になっていた。
 いつしか、周囲には霧が立ちこめている。
 しかし、そのなかから、かすかに、湖らしきものが見えてくる。
 指輪をはめ、一呼吸置くと、パーティはおそるおそる近づいていった。
 湖との距離が狭まるにつれ、霧は濃さを増していく。けれども、湖の縁にまでたどり着くと、不思議なことに、その周りだけ霧が晴れていた。
 そして、一行は、自身に奇妙な変化が起きているのに気がついた。
 なんと、ヨブとグレイ、そしてタモトとプロスペルの性格(アラインメント)が変わってしまったのだ。
 「ケイオティック」(混沌)のヨブとグレイは「ローフル」(秩序)に、反対に「ローフル」のタモトとプロスペルは「ケイオティック」になってしまった。
 ニュートラル(中立)のリアとシャーヴィリーはいつも通り、変わった様子はない。
 不思議なことに、ケイオティックの権化のような破戒僧ジーンにも、変化の兆しは見られない。
 いつもと正反対なまでに様子が異なってしまった一行は、さすがに戸惑いを隠せない。
 特にタモトとプロスペルは、日頃胸に溜めていたやりきれない思いが一気に解き放たれてしまい、まったく手がつけられないほどだった。
 だが、タモトはアラインメントが変わると、手にしている斧が、いつもよりしっくりくるように思えてならなかった。
 ともあれ、目的は果たさねばならない。
 一行は湖に足を踏み入れた。

●ロスト・ドリームの湖

 彼らは湖を底に向けて歩いていった。
 水はとても澄んでいて気持ちいいが、生息している生き物も多くてうんざりさせられる。
 電気ウナギやサメの猛攻をくぐり抜け、マン・オー・ウォー(80本の触手を持つ大クラゲ)をやりすごし、さんざんあたりをさまよった。
 数時間経って、ようやく、神殿らしきものが見えてきた。
 朽ちた門に手をかけ、ゆっくりと中に足を踏み入れる一行。
 神殿そのものは、かなり古い作りになっている。
 あちこちを探索し、スペクターを退治したり、ちょっとしたマジックアイテムを発見したりする一行。
 そして、いよいよ神殿の中央部の柱が林立する部分に足を踏み入れると、突如、魔法の罠が発動し、パーティの半数が麻痺してしまった。
 呼応するかのように、前面に据えられていたオリハルコンと青銅の像が動き始めた。
 青銅の像はグレイの呪文「ウェブ」によってすぐさま無力化されたが、問題なのはオリハルコンの方である。
 なんと、像は2ラウンドに1回、「ライトニング・ボルト」を放つことができるのだ。
 しかも、麻痺したキャラクターたちに対しては、背後からシャドウが4体襲いかかってきた。
 またもや危機であるが、彼らは大ダメージを受けつつも、辛くも勝利をおさめることができた。
 忌々しげに、ばらばらになったオリハルコンの像を眺める一行だったが、軍資金とするため、回収するのを忘れない。
 リアには像の形が、以前ヴォーテックスにて出会った、「ザ・ウゥープス・マン」と名乗った謎の男とどこか似ているように思えてならなかった。

●第一のタペストリ

 ジーンの持つ「ヒーリング・スタッフ」でなんとか傷を治し、さらに奥へと進んでいくパーティ。
 そこにはタペストリが掛けてあった。何やら詩文のようなものと、それに則した絵が描かれている。

 新王は深い思いに沈んでいた。
 清らの花の話をはじめて耳にし、その予言に
 心をひそかに打たれ、激しい愛を覚えた夜の夢と
 聞きおよんだ物語がこよなく偲ばれてきた。
 胸にしみる声は今なお耳にやきつき、
 旅の人が宴を辞したのはつい今しがたのよう。
 ときおりさす月光が風にがたつく窓辺を照らし、
 青年の胸を灼熱の炎が燃えさかるようだった。

 不思議な時代が過ぎ去り、まるで淡く消えゆく夢のようだった。

 「ペトラよ」と王が言った。
 「愛する者の心の切なる願いとは何であろうか。
 教えておくれ、その者に手を貸そうではないか。
 力はわれらのもの。そなたが天上にまた幸福をもたらすとき、
 すばらしき時代がやってこよう」

 「時がたがいに睦み合うならば、
 未来が現在と、また過去と結ばれ、
 春が秋に近づき、夏が冬と交わり、
 青春が戯れる真面目さで老年に肩を寄せれば、
 わがいとしの殿方、そのときこそ苦痛の泉は枯れ、
 すべての感覚を満たす望みは叶えられましょう」

 王妃はそう答えると、麗しい王に抱擁された。

 「よくぞ話しておくれた。
 ついに至上の言葉がまことそなたの口から発せられた。
 それは、心ある人の口元に浮かんではいたが、
 そなたの口をついてはじめて、清らに力強く響きわたった。
 急ぎ馬車を曳け、われ自らおもむいて、
 まずは一年の四季を、それから人間の四季を迎えるとしよう」

 「王」がハラフを指し、「ペトラ」が伝説にあるハラフの妻、女王ペトラであることはわかったものの、謎を解くカギにはなりそうにない。
 やむをえず歩を進め、二つ目の神殿に入る。

●ステスシルの悲劇

 二番目の神殿も、基本的な構造は最初と同じだった。
 またもやタペストリがある。
 そしてその前には、エルフの形をとった幽体が立って、すすり泣きをあげていた。
 不死の魂、ハウント(ホーント)である。なかでも、これは「バンシー」という種類のハウントらしい。
 「ローフル」なグレイが近づくと、バンシーの周りのエクトプラズムに阻まれ、結果、彼は10歳老化してしまった!
 だが、リスクは大きかったものの、なんとか話を聞くことができた。
 このバンシー(名前はステスシル)は、かつてはこの神殿に住んでいたカラーリー・エルフだった。
 神殿は、この地を統べる「力」を統御するための施設で、ステスシルはその守護者だったのである。
 しかしある時、「力」が暴走し、調和は破れた。
 こうして島は湖の底に沈み、エルフたちはアンデッドとなってこの地に縛り付けられたのだった。
 ここまで語るとバンシーは、これ以上生きていることほど苦しいことはない、自分を哀れに思うのならば殺してくれ、と嘆願した。
 「ローフルの」ヨブはそれを聞き入れ、ひと思いにステスシルを斬った。
 残されたタペストリにはこう書かれていた。

 ●第二のタペストリ

 疲れ果てた時の、疲れた心よ。
 善・悪の網をきっぱり切って、来い、
 おまえの魂は、いつまでも若い、
 霧はいつも輝いていて、薄明は灰色だ、
 中傷の火に焼かれながら、
 希望はなく、愛も失われていくけれど。
 来い、心よ、丘が丘に連なるところへ、
 そこには、虚ろな森と、丘をなす森の、
 神秘的な兄弟たちがいる、
 そこでは変わっていく月がその意志を遂げ、
 神は佇んで寂しい口笛を吹き、
「時」と「この世」はいつも飛び去り、
 愛よりも灰色の薄明が優しく、
 希望よりも朝の露が親しいところなのだ。

●最後の神殿

 3つ目の神殿は、他の二つよりもずいぶんと規模が大きかったが、基本的な構造は同じであった。
 巣喰っていたベルヤー(水中に住むヴァンパイア)を退治して奥に進むと、左右対称の四つの部屋があった。中央には台座が据えてある。
 いったん離れ、神殿の中央を進んで行くと、男女二人のエルフが立っていた。
 男はテレリィ・フィンゴルフィン、女の方はハービンガーと名乗った。
 男は手にワンドを、女の方はロッドを持っている。
 背後には、虹色の空間が口を開けていた。
 彼らこそが、この場所で一行を待ち受けていたカラーリー・エルフだった。
 二人はうなずくと、タモトの持つ斧の秘密と、この神殿のいわれを語りはじめた。

●『武器』の秘密

 ハラフ王が最後の戦いを終え、天上に召されたとき、彼が手にしていた『剣』は、この神殿に納められることとなった。
 『剣』のほかにも、彼の仲間たちが持っていた武器はそれぞれ、その最も信頼できる部下の手によって、ここに運ばれた。
 武器はそれぞれ、このカラメイコスの地を統べる、ある種の「力」を象徴していた。
 ハラフは、その「力」が拡散し、悪しきものの手に渡ることを恐れて、武器をこの地に集め、安定を保つことにしたのである。
 武器は全部で4つ。『槍』と『斧』と『メイス』、そして『剣』である。
 『槍』に属する第一の「力」とは「物質」である。それは破壊に耐え、不変と安定を象徴する。ローフルの性格とファイターのクラスに属し、「時間」と敵対し、「思考」に秩序を与える。また、それは「大地」から力を得る。
 『斧』に属する第二の「力」とは「エネルギー」である。それは数多くの力と活動の源である。ケイオティックの性格とデミヒューマンに属し、「時間」による荒廃に対抗して、「物質」を最も高い領域に押し上げようとする。それはまた、「炎」から力を得る。
 『メイス』に属する第三の「力」とは「時間」である。それは万物に変化をもたらし、大局的な安定を保つ。あらゆるところに存在し、過去の流れを再循環させる。ニュートラルの性格とクレリックに属し、変化に対応した「物質」と敵対する。そして、「エネルギー」の減少をもたらし、「思考」に歴史の教えを授ける。「時間」は「水」から力を得る。
 『剣』に属する第四の「力」とは「思考」である。すべての存在を分類し、他のあらゆる領域をその道具とする「思考」こそが、神(イモータル)の本質である。「思考」は具現にして哲学、そして理解を象徴する。あらゆるアラインメントとシーフのクラスに属し、「エネルギー」の混沌とした過剰さに敵対し、「時間」の効果を操作して、「物質」に、力と秩序と形を与えようとする。
 そう、タモトの持つ「ジルチェフの欺きの斧」こそが、この「エネルギー」に属する伝説のアーティファクトだったのである。
 しかし、他の武器はどこにあるのだろう?

●「エントロピー」

 一行の疑問に、テレリィは力無く首を振った。「エントロピー」の力によって、すべては失われてしまったのだ。
 「エントロピー」は、別名「死」と呼ばれ、その目的はあらゆるエレメントとは無関係に、この多元宇宙そのものを完全に破壊することにある。
 「エントロピー」は多元宇宙という名の織物のほころびであり、腐敗・風化・消失を象徴する。これは万物に停止をもたらし、忘却を引き起こす。
 そのうえ、「エントロピー」そのものは他の力がなくては存在できず、忘却をもたらす前に、まず征服の対象を求める。
 「エントロピー」は「物質」を破壊し、「エネルギー」を停止させ、「時間」を停滞させ、新たな「思考」を止めようとする。
 「エントロピー」を司っているのは、「ロキ」という名のイモータル(神)であった。「ロキ」は、神殿を守っていたエルフたちを、巧みな言葉でたぶらかして、神殿内に「エントロピー」の力を持ち込んだ。
 征服のための媒体を得た「エントロピー」はすぐさま膨張を重ね、「武器」の力は信じられないほど大きなものとなった。エルフたちは有頂天となり、本来の職務を忘れて、「力」を用いて気ままに振る舞った。
 そのため、彼らは神の罰を受けたのである。神殿は沈み、武器はいずこかへ拡散した。
 後に残ったのは、ロキの高らかな笑い声だけだった……。
 ――そこまで語り終えると、テレリィは一息ついた。大きく息を吸って、続ける。
 武器はしばらくの間はそのなりを潜めていた。しかし、最近になってその力の暴走が顕著になってきた。
 もはや一刻の猶予もない。武器を集め、しかるべきところにて「安定」させる必要があるのだ。
 彼らの説明によれば、一つ目のタペストリの詩句は「安定」を歌っており、二つ目のそれは「エントロピー(薄明)」の浸食を象徴しているとのことだった。

●シャドウ・エルフ

 そのときだった。
 彼らの背後の虹色の空間から、髪や肌の色が異なるほか、まったく瓜二つのエルフが現れ、絶叫した。
「騙されてはならない、こいつらの言うことはすべてまやかしだ!」
 エルフの亜種、シャドウ・エルフである。
 彼らは、エルフの国アルフハイムの地下に「星の都(シティ・オブ・スターズ)」という国を建設して住まい、地上での覇権を虎視眈々と狙っているらしい。
 アルフハイムのエルフたちの側は彼らのことを快く思ってはおらず、双方はことあるごとに敵対しているのである。
 男は告げた。
「奴らに武器を渡せば、それこそ世界の破滅が訪れる。我らと一緒に来て「星の都」を地上に建設するための力を貸すのだ。それこそが、最善の道である!」
 戸惑う一行。シャドウ・エルフたちは言葉巧みに語りかける。
 女のほうは、「星の都」がシャドウ・エルフのみならず、あらゆる生き物にとってどれだけすばらしい楽園であるのかを嬉々として歌い始める。

※途中引用された詩は、ノヴァーリス『青い花』(青山隆夫訳、岩波文庫)と、イェイツ『ケルトの薄明』(井村君江訳、ちくま文庫)の掲載作を下敷きに、シナリオに合わせて変更・改訳を加えたものです。


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2021年01月19日

【2014年5月21日記事復元】『戦えば死がくる』

※キャッシュは、

https://web.archive.org/web/20190203205218/http://analoggamestudies.com/?p=829

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『戦えば死がくる』

本文:伏見健二 解説:仲知喜 協力:岡和田晃、伊藤大地、蔵原大、高橋志行、田島淳

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 今回お届けするのは、伏見健二さんによる『戦えば死がくる』の再録です。著者である伏見健二さんの許可をいただき、初出である『RPGマガジンNo.5(1990年9月号)』から24年の時を経て再掲させていただくことが可能になりました。
 今年は西暦2014年です。平成元年生まれの人が『戦えば死がくる』が掲載された時は2歳だったことになります。当時20歳の人が今年46歳。嗚呼、隔世の感とはこのことですね。というわけで、今回の再掲と合わせて、伏見健二さんによる『戦えば死がくる』を読者の皆さんにより楽しんでもらえますよう、本稿の後に解説を付け加えさせていただきました。なお、初出時の本稿には別枠に『ストームブリンガー』の戦闘ルールシステムの解説が添えられていました。

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戦えば死がくる
FIGHT AND LET DIE
――“ストームブリンガー”における戦いと死をめぐる考察――
伏見健二 (文字起こし:伊藤大地)

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1 戦えば死がくる

 “ストームブリンガー”と言えば、M・ムアコックの『エルリック・サーガ』をベースとした独特の背景世界や魔術について語られることが多いのですが、その戦闘システムも大きな魅力の一つです。しかしそれはあまりにも激しく、あまりにも壮絶で、卸し難いものです。
 まるで黒の剣・ストームブリンガーそのもののように、あなたの剣はしばしば自己の意識を持ったかのごとく敵の血をすすり、叩き潰してきたのではないでしょうか。
 “ストームブリンガー”において、「敵」の存在はコンピュータRPGのように克服すべき障害物として記号化することを許されません。今回はちょっとだけシリアスに、“ストームブリンガー”における戦いと死について、さまざまな観点から考えてみることにします。シナリオづくりやマスタリング/プレイ術の参考になればいいな、と思います。
 敵の存在は重く、返り血は熱い……。
 たまにはそんなRPGをしてみましょうか。
 ビギナーの人たちにはちょっと読みづらいかもしれませんが、サラリと一読してみてください。

2 戦いとはなにか

GM:さあ、君の前には長身の男が立ちはだかっている。前髪を右目に垂らし、その足元には老いた大きな狼がまとわりついている。
ロート:あーっ、でたな、こいつ!「ラシウェル、なんの用だ、そこをどけ!」
GM:ラシウェルはわずかに笑みを見せたようだ。
「ロート、去れとは言わぬ。だが、ここは通せぬ。決着の時が来たようだ」と言っている。
ロート:……うぅっ、ついにこいつと正面からやるはめになるのか。

 まずは戦闘を行う理由について、いくつかのパターンを類別してみましょう。哲学や心理学、宗教など、いろいろな要素と見地からの分類が考えられますが、ここでは簡易に表面的にだけとらえてみます。まあ、一緒に考えてみましょう。

1)自己防衛のための戦闘
 多くの戦闘はこの形を取ります。ごく単純に言えば、「モンスターが襲ってきた」という状況などですね。自分の生命への危機、苦痛の忌避などを理由とする戦闘行為です。
心理的側面も考慮に入れれば、すべての攻撃は自己防衛によるものだと言えるでしょう。

2)他者防衛のための戦闘
 他者が何者かに攻撃されようとしている場合に、代わりに戦いを買って出るというもので、職業としての護衛はその代表的なものです。

3)障害排除としての戦闘
 ある場所を通過したいのだが、そこには敵対する存在がいて排除しなければならない。という場合があります。これは最終的な目的を達成するために必要な副次的戦闘と言えます。たとえば、財宝が眠る洞窟に入るには入口のモンスターをまず倒さなければならない……という場合がこれに当たるでしょう。

4)目的達成のための戦闘
 暗殺がこのパターンの典型です。相手の存在自体が自分の目的の障害となる場合に、この種の攻撃が行われます。
 シナリオでキーとなる戦いはたいていこのタイプのものですが、ほかの手段による解決が存在しないかどうか熟慮したいものです。

5)衝動による戦闘
 安っぽいサスペンスのようですが、衝動的な感情によって戦闘にが起こる場合もあります。精神的なストレスの代償行為として攻撃衝動にかられるという経験は、みなさんにもあるのではないでしょうか。このパターンの攻撃は、必ずしも勝利を得ることを目的としていません。

6)自己証明のための戦闘
 ことに男性において、自己の優位を証明するのは戦いに勝利することであるという、限りなく衝動に近い理論が存在します。そうした心理を象徴的に強調して表現するヒロイック・ファンタジーにおいては、特に重要な動機になっています。

7)肉体的欲求による攻撃
 動物が食欲にかられて攻撃をする、というような種類の攻撃行動です。
 ただし、動物はたとえ空腹でも、盲目的にわれを忘れて攻撃をするわけではないということに注意してください。ほとんどすべての場合、食物獲得のための戦いは冷静で注意深い行為であり、動物が食欲のために見慣れない生物(たとえば鉄をまとった人間)を襲うことはありません。動物がそのような攻撃をするのは、テリトリー維持のためのみです。

3 剣を抜く前に

ロート:「ラシウェル、俺はお前を友とも思っている。一度はともに戦った仲ではないか!」
GM:「猿め、友とはおこがましい」と身を震わせながら言うと、彼は剣をすらりと抜き放つよ!
ロート:ううむ、勝てたとしてもただでは済みそうにないよなぁ。やはり彼女の件でそんなに怒っているのかな?
GM:他にも思い当たるのかい?(笑)「お前を彼女のところへはいかせぬ!」
ロート:「リナスの幸福を真に望むなら、そこをどけ!」って怒鳴るぞ。心理的動揺を誘うって奴。

 さて、ひどくラフな分類でしたが、戦いというワードに含まれるさまざまな要素が見えてきたと思います。
 まず第一に、戦闘が目的であるのかあるいは手段なのか、それを意識しなければなりません。それは、回避できる戦いであるか、避けられない戦いであるかの区別でもあります。
 ことに“ストームブリンガー”というRPGにおいては、勝利の見通しがつきにくいということもあって、この見極めが重要なのです。「気晴らしに戦闘がしたいなあ」などと言っていると、ごくつまらない一撃で命を落とすことになるでしょう。
 ですから、必然的に“ストームブリンガー”においては、戦闘のスリリングな魅力のみに頼ったシナリオを行うことは難しいと言えましょう。コンピュータRPGのような、遭遇→交戦パターンのスタイルそのままのシナリオには不向きな戦闘システムなのです。
 “ストームブリンガー”において、戦いのリスクはあまりにも甚大です。ゲームマスター(以下GM)はその点をよく考えて、シナリオのストーリーと何ら関係のない、重要性の低い戦闘でプレイヤーキャラクター(以下PC)を殺してしまうことがないように気をつけてください。たとえプレイヤーの判断の甘さや不注意が原因だとしても、PCがプレイヤーに不満の残るつまらない死を迎えるのはよいことではありません。そのようなプレイでは、ゲームのおもしろさを十分に引き出すことはできないからです。
 そうした事態を避けるとりあえずの解決法としては、戦闘の回数を減らすことが第一でしょう。またプレイヤー側にも、無用な戦いは避ける姿勢が必要です。
 しかし、無用な戦いと避けられない戦いは一体どうやって区別されるのでしょうか。それにはGMとプレイヤーが「物語の呼吸」に対する敏感な感覚を共有することが必要です。「優れたプレイヤー術とは、GMの望んでいることを鋭敏に察知してGMの演出するストーリーにしっくり溶け込む主人公を演じることである」といった極論もありますが、そうした側面は否定できません。
 ぼくは「負ける戦いはしない」などという主張に代表される、PCはロジカルなコンバット・マシンになるべきだというような考え方には賛成できません。プレイヤーに必要なのは、キャラクターの感情状態を把握し、それを楽しむという姿勢でしょう。PCが激しい怒りを感じるような局面であれば、感情に身を任せて強大な敵に挑むのもよいと思います。
 しかし、その瞬間の感動を高めるためにも、譲るべきところは譲り、耐えるべきところは耐えるべきでしょう。それこそが「物語の呼吸」にほかなりません。
 そうですね……『水戸黄門』などの日本娯楽時代劇を例にとってみましょう。物語のクライマックスにいたるまで、主人公はののしられ、軽んじられる役回りを演じます。しかしそれゆえに、悪代官の前に印籠をかざす瞬間の壮快感が高められるのです。
 出会う相手とことごとく戦い、け散らして目的を達成するよりも、そのような心理的やりとりを背景にたったひとつの戦いに臨むことの方が、何倍も楽しいことではないでしょうか。
 “ストームブリンガー”では、戦いこそが最高のドラマなのです。

4 戦いにおいて

GM:きれいな円弧を描いてブロード・ソードが振り下ろされる!……(コロッ)「さあ受けてみろ!」
ロート:フッ、俺だって成長しているのさ。(コロッ)キィン!ほおら、やすやすとかわした。
GM:「できるな!それでこそ俺のライバルと言えよう。フハハハッ」
ロート:こっちはそんなつもりはないぞお。

さて、戦いの危険そして危険であるがゆえに避けられる戦いは避け、本当に重要な戦闘に集中すべきだということは語りました。ここでは、迷いを断ち切り、実際に戦いに臨むにあたっての注意点を考えてみましょう。
 “ストームブリンガー”の戦闘システムは、戦いの手応えを十分に感じさせる優れたものです。
 降りかかる鋭い刃、そしてそれを受け流す時の手の痺れるような感触、ざらりと滑る鋼と鋼、そして敵の刃がガリッと装甲を削って肉をえぐる……血と共に力が抜けてゆく……体の動きが鈍くなってゆく!……
 しかし、システム自体の完成度が高いゆえに、しばしば戦闘は工夫のない平面的な切りあいに終始しがちです。
 たしかに“ストームブリンガー”の戦闘は大きな興奮を与えてくれますが、豊かな感覚においてなされたロールプレイが、戦闘が始まった途端に確率に一喜一憂する単純なサイコロの振り合いに「モード切り替え」してしまうのはいかにも残念です。
 だからぼくは、「戦闘中もなるべくしゃべりましょう!」と提言したいのです。戦っているPCの身振りを興奮のあまり演じてしまう……などというのは困ってしまいますが、敵を切る時のセリフや効果音はプレイを盛り上げます。
 また、戦闘空間は体育館のようなフラットな平面ではないのですから、現場のシチュエーションを想像する助けとなるような語りも効果的です。
 「足元の砂利が滑って回避に失敗した!」とか「空を切った件がレンガを削って粉が散った」といったちょっとした語りを加えると、戦闘のビジョンは一層輝きを増しますし、単に切り結ぶ以上の戦術を思いつくきっかけともなるのです。
 このような語りには、プレイヤーも積極的に参加してください。些細な行為の描写は、GMに対する越権行為にはなりません。

5 特殊な戦術の扱い

ロート:こんなところでクリティカルでもくらったらしゃれになんないから、〈体術〉でラシウェルの脇をすり抜けるぞ。道はどんな感じ?
GM:乱暴に組まれた石畳が、下り坂になって地下へ続いてるよ。かなり暗くて先はよくわからない。
ロート:「じゃ、悪いがラシウェル、ことが片付いたら相手をしてやろう」……(コロッ)クリティカル・サクセス!一瞬の疾風のようにすり抜けたってところかな?
GM:ひゃあ、よく出たね。でも、「ま、待て!やつを逃がすな!」という叫びが後ろから聞こえて、オオカミの吠え声が追ってくるよ。
ロート:ううっ、そうだったあ……。

 特殊な戦術をプレイに導入するのはなかなか難しいことです。思いつくのもさることながら、ルール上でどのように処理をするべきなのか、それを決定する感覚はなかなか得られるものではありません。ぼくもいまだに臨機応変かつ的確な処理ができずに、プレイ後に後悔させられることがしばしばあります。
 実例を挙げてみましょう。PCと敵キャラクターが1対1で斬りあってるシチュエーションで、もうひとりのPCが敵の顔に熟れたトマトをぶつけると宣言したとします。
 実際には、このような行為を成功させるのはとても難しいことでしょう。絶えず動き回る敵の顔にみごとにトマトが命中することなど、小説か映画でなければまずありえません。
 ……しかし、RPGというものは現実より小説や映画に近いものなのです。プレイヤーの顔を見回すと、皆がその思いつきに目を輝かせています。とても「そんなの100回に1回しか成功することじゃないよ」とは言えません……。
 こういう時、まずどんな判定をプレイヤーが期待しているのかを大事にしなければなりません。プレイヤーが状況に抱いているビジョンとGMのビジョンを調整し、統合する作業が必要となります。その2つが食い違ってしまう場合ほど、つまらなくいらだたしいことはないのです。
 この場合は、手投げ武器と同じような処理が適当でしょう。〈ジャグル〉技能の成功率を2分の1にしてボーナスを足した値で成否を判定します。相手はトマト攻撃に不意を付かれるので、回避はできないものとします。命中箇所については、深く考える必要はないでしょう。攻撃が成功したならば、それは狙いあやまたず顔に命中したでかまいません。なぜなら誰もがその結果を期待しているからであり、RPGは結局楽しんだ方が勝ちだからです。ただし、外れたら味方に当たってしまうなどの演出をするのもGMの大事なつとめです。
 特殊な戦術を用いる場合、結果は印象的に、ただし甘すぎないというバランスを保つことに注意しましょう。この場合は……まず空想してみてください。剣で切り結んでいる最中に、トマトが顔に当たったらどうなるかを。まずびっくりして動きが止まり、攻撃や受けができなくなるでしょう。プレイにおいては1回の攻撃不能と2回の回避不能、その程度がちょうどよいと思います。敵の目を見えなくしたりするのはプレイヤーに対して寛大すぎるでしょう。この程度で、PCは十分に勝機をつかむことができるはずです。
しかし、奇策はあくまで奇策でしかありません。特殊な戦術は戦闘の重要な要素ではありますが、GMはそれをあまり評価しすぎないように自戒すべきです。
 たいまつは剣より強いと信じている人に会ったことがあります。また、油の引火性を過大に評価しすぎている人もたくさんいます。投げつけるために小袋に分けた油や目潰し用の砂袋を持ち歩いているキャラクターは、ぼくは嫌いです。
 RPGにおける戦いは、キャラクターどうしのコミュニケーションの最後の局面であり、「哀しい手段」です。そのように戦いで敵の裏をかいたり、奇策で勝利すること自体に楽しみを見出そうとするのは本末転倒のそしりを免れません。

6 そして死がくる

ロート:「あ、クリティカルヒットだ!」
GM:ううぅ、それはきついぞ。(コロッ)ああ……。剣はラシウェルの守りの刃をくぐって薄い鎧に潜り込んだ。鮮血が散る……。ダメージは振るまでもないな。
ロート:メルニボネ人でも血は赤いんだな……。
「ラシウェル、だいじょうぶか?」
GM:おいおい(笑)。「フッ、こんな……ものだな。……お笑いだ……」
ロート:「目を閉じて少し休め……あとで迎えに来てやる……」ううむ、すっかりセンチメンタルだなあ。
GM:「……あまい、やつめ」とぜいぜい喉を鳴らして言った後、静かになるよ。
ロート:死顔は安らか?
GM:残念ながらそうでもない……。

 結果が勝利でも敗北でも納得できるという状況においてのみ、戦いは行われるべきです。しかし戦闘に臨むからには、全力で勝利を狙う以外の選択はありません。戦いとは、ひとつしかない命を賭ける行為なのです。
 ただ、この時忘れてならないのは勝利の定義です。相手を彼岸に送り出すことだけが勝利だ、という考えはあまりに単純です。場合によっては敵を倒すのではなく、相手の動きを引きつける目的の戦いもあり、その目的が達成されればそれは勝利と言えるでしょう。
 戦闘を始める前に自分が戦いに臨む目的を把握し、また戦いにおいて相手と自分の心理的優位のバランスを読み取ることが重要です。たとえば、剣を抜くしぐさをしただけで退散するゴロツキだっているでしょう。すべての相手と本気で戦う必要はないのです。
 しかし、先にも述べたように命を賭けて戦わなければならない局面は避けようもなく存在します。そしてその戦いにおいてPCに死が訪れることも十分に考えられるのです。
ぼくはプレイヤーが戦いの選択をしたならば、「死ぬ前の心の準備はできたかな」と聞くようにしています。変にRPGに慣れてしまったGMとプレイヤーには「苦労しても結局はPCが勝利する」という無言の了解が存在してしまうことが多々あり、PCが死ぬとひどく腹を立てる(そしてGMを非難する)プレイヤーはたくさんいます。ですから、高いリスクをともなう選択を選ぶのであれば、結果の責任は自分にあるということをプレイヤーは自覚しなければなりません。そのためにも、プレイヤーの頭を冷やし、戦闘の危険を把握させる必要があるのです。
 無論、RPGはGMとプレイヤーの戦いではありませんから、「戦うというなら死んでもかまわないんだな」とばかりに強力な敵で迎え撃つというGMも、何か勘違いしています。
ここで考えるべきなのは、ゲーム世界におけるGMとプレイヤーの立場の違いです、GMは世界の環境そのものなのですから。そこに働いているすべてのファクターを理解しています。しかしプレイヤーには、PCが知覚している(はずの)こと以外はわからないのです。目の前の相手が強力で自分は勝てないと判断すれば、熟練の冒険者であるPCはそれを理解し、戦いを避けるでしょう。戦える相手と判断するからこそ、戦端を切ろうとするのです。
 そしてそうした判断の根拠はGMから得られる情報しかないのですから、この時GMが適切な情報を与えないとすればそれはアンフェアです。敵の強さについて暗示的な情報を与えてもPCが気づかない時は、「今の君たちでは絶対に勝てないから逃げたほうがいいな」ぐらい直接的に言ってよいと思います。それでもなお向かっていくのであれば、それはプレイヤーの自由です。その時はPCが死ぬことに対してプレイヤーは覚悟し、納得もしているのですから、決してつまらない体験ではないでしょう。
 プレイヤー・キャラクターに死が訪れた場合、それは大事に受け止めなければなりません。GMが「ほうら、無理をするから」とか「ダイスの目が悪かったねぇ」などと言いわけじみたことを言うのはもってのほかです(これはつい言いたくなることです。誰しも経験があるのではないかな)。
 パーティーが仲間を失ったならば、皆でそれを弔い、別れの酒杯をあおりましょう(地の王グロームの司祭がいれば嬉々として埋葬してくれるでしょうが)。
 “ストームブリンガー”における死には、そうするだけの重さがあるのです。
 極論ですが、“クトゥルフの呼び声”においてPCの発狂がゲームの重要なフレーバーであるのと同じように(自分のPCがSANチェックに失敗するとなぜか嬉しいのはぼくだけかな)、“ストームブリンガー”においてはPCの死が重要なフレーバーだと言えましょう。
 「冒険の目的はなんだ?」と聞かれて「死に場所を探している」と答えるのっていい感じです。『眠狂四郎』とか、昭和30年代の時代劇のノリですね。そういうプレイスタイルは、『エルリック・サーガ』の世界の魅力を十分に引き出してくれるでしょう。
 「死がくるからこそ、今は生きていると言える。死が生を輝かせる」という言葉があるように、非存在への転落の危険が、紙上のデータに過ぎないPCへの感情移入を高めるのです。いかにしてキャラクターを息づかせるか、その演出技術によってプレイの質は格段に違ってきます。死の重さこそは、そうした演出の最大のチャンスなのです。“ストームブリンガー”で、ぜひそれを試してみてください。

7 ストームブリンガーのRPG論

GM:……で、どうする?
ロート:……やつの死を伝えなくちゃいけない人がいる。
GM:あ、そうだね。
ロート:狼にラシウェルの亡骸を守るように命じて、奥に進むぞ。リナスを止めなくては……。
GM:地の奥の方から、重苦しい巨獣の吠えるような響きが聞こえてくるよ。気をつければ大地の律動も感じる。

 『エルリック・サーガ』がヒロイック・ファンタジーの異端児であったように、その特徴を取り込んだ“ストームブリンガー”もRPGにおける異端児となり得ます。
 死が常に近くにあるからこそ、この世界におけるキャラクターは、納得のいく密度の濃い人生を歩んでゆかなければなりません。馴れあいは禁物です。
 もちろん、死から逃げ続けることは可能です。新王国といえども、平和な時代、平和な地方を探せば見つからないわけではないのです。
 しかし、感情が乾燥して平坦になっている現代社会に生きるぼくたちが、RPGのプレイの中で激しい感情の揺れ動きを体験することは意義あることと感じます。それはある時は激しい憎悪であり、殺意ですらありますが、半面身を挺する愛であり、世界を救う倫理とヒューマニズムでもあるのです。
無論、娯楽であるRPGにおいて過剰にそうした体験を追求しようとするのは考えものです。きっととても疲れてしまいますよ。ぼくだってそうです。でも時々そういった真面目でぎすぎすとした悲劇的な側面を持ったプレイをしてみたくもなるのです。
 ほのぼのとしたプレイも楽しいものですし、非常識やギャグプレイで笑うのもいいです。RPGのプレイスタイルを限定するのはおもしろくありません。さまざまなプレイスタイルが体験できるからこそおもしろいのです。
 今やRPGは円熟期、多くのゲームが出版され、それぞれのおもしろさがあります。われわれは個々のシステムと世界設定の魅力を引き出して楽しくプレイすればよいのであって、「RPGはこうプレイすべきだ」などと概論的な意見が適用する時代は終焉を迎えたと言ってよいでしょう(もちろん、プレイのマナーについては概論的に語られるでしょうが)。
 メインディッシュとして本格的なRPG、たとえば“ルーンクエスト”や“ワースブレイド”のキャンペーンを行いながら、時には“ストームブリンガー”のように個性の強いRPGや手軽に遊べるRPGをプレイする、というのがぼくの考える理想的なRPGホビーライフです。
 最高に美しいボックスアートを持った“ストームブリンガー”ですが、決してコレクション用アイテムで終わらせずに、その華麗にして凶悪な、プレイアブルにしてサスペンスフルな魅力を存分に楽しんでください。

8 おしまいに

 今後の展開ですが、そろそろ待望の追加ルール&シナリオ集“ストームブリンガー・コンパニオン”が出るようです。また、『エルリック・サーガ』第7巻(早川書房)も翻訳進行中とのこと。中身をちょこっと教えてもらったぼくは気が重いのですが、翻訳家の井辻朱美先生を声援しましょう。また、先生のお書きになった歌集『水族』(沖積舎)にはエルリックを題材にした短歌が収録されているようです。ファンは要チェック!
 という感じで、比較的地味だった“ストームブリンガー”はそろそろ飛躍を迎えます(ですよね、Mさん)。熱心なファンのみなさん、辛抱強く待っていてくれてありがとう。では、よいプレイを!

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解 説

 文:仲知喜 協力:蔵原大、高橋志行、田島淳

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伏見健二

 介護福祉士。作家、ゲームデザイナー、おもちゃ企画者。 伏見さんが『戦えば死がくる』を執筆したのは21歳のときです。武蔵野美術大学を卒業後、フリーライターとして活動しておられました。大学生の頃から伏見さんはアナログゲーム雑誌『TACTICS』の読者ページの常連投稿者で、ストームブリンガーのファンジン『ストームブリンガー・シナリオ集』『ストームブリンガーキャンペーン・修羅の業』を発表するなど、熱心なファン活動を行っていました。 『TACTICS』でのデビュー作は『ストームブリンガー』のシナリオ『紫水晶と鮮血』でした。その後、魔法ルールのサポート記事『新王国における書物と魔術』、マイルーン人をテーマにしたシナリオ『金翅の聖獣』などを手掛けています。伏見氏の代表作である『ブルーフォレスト物語』はこの記事と同年の1990年、ツクダホビーから発売されました。
公式プロフィール: http://www.blueforest.jp/~fushimi/guide.htm

マイケル・ムアコック

 マイケル・ムアコックは今年で75歳になるSF作家です。彼は、エルリック・サーガの最初の作品『夢見る都』を21歳の時に書上げました。24歳の若さにしてSF誌『ニュー・ワールズ』の編集長になり、60年代のイギリスで始まったニューウェーブSFという反体制的で急進的なSF運動を先導する役割を担いました。マイケル・ムアコックの代表作には、『この人を見よ』『グローリアーナ』そして「エターナル・チャンピオン・シリーズ」があります。

エターナル・チャンピオン・シリーズ

 「エターナル・チャンピオン・シリーズ」とは『エルリック』『ホークムーン』『コルム』などのヒロイック・ファンタジー小説の総称です。エターナル・チャンピオン・シリーズの主人公たちは皆「永遠の戦士(エターナルチャンピオン)」という存在の化身であり、多元宇宙を舞台に転生を繰り返しながら永遠に戦い続けている戦士とされています。
 神話学者のジョセフ・キャンベルが世界中の英雄神話の母型に着目し共通する構造を明らかにすることで、大きな影絵のように1つの英雄像を浮かび上がらせたように、ムアコックは多元宇宙という合わせ鏡の中央に一人の戦士を立たせることで、英雄の前後に途方もない世界の広がりを作り出しました。
 しかし、エターナル・チャンピオン・シリーズの主人公たちが、決して鏡に映ったオリジナルの複製ではないところに、このシリーズの妙妙たる魅力があります。彼らは、内面と肉体にハンデを背負っています。『コナン』に代表されるそれまでのヒロイック・ファンタジーの主人公が沢山の模倣作品を生み出したように、コナンはヘラクレスの、あるいはあらゆる神話英雄の、巨大な影の中に滲み込んでいきます。
一方で、永遠の戦士たちはこの影の中にとどまること拒絶しています。その手がかりが、エターナル・チャンピオンのハンデ(傷)ではないかというのがわたしの見立てです。彼らは、このハンデに苦しみ思い悩む。途方もなく広がる宇宙の中で、痛みに身を悶えさせ、悩みに縮こもりながらも、この苦悩こそが実在の証であると百万の虚像に向かって主張する……。
 このような思弁的な内容もさることながら、エターナル・チャンピオン・シリーズはヒロイック・ファンタジーの王道である血沸き肉躍る冒険譚でもあります。そこにムアコックのお家芸ともいえる異国情緒がプラスされ、異世界を堪能できる素晴らしいファンタジー作品となっています。

ストームブリンガー

 黒い魔剣の名を冠したこのゲームは、『エルリック・サーガ』を題材にした会話型ロールプレイングゲームです。 1987年にケイオシアム社から第1版が発売されました。今回の『戦えば死がくる』は、『ストームブリンガー』(ホビージャパン/1988)の第2版日本語版をもとにして書かれています。システム(ルール)は『ルーンクエスト』や『クトゥルフの呼び声』と同じベーシック・ロールプレイングをベースにしています。『ストームブリンガー』は、たいへんシビアな戦闘ルールと、オーバーパワーなデーモンや精霊の召喚ルールが特徴です。『ストームブリンガー』は版上げに際してタイトルがころころ変わってややこしいのですが、途中で『エルリック!』に変わり、また『ストームブリンガー』に戻ったと覚えておけばいいでしょう。現在、エンターブレインから発売されている『MICHAEL MOORCOCK’S ストームブリンガー』はストームブリンガーの最新版(第5版)にあたります。

TACTICS誌、RPGマガジン

 ホビージャパンが刊行していたアナログゲーム専門誌です。1981年創刊-1990年頃に休刊しました。初期はウォー・シミュレーションゲームを専門としていましたが、80年代に入ってからは当時流行した会話型RPGを多く取り上げるようになりました。RPG マガジンは1990年から1999年まで刊行されていました。
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2012年08月02日

アナログゲームのユニヴァーサル・デザインに向けて――RPGのナラティヴとコミュニケーションを考える――

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アナログゲームのユニヴァーサル・デザインに向けて
 ――RPGのナラティヴとコミュニケーションを考える――


 冠地情(ピアサポート・グループ「イイトコサガシ」主宰)×岡和田晃(Analog Game Studies代表、ゲームライター/文芸評論家)

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 去る2011年11月23日に「Mission Imposible 01――発達障害と想像力の世界」というイベントが開催されました。
 こちらは、「会話型RPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム、TRPG)が好き、もしくはRPGに興味のある発達障害の当事者、発達障害支援に関わる支援者・専門家と、RPGの専門家とが一堂に会し、会話型RPGを楽しむコラボレーションイベント」のことを意味します。

 ピアサポートグループ・イイトコサガシ、そして、広汎性発達障害に関わる精神医療の専門家が参加する明神下ゲーム研究会(旧称:明神下TRPG研究会)の共催となっているこのイベントに、アナログゲームのクリエイターや研究家からなるプロジェクト、本Analog Game Studiesも協力させていただきました。

 Analog Game Studiesでは、明神下ゲーム研究会に参加し、「会話型RPGと教育」、「会話型RPGと発達障害」、「会話型RPGとナラティヴ」などの観点から、ゲスト講師を交えつつ、さまざまな議論を重ねてまいりました。その経験を実地で活かそうというのが、今回実現した「Mission Impossible 01――発達障害と想像力の世界」というイベントなのです。

 「Mission Impossible」では、Analog Game Studiesからは岡和田晃、齋藤路恵、田島淳がゲームマスター、八重樫尚史がプレイヤーとして参加しました。またAGSからの協力者はイベントの開催に先駆け、ピアサポートグループ・イイトコサガシの代表、「冠地情」(かんち・じょう)さまの主宰する発達障害ワークショップに参加し、発達障害の方々と現場でコミュニケーションを交わしてきました。

 ※以下の記事は、発達障害および精神保健について、読者がある程度の関心と基礎知識をお持ちいただいていることを前提に書かれています。下記の『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?』など、各種資料等をあらかじめご参照のうえ、読み進めていただけましたら幸いです。
 また、以下の記事は各種アナログゲームを治療行為に使うことを一般に推奨するものではありません。Analog Game Studiesの情報をご利用になったことによって生じた損害・トラブル等に関しまして、Analog Game Studiesおよびイイトコサガシは一切賠償責任を負いかねますことをあらかじめご了承ください


アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー) [単行...
アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー) [単行本(ソフトカバー)] / 米田 衆介 (著); 講談社 (刊)


 イイトコサガシのワークショップは、「コミュニケーション能力向上ワークショップ」と題し、演劇的な要素を交えながら、発達障害の当事者と支援者が対等な立場でコミュニケーションを楽しく試す、というものです。

 ワークショップの流れは下記のとおり。

・参加のしおりの説明(10分〜15分)
・自己紹介(15分〜20分)
・アイスブレイキング(コミュニケーションのウォーキングアップ)(30分)
・休憩(5分)
・ワークショップの説明(30分)
・会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ:二人バージョン(50分〜60分)


 アイスブレーキングでは「アイコンタクト」や、「昨日あったことを15秒でまとめて話す。そして話が途中でも、体内時計で15秒だと思ったところで手放す」。会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップでは、与えられたテーマで相手に2回共感し、2回質問するという目標。そして、他人の会話でよかった点をわかりやすくほめるというような内容が行なわれました。

 特に興味深いのが、ワークショップで学習できる楽しくコミュニケーションを進めるための方法論が、会話型RPGのテクニック、とりわけ「ナラティヴ」(語り)のあり方に深くつながりそうなところです。

もちろん、RPGの「ナラティヴ」が治療行為ではないように、イイトコサガシのワークショップも治療行為ではありません。イイトコサガシのホームページでは、ワークショップの形式について、下記のような説明がなされています。
形式:当事者会(自助会)であり、セルフケアグループ(ピアサポート)です。
トラブルが発生しない運営を*最優先*しています。
ワークショップ内でトラブルが起きたことは一度もありません。

【お願い事】後々のトラブルを回避する意味で、このワークショップに参加した場合の影響について、事前に主治医、専門医に相談していただくことを強く推奨致します。
(当事者が主催している会であること、当事者同士で行うワークショップであること、支援する専門職の同席が原則ない等を、ワークショップ資料(http://iitoko-sagashi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_23.html)を基に説明していただけると助かります。参加の是非、参加した場合の影響はイイトコサガシでは判断できませんし、その後の責任も負いかねます)。
 未診断の方もご参加いただけますが、イイトコサガシでは参加後一切の責任を負いかねます。あらかじめご了承の上、ご参加下さい。

 そこで、2011年10月23日に東京都練馬区で開催された第151回イイトコサガシ・ワークショップ終了後、イイトコサガシの代表である冠地情さまに、「発達障害当事者会のワークショップと会話型RPG」という観点から、お話をうかがってみました。ちなみに冠地さまは、『ルーンクエスト』など、海外ゲームを遊びこんできたベテラン・ゲーマーでもあります。
 ※すでにAnalog Game Studiesでは、顧問の草場純氏による「会話によるコミュニケーション向上ワークショップ(イイトコサガシに参加して)」を公開しております。併せてご覧ください。


■イイトコサガシの出発点

岡和田:はじめてイイトコサガシのワークショップに参加させていただき、とても感銘を受けました。とりわけ、日常生活で意識を向けることのない「話し方」(ナラティヴ)のあり方について、改めて考えなおすきっかけとなったように思います。
冠地:ありがとうございます。
岡和田:このようなワークショップを企画された背景は?
冠地:中学3年生の時に演劇のワークショップに参加したのが出発点です。宮沢賢治の「ツェねずみ」という作品を発表するワークショップでした。そこに参加して良かったのは、親以外の大人とコミュニケーションできたことですね。高校では、「青梅青年の家」というところで、『竹取物語』を全12回で上演するという宿泊型のワークショップに参加しました。そこで、「あーでもない」「こーでもない」と試行錯誤してかぐや姫のいち場面を創り上げるのがとても楽しかった。こうした活動が、僕の原点です。
岡和田:演劇経験を福祉の分野に活かそうという意識は、いつ芽生えたのですか?
冠地:僕が32、3歳の時に「燃え尽き症候群」的になって、偶然『ジャイアン・のび太症候群』という本を表紙だけ見て「中味を見たいけど、開けたらブラックボックスを覗いてしまう」という恐ろしさを自覚したのが最初です。その本についてネットで調べたのですが、そうしたら「発達障害」の説明に行き当たって、まさに「俺じゃん」と。つまり、発達障害を自分の問題として捉えられるようになったのですね。その後、発達障害関連のオフ会に出るようになって「コミュニケーションに関して言えば、僕は経験も素養も恵まれていたんだな」と思うようになりました。出会いや自分を試すチャンスに恵まれていたんです。そこで、僕のような相対的に言えば「恵まれている」人間が動く必要があるだろうと。自分のコミュニケーションのベースを活かして、当事者会をやるべきだろうと。
岡和田:立ち上がられたわけですね。
冠地:ええ。僕をオフ会に誘ってくれた人は「コミュニケーションが苦手だけれども、そのような自分をどうにかしたい」という動機で、オフ会をずっと継続開催していたんです。その人がある日、僕を遊びに誘ってくれて、何も言わず2時間くらい歩きました。その後に、「情さんはなぜ当事者会をやらないのですか?」と言われたんです。
岡和田:冠地さんが適任だと見込まれたわけですね。ただ、試行錯誤をしていくうちに、おそらく、さまざまな問題も生まれてきたと思うんですが……。
冠地:トラブルが起きて、運営が疲弊して、当事者会が解散して……。という流れを、僕らは1年半の準備期間のうちに、すごくたくさん耳にしていたんですね。そうならないようにするにはどうしたら……という点からイイトコサガシの運営はスタートしました。
岡和田:イイトコサガシは何年から始まったのですか?
冠地:2009年の11月ですから、まだ2年経っていないんですが……。
岡和田:それで151回のワークショップ開催ですから、アクティヴなミュージシャンのライブ本数みたいですね。(編注:※2012年7月現在で250回以上。)
冠地:9都府県ですから、さしずめツアーといったところですか(笑)。で、トラブルが起きないようにと気を配りつつ、「なぜそもそもトラブルが起きるのか?」という点を追究していくと、「ルールが曖昧だから」という点に行き着いたんです。発達障害の当事者会って、よく言えばフリーダムなルールで運営していたところがほとんどなんですが、それだと問題が起きた時に、当事者会の運営にぜんぶしわ寄せが来ちゃうんですよね。(※2012年7月現在で28都道府県で開催。)
岡和田:運営側の監督問題にされてしまう。
冠地:ええ。口幅ったい言い方かもしれませんが、僕はトラブルシューターとして当事者会に参加したいわけじゃありません。カスタマーズ・サポートをしているわけでもありません。当事者の中には往々にして「無意識に、自分を被害者にして、ある誰かを加害者にすることで、自分に興味を持ってもらう」という処世術をとってしまう人がいます。もちろん悪気があってのことではないのですが、そういう人が入ってしまうと、トラブルが起きる頻度が上がります。だからルールを明文化して、「こういうことが起きたら、こういう対応をしますよ。それに納得した人だけ参加してください」と方針を、リスク・ヘッジの基本として掲げてきました。納得した人に来てもらうことで「ワークショップを楽しくやりたい。安全にやりたい」という理念を守ることができます。
岡和田:よくわかりました。それでは、当事者会に参加することで、発達障害の当事者の方には、具体的にどのようなメリットがあるとお考えでしょうか?
冠地:人に共感してもらうことができます。イメージでいえば、アルコール依存症の「断酒会」のようなものですね。心に傷を持っている同士が、そこで癒されます。「自分と同じように苦しんでいるんだなあ」と。発達障害の人は、極端な思考に走ってしまう部分がありますが、それを、みんなで話すことで、和らげるという効果があります。
 ただ、最初はいいんですが、共感してもらうだけだと、苦痛を和らげる効果しかありません。次のステップに行けるかというと、難しい面があります。最終的には、個人の「能力」の話に行き着いてしまいます。就職するのは能力だし、恋人とうまくやるのも能力だし……といった具合に。
 だから僕は「次のステップ」へたどり着くための場として、イイトコサガシがやっているような演劇の要素があるワークショップを提示しているのですね。それと、イイトコサガシが発足する当時、オープンでやっている当事者会って少なかったんです。同じ思いを抱く仲間を見つけるまで苦労したので、「イイトコサガシ」で検索すれば、すぐに出てくるようにしたかったのです。
岡和田:「次のステップ」について、もう少し詳しくお聞かせください。
冠地:みんな就労支援や(具体的な)能力開発を期待してしまうんですが、うちのワークショップに出ることが直接就労に結びつくことは、普通に考えてありえません。でも、逆にいえば、うちのワークショップで行なっているようなコミュニケーションを楽しめないと、友だちができる可能性も、就労ができる可能性も少なくなってしまうと思います。
 僕がいつも説明しているのは、ワークショップで養成されるのは「自分のことを、わかりやすく相手に伝える能力」。自分の思っていることや考えていることを正しく説明することへの気付きになるんですね。それが不十分だと、社会生活を行なううえで、いつもすれ違ってしまいます。
 もう一つは、「自分のわからないことを質問して埋められる能力」。これができると、職場や友だちとの人間関係もうまく築けるようになります。この2つの力をいかに養成していくかが、ワークショップのテーマになっています。


■ナラティヴ・スタイルに必要なもの

岡和田:ところで、冠地さんはイイトコサガシでのファシリテーター(促進役)経験を生かす形で、ナラティヴ(「語り」)を中心に据えた会話型RPGのデザインや運用について考えておられるとお聞きしました。奇しくも門倉直人さんの『ローズ・トゥ・ロード』の最新版など、リアルに物理的事象を表現するだけではなく、「語り」を通して私たちの世界観を異化させ、「リアル」の定義を刷新させるタイプのRPGが、近年注目を集めつつあります。こうしたスタイルを私は「ナラティヴ・スタイル」と呼んでいますが、この点、いかがお考えでしょうか。
冠地:まず「語り」を大事にするという意味合いからすると、「ルールシステムを理解できないと参加できない」という敷居の高さは無くしたいところです。
岡和田:なるほど。ナラティヴの観点からRPGを考えた際、まず共通した問題点として存在するのは、ナラティヴそのものに共通したノウハウそのものが、まだまだ足りていないということでしょうね。
冠地:ええ。それは結局、有能なマスターが個人の能力をもとに運営していく。ゲームマスターのパーソナリティに担保していたものとなっています。
岡和田:もっとコミュニケーションに寄り添った形で、マスタリング・テクニックを再整理していく必要性があるのかもしれません。
冠地:イイトコサガシのワークショップは、いわばナラティヴの枠組みを明文化する作業なんですね。
 会話型RPGは枠を作ります。ですが、枠を創ったから狭い世界というわけではなくて、枠を創ったからこそ世界が広がる面もあります。つまり枠そのものを、より「クリエイティヴ」なものとしていきたいんです。
岡和田:非常に面白い考え方です。壮大な作業が必要となると思いますけれども、まずは、相手に向きあって話すナラティヴ・スタイルでのプレイ経験を少しずつアウトプットしていくところから、始めた方がよいかもしれません。
冠地:機会を増やし、ノウハウを蓄積していくということですね。
岡和田:ええ、起こりうる行動パターンがルールにおいて網羅され、厳格に成否を判定できるルールが搭載されたゲームよりも会話を中心とするナラティヴ・スタイルのゲームのことを、より運用が難しいと思う人もいます。
冠地:確かに、そういう面がありますね。
岡和田:そのあたりの溝を埋めるために、コミュニケーションのためのガイドラインというものが存在していると思います。だとえば『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第4版の『ダンジョン・マスターズ・ガイドII』には、コミュニケーションのための手引きが沢山載っています。子どもと遊んだ例なども紹介されています。そうした実例も参考になりますし、一方で「コミュニケーションとはこういうものです」という一般的な規則や指針から、少し距離を置き、いったん深く潜ってものごとを考えてみるのも大事かと。
冠地:あるいは、コミュニティの安定感を保つためのルールと、コミュニケーションを促進させるためのルールを切り分けて考えることで、得られるものもあるでしょう。
岡和田:ええ。それに、冠地さんのように、発達障害当事者の方が、RPGをプレイして、「発達障害の人とコミュニケーションすることの意義」ことをアピールすることは、個々のプレイヤーにより向き合っていく姿勢にも繋がると思うんです。そうして「ナラティヴ・スタイル」の考え方が技術として共有されれば、もう成功したも同然です。
 今回はじめてワークショップで当事者の方と対等な立場でお話しましたが、当事者の方は、ともすると支援者の方以上に、「よりよいコミュニケーションとは何か」ということを考えていらっしゃいますね。そのような改善のための問題意識というものから――私たちが学べるものも大きいと思います。
冠地:アウトプットを蓄積していきましょう。マスターとプレイヤーに、楽しんでもらう。プレイリポートを書いてもらう。支援者さんに書いてもらい、当事者さんにも書いてもらう。そうして、どうすればもっと楽しくコミュニケーションができるのか考える。
岡和田:「Mission Impossible」コンベンションのような場が、そうしたきっかけになれば、嬉しいですね。
冠地:特に当事者と支援者、あるいは障害の立場、共有されたルールがどのようなものかを明確化したうえでのレポートがあればいいですね。
岡和田:障害の実体は、普段、関わる機会が少ない人には見えづらいと思いますので、余計に重要かと思います。
冠地:発達障害の人と支援者さんが同じ卓を囲んでRPGを遊び、そのフィードバックの積み重ねが、ナラティヴ・スタイルの「初級者コース」に連結できたらと思います。いきなり熟練者としての「語り」を求めてしまうから、ナラティヴ・スタイルが万人向けではない、ということになってしまう。しかし、ナラティヴの技術は上達できます。個人差はありますが、段階をふんで行けば、必ず。
岡和田:イイトコサガシのワークショップでは、「昨日は何をしていましたか」というように、自分のことを話す機会が多かったのですが、自分について語るのが得意な人もいれば、私のように(笑)、極端に苦手な人もいると思います。
 ただ、それらもいわば個性ですよね。そこから、新しい物語が生まれるとも思うんです。
冠地:標準的なコミュニケーションとは異なる視座から「キャラクター・メイキング」を行ない、仮想の人格を構築することで、話すということに意味が生まれることもあります。
岡和田:自分を掘り下げるという内省的なイメージと、自分を積み上げていくという構築的なイメージが交わる地点を会話で見つけ出すことでしょうか。
冠地:はい、積み上げていくことが、自分を掘り下げていくことと実はイコールということもありますから。


■クリエイティヴな雑談の形成

岡和田:能楽師として、引きこもりの青少年の支援をされてきた安田登さんの著作『身体感覚で「芭蕉」を読み直す。 『おくのほそ道』謎解きの旅』には、門倉直人さんの『ローズ・トゥ・ロード』が大きな影響を与えており、参考文献にも明示されています。同書についてはいずれ詳しく紹介したいところですが、実際、まったく分野で活躍しているように見えながら、安田さんと門倉さんの問題意識には共通した部分が、かなり多いように見受けられます。
 また、ゲームデザイナーの方で、昔から「ナラティヴ」と福祉の問題について、伏見健二さんが考えてこられました。お二人の問題意識にも相通ずる部分があります。
 ここで面白いのは、それぞれのお仕事を追求した結果、ナラティヴ・スタイルへたどり着いたという点ではないでしょうか。だから、冠地さんが考えるよきコミュニケーションのあり方が、より明確になっていけば、より緊密な連携ができるかもしれませんね。
冠地:伏見健二さんとは、普段からゲームや発達障害の話について、色々とお話をさせていただいています。(編注:そのひとつの成果が、伏見健二氏の新作『ラビットホール・ドロップス』に結集。クレジットにはイイトコサガシが「協力」として記載されています)
岡和田:まずはナラティヴ・スタイルの基本を第三者が理解できる形に技術としてまとめることが必要かもしれません。メンター替わりになるような、ナラティヴ・スタイルのマニュアルが必要かと思います。ナラティヴ・スタイルって良いことばかりではなく、きわめて抑圧的な部分もあると思うんですよ。
冠地:マスター主導で抑圧してしまって、プレイヤーが伸びなかったり。
岡和田:そうです。一方、うまいマスターは、相手から面白いリアクションを引き出すスキルに長けています。乗せ上手というか、絶対に技術があるんですよ。
冠地:技術論としてはピラミッド式のコースを考えています。「雑談がしやすい」がスタート。それが第一段階、次の移行手段としては「クリエイティヴな雑談」、ゲームの枠のなかで試行錯誤できる雑談がメイン。次は、「場面を創作できるような」RPG。
岡和田:そのステップアップ方式はわかりやすいですね。ジャン二・ロダーリという児童文学の作家が、机や椅子をゲームの道具に見立てる形でのお話の作り方をマニュアルにしています(『幼児のためのお話のつくり方』)。その延長線上で考えてもよいかもしれません。
 RPGという方法には、ともすれば自分の抱えた偏見を強化してしまうというマイナス面も、確かにあります。ですから、ナラティヴによって、個々の偏見に向き合いながら、お互いのスタンスの違いを「話合い」で解決するというのが……。
冠地:僕のイメージに近いんですね。
岡和田:イイトコサガシのワークショップでは「Yes, and……」という、相手が投げかけてくる質問をいったんは肯定するところから始めるコミュニケーションのトレーニングがありますが、これも、自分の殻を破るトレーニングになりますね。
冠地:RPGに近づけると、「Yes,and……」の方法論は「リアリティのある話をつくる」訓練かと思っています。話を振る方も、面白い、ウィットある振り方が求められます。面白い話を振って、面白い答え方を模索する。とにかく、そうした言葉の転がし方の検討から入って、馴染んでもらわないと、ナラティヴ・スタイルのRPGには行き着かないかもしれませんね。それがコミュニケーションをクリエイティヴしていく、クリエイティヴな雑談の形成能力の構築方法に繋がると思います。
岡和田:コミュニケーションに大事なのは、必ずしも流暢に話したり書いたりする技術ばかりではなくて、真摯さを伝えるのが大事かと思います。そう考えると、クリエイティヴな雑談とは、単にウィットの利いたことをいうだけじゃなくて、いかにして真摯さを伝えるのかという作業なのかもしれません。
冠地:発達障害の人は、相手の言っていることを受け止めたうえで、ユーモアを重ねるという形のコミュニケーションをしない(できない)ことが多いと思います。相手の意見を受け止めて円滑に会話を膨らませるという行為が必要なのかもしれません。
岡和田:コミュニケーションは、勝ち負けとは違いますしね。だから、譲るべきところは、譲ってしまってよいと思います。
冠地:ただ、折れてばかりでは傷ついてしまう面もあります。イイトコサガシでは、他人の良いところをふくらませる作業をみんなでやることで、コミュニケーションを創造的にしていく。その経験を共有するというのを目標としています。
 特に、発達障害の方とコミュニケーションをとったことがない方は、「障害者」というイメージを、頭の中で肥大化させてしまいやすいと思います。イイトコサガシのワークショップに参加し、当事者と対等な関係でコミュニケーションを試してみていただければと幸いです。

 発達障害の当事者として、コミュニケーション能力向上のためのワークショップを主催し、その技術のより普遍的な応用を模索している冠地さまのお話をうかがいながら、会話とコミュニケーションに焦点を当てた「ナラティヴ・スタイル」のRPGの理解を促進していくためにも、障害がある人も、そうではない人もともに楽しめる、いわば「ユニヴァーサル・デザイン」の発想が必要不可欠であると感じました。
 今回は会話形RPGを通して「ユニヴァーサル・デザイン」の必要性を考えましたが、この「ユニヴァーサル・デザイン」のあり方は、アナログゲームの今後を考えるうえでも、重要なものだと思います。
 先日、Analog Game Studiesでは、「Mission Impossible」参加のほか、すでにイイトコサガシの協力のもとで「現代によみがえるわらべ遊びの数々」というワークショップを開催しました。これは、当事者の方と支援者の方が、一緒にわらべ遊びを楽しみ、コミュニケーションを試すといったイベントでした。
 この「現代によみがえるわらべ遊びの数々」、来たる8月22日には、第2回の開催が予定されています

 今後の冠地さまのご活躍を期待するとともに、Analog Game Studiesにおいても、アナログゲームの「ユニヴァーサル・デザイン」のあり方について、思索を深めつつ、さまざまな活動を行なっていきたいと考えています。(岡和田晃)

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冠地情(かんち・じょう 本名)
 1972年生。東京都成人発達障害当事者会「Communication Community ・イイトコサガシ」代表。自分が対人関係を苦手なこと・同様のことで悩んでいる当事者が多いことを実感。過去に行っていた演劇表現ワークショップをヒントに、コミュニケーションを楽しく試す当事者会を立ち上げる。各種ワークショップの開催、発達障害ラジオ「ピカッと生きる!」等の啓発活動、全国各地の当事者会立上支援等、幅広い活動を行なっている。
 マンガと海外ドラマ、プロレスをこよなく愛する。
posted by AGS at 13:45| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

『ウォーハンマーRPG』リプレイ「魔力の風を追う者たち」ウェブ再掲記念;非公式対談――遊んでみて“改めて/新たに”わかった、会話型RPGの批評性

 今回お披露目するのはAnalog Game Studiesでは初の試み、対談記事です。

 かつて『GAME JAPAN』誌で『ウォーハンマーRPG』のリプレイシリーズ「魔力の風を追う者たち」が連載されていましたが(2008年3月号〜5月号)、そのシリーズがインターネット上においてPDFファイルとして再掲され、無料で読むことができるようになりました。

 現在、すべての回がウェブ上に記載されていますが、その完結を記念して、リプレイの参加者のうちAnalog Game Studies会員でもある者たちが、リプレイに参加した感想を対談形式で自由に語ってみるという企画を実施してみました。

 日本は諸外国に比して文芸誌が数多く出版されている国だと言われていますが、文芸誌上では対談形式で、特定の小説などを絡めることで自由に発想を膨らませていき、作品に参加した/あるいは受容した経験を深めつつ、さらに広い社会的文脈へと繋げる試みが頻繁になされています。この対談は(水準を満たしているのかはさておき)、そうした方向性を目指した試みです。

 もちろん、版元の公式の対談ではありませんので、この対談の文脈を押さえていなければ『ウォーハンマーRPG』を、そしてリプレイを楽しむことができないのか――などというご心配はまったくありません。あくまで想像をさらに膨らませるために役立てていただくためのリプレイ参加者の現場の声、非公式の注釈(コメンタリー)としてご理解いただけましたら幸いです。

 なお、『ウォーハンマーRPG』とは、ドイツ三十年戦争近辺のヨーロッパを模したケルト的な多神教的世界を舞台に、「混沌」と呼ばれる存在との戦いをライトモチーフとした会話型ロールプレイングゲームのことを指します。現在でも第2版の日本語展開が継続しています。
 『ウォーハンマーRPG』についての情報は、

・『ウォーハンマーRPG』日本語版公式ページ
http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/

・Wikipedia『ウォーハンマーRPG』:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BCRPG

・TRPG.NET Wiki『ウォーハンマーRPG』
http://hiki.trpg.net/wiki/?WarhammerFRP


 以上のサイトから概観をつかむことが可能です。


 『ウォーハンマーRPG』のリプレイそのものは、日本語版公式ページの以下のURLから、無料でダウンロードできます。
http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/gamejapan/index.html

 また『ウォーハンマーRPG』日本語版公式サイトでは、今回の対談で話題にしている「魔力の風を追う者たち」ばかりではなく、続篇シリーズ「混沌狩り」(全三回)も掲載されております。併せてご覧いただけましたら幸いです。(岡和田晃)

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『ウォーハンマーRPG』リプレイ「魔力の風を追う者たち」ウェブ再掲記念;非公式対談――遊んでみて“改めて/新たに”わかった、会話型RPGの批評性
 岡和田晃(ゲームマスター、ライター)×高橋志行(灰色の魔術師エックハルト役)

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●はじめに

岡和田: 本日はお忙しい中、対談に応じていただき、ありがとうございます。
高橋: こんばんは。宜しくお願いします。
岡和田: 『GAME JAPAN』の08年3月号から半年間連載された『ウォーハンマーRPG』のリプレイが、2年半の月日を経て、ウェブで再掲されました。今は雑誌名も『ゲームジャパン』とカタカナ表記になったし、会話型RPGのサポートはウェブが主になったのですが、しかし『ウォーハンマーRPG』は、新作サプリメント『スケイブンの書――角ありし鼠の子ら』もこの対談が掲載される12月24日に新発売となっており、翻訳に関わった者の気持ちとしては、まだまだ展開を続けていきたいと思っています。
 ということで非公式ではありますが、リプレイ再掲記念のプライベート座談会ということで、今回GM・ライターの岡和田が、プレイヤー(「魔力の風を追う者たち」では灰色の魔術師エックハルト役で)参加してくれた高橋さんをお招きいたしまして、簡単な対談をしてみたいと思う次第です。なお、リプレイを未読の方は、公式サイトから無料ダウンロードが可能ですので、ぜひご覧になってみて下さい(http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/gamejapan/index.html)。
高橋: 丁寧な紹介、ありがとうございます。当時は僕自身もとても楽しんでプレイできました。こうしてWebで公開されて、とても嬉しく思います。
岡和田: 高橋さんは、自身で運営されていた主に会話型RPG(TRPG)を考察するウェブログ上でも当初から素晴らしいプレイリポートや論考を書いてくれて、連載の成功を陰からサポートしてくれました。あまりお手盛り感のない客観的な紹介をしてくれていたのもよかったですね。

スケイブンの書−角ありし鼠の子ら (ウォーハンマーRPG サプリメント) [大型本] / スティーブ ダーリントン, ロバート J シュワルブ (著); 待兼 音二郎, 鈴木 康次郎, 阿利浜 秀明, 見田 航介, 岡和田 晃 (翻訳); ホビージャパン (刊)


●ストーリー重視のための魔術師Onlyパーティ

高橋: 毎回キッチリ感想書けるだけ刺激的だったということもあります(笑)。最初は、四人全員魔術師なので、普段のセッションより「考える手応え」が豊富にありましたね。
岡和田: なぜ全員魔術師かというと、『魔術の書:レルム・オヴ・ソーサリー』というサプリメントの紹介という意味合いもあったのですが……。それ以上に、ストーリー重視にしたかったのです。現在の『ウォーハンマーRPG』は第2版なんだけれども、ルールブックが出た直後に身内でテストプレイした際、旧版のシナリオをコンバートして遊んだら、あっという間に全滅しちゃったということがありまして。
 ちなみに『さまよえる魂』という旧版のシナリオ集の冒頭、「流血の夜」というシナリオです。あまりに内容がエグいせいか、これだけ第2版にコンバートされていません(笑)
 内容は、暴雨風の中、突然、ミュータントに馬車がひっくり返される。 必死でミュータントと戦って、逃げた先には怪しい館(笑)。そこから先は『注文の多い料理店』な展開というか……。このシナリオは面白く、「Role&Roll」誌に連載されている人気RPG紹介マンガ『スピタのコピタの!』で『ウォーハンマーRPG』が紹介された際にも、このシナリオが遊ばれたようです。『スピタのコピタの!』を読めばわかりますが、ものすごくホラー映画的、それもB級的な意味でも面白いものです。ただ、当時は私の運用がヘタクソだったんですね。
高橋: 聴いただけで報われないシナリオだとわかりますね(笑)。「報われない」といっても、ゲーム的にってわけじゃなく、あくまでPC視点ですけど。ウォーハンマーは意志力テストがほぼ『クトゥルフ神話TRPG』におけるSANチェック(=正気度喪失判定)みたいなものだから、『クトゥルフ・ダークエイジ』(http://hiki.trpg.net/Cthulhu/?CthulhuDarkAges)っぽいノリでも遊べるでしょうけど……。
岡和田: SANチェックでも、行動がまったくできなくなって、一方的にボコボコですから(笑)で、一方、『クトゥルフ・ダークエイジ』っぽい要素があるのはその通り。『ウォーハンマーRPG』はある意味、『クトゥルフ神話TRPG』シリーズのようなフレーバーのゲームでもあるんです(『ダークエイジ』はけっこう戦えるのですが、そこもちょっと似ています)。そして『魔術の書』も、記述の7割はフレーバーテキスト(=ルール上厳密に管理されているわけではないが、オールドワールドの世界の記述を豊かにしている文字情報)で、魔法の本質、魔法の系統、どうやって魔法をかけるか、世界における魔法の位置づけ、などといった記述がよりどりみどりでして、これが『魔術の書』の強みだと思います。これをどうやったら活かせるかということで、ああいう展開を考えました。
 経験点も2000と多めでスタートして、まま語られる「『ウォーハンマーRPG』=マゾプレイ」という偏見を消したかった。いや、たしかにマゾプレイでも面白いのですが(笑)、ゲームを見る角度を変えたかったんです。だから思い切って全員魔術師(笑)となった次第。そうすることで、「魔法を生きる糧」としている人たちの生活や人生そのものにまでスポットを当てて、そうした部分からストーリー的な面白さを提示してみたいと考えた次第です。

魔術の書:レルム・オヴ・ソーサリー (ウォーハンマーRPGサプリメント) [大型本] / マリアン・フォン・シュタウファー (著); 待兼 音二郎, 鈴木 康次郎, 見田 航介 (翻訳); ホビージャパン (刊)クトゥルフ・ダークエイジ (Role & Roll RPG) [単行本] / シュテファン ゲシュベルト (著); Stephane Gesbert (原著); 坂本 雅之, 中山 てい子 (翻訳); 新紀元社 (刊)


●フレーバーテキスト、小説の設定との兼ね合い

高橋: フレーバーテキストは、確かに他のゲームより豊富ですね。『D&D』も、たとえば三版以降は特に、呪文周辺のフレーバーテキストに胸躍らされるものがありますけれど、今の時代に合わせて、フレーバーを乗せるところと乗せないところがはっきり区別されている印象です。
岡和田: 三版以降の『D&D』は、ものすごく好きで狂ったように遊んだものですが(笑)、プレイグループのスタイルに合わせて、情報が取捨選択されていくんです。
高橋: その上で、岡和田さんのGMでは、アルトドルフに関する設定が、シナリオ内の課題としてどんどん組み込まれて行った。「あのフレーバーがこんな風に料理されるのか!」というのが、かなりありましたね。フレーバーテキストを単にデジタルに処理してしまうと、ウォーハンマーに限らず、背景設定の濃いルールブックのほとんどが「単に、無意味な記述の束」になってしまう。アナログで、パラメータにしにくいところをGMの側で課題として変換する作業は、やっぱり会話型RPGならではのテクニックであり、ゲームデザイン的に重要な部分だと思うんですよね。
岡和田: それはありがとうございます。なるべく、いわゆる蔑称としての「吟遊詩人GM」になりたくなかったんですよ。「美しいお話」を聞かせるだけ、ってやつ。「吟遊詩人」的なスタイルでも面白いことはできますけれども、私の趣味ではあんまりない(昔さんざん痛い目を見たので……)を。それとは別に、アルトドルフが舞台だと、ウォーハンマー小説が利用できるという強みもありました。
高橋: ウォーハンマー小説の『ドラッケンフェルズ』は、旧訳と新訳、両方読みました。新版もいいですが、旧訳の日本語のリズムも味わい深かったですね。
岡和田: 『ドラッケンフェルズ』は、確か参加者には全員読んでもらった気がします。そのうえで、シナリオにはアルトドルフを舞台とした続篇『ベルベットビースト』の小ネタを入れたりして(笑) 『ドラッケンフェルズ』のジュヌヴィエーヴをプレイするというのは、実際のセッションだと私もやったことがありますし、旧版の未訳サプリにデータはあったのですが、今回のリプレイではやりたかったことが違いました。だからあくまで、アルトドルフに生きる名もなきPCたちが主軸として話が動いていく、という方針をメインに据えたわけです。

ウォーハンマーノベル ドラッケンフェルズ (HJ文庫G) [文庫] / ジャック ヨーヴィル (著); クリステル スヴェーン (イラスト); 待兼 音二郎, 崎浜 かおる, 渡部 夢霧 (翻訳); ホビージャパン (刊)ウォーハンマーノベル ベルベットビースト (HJ文庫G) [文庫] / ジャック ヨーヴィル (著); クリステル スヴェーン (イラスト); 待兼 音二郎, 矢野 真弓, 木暮 里緒 (翻訳); ホビージャパン (刊)


●NPCの活躍

岡和田:その意味では、魔女のレジーナのリアクションはとてもよかったと思います。 高橋さんのエックハルト(影の学府の中堅魔術師)も、オピニオン・リーダー的に動いていてGMから見ても嬉しかったですね。
 リプレイの第1話「破滅の天使」は、ジェットコースター的な展開をあえて意識しているんですが……。そこでエックハルトは機敏に動いてくれました。もたもたしていたら、ナーグル腐れ病でみな死んでましたよ(笑) いや冗談じゃなく。
高橋: いやいや、あの魔術師四人に対して、シルダ(香子さんのドワーフPC)を慕うドワーフ三兄弟、戦士キャラがついていなかったらまずかったと思いますね。とはいえ、ドワーフ三兄弟もナーグル腐れ病にかかって大変なことになってましたが。あの描写も、セッション現場では4ページでは収まらないくらい洒落になっていなかった。
岡和田: 実はですね、ガンツ・グンツ・ゴンツの三兄弟っていうのは……。私のアドリブで生まれたんです(笑)
高橋: それは、戦力補強の意味合いでですか?(笑)
岡和田: いやいや、酒場のシーンから最初始まったわけじゃないですか。ここで、PC同士を引き合わせるわけですよ。そこで、いろいろ小ネタをぶつけて反応を見ていくわけですよね。シルダの場合、ガンツ三兄弟となぜか相性がよかったという事情があります。


●魔狩人フレイザー

岡和田:面白かったのは、魔狩人のフレイザー。これ、連載当初に人気があるキャラだったんですけど、基本的な枠組みはプレイヤーの皆さんに作ってもらったんですよね。というかぶっちゃけ、高橋さんが考えたんでしょ(笑)リプレイ読み直すとエックハルト/高橋さんの発言になってますし。フレイザーという名前は私が付けたんですが。由来は古典的名著『金枝篇』のフレイザー卿ね。読むとSAN値(正気度)が減ります(笑)
高橋: あ、そういえばそうでしたね!(笑) 最初のプレーヤー間の設定相談で、横井さんに「なんで魔女なのに、こんな都市部に居るの?」って話になって、その時に企画会議風に「まあ、居てもおかしくないよね」とばかりに挿入したはず。
岡和田: いやその前に、「なぜPCたちはパーティを組んだのか」という無茶振りを考えてもらったんじゃなかったかな。ワイワイ言いながら設定作るのって、楽しいでしょ。GMとしても楽でいいし(笑)、何よりプレイヤーにシナリオへダイレクトにコミットしてもらいたかったので、その最初の課題だったんですよ。課題というと上から目線っぽくて偉そうですが……。
高橋: 僕は会話型RPGのセッションで、「いま参加者間で共有されている設定群から、むりのない推論をして、べつの設定をどんどん生産していく」のが楽しみの一つなんですよね。自由連想ってわけじゃなく、一定の理屈をつけて繋げるのが好きなんです。なので、横井さんへの提案がきっかけで、フレイザーみたいな人気キャラが育ってくれて嬉しく思います。
岡和田:フレイザーが最終的にどうなるかは、初期段階では白紙でした。初めは、謎解きが煮詰まったら出てくるキャラにしていたんですよ。で、プレイヤーとの相互干渉の結果キャラが出てきて、第3話でああいう末路を迎える。裏話としては、当時読んだばかりだった伊藤計劃の小説『虐殺器官』に影響を受けています。そしてフレイザーは、PCたちの、心理学的な「シャドウ」を意識したつもりなんです。GM的な運用としては。『ゲド戦記』に登場する「影」。セリーヌの『夜の果てへの旅』に出てくる、語り手の行く先々に現れる謎の男、ロバンソン。
高橋: 最終的に、そういう物語の王道的な役回りを帯びさせていったということなんですね。

金枝篇 呪術と宗教の研究 第1巻虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA) [文庫] / 伊藤 計劃 (著); 早川書房 (刊)影との戦い―ゲド戦記 1 [単行本] / アーシュラ・K. ル・グウィン (著); ルース・ロビンス (イラスト); Ursula K. Le Guin (原著); 清水 真砂子 (翻訳); 岩波書店 (刊)夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫) [文庫] / セリーヌ (著); Louis‐Ferdinand C´eline (原著); 生田 耕作 (翻訳); 中央公論新社 (刊)


●PCたちの役割

岡和田: そうそう、『ウォーハンマーRPG』なので、キャラクターは最初っからヒーローとして完成されていないんですよ。あくまでも生活者で、むしろ途中で朽ち果てる連中がほとんど。でもそれはそれで楽しいし、やりがいがあるのは不思議なところです。PCたちも、他のNPCと比較するルール的なアドバンテージは運命点があることだけ。おまけに、経験点2000からのセッションということで、初期運命点は逆に減らしてもらっています。そうした条件で、少ない運命点をガンツ三兄弟に注ぎ込んだシルダは偉かったですねぇ。
高橋: シルダ=香子さんの三兄弟運用は素晴らしかったですね。
岡和田: あれは、理想の姐御というか……。
高橋: レジーナは基本的に主役、というより渦中の人。
岡和田: シルダ役の香子さんは、普段はとってもいい子なのに(笑)それと、ウルフガングはPCたちがすっぽかした事後処理を引き受けてくれる役割かなあ。そうした設定が、自然に共有されていく感じで、GMとしても面白かったですね。戦闘にあまり紙幅を避けなかったんですけど、戦闘でいちばん活躍していたのはウルフガングですからね。ガンツ三兄弟を除きますが(笑)
高橋: どんどん野獣化していく様が、次シリーズの『混沌狩り』を予見させるような流れでしたね。
岡和田: 続くリプレイシリーズの『混沌狩り』は、ウルフガングのプレイヤーの坂本さんの本領発揮というか……。でも、野人はヒロイック・ファンタジーの本質なんですよ(力説)。ロバート・E・ハワードの 『コナン』しかり、『ルーンクエスト』のオーランス人然り。
 ……あっ、今気がつきましたが、「影」という意味では、フレイザーとエックハルトはパラレルなキャラクターですね。ただ、エックハルトは内面がないキャラクターですよね。そこがレジーナとたぶん違う。シルダとも違うかな。あくまでプラグマティスト。ここは高橋さんのある部分が反映しているのでは(笑)

黒い海岸の女王<新訂版コナン全集1> (創元推理文庫) [文庫] / ロバート・E・ハワード (著); 宇野 利泰, 中村融 (翻訳); 東京創元社 (刊)


●発言に至る過程、物語的な連関性

高橋: そう言われれば、そうですね。僕は、会話型RPGゲーマーとして、いろんなリプレイを楽しく読ませてもらっているわけですけれども……もしやる側に回るとすれば、「何を考慮して、その発言に至ったか」というところを、なるべく透明にしてプレイしたいし、そういうのを読んでもらいたい、という方針でいるんですよね。
岡和田: 私が読者として、リプレイに期待するのもまさにその部分だったりします。試行錯誤の過程というか。物語が生成される過程というか。その部分。小説で言えば、文字として「書く」以前の過程ですよね。いや、書かれるその瞬間のメカニズム、と言うべきでしょうか。そこがリプレイを読んでいて私としては楽しみにしている部分です。
高橋: そのセッションの現場で、いろんな〈状況の要素〉があるわけですよね。流行り病とか、魔法の政治性とか、社会権力とか……。そのうち、何を評価して、何をゴリ押しして、その発言を選び取るかというのは、特にフレーバーテキストが豊富なウォーハンマーにおいては特に、重要な点だと思ってました。
岡和田: それを小説で表現すると、ひどく込み入った場合になることが多いんです。もちろん面白いんですけどね。さっき名前が出ました『ドラッケンフェルズ』のジャック・ヨーヴィル(キム・ニューマン)は、そこをエンターテインメントに落とすのが上手い人です。逆に、「選び取る」ことのテーマを広げていくと、ジャン=リュック・ゴダールの映画のようにすることも、たぶんできると思います。『新ドイツ零年』とか、一筋縄では行かない映画ですが、ある意味すごく本質的に会話型RPGに近いと思っています。
高橋: フレーバーをGMだけが拾っていても、プレーヤーの側が意味付けて、確かな“状況打破の一歩ずつ”にしていかないと、という気持ちがあります。僕が会話型RPGのプレイング中に、常に気をつけていることでもあります。素朴な設定を、ゲーム的な設定に貪欲に取り込んでいくのもプレーヤーの仕事といいますか。
岡和田: そこはGMとして客観的に見ていても、伝わってきましたよ。ただ最近では「ぐだぐだ」と呼ばれてしまうことも多いんですが、実はこの過程って大事なんじゃないかと自分としては思っています。だから「ぐだぐだ」は私の中では、NGワードにしているんです。

新ドイツ零年 [DVD] / エディ・コンスタンティーヌ, ハンス・ツィシュラー, クラウディア・ミヒェルゼン, アンドレ・ラバルト, キム・カシュカシアン (出演); ジャン=リュック・ゴダール (監督)


●「口プロレス」の弊害?

高橋: それは、「口プロレス」という言葉の弊害だと思いますね。たとえば、どれだけパーティの中で自分のキャラづけが巧く行っていても、それが「そういうキャラだから」というだけでは、本当の意味での説得力がない。「あの設定を活かせば、こんな風な解決策を編み出せて、その為にこんな判定を要求できるのではないか……」と、自ら継続判定を編み出すところまでいけばいいと思うわけです。
岡和田: 『ウォーハンマーRPG』って、悪い意味での「口プロレス」とは全然違ったからねぇ。今回のリプレイのセッションも、特にそうだった。
高橋: そもそも、『ウォーハンマー』が採用するパーセンテージ・ダイスはケイオシアムのBRP(=ベーシック・ロールプレイング)の文脈を受け継いでいると僕は考えています。その元祖である『ルーンクエスト』や『クトゥルフ神話TRPG』もまた、色んなお膳立てをプレーヤーの側が引き寄せて、それから判定を試みる、というテクニックがしばしば用いられますよね? そのぶん、D100を振る回数は制限されていない。時間の管理がゆるいぶん、ゲームマスターに追い込まれれば判定回数をみるみる減らされるようにもできているのがBRP的なゲームの特徴です。そこでプレーヤーは、単に思いつきを言葉で表すのではなくて、既存のルールブックの中にある判定系から落とし所を探って、「判定がありうる場所」をプレーヤーの側から提示していくのが、いいと思うんですね。
岡和田: そうそう、より自然な表現で言うと、その世界で生きている理屈が、プレイヤーを縛るのではないかと思います。
高橋: そしてそのためには、GMは、いろんな発想に耐え得るだけの状況想定を、用意してくれている必要があります。良い公式シナリオにはそういう「状況想定」のためのフックが沢山あります。その想定の豊富さが、GMのセッション・ハンドリングを助けるわけです。そういう意味で、ルールブックで提供される「世界設定」は実はフレーバーに止まらない。「準ルール」あるいは「潜在的に機能しうるルール群」とも言える。もちろん、何を「ルール」に昇格させるのかが、現場のGMやPLの意見調整によって決まってくるのが、また面白いのですけれど。


●1980年代のシナリオ・ノウハウをどう継承するか

岡和田: おっしゃるとおりですね。インターネットで無料ダウンロードできる私が訳したシナリオの中だと、『隠された宝石にまつわる諸事情』という作品が、それに該当すると思います(http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/dl_scenario.html)。
高橋: コンピュータRPGでも、最近では『The Elder Scrolls IV: Oblivion』などの、いわゆる“箱庭型RPG”の再評価が目立ちます。でもそれじゃあ会話型RPGにおける箱庭型はなんだったかというと、この「状況想定」がどれだけ網羅的か、ということだと思うんです。
岡和田: おっしゃるとおりではないでしょうか。高橋さんの労作である『ロールプレイング・ゲームの批評用語』(http://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20070927.html)の言葉をお借りしますと……〈共同ゲームデザイン〉の、ルール・メカニズム内の位置づけをユーザーがどう認識するか、でしょうか。ちなみに〈共同ゲームデザイン〉(http://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20070927.html#sharedgamedesign)については、昨年にSF乱学講座というイベントで講演をさせて頂いたときに紹介させていただいて、聴講者の方々から好評を得ることができました。この場を借りて、厚くお礼申し上げます。
高橋: ありがとうございます。「ゲーム論×物語論」という文脈で論じられていたのは聞き知っていたのですが、それは知らなかった(笑)。国際大学GLOCOMでも、一時期RGN(ゲームと物語に関する研究会)が行われたいたことがあり、今でもUTREAM.TVを利用したRGN-uが細々と続いているのですが、SF論壇の方でもそうした試みが始められているのは、とても心強いですね。
岡和田: シナリオに話を戻しますと、箱庭RPGに興味がある人は、『ウォーハンマーRPG』の資料やシナリオ読むべきですよ。いや、本当に。
高橋: まあ……1980年代までの、特に海外の会話型RPGシナリオって、「今の会話型RPGプレーヤー」とは全然異なる文脈やリテラシーを要求しているところはありますので(笑)、一概に言えないのですけれども。今遊んだら「クソゲー」認定されかねないけど、当時はそうとも限らなかったんじゃないか? という。この辺は、クリアに語りたくても、なかなか難しいところです。
岡和田: 80年代の海外RPGを代表するシナリオとしては、私は『クトゥルフ神話TRPG』(『クトゥルフの呼び声』)の『ニャルラトテップの仮面』を挙げたいですね。『ウォーハンマーRPG』の『アルトドルフの尖塔』は、その正統な後継作だと思います(デザイン・コンセプトという意味で)。『アルトドルフの尖塔』のライターをしているデイヴィッド・チャート氏は、『アルス・マギカ』という優れた未訳RPGにも関わっていて、宗教学や神道を研究してもおられるようです。『救済の書:トゥーム・オヴ・サルヴェイション』という宗教サプリメントのライティングにも参加しています。いつかインタビューしたいですね。
高橋: 『アルトドルフの尖塔』は、書籍で出ている公式シナリオ集ですね。
岡和田: はい。アルトドルフの設定を兼ねたキャンペーン・シナリオ集なので、お得感がある良作ですね。翻訳の定木さんの訳文も美しく、素晴らしいものです。
高橋: 『ニャルラトテップの仮面』といえば、先日僕がサークルで遊んだ『黄昏の天使』(=日本で初めて刊行された『クトゥルフ神話TRPG』キャンペーンシナリオ)などは、その『ニャルラトテップの仮面』の頃の空気を濃く受け継いでいて……つまり、1話からそれはもう、大変なわけです(笑)。キーパーの方は、その80年代CoCシナリオを一通り知ってる人なので信頼しているわけですが、このシナリオに関してはもう、SANチェック以前に、PCの体力がもたない場合すらある(笑)。でも、僕が思うに、それは海外の……1974年ごろからひたすらD&Dやルーンクエストなどに親しんできたヘヴィゲーマー向けに打ち出されたからこそ、今遊んで難しいのであって、直輸入して遊んでみても、簡単には把握できないというだけだったのではないか、とも思ったんですよね。
岡和田: 当時は雑誌サポートなどがされていたと思いますが、現在に至るまでは、なかなか遊び方のノウハウが広く共有されてこなかった、という部分があると思いますね。しかしそうした部分を差し引いてもなお――『黄昏の天使』は有坂純さんと門倉直人さんの共作ですが――間違いなく国産RPGのシナリオの最高峰です。ぜひ、再版してほしいと思います。中古では40000円以上の値がついているケースもあるみたいですよ。
高橋: 実はこないだ、プレーヤー2人で無理やりやったんですよ。改変一切抜きで。
岡和田: 1人2キャラとか? それとも残機制?(笑)
高橋: いえ、1人1役ですよ(笑)。明らかに役割分担しきれないスキルがあるので、もう、最近のシナリオでは味わえない恐怖感がありました。途中でSANチェックどころか、身体的にやられる危険性が何度もありました。それでも、僕も、相棒役を務めた先輩ゲーマーも、10年以上色々シナリオやってきてるので、「無調整でも、これくらい先読みできないと当時のゲーマーとしてはダメだったのかな?」くらいの風景は見えましたね。2010年現在でやるなら調整前提かもしれませんが、今回は敢えてキーパーにお願いして、無調整でやったんです。2キャラで(笑)。2話目以降どうするかはまだ決めかねていますが、ぜひ最後までやりたいですね。100点満点がありえなくても、走り抜きたい。
岡和田: 走り抜いていると、やがて見える光景が変わってきますよ。例えば『黄昏の天使』の後半では、それまでのストレスがカタルシスに徐々に変わっていくんです。また、個人的にシナリオのフレーバーでツボだったのは『遠野物語』と「物部氏」(笑)。そうした走りがいのある強度が80年代のシナリオの良い部分だと私は思っておりまして、いわゆる「現在の」会話型RPGの特徴的とされる要素も、この頃のシナリオには色々入っています。

アルトドルフの尖塔 (ウォーハンマーRPG 冒険シナリオ) [単行本(ソフトカバー)] / David Chart (著); ホビージャパン (刊)救済の書:トゥーム・オヴ・サルヴェイション (ウォーハンマーRPG サプリメント) (ウォーハンマーRPGサプリメント) [単行本(ソフトカバー)] / ロバート J シュワルブ, エリック ケイグル, デイビッド チャート, アンドリュー ケンリック, アンドリュー ロウ (著); 待兼 音二郎, 鈴木 康次郎, 阿利浜 秀明, 見田 航介, 岡和田 晃 (翻訳); ホビージャパン (刊)


●『アルトドルフの尖塔』とリプレイの関係

岡和田:『ウォーハンマーRPG』の話に戻りますと……。2005年に原書が出たこの第2版は「現在の」RPGですが、先ほど名前が出た『アルトドルフの尖塔』には80年代的な試行錯誤が、自然に盛り込まれていると私は思います。
高橋: シナリオそれ自体が、マスタリングの指針、「運用教則」としても読めるようにデザインされていた、ということですね。
岡和田: その通り。かつてのRPGのノウハウって、雑誌媒体かプレイグループのファンジンが担っていたと思うんです。でも現状、昔のRPG雑誌って、けっこう入手しづらいものがあります。今ならネットで議論も出ますし、『Role&Roll』など現在の商業誌でのフォローアップももちろんありますが、それでも埋もれたものは多い。とても残念です。海外の場合も似たようなところがあると思いますが、一方で海外ものの強みとしましては、そうしたノウハウを、実はシナリオのバリエーションで落とし込んできたのかな、というところがあるとずっと思っていまして。 『アルトドルフの尖塔』は、シティ・アドベンチャーがメインのシナリオなんですが、一本道的な構造とは正反対。ネタバレにならない範囲で言うと、アルトドルフの人間関係が詳細に設定されていて、その渦中を渡り歩きながら「情報点」を獲得していく。つまりシティアドベンチャー・人間関係・情報収集のシステム化が試みられているわけです。『ウォーハンマー・コンパニオン』という追加ルール集でも、情報収集の際に幸運点を使わせるオプションなんかがありまして……。そのあたりの幅を広げようとしているところがありました。
 リプレイの場合は、『アルトドルフの尖塔』も『ウォーハンマー・コンパニオン』も発売される前だったのですが、実は情報収集については、原書で読んでいた『アルトドルフの尖塔』のメソッドを意識しています。つまり具体的には、情報の提示の仕方かな。情報点っぽいランク付けが私の中で決められていたんですよ。
 ただ、エックハルトの動き方は、魔法(呪文)というオプションを使って、良い意味で予想を裏切ることがありました(笑)
高橋: やっぱり魔法使いたいですよねえ。できるだけマヌケかつ地味なやり方で(笑)。一見カッコよくないくらいが好きなんですよね。

ウォーハンマー・コンパニオン (ウォーハンマーRPGサプリメント) [大型本] / ウォーハンマーデザインチーム (著); 待兼 音二郎, 鈴木 康次郎, 阿利浜 秀明, 見田 航介, 岡和田 晃 (翻訳); ホビージャパン (刊)


●海外での雑誌サポート

高橋: 旧TSRからWizardsにかけての『Dungeon』や『Dragon』、その他のアメリカ・イギリスでの雑誌サポートがどうなっていたのかは、(僕も知りたいんですが)よくわからないんですよね。
岡和田: 『ウォーハンマーRPG』の場合は、「White Dwarf」という雑誌がありました。「白色矮星」と「白いドワーフ」をかけています。現在は「White Dwarf」はミニチュアゲームの雑誌になっているみたいですけど、私が訳した公式サイト掲載のダウンロード・シナリオの多くは、昔の「White Dwarf」が初出です。
高橋: BBCのコメディドラマみたいな名前ですね(笑)。あ、『レッド・ドワーフ号RPG』もってますよ(笑)。機会がなくて、まだ遊んでないけど。
岡和田: 私は『宇宙の戦士』RPGに『宇宙空母ギャラクティカ』RPGに、『スター・ウォーズ』RPGを持ってますよ(笑)
高橋: ……いかん、「遊べるかどうか目処の立っていない海外RPGを買った自慢」になりかけている(笑)
岡和田: (笑)。で、2版になって『ウォーハンマーRPG』は、本国でもウェブがサポートとの大きな部分を担っていました。公式サイト上でシナリオ・コンテストをやっていたんです。例えば、ダウンロード・シナリオの『ライク川にかかる橋』(http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/dl_scenario.html)。
というシナリオはその優秀作。このシナリオはすごい。なんと、シーン制です(笑)
高橋: 素晴らしい!(笑)
岡和田: 後に『D&D』第4版の『ダンジョン・マスターズ・ガイドII』でも紹介される「カットシーン」という考え方が出てきます。そうそう、『ウォーハンマーRPG』第2版開発当初のプロジェクトのトップは、80年代にファイティング・ファンタジーのシナリオを創っていた人なので、その意味では、良い意味で『ウォーハンマーRPG』は80年代マインドの正嫡だと言えますね。
高橋: ああ、そうだったのですか!(笑)
岡和田: マーク・ガスコインという人がプロジェクトのトップにいました。『ファイティング・ファンタジー』シリーズの設定をまとめた『タイタン』に、ゲームブックの中でも設定とストーリーの連関に力を注いだ佳作『最後の戦士』が日本での代表作でしょうか。『タイタン』は、文庫RPG史上に残る傑作だと思ってます。安田均さんの翻訳も愛が篭っていて素晴らしかったですね。ジャック・ヴァンスの『魔王子』シリーズなどの背景が、きちんと訳語に反映されたりしたんです。

タイタン−ファイティング・ファンタジーの世界 (背景世界資料集) [文庫] / M. ガスコイ...
復讐の序章 (ハヤカワ文庫 SF―魔王子シリーズ (631)) [文庫] / ジャック・ヴァン...


●システムの私的運用を語る

岡和田:岡和田は個人的に、システムで公式にサポートされる前の、いわばシーン制の私的な運用が昔から好きなんです。例えば『ドラゴン・ウォーリアーズ』というケルト的な雰囲気を押し出した素晴らしいRPGがあるんですが、これはシステム的には良い意味での『クラシックD&D』フォロワーだったんです。クラスは1巻だと、騎士とバーバリアンしかない(笑)いわゆるロールプレイ支援システムも皆無。でも、面白い。現在では、英語版は続刊を込みにした合本として復刊し、シナリオなども刊行され続けていますが、私が以前このシステムでやってたシナリオは、まぎれもないシーン制だったんです。発狂しているんか、オレ。
高橋: すごい、ある意味『ヴァンパイア:ザ・マスカレード』の先を行っている(笑)>騎士とバーバリアンしかない
岡和田: そうそう(笑)どういうシナリオかというと……。現在の観点からわかりやすく説明すると『ヴィンランド・サガ』の4巻みたいな……。
高橋:『ヴィンランド・サガ』って(笑)
岡和田: まず、バーバリアンが襲撃をかけるわけですよ。もちろん『ヴィンランド・サガ』とは違って、女子修道院を襲って虐殺するんですが。そこに信仰に疑問を持った乙女がいる。自分がリンボに陥ると思っている。一方、その乙女と血縁の騎士がいるわけですな。二人は乙女をめぐって熱い台詞をぶつけ合う。この一連の流れをシーン制で演出していったわけですね。ただし、背後にはキリスト教と、キリスト教にケルトが習合するという時代の変遷を加味しています。ちなみに元ネタはトールキンの詩ですね。
 で、素晴らしいのはこういう設定が『ウォーハンマーRPG』で再現できまして(笑)  サプリメントを使えばヴァイキングが再現できるんです(笑) 『堕落の書:トゥーム・オヴ・コラプション』というサプリメントに!
高橋: 『堕落の書』は良いサプリです!
岡和田: D1000で混沌変異が決まるという(笑)
高橋: 僕は10代後半の頃、まだシステム評価のノウハウをよくわかってなくて、むりやり『ソードワールドRPG』で、改造人間シナリオを決行したことがあるんですよ。もちろんシステム面ではメチャクチャだったのですが、もしその時に『堕落の書』とウォハンの基本ルールブックがあれば、確実にそれを選んで遊んでましたね。
岡和田: ミュータントものか、なるほど。改造人間ってそっちね。アメコミっぽくなってきました。『アイアンマン』とか。
高橋: そうそう、ファンタジー設定における石ノ森章太郎(ただし正義の問題はない)みたいなものを素朴にやってたわけですね。若い頃ほど、「どうすれば、自分の素朴なアイディアが、ゲームデザインという表現に落ちるか」について先走る傾向がありますよね(笑)。中高生だと、いろんなシステムを比較する予算もないですから。
岡和田: あー、よくわかります。それでは『ウォーハンマーRPG』が最適解かなあ。余談ですが、最近『マーダー・アイアン』という小説を読みまして、これは石ノ森章太郎を正面からリスペクトした作品で、その「強さ」を再確認した次第です。ちなみに私は『トンネルズ&トロールズ』(T&T)を使って、『ロマンシング・サガ3』をやろうとしたことがありました。中学生の時ですけど。つまり、あのゲームでたまに出てくる戦争シーンの再現のため(笑)
高橋: T&Tは集団戦闘(マスコンバット)でも頑健な反応を示すから、よい選択だったのではないかと思います。どう転んでいったのかは興味がありますが。
岡和田: え、いや……あるレベルになると、「地獄の爆発」(一定の範囲のあらゆるものを分解する呪文)でボーンと。それで終了(笑)
高橋: ええっ、陣形ルールとかは!?(笑)
岡和田: 考えてなかったです。
高橋: 酷いッ!(笑)
岡和田: そのあたりを改良する方向へ行けばよかったなあ、と今にしては思います。『ハイパーT&T』の社会思想社版の大規模戦闘ルールや『クラシックD&D』のウォーマシーン集団戦闘ルールを当時知っていたら、だいぶ変わったと思います。それと『RPGamer』という雑誌に載った芝村裕吏さんのT&T講座は、目から鱗でした。現在出ている第7版を使って、きちんとデザインしてみたいですね。
高橋: 芝村さんの『Aの魔法陣』3版、特にファンタジー編の特技は、T&T的なかけ算によるゲームスケールの跳ね上がりっぷりが色んなところに挿入されていて、大好きですね。「いばらの壁」があるのにとてもときめきました。

堕落の書:トーム・オヴ・コラプション (ウォーハンマーRPGサプリメント) [大型本] / ロバート・F・シュワルブ (著); 待兼音二郎, 鈴木康次郎, 阿利浜秀明, 見田航介, 杉山恒志 (翻訳); ホビージャパン (刊)Dragon Warriors: The Classic British Fantasy Roleplaying Game [ハードカバー] / Dave Morris, Oliver Johnson (著); Mongoose Pub (刊)ヴィンランド・サガ(4) (アフタヌーンKC) [コミック] / 幸村 誠 (著); 講談社 (刊)マーダー・アイアン 絶対鋼鉄 [単行本] / タタツ シンイチ (著); 徳間書店 (刊)トンネルズ&トロールズ 第7版 (Role&Roll Books) [新書] / ケン・セント・アンドレ (著); 安田 均, 柘植 めぐみ, グループSNE (翻訳); 新紀元社 (刊)ロマンシング サ・ガ3 / スクウェアAの魔法陣ルールブック (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [単行本] / 芝村 裕吏, アルファ・システム (著); エンターブレイン (刊)


●『混沌の渦』礼賛! 社会思想社礼賛!!

岡和田: でもね、『T&T』から『ウォーハンマーRPG』というのは、社会思想社ファンとしては正統な進化というか発展系だったんですよ。
高橋: なるほど、そういう線で見ると、岡和田さんは確かにまっすぐ歩んでいる(笑)
岡和田: そうですよ、補足するとその間プレイし、現在もたまに遊ぶものが『混沌の渦』(http://hiki.trpg.net/wiki/?Maelstrom)。わが最愛のシステムの1つ。『混沌の渦』をこれだけ愛しているのは、おそらく日本で私だけでしょう。挑戦者求む!(笑)
高橋: (笑)僕はまだ岡和田さんに推薦されて、辛うじて中古本を手に入れただけです。アレクサンダー・スコットがデザイン。1988年に佐脇洋平・清松みゆきが翻訳、ですね。
岡和田: いま海外では『混沌の渦』は復刊されています。当時は出なかったサプリメントもダウンロード販売されています。無料で落とせるものもありますね。デザイナーは初版当時は学生でしたが、今は数学の教授になっていて、驚きました。
高橋: 『混沌の渦』は、一応ケイオシアムのBRP(ベーシック・ロールプレイング)をもっと簡素にした感じのデザインですね。違うのは、史実の宗教改革期ヨーロッパを舞台にできるところ。
岡和田: 『混沌の渦』が英語圏的にすごかったのが、16世紀をすっごく真面目に表現しようとしているところ。ネイティブじゃないとなかなか調べがつかないような設定がてんこ盛り。もう少し産業論的なパースペクティヴも入れると、発売元がPenguin Booksなのも画期的でした。日本で言うと岩波書店が会話型RPGを出している、みたいな(笑)
高橋: オリジナルはPenguinだったんですね。それは凄い。Penguinから出たのは1984年。
岡和田: 『混沌の渦』は、私が知っている範囲だと4刷まで出てたなあ。つまりは売れたってことです(笑)
高橋: T&T→混沌→WH-FRP1eという流れなわけですね、岡和田さんのゲーマー的青春は。
岡和田: いえーす。厳密に言えば、『ハイパーT&T』、『アドバンスト・ファイティング・ファンタジー』、『モンスター・ホラーショウ』というミッシング・リンクもあるんですが(笑)
高橋: 本当に社会思想社の純血種という感じですね(笑)
岡和田: 嬉しかったのですが、コミック『スピタのコピタの!』4巻で、けっこう凝ったシナリオを創ってリプレイを載っけてもらっています。プレイヤーは緑一色さん、河嶋陶一朗さん、小林正親さんと、無意味に豪華(笑)
高橋: 今までぼんやりとしていたパズルのピースが全てはまったような、なんというか(笑)

スピタのコピタの!4 (Role&Roll Comics) [コミック] / 緑一色 (著); 新紀元社 (刊)


●『魔法陣グルグル』対『ウォーハンマーRPG』!?

岡和田: で、そろそろリプレイの話に戻ると……。
高橋: もう脱線しすぎでしょ、岡和田さん!(笑)
岡和田: 逸脱はRPGの本質だと論じている人がここにいるんですが(笑)
高橋: 脱線する前に言えばかっこいいんだけど……(笑)
岡和田:確かにそうだ(笑)。で、 リプレイの第3話「至高魔術」は、シーン制を意識したシナリオでした。第2話は逆に探索メインだったんです。ペーター・シュピーゲルベルヒというNPCも出てきているんですが。ドロテーアの故郷の恋人ですね。
高橋: 第2話は、八大魔法学府のそれぞれに比較的自由にアクセスできましたね。お陰で色々と試せました。
岡和田: レジーナが体験入学した「輝きの学府」ですね。一方、エックハルト家庭教師のバイトで「黄金の学府」に絡む。
高橋: レジーナの入門は、魔女と正規の魔術師、2つのキャリアのルールも絡んできて、面白かったですね。
岡和田: そうですね。そうそう、魔女と、その前進の似非魔術師って、すごくシナリオに絡みにくいんですよ。基本、隠者ですから。
 ときに高橋さんは『月刊少年ガンガン』で育ったらしいといういう秘密情報がこちらの手元にあるのですが、わかりやすいように『魔法陣グルグル』に例えると……。
高橋: 『魔法陣グルグル』(笑)。はい、90年代中盤はガンガンとギャグ王で育ちましたねえ。三笠山出月『うめぼしの謎』と牧野博幸『勇者カタストロフ!!』は復刊本も買ったほど。ってガンガンじゃなくてギャグ王ばっかりだな……。
岡和田:ククリのおばあちゃん。あれが似非魔術師。ククリが魔女。エックハルトがニケで、フレイザーはキタキタ親父なんです(暴論)
高橋: 僕には非常にわかりやすいですけど、いいんでしょうか読者おいてけぼりで(笑)
岡和田: しまった、リプレイのどこかに「ただし魔法は尻から出る」とこっそりNPCに言わせておくべきだったか(笑)
高橋: ちょッ……岡和田さん、前半とノリがだいぶ変わってきてませんか?(笑)
岡和田: 逸脱はRPGの本質なんで(笑)
高橋: (終わるのかこの対談……?(笑))
岡和田: それかフレイザーに、「魔女かどうかを見分けるコツがある。それは、魔女の魔法は尻から出ることだ。そう『魔女の鉄鎚』に書いてある」と言わせるとか。でもそれだと、キタキタ親父じゃなくなるなあ。
高橋: それは史実の異端審問官でなくとも鉄槌を下したくなる魔術師だな……いや、尻から出ても人間は人間……はっ、何を考えさせられているんだ(笑)
岡和田: 真面目な話ですよ。こういう遊び方も『ウォーハンマーRPG』では可能なんです。この前は企まずして『サウスパーク』みたいな展開になりました(笑)
高橋: それは何重にも輪をかけてひどいと容易に想像がつく(笑)

魔法陣グルグル (1) (ガンガンコミックス) [新書] / 衛藤 ヒロユキ (著); エニックス (刊) サウスパーク 無修正映画版 [DVD] / トレイ・パーカー, マット・ストーン, アイザック・ヘイズ, ジョージ・クルーニー (出演); トレイ・パーカー (監督)


●先行リプレイの影響

高橋: ともあれ俗魔術と、中堅魔術のキャリアで得られる魔術とのあいだには、能力にしても暴発危険性においても、大きな差が設けられていますよね。
岡和田: その差が社会的な裏付けに由来することで、設定的な裏打ちがある。だから面白いし、ギャグもできる。『魔方陣グルグル』が、デジタルゲームの『ドラゴンクエスト』のパロディから、少しずつ独自設定を作ってきたとしたら、『ウォーハンマーRPG』はまったく逆の流れでパロディ的な部分が抽出されうるんです。
高橋: 確かに、初期『ウォーハンマー』文庫版シリーズの紹介のされ方が、しばしば比較的ゴツいものとして語り継がれてきた印象はあります。漫画『ベルセルク』のモブシーン以外ないッ、みたいな感じでよく先輩ゲーマーに言われて育ちましたよ。
岡和田: そのあたりの紹介はけっこう難しくて、初版のリプレイでも、そういう意味では友野さんはものすごく気を使って丹念な仕事をされており、私はとても尊敬しています。初版の友野詳さんのリプレイ『破壊の剣』の第1話は、いきなりホームタウンが滅びるところから始まるの(笑)シャンディゲールという街を事細かに設定したのに、すぐに壊しちゃう。なんて潔いんだ、友野さん(笑)
 私のリプレイの第2話のタイトルは「アルトドルフが燃えている!」でしょ。これには確実に、友野さんの影響があったと思います。シャンディゲールの街が滅びる様と、アルトドルフにコーンの嘲笑が轟く様がパラレルに。
 そうそう、おまけに、初版の友野さんのリプレイ第4章「ブレトニアの弾丸」はミステリですよ、しかもトリック型。叙述トリックみたいな話は、どちらかというと会話型RPGではやりやすいんですが、そうじゃないんです。
 おまけに、『去年マリエンバートで』という映画があるんですが、これは友野さんの『プラーグの妖術師』に「去年マリエンブルグで」という話が収録されていて、それで間接的に名前を知りました(笑)『プラーグの妖術師』にせよ、エーヴェルスという有名なドイツの幻想作家の「プラハの大学生」から来ているとの説明がなされており、私はこれでエーヴェルスを知りました。ちなみに、『ウォーハンマーRPG』の未訳サプリメント『Realms of the Ice Queen』では、そのプラーグという街の詳細な設定が書かれていて、これは是非訳したい!(笑)
高橋: ああ、そのお話は貴重だ。僕はウォハンの存在に気付いた時には、全部高額ないし絶版になっていて……。
岡和田: 私も買ったときはすでに本屋で埃をかぶった状態でした。私は81年生まれで、友野さんのリプレイは小学生の時に出ていた。それでも世代はずれていたんですが、遡る形で私は中学生の時にからすでに、過去の80年代に出た傑作RPGを自分なりに集めていたんです。
高橋: なるほど。僕は84年生まれで、会話型RPGを始めたのが96-7年とか、その辺ですね。僕は中学生の頃は、『ワースブレイド』と『シャドウラン』にハマって、その後はファンタジーよりシャドウランの裏設定にばかり凝ってたから、ほかに行く余力がなかった(笑)。今じゃ初版時代からのサプリメントを50冊前後持ってる始末で。これをAmazonもろくにない高校の頃から集めてたかと思うと、けっこう笑えてきます。i-OGMさんにはお世話になりました。
岡和田: いや、それは素晴らしいことだと思いますよ。僕は当時は『シャドウラン』には逆にそこまで深入りできませんでした。これが二人の進路や関心のあり方の差異をわかりやすく表しているような気がします(笑)

ベルセルク (1) (Jets comics (431)) [コミック] / 三浦 建太郎 (著); 白泉社 (刊)ウォーハンマーRPGリプレイ1 破壊の剣ウォーハンマーRPGリプレイ2 プラーグの妖術師


●ゲーム表現に、どのように「意味」を付与するか

高橋: 『グルグル』や『サウスパーク』あたりの話に話を戻すと、シナリオを強く規定しないわりに、フレーバーが豊富だから、色んなテクスチャをその上でのっけられる……という感じが魅力なんですかね。
岡和田:テクスチャをのっけるというよりも、ギャグを整理させる構造ですかね。ゲームのお約束、あるいは人種差別をギャグで笑うのって、不謹慎でしょう。でも、過剰に目を背けるのも逆に不自然だったりする部分もあります。
高橋: そうですね。先日、人文研究者の方と「ゲーム書籍におけるヘイトスピーチ」の話になったんですが、「少しでもユーザが不愉快になり得る発言はベンダの側で自重すべき」という態度は、ひとまず娯楽商品の担い手として、正しいとは思うんですよね。 ただ、その場でひたすら「自重しろ」と制するだけでは、何か大事な論点を取りこぼしつづけるんじゃないか、という気分になるのも事実です。商品である以前に、「ゲームデザインという表現」を、もっとフラットに語ることはできないのか、とは常々思っていました。
岡和田: ヘイトスピーチが蔓延する現代に生きると、重みがよくわかりますね。翻訳にあたっても、気を使います。その意味では、このリプレイは最初からきわどいネタを扱ったけど、無意味に弄んでいるわけではありません。きちんと理由はあるし、セッション時には参加者に共有されていたように思います。レジーナとドロテーアの霊が対峙するシーンも、その裏があったから重みがありました。あれは戦慄しましたよ、同じ卓にいて。あとはガンツ三兄弟を手駒っぽく使ってきたシルダが、徐々に兄弟に転移していくのも面白かったなあ。エックハルトはそこのところ、クールでしたね。チェーザレ・ボルジア的というか、なんというか。
高橋: エックハルトがなぜそうなっているのかというのは、僕の考えが反映されているのかも。会話型RPGの面白いところの一つに、扱っている対象が「単にコマである」のと「血肉のある設定である」とが、時にトレードオフを起こすところですよね。そこをどちらか一方に割りきってしまうと、その後のゲームの展開は、どこか味気なくなってしまう。
岡和田: その通り。ゲームが進んでいくと、その二分法がどんどん崩れていくわけですよ。
高橋: 僕の場合は、エックハルトの「守りたいもの」を過剰に設定しなかったので(笑)。レジーナやシルダがすでにそれぞれの重荷を十分受け持ってたので、その上で四人の課題をすべてまるっとゴールさせないといけない。それを「課題」と感じて、あれこれ策を講じるポジションを楽しんでいました。
岡和田: エックハルトはいい意味で、脇を固めてくれましたね。いや、本当に。ただ、誤解されると困る部分としては、レジーナは主役じゃないんです。みんなが主役。つまり、各々のキャラクターにはそれぞれの目標があって。そこを絶対評価にしたほうが面白いんじゃないかと、僕は思ってます。つまり『ウォーハンマーRPG』を遊ぶ場合には、各々が自分なりの自己実現の目標をどう達成したか、あくまで絶対評価の観点から見た方がよいのではないかということですね。


●魔術師の理想は『陰陽師』!?

高橋: じゃあ、僕がどういう「自己実現」をもってたかをぶっちゃけてしまいましょう。まず、僕の魔術師の理想は、『陰陽師』における安倍晴明なんですよね。しかも小説版(夢枕獏)じゃない、漫画版『陰陽師』。岡野玲子版の後半が我が魂の書みたいになってまして(笑)。「トゥルー・ニュートラルでありたい白魔術師」。一般的な陰陽師イメージともまたちょいと外れてるんですが、会話型RPGで魔術関連の設定を考察する際の一つのイメージリソースになってます。
岡和田: 岡野玲子版……だと……。でもそれって魔法使いの王道でもあると思いますよ。
高橋: 「無注目」を敢えて使っているのは、素朴に『陰陽師』の影響ですね(笑)。
岡和田: なん……だと……。
高橋: ウォーハンマーの世界にどう馴染ませるかを重視していたので、今までずっと黙ってました(笑)。というのは、僕自身がセッション直後に「実は○○という作品から……」と言うと、ちょっと熱が冷めてしまうという経験がけっこうあるので。カジュアルでも、コンベンションでも、言わないことにしてます。気付いてくれるひとだけ気付いてくれればいいか、くらいのあんばいです。
岡和田: それはその通り。『魔術の書』の設定にせよ、「元ネタ」から来るんじゃなくて、あくまでも一から設定を積み上げていったものですが、でプレイの時は、あえて八大魔法学府の「キャラを立たせて」みました。そこから深めたかった、という思いがあったのですよ。
高橋: 単に「類型」を借りているというより、「繰り返し追求したい魔術師像」というものが漫画版『陰陽師』にあるので、それと『魔術の書』とで“共振”できるところは何か? ……と考えると、自然とあの灰色学府へ向かったんですね。
 僕は会話型RPGをあまり「他メディアの翻訳先」としてはあまり捉えていないんです。あくまで、他メディアの優れた表現を「このゲームならではの再構成」で勝負できるところはないか、という発想で、やっていますね。自立・独立した表現形式として捉えたい。その上でプレイをしていたい。
岡和田: それならばわかります。自分なりに消化→昇華のラインを組み立てるというか。

陰陽師 (1) (Jets comics) [コミック] / 岡野 玲子, 夢枕 獏 (著); 白泉社 (刊)


●会話型RPGの批評性

岡和田: 第3話のタイトルが「至高魔術(ハイ・マジック)」となっているのも、最終的に、各々の魔法は至高魔術に止揚されるか、あるいはダハール、つまり黒い風に堕落するかという設定を自分なりに捉え直そう、という思いがあったからです。「至高魔術」はハイエルフの魔法なんですが、その理論は明らかに考え方がドイツ哲学から来ているんですよ。しかも異端思想と近代思想が出逢う場所が確実に意識されている。
高橋: 以前、ブログで「多神教と一神教が善悪逆転しているところが、オールドワールドの魅力だ」というような旨の記事を書かれていましたね。
岡和田: 善悪というより、歴史的経緯と逆なところがより重要な点です。それは「近代」の成立に対する、原理的な批判ともなっていると思うんです。
高橋: 「至高魔術/八大魔術」の関係もまた、オールドワールドの大きな物語仕掛けである「一神教/多神教」の関係と並列できるということでしょうか。
岡和田: おっしゃるとおりです。だから至高魔術はゲーム・メカニズムでは表現できません。それは、ゲーム・スケールの「外部」にあるんです。しかし、世界設定での批評性と、プレイングにおける批評性はイコールではありません。プレイングの批評性は、世界設定そのものにも向けられることがあります。リプレイでも実際、私が強く誘導することなくても、自然にマスター・プレイヤー間で「共同ゲームデザイン」されていきました。
 個々のメカニズム、たとえばシーン制についても同様です。『ウォーハンマーRPG』のゲーム・メカニズムは、シーン制を許容はするのですが、システム・レベルでシーン制を強制はしていないんです。使うかどうかは、ユーザーが各々のスタイル、あるいはその時のシナリオ・コンセプトに応じて判断することになります。
高橋: そうですね。シーン制は、シナリオの狙いに合わせて使えばとても便利ですが、それはプレイングあるいはマスタリングの領分であって、システムデザインの領分とはまたちょっと違う。
岡和田: 誤解されやすいので補足しておくと、シーン制を否定するつもりはまったくないんですよ。私は『深淵』の渦型プレイも大好きですので。
高橋: もちろんそうですね(笑)。僕も色んなゲームで活用してますし、シーン制をルール・メカニズムの大前提に置いたものも非常に面白い。システムを選択する段階で「遊びたいゲーム」のイメージが掴めていれば、後は使い手次第です。
岡和田: シミュレーション的なリアリズムとシーン制の活用。これらのよい関係性かな。もちろんシミュレーション的なリアリズムというのも難しい問題で、これはこの前、蔵原大さんにウォーゲームの基礎研究の文献(鎌田伸一「ウォーゲームの方法論的基礎」)を紹介していただいて、ようやくわかりかけてきました。あ、ここでのシミュレーションというのは、哲学的なシミュレーション(ボードリヤールなど)の意味では必ずしもなくて、ウォーゲームが前提としているような戦略論的なシミュレーションです。あるいは政治としてのウォーゲーミングでもよいでしょうが……。
 そのうえで、「運用」とゲーム・メカニズムのよい関係というのがあると思っておりまして、それは時として両者の調和であったり、両者を違いに批評的な視座を向けさせることになったりするのではないかと。『ウォーハンマーRPG』の場合、『D&D』的な遊び方と、『クトゥルフ神話TRPG』的な遊び方に二極化される傾向が、実はあると思います。「ルールを使うか、それとも設定を使うか」と言い換えてもよいかもしれません。
高橋: 敢えての運用、アクロバットな運用でも、意外な楽しみが引き出せたりしますよね。そこを「メカニズムがこういう風になっているから」という理由だけで、消極的な遊び方しかしないのは、もったいないかなあと思う時もあります。同じメカニズムでも、駆動の仕方を変えれば、ぜんぜん違った味わいがでてくるはず。

深淵 第二版 (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [大型本] / スザク・ゲームズ, 朱鷺田 祐介 (著); エンターブレイン (刊)


●歴史と個人は繋がっている

岡和田: 少し話を進めると、高橋さんがリプレイ第2話をもとに、論考を書いてくれましたよね。「RPGにおける〈プレイング〉の内実」という傑作(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282520395)。
高橋: 2008年に一回、今年の9月末にリライトしたものを再掲したものですね。ただ傑作というのはだいぶ違うような……(笑)。
岡和田: もとのバージョンは、リプレイへのコメンタリー、注釈として極めて精度が高いものでした。
高橋: 以前のはほとんどサマリーみたいだったので、骨組みを書き直したものです。
岡和田: いや、あれはあれでよかったと思います。ああいう手法が必要になる時も多いと思います。で、今回のウェブ再掲にあたって同じ論文を書き直されましたね。
高橋: 後は、あまりでしゃばったら連載中に悪いな、と思ってまして。
岡和田: 理論が実プレイを疎外する意識があったんでしょうか?
高橋: 今回のWeb版再掲にあたって、岡和田さんが「前にこんな記事が!」とURLを貼ってくれたので、「あれじゃ改めて読んだ人がわからないはずだ」と思ったんです。それで、急きょ書き直した。
岡和田:知的な謙虚さを保って頂いたというわけですね。ありがとうございます。ただ、自分的にはものすごく助かっている面がありまして、近代批評というのは、現場的な発想から生まれてくるものだと思うんですよ。小林秀雄もそうだった。西洋における美学思想の原点のひとつに『ギリシア芸術模倣論』という作品を著したヴィンケルマンという美術史家がいますが、彼の発想も現場的なところから出てきたもののように思っています。体系的な知ではなく、現場で芸術に触れて、そこから素直な感想が立ち上がってくる、その感動こそを大事にしている評論と言うか。だから私はあえて言いたい。「理論が実プレイを阻害する」というのは誤解です。なぜならば、どんな理論でも、必ず個人から出発しているから。
高橋: 物凄く大きく出てますよね……!(笑)
岡和田: いや歴史と個人は繋がっているんです。大げさなんてことはありません。そこは自信をもってよいと思います。例えば、一例を出しましょうか。至高魔術の思考法って、私にには既視感がすごくあったのです。至高魔術の思考法は、18世紀ドイツの批評家、フリードリヒ・シュレーゲルの発想によく似ているところがあるように思えます。シュレーゲルは、近代批評の確立者の一人として、必ず言及される人物です。「アテネーウム」という先鋭的な雑誌を編集して、そこで未来のフィクションのあり方について語りました。彼にとってのフィクション=文学は、他のジャンルを巻き込みながら無限に生成・発展を遂げていくものであるとともに、それ自体「はりねずみのように」完成されたものでもあるんです。その意味でシュレーゲルは近代批評の確立者でありながら、逆にそれを常に脱構築させようとしている特異な人でもありました。
 至高魔術は、つまり「魔法」という『ウォーハンマーRPG』の根底を形成する要因ですよね。しかし「魔法」は同時に、混沌の生(き)の力そのものでもある。「混沌」というのはある意味、無限に発展していく自生的な力です。反対に、至高魔術は、完成された揺るぎのないものです。それこそ、「はりねずみ」のように。だから「混沌」はぶっちゃけ、近代のメタファーではないかと私は思っています。
高橋: なるほど。ということは『ウォーハンマーRPG』の背景設定は、ゼロから突然生まれてきたわけではなくて……。
岡和田: もちろん理論的なバックボーンがあり、しかもデザイナーはおそらく半分くらい自覚的でしょう。で、私の目には、そうした『ウォーハンマーRPG』の設定の構造と、今回高橋さんがリプレイへの注釈を通して理論を生み出した過程が、パラレルに見えたわけです。
高橋: ヨーロッパ的人文知の土壌に影響を受けている。どうしたって、調べればそういうところに到達しちゃうわけですね。それは“お勉強のための勉強”では全然なくて、心の赴くままにデザインしようとしたら当然そこまで来てしまうようなもの。
岡和田: その通りです。今度発売される『スケイブンの書――角ありし鼠の子ら』なんて、近代的な人間観、ルネッサンス以降のヒューマニズムの完全なパロディになっていますからね。それは批評的な意味合いもあってそうなったのでしょうが、楽しみの結果として設定深めていき、たどり着いた世界に近いと思います。でも、デザイナーは彼らだけではないんですよ。私たちユーザーだって、『ウォーハンマーRPG』を遊ぶことを通じて、彼らのデザインに間接的に協力しているんです。つまり高橋さんは、『ウォーハンマーRPG』の共同ゲームデザイナーの一人だったんだよ!
高橋: (笑)。少なくとも、岡和田さんの提供したシナリオの中に少しでも貢献できたなら幸いです。
岡和田: そこは「な、なんだってー!」と言わないと(笑)
高橋: Ω ΩΩナ、ナンダッテー ……呆気に取られてリアクションに困ったんですよ(笑)

ロマン派文学論 (冨山房百科文庫) [文庫] / フリードリッヒ・シュレーゲル (著); 山本 定祐 (翻訳); 冨山房 (刊)


●エッセーとハード・サイエンスの循環

岡和田: 真面目に話を戻すと、これは極論でもなんでもなくて、近代の人文知的な発想は、そこから出てくるものだと私は思います。つまり、世界と人間との断絶と、そこから恢復する過程。いわば広義のエッセーですね。高橋さんが「RPGにおける〈プレイング〉の内実」で語ったことって、僕にはそうしたエッセー的なところが出発点にあると思う。いや、ハード・サイエンスを目指しているのはわかるんですよ。
高橋: あ、なるほど。エッセー/ハード・サイエンスという対比で言われたら、ようやく納得が行った(笑)。すぐに「実証は?」と突っ込まれる前に、「エッセー」のところから問題としっかり向き合おうよ、一緒に……という態度は僕はけっこう好ましく思ってます。
岡和田: エッセーとハード・サイエンスは循環できると思うんですよ。私は最近、「21世紀、SF評論」というところに『ローズ・トゥ・ロード』論を掲載いただきましたが(http://sfhyoron.seesaa.net/article/173296285.html)、この原稿で目指したのは、鷲巣繁男という詩人のエッセーのような、ある意味、理論では厳密に捉えきれない中間領域について文学的に斬り込むという方法です。反対に、ある意味でハード・サイエンス的な姿勢を、翻訳という仕事ではなるべく心がけるようにしています。自分の作家性を、良い意味で殺すというものですね。リプレイにしてもそうです。岡和田の独りよがりなノベライズにするのは、できるだけ避けたい。翻訳とハード・サイエンスはそういう意味で、相通じるところがあると思います。
高橋: もちろん一方では社会学徒なので、将来的に実証を捨てちゃいけないですが……ゲーム研究の、特に人文知が関わるところは、みんなが思ってる以上にまだまだ人文知が足りてない。「実証でまず成果出せ」という以前の状況です。なにせ、それじゃ魅力的な仮説すら立てられないですから。そうなると、人文知に限定しないまでも、エッセー的な立ち上がりをまず各人で鍛えていかないと、面白い話、さらには面白い実証も、やりようがないですね。
岡和田: 人文知的な蓄積は、着眼点、アプローチの独創性に出ると思います。まずは独創性を担保する。それは大前提。そのうえで、実証は逆に、きちんとしなければならない。
高橋: そうですね。本当にそう思います。


●Analog Game Studiesの展望

岡和田:それで、この対談は「Analog Game Studies」という新しいプロジェクトのブログに掲載されるわけですが……。
高橋: まだ猛暑だった頃に誘われたあの企画ですね。たしか、自分の会話型RPGサークルの定例会で飲んでた時に、岡和田さんから電話が来たんだ(笑)。
岡和田:そんな時だったんだ(笑)。
高橋: なんだかんだで20分くらい説明聴かされました(笑)。その時は、「季刊R・P・G」みたいな雑誌をウェブで展開できないか、という話でしたね。
岡和田:そうです。「季刊R・P・G」は、アナログゲーム専門誌でありながら、ゲーム以外の色々なジャンルの話と関連付けた記事が読める、とても貴重な雑誌でした。残念ながら4号で休刊してしまいましたが、幸いながら私も仕事をさせていただくことができまして、『トラベラー』や『村上春樹RPG』(笑)について、自由に書かせていただきました。自分が捉えた『季刊R・P・G』のようなコンセプトを、ウェブでは広い層にアプローチしていき、潜在的なニーズを活性化できるのではという意識がありました。それこそ、検索で何気なく引っかかって気になって読んだり、そういう潜在的な読者をアナログゲームにより興味を持ってもらう、ひとつのきっかけになるかな、と。
 もちろん、現状「Role&Roll」「ゲームジャパン」「GAME LINK」など、私が仕事をさせていただいている雑誌に不満があるわけではまったくありません。「Role&Roll」や「ゲームジャパン」や「GAME LINK」に、私はレポート記事や汎用記事などをたくさん書かせていただき、そこでもRPGやボードゲームの楽しさを描きつつ、他のジャンルとも横断できるような工夫を微力ながら凝らしていたつもりです。今後も「Role&Roll」「ゲームジャパン」「GAME LINK」などでお仕事をさせていただきたく思うつもりです。
 ただ、現状、こうした雑誌にアクセスする機会が得られていない人に対しても、ウェブならば無料なので紹介がしやすく、そこから「Role&Roll」「ゲームジャパン」「GAME LINK」などの雑誌や、そこで紹介されている各種の作品やイベントに触れるような、そういうハブにもなれればよいな、と考えているんです。
 Analog Game Studiesの活動は、だから商業的なものと敵対するつもりはまったくなくて、文字通り「繋げる」言説を目指しています。特にアナログゲームと学術は、Analog Game Studiesで蔵原さんがレビュー(http://analoggamestudies.seesaa.net/article/172911744.html)を書いた『太平洋戦争のif[イフ]』の共著者である歴史学者の大木毅さんなど、横断的な活躍をされている方が多くいらっしゃいます。ただ、そのための環境や場書が満遍に整備されているとは、必ずしも言えない部分があるのも事実ですね。そういった状況に物足りなさを感じている方々に向けても、Analog Game Studiesは情報発信をしていきたく思っています。
高橋: そういう話でしたね。僕自身はアナログゲームのうち、会話型RPGに強くコミットしてきた人間ですが、会話型RPGにしても、「会話型RPGそれ自体に詳しい」というだけではなかなか遊びの輪が拡がらなくて、ぜんぜん別の分野で懸命に頑張ってきた人にゲームデザインならではの表現をプレゼンしていく方が、手応えがあるなと思っているんです。何かの分野で一点突破すると、むしろ色んなジャンルの人と仲良くなれるというか……そういう部分が会話型RPGの「面白い!」の部分を支える人的要素になっているように思います。
岡和田: おっしゃりたいことはよくわかります。私自身にもそういった部分があります。文芸の世界とゲームの世界、両方への興味関心を持続していくことが、ゲームを長く楽しんでいくキーだったんです。ドイツ哲学とオールドワールドの設定を同時に読む、と。誰から強要されたわけでもないんですが、むしろ私にとってはそれが自然でした。
高橋: そしてそれについて語るということは、何か一つの狭い分野での教養を誇ったり、無意味な上下関係を生み出してしまうようなこととは全然別で、むしろ色んな分野に開かれたゲームの面白さを育てることに繋がると思うんですよね。Googleで誰もが知識やコンテンツにあっけなくアクセスできてしまう時代に「ゲームデザインにしかできない楽しさ」を考えて行くためには、僕たちを含めたゲーマーの知らない世界を出来るだけ一箇所に集めてみた方が、面白いことがあるんじゃないかと。僕はAGSの展望をそういう所に見ています。
岡和田:まさにそのとおりだと思います。加えて、私は昔からどちらかと言えば独学者気質が強いので、何かを楽しむためには、深く潜っていけばいくほどいつかは鉱脈に辿りつけるんじゃないかという思いがあります。楽しむための勉強をし、楽しむために探究する。そうした探究のツールとして会話型RPGを、ひいてはアナログゲームを捉えています。ヒエラルキーの形成とは別にある、「楽しむ」ための教養。それこそが真の教養であると思うのですが、広く出版やネットの現在を見るに、そうした場はどんどん狭まってきているという感触があります。危機感を抱いていると言ってもかまいません。だからこそ、Analog Game Studiesのコンセプトを広く知っていただきたい。私はそう考えています。


※読者の方からメールでご指摘をいただき、「佐藤洋平」を「佐脇洋平」に修正させていただきました。御迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした。(2010.12.29)
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 対談に登場した『ウォーハンマー・コンパニオン』のプレビューが、無料で公開されています。
 同書の0章と1章をまるまる読むことができます(PDFファイル)。『ウォーハンマーRPG』の豊穣な世界をぜひともご堪能下さい。
http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/dlfiles/whcp_pv.pdf
ウォーハンマー・コンパニオン (ウォーハンマーRPGサプリメント) [大型本] / ウォーハンマーデザインチーム (著); 待兼 音二郎, 鈴木 康次郎, 阿利浜 秀明, 見田 航介, 岡和田 晃 (翻訳); ホビージャパン (刊)

 また、本日12月24日発売予定の『ウォーハンマーRPG』の新作サプリメント『スケイブンの書』のプレビューも無料公開されています。『ウォーハンマーRPG』の予備知識がほとんどなくても、楽しめる小話がたくさん紹介されています(PDFファイル)。
http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/dlfiles/chr.pdf
スケイブンの書−角ありし鼠の子ら (ウォーハンマーRPG サプリメント) [大型本] / スティーブ ダーリントン, ロバート J シュワルブ (著); 待兼 音二郎, 鈴木 康次郎, 阿利浜 秀明, 見田 航介, 岡和田 晃 (翻訳); ホビージャパン (刊)
posted by AGS at 07:30| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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