草場純
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次に、日本の希少な伝統ゲームとして重要な、藤八拳(とうはちけん)に触れよう。これは前述の『日本伝統ゲーム大観』にも詳しく述べられている。
藤八拳はアクションゲームである。アクションゲームとは、卓上ゲームとスポーツとの中間のゲームと言えば分かりやすいだろう。すなわち程度の差はあれ、身体的な能力の必要なゲームが、アクションゲームである。
藤八拳は江戸時代に、飴屋とも薬屋とも幇間とも伝えられる藤八なる人物が、それまでの狐拳を改良して創案したと言われる「拳あそび(ジャンケン)」の一種である。江戸時代の後半から明治・大正・昭和の初期にかけて大流行したこの遊び(ゲーム)も、現在ではごく一部のプレイヤーを残すのみとなってしまった。
ここでは、まず藤八拳の内実(ルール)を概説し、それを現代にプレイする意義を考えてみたい。
藤八拳を一言で説明するなら「上半身を大きく使ったジャンケンの三本勝負」である。だがこの説明で藤八拳の面白さを理解できる人は皆無だろう。それを理解するのには、上手な人の指導を受けてやってもらうしかない。と言い放ってしまえば、それが真実ではあっても話が終ってしまう。だからここにこのアクションゲームの面白さを言葉で伝えるしかないのだが、その難しさを前以て諒解しておいて欲しい。
藤八拳はジャンケンと同じ三すくみ拳である。二人専用のゲームで、プレイヤーは正座して向かい合い、対峙する。
藤八拳の「手」は、猫耳のように両手で頭の上に耳を作る「狐」、手を胸の前で鉄砲の形に構える「猟師」、両手を握って膝の上に置く「庄屋」の三つだ。「狐」は「庄屋」に勝ち、「猟師」に負ける。「猟師」は「狐」に勝ち、「庄屋」に負ける。「庄屋」は「猟師」に勝ち、「狐」に負ける。ゲームの開始には「しぼり」と言って軽く三度拍手する。次に「最初はグー」ならぬ「最初は狐」を出し合う(相拳)。その後、ホッ、ハッ、ホッ、…とテンポよく、次々に「手」を繰り出し、三回連続で勝ったら手をパチンと叩いて(しめ)勝利となる。この三回「連続」がミソである。つまり間に一回でもアイコが入ればまた初めからだし、勝ち・勝ちと進んで次に勝てば勝利でも、三度目に負ければそれは相手の勝利への一勝目となる。
繰り返すが、この面白さを文章で伝えるのは難しい。だが、初心者が上手な人に勝てないのはこれだけでもお分かりだろう。つまりそもそもジャンケンには必勝法がある。その方法とは「後出し」である。もちろんジャンケンで後出しは反則であり、藤八拳でもそれは同じだ。(公式の対戦では行事がついて審判する。)だが動作の小さいジャンケンと違って、藤八拳では―ちょっと言い方が難しいが―いわば合法的に後出しができるのだ。例えば庄屋を出し合った後、すうっと手を頭上に持って行くと見せかける。相手がこれを猟師で打とうと構えた刹那、手が膝に戻っていて庄屋に負かされてしまう。このようなことを一秒の半分ぐらいの時間で判断し、手を繰り出さなければならない。素早い判断、相手のパターンを読む推理、誘い手、見せかけ、裏の裏をかく駆け引き、心理の読みあい…。結局、熟練がものを言う。
と、言うことは、練習(稽古)すれぱするほど勝てるようになり、成績が上がるということである。江戸時代の末期には「藤八拳指南」の私塾がたくさんでき、場所(公式戦)が開かれ、番付(ランキング)が公表され、火に油とばかりに広まった。
【参考:東八拳(藤八拳 tohachiken)−−平成21年 番付披露会】
実際、現在でも、上手な人の藤八拳勝負を見ていると、まるで舞踊のようである。でありながらダンスとは全く違う。向かい合った二人の上半身だけのダンスなんて、見たことがないから。そこには明確なリズムはあるが、もちろんメロディもハーモニーもないので、いわば音楽のないダンスだ。(音楽とは言えないかも知れないが、一種の旋律を感じることはある。)このような文化は果たして海外にあるのだろうか?
ここでまた受容の問題との絡みが出てくる。
昨年は「相撲界の野球賭博」というアイロニカルな事件が世上を騒がせたが、ここで出てきた議論の一つに「相撲はスポーツか?」というものがあった。細かい議論に立ち入る暇はないが、私は相撲はスポーツとは異質な運動文化であると考えている。つまり人類の運動文化の一部に、スポーツやそうでないものがあるということだ。言い換えればスポーツは運動文化の単なる一形態であり、それはまさしく近代の所産である。
茶道・華道・香道といったものが、西欧近代的なアートでない、いわば芸術的パフォーマンスとでも言うべきものであるように、相撲は運動的パフォーマンスである。茶道がアートでない何か、相撲がスポーツでない何か、のように、藤八拳は(既存の)ゲームでない何か、を内包していると私は感じる。こうしたエニシング、あるいはオルタナティブに到達できる手がかりを得られることは、伝統ゲームを現代にプレイすることの意義そのものと私は思う。
私の藤八拳の直接の師となってくださった「最後の幇間」桜川善平師匠は、既に鬼籍に入られている。往年の名プレイヤーも次々に物故されている。私は特に反射神経に優れた若い人たちが、この日本の知られざる伝統的アクションゲーム「藤八拳」を覚えてくださることを、切に望んでいる。失われてしまってからでは取り返しがつかないからである。
江戸時代の浮世絵、役者絵などには、藤八拳の「手」を真似て見得を切る当時のスター俳優の絵が散見される。更にトテツル拳などのように、これを歌にし踊りにし、歌舞伎で演じ、巷に大流行したものも少なくない。これなどは江戸時代のメディアミックスであろう。つまりそれが江戸時代における藤八拳の相であり、庶民史の一断面だと私は考える。
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草場純(くさば・じゅん)
1950年東京生まれ。 元小学校教員。JAPON BRAND代表。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年〜2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。『子どもプラスmini』(プラス通信社)に2005年から連載している「草場純の遊び百科」は、連載40回を数える。
遊戯史学会員、日本チェッカー・ドラフツ協会副会長、世界のボードゲームを広げる会ゆうもあ理事、パズル懇話会員、ほかSF乱学講座、盤友引力、頭脳スポーツ協会、MSO、IMSA、ゲームオリンピックなどに参画。
著書に『ゲーム探険隊』(書苑新社/グランペール(共著))、『ザ・トランプゲーム』成美堂出版(監修)、『夢中になる! トランプの本』(主婦の友社 )
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