2011年02月03日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第6回)

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第6回)
 草場純

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 次に、日本の希少な伝統ゲームとして重要な、藤八拳(とうはちけん)に触れよう。これは前述の『日本伝統ゲーム大観』にも詳しく述べられている。

 藤八拳はアクションゲームである。アクションゲームとは、卓上ゲームとスポーツとの中間のゲームと言えば分かりやすいだろう。すなわち程度の差はあれ、身体的な能力の必要なゲームが、アクションゲームである。


 藤八拳は江戸時代に、飴屋とも薬屋とも幇間とも伝えられる藤八なる人物が、それまでの狐拳を改良して創案したと言われる「拳あそび(ジャンケン)」の一種である。江戸時代の後半から明治・大正・昭和の初期にかけて大流行したこの遊び(ゲーム)も、現在ではごく一部のプレイヤーを残すのみとなってしまった。

 ここでは、まず藤八拳の内実(ルール)を概説し、それを現代にプレイする意義を考えてみたい。


 藤八拳を一言で説明するなら「上半身を大きく使ったジャンケンの三本勝負」である。だがこの説明で藤八拳の面白さを理解できる人は皆無だろう。それを理解するのには、上手な人の指導を受けてやってもらうしかない。と言い放ってしまえば、それが真実ではあっても話が終ってしまう。だからここにこのアクションゲームの面白さを言葉で伝えるしかないのだが、その難しさを前以て諒解しておいて欲しい。

 藤八拳はジャンケンと同じ三すくみ拳である。二人専用のゲームで、プレイヤーは正座して向かい合い、対峙する。

 藤八拳の「手」は、猫耳のように両手で頭の上に耳を作る「狐」、手を胸の前で鉄砲の形に構える「猟師」、両手を握って膝の上に置く「庄屋」の三つだ。「狐」は「庄屋」に勝ち、「猟師」に負ける。「猟師」は「狐」に勝ち、「庄屋」に負ける。「庄屋」は「猟師」に勝ち、「狐」に負ける。ゲームの開始には「しぼり」と言って軽く三度拍手する。次に「最初はグー」ならぬ「最初は狐」を出し合う(相拳)。その後、ホッ、ハッ、ホッ、…とテンポよく、次々に「手」を繰り出し、三回連続で勝ったら手をパチンと叩いて(しめ)勝利となる。この三回「連続」がミソである。つまり間に一回でもアイコが入ればまた初めからだし、勝ち・勝ちと進んで次に勝てば勝利でも、三度目に負ければそれは相手の勝利への一勝目となる。


 繰り返すが、この面白さを文章で伝えるのは難しい。だが、初心者が上手な人に勝てないのはこれだけでもお分かりだろう。つまりそもそもジャンケンには必勝法がある。その方法とは「後出し」である。もちろんジャンケンで後出しは反則であり、藤八拳でもそれは同じだ。(公式の対戦では行事がついて審判する。)だが動作の小さいジャンケンと違って、藤八拳では―ちょっと言い方が難しいが―いわば合法的に後出しができるのだ。例えば庄屋を出し合った後、すうっと手を頭上に持って行くと見せかける。相手がこれを猟師で打とうと構えた刹那、手が膝に戻っていて庄屋に負かされてしまう。このようなことを一秒の半分ぐらいの時間で判断し、手を繰り出さなければならない。素早い判断、相手のパターンを読む推理、誘い手、見せかけ、裏の裏をかく駆け引き、心理の読みあい…。結局、熟練がものを言う。

 と、言うことは、練習(稽古)すれぱするほど勝てるようになり、成績が上がるということである。江戸時代の末期には「藤八拳指南」の私塾がたくさんでき、場所(公式戦)が開かれ、番付(ランキング)が公表され、火に油とばかりに広まった。

【参考:東八拳(藤八拳 tohachiken)−−平成21年 番付披露会】


 実際、現在でも、上手な人の藤八拳勝負を見ていると、まるで舞踊のようである。でありながらダンスとは全く違う。向かい合った二人の上半身だけのダンスなんて、見たことがないから。そこには明確なリズムはあるが、もちろんメロディもハーモニーもないので、いわば音楽のないダンスだ。(音楽とは言えないかも知れないが、一種の旋律を感じることはある。)このような文化は果たして海外にあるのだろうか?

 ここでまた受容の問題との絡みが出てくる。

 昨年は「相撲界の野球賭博」というアイロニカルな事件が世上を騒がせたが、ここで出てきた議論の一つに「相撲はスポーツか?」というものがあった。細かい議論に立ち入る暇はないが、私は相撲はスポーツとは異質な運動文化であると考えている。つまり人類の運動文化の一部に、スポーツやそうでないものがあるということだ。言い換えればスポーツは運動文化の単なる一形態であり、それはまさしく近代の所産である。

 茶道・華道・香道といったものが、西欧近代的なアートでない、いわば芸術的パフォーマンスとでも言うべきものであるように、相撲は運動的パフォーマンスである。茶道がアートでない何か、相撲がスポーツでない何か、のように、藤八拳は(既存の)ゲームでない何か、を内包していると私は感じる。こうしたエニシング、あるいはオルタナティブに到達できる手がかりを得られることは、伝統ゲームを現代にプレイすることの意義そのものと私は思う。


 私の藤八拳の直接の師となってくださった「最後の幇間」桜川善平師匠は、既に鬼籍に入られている。往年の名プレイヤーも次々に物故されている。私は特に反射神経に優れた若い人たちが、この日本の知られざる伝統的アクションゲーム「藤八拳」を覚えてくださることを、切に望んでいる。失われてしまってからでは取り返しがつかないからである。


 江戸時代の浮世絵、役者絵などには、藤八拳の「手」を真似て見得を切る当時のスター俳優の絵が散見される。更にトテツル拳などのように、これを歌にし踊りにし、歌舞伎で演じ、巷に大流行したものも少なくない。これなどは江戸時代のメディアミックスであろう。つまりそれが江戸時代における藤八拳の相であり、庶民史の一断面だと私は考える。

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草場純(くさば・じゅん) 
 1950年東京生まれ。 元小学校教員。JAPON BRAND代表。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年〜2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。『子どもプラスmini』(プラス通信社)に2005年から連載している「草場純の遊び百科」は、連載40回を数える。
 遊戯史学会員、日本チェッカー・ドラフツ協会副会長、世界のボードゲームを広げる会ゆうもあ理事、パズル懇話会員、ほかSF乱学講座、盤友引力、頭脳スポーツ協会、MSO、IMSA、ゲームオリンピックなどに参画。
 著書に『ゲーム探険隊』(書苑新社/グランペール(共著))、『ザ・トランプゲーム』成美堂出版(監修)、『夢中になる! トランプの本』(主婦の友社 )
夢中になる!トランプの本―ゲーム・マジック・占い (主婦の友ベストBOOKS) [単行本] / 草場 純 (著); 主婦の友社 (刊) ゲーム探検隊-改訂新版- / グランペール

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伝統ゲームを現代に遊ぶ意義 by 草場純(Jun Kusaba) is licensed

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2011年01月28日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第5回)

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第5回)
 草場純

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 日本のメジャーな伝統ゲームと言えば、将棋・囲碁・絵双六・麻雀・かるた・連珠と五目並べ・花札といったところだろうか。これ以外の伝統ゲームは、マイナー、瀕死、滅亡のどれかと言ってよいだろう。

 高橋浩徳氏の『日本伝統ゲーム大観』大阪商業大学アミューズメント産業研究所刊 には、86種の日本の伝統ゲームが挙げられている。そのうち多くは、瀕死のゲームと言ってよいかも知れない。それを参照しつつ、もう少し事例を取り上げよう。


 盤双六は、日本のバックギャモンとでも言うべきゲームであり、滅亡したゲームである。滅亡したゲームだから厳密なルールは完全には解明されていない。従って以下の細部は文献からの推定の域を出ない。

 推定されるルールは、大枠に於いて現行のバックギャモンと同様である。それも当然で、飛鳥時代(7世紀あるいはそれ以前)に日本に伝来したバックギャモン(の祖先)が盤双六だからである。とは言え両者には千三百年の隔たりがあり、当然相違点もある。


 現行のバックギャモンと盤双六の相違点は、

 @まずバックギャモンにあるダブリングキューブは、盤双六にはない。これはダブリングキューブの発明が、20世紀のバックギャモンに於いてであるから当然である。

 Aぞろ目はバックギャモンでは4回プレイするが、盤双六では2回のプレイとなる。これは、古いバックギャモンのルールは、実はそのようだったと伝えられていてる。

 Bオープニング(初手)は一つずつダイスを振って決め、そのまま動かすバックギャモンに対し、盤双六では先手を決めてから二つダイスを振り出して始める。これも、古いバックギャモンのルールはそのようだったと伝えられていて、現在でも国や地域によってはこのルールが残っているところもある。

 C盤双六にはベアリングオフがない。このことは最も重要なバックギャモンとの違いだが、ベアリングオフはバックギャモンの専門用語なので、ここでバックギャモンをご存知ない方のためにちょっとだけ補足すると、要するに双六だから「あがり」を目指すゲームなのに、バックギャモンはあがりまでやるが、盤双六ではあがりの準備ができたところでゲーム終了になるのである。

 このCのルールが大きな意味を持ってくる(と私は考える)。なぜなら、(@)ABは、少し昔のとは言えバックギャモンにもあったルールであるのに対し、このCは全く日本の盤双六に特有のルールだからである。


 この先の議論は後段の「ゲームの受容」の領域になるが、盤双六に限っては受容の変遷が深く内実(ルール)の変遷にかかわっているので先回りして考察を進めよう。


 盤双六は、中世には猖獗を極めたにもかかわらず18世紀末にはすっかり衰退し、忘れられたゲームとなってしまう。即ち相転移が起るのだ。これが「盤双六の謎」であり、衰亡の理由について様々な憶説が唱えられてきた。ここではその詳細に触れている余裕はないので、私の仮説のみを述べると「つまらなかったから廃れた」という身も蓋もないものである。ではなぜ中世では盛んだったのか。一つにはセネトのところで述べたように、ほかに面白いゲームが少なかったからだろうが、私はもっと大きな理由として「正しいルールが失われたから」だろうと考えている。

 私の推測では、上記Aのルールにより、ノーコントタクト後のプレイが単調になった(ぞろ目がないので波乱がない=リードしている方がそのまま勝ってしまう)。→→Cベアリングインでゲームをやめてしまう。→→最後の逆転がなくなりゲームとしての魅力が衰える。→→プレイヤーが少なくなり、ますます伝承ができなくなる。というシナリオなのではないかと推察している。言い換えれば、ルールの劣化がゲームの社会における扱い(相)を変換させてしまった、と考えるのである。

 ただしもとよりこれは文献的な裏づけのない、私の推察・仮説にとどまるものである。上記のルールの劣化が起った時代も特定できない(私は江戸時代前半と考えているが確証はない)。

 「伝統ゲームを現代にプレイする意義」という主題に対しては、盤双六はネガティブな材料となろう。恐らく盤双六が現代に復活することはあり得まい。現代では盤双六のニッチは、すっかりバックギャモンにとって変わられているからである。これはしかし、外来種が在来種を駆逐したのではない。おっとり刀でブラックバスやブルーギルがやってきたときには、在来種はもう自ら滅んでいたのである。いやむしろニッチそのものがやせ細っていたと言うべきである。ニッチの一部は確かに絵双六へと引き継がれたのだが、絵双六の評価は子供の遊び、あるいは知育ゲームとしてのものである。(あるいは芸術品。)

 すなわち、乏しいニッチと成り果てていたのだ。


 出典ははっきりしないが次のような逸話がある。幕末・明治初期にバックギャモンが西洋双六として再伝来してきたときに、「盤双六の亜流」としてしか見られず、ために普及しなかったと言うのだ。何とバックギャモンの再上陸には、それから更に百年待たねばならなかったというわけだし、現在でも日本でバックギャモンがなかなかメジャーなゲームになれないのは、その後遺症が残っているせいなのかも知れない。


 瀕死・滅亡の伝統ゲームの「内実」を、盤双六を実例に眺めてみたが、では果たして盤双六という「伝統ゲームを現代にプレイする意義」はあるのだろうか。私はズバリ、ないと思う。もちろんこれは私の上記仮説が正しければ、だが。

 もちろん反面教師的な意味では、意義はある。私は盤双六を数多くプレイした。残念ながら面白いものではなかったが、そこから私は次のことを学んだ。

 まず、ゲームのルールは変化していくが必ずしも面白く変わるとは限らない、ということである。そうして当然のことだが、つまらないゲームは廃れるということである。(この辺りは、「結果と原因を逆転して考えている」という批判はあるかも知れないが。)


 言い換えれば、「伝統ゲームは固有のシステムを保存している(ことがある)が、それが必ずしも良いものとは限らない」ということを学べるわけだ。

 しかし研究者ならいざ知らず、一般のプレイヤーが好んでつまらないゲームをやることはない。ゲームは伝統芸能や伝承芸術というわけではない。私は全ての伝統ゲームをプレイすべきと唱えたりはしない。むしろつまらないゲームが淘汰されていくのは、健全なことと考えるべきであろう。


 だがそれでも、私は盤双六から多くを学んだと考えている。

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草場純(くさば・じゅん) 
 1950年東京生まれ。 元小学校教員。JAPON BRAND代表。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年〜2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。『子どもプラスmini』(プラス通信社)に2005年から連載している「草場純の遊び百科」は、連載40回を数える。
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2011年01月14日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第4回)

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第4回)
 草場純

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 前回のククに続いて、もう少し「瀕死」の伝統ゲームについて見ていこう。

 ククについては、その復興・伝播についての重要な問題点がある。これについては私も当事者の一人なので、余人にはできない立ち入った考察もできるし、それをここに述べることは、記録という意味からもそれなりに重要であり、恐らく興味を持たれる方もおられよう。だがそれは、この論考のもう一つの柱「ゲームの受容」の段で詳述することにして、ここではひとまず他のゲームについて眺めていくことにしたい。

 事柄の性質上、馴染みのないゲームが並ぶし、ルールについて詳しく説明する紙幅もなく、ご存知ない方には甚だ分かりにくく纏まりのない話になるかもしれないが、前以てご容赦願いたい。


 まず、「黒冠」を扱おう。別名を「青冠」、「色冠」、「黒冠色冠」などとも言う。これは百人一首の遊びである。

 まずこれが瀕死かどうかだが、私の調べたところ私以前にこのゲームを述べた文献は、一件しか見つからなかった。その後の精査で郷土史などの中に類似の遊びが触れられているものをいくつか見出したが、普通の出版物としては他にはなかった。例えばこのサイトの読者で「子供の頃、友達とやった。」とか「親から教わった。」というような人、即ち「伝承」した人はどの程度おられるだろうか。

 百人一首の遊びといえば「かるた取り」と「坊主めくり」が主だろう。やったことはなくとも、そのような遊びを聞いたことのない日本人は、殆どいないのではなかろうか。特に「かるた取り」は黒岩涙香以来の「競技かるた」としてルールが確立し、また海外にはない(と思われる)独特のシステムとして、日本文化の一端を担っていると言っても過言ではなかろう。短歌という定型詩をゲームと結びつけたという意味でも極めて興味深い。これは後述する投扇興にも通ずる側面である。百人一首に関する出版物は、それこそ汗牛充棟とまでは言わなくとも、膨大である。ところが、私も片っ端からそのような出版物に目を通してみたが、一言半句も「黒冠」「青冠」を見出すことはできなかった。これを以って瀕死と言わずとも、虫の息ぐらいは言ってもいいのではないだろうか。

 で、「黒冠」はどのようなゲームかをごく簡単に述べれば、4人でプレイするパートナーシップのカードゲームである。使用するのは百人一首の絵札(読み札)であり、字札(取り札)は使わない。絵札は描かれた人物の主に被り物により、黒冠・姫・坊主・矢五郎・縦烏帽子・横烏帽子と二枚の特殊札に分類する。これがいわばスート(トランプで言えばスペード・ハート・ダイヤ・クラブ)に当たるわけだ。しかもゲーム論的に興味深いのだが、すぐ想像されるようにこれは市販されている百人一種の種類によって、スート構成が異なるということである。こうしたアバウトさは、近代的なゲームにはあまり見られまい。これを一人25枚ずつ手札として配る。

 ゲームの目的は手札を早くなくすことであり、これはパートナー同士のどちらが達成しても構わない。プレイの基本は、初めを除いて二枚ずつ出して行くが、一枚目は直前の人が出した種類(スート)と同じ種類を出さなければならない(受け)。二枚目(攻め)は任意であり、戦略的なことを言えば次の人の持っていない種類を出すとより勝ちやすい。一枚目で受けられなければ(あるいは受けたくなければ)パスをする(パスに追い込まれる)ことになる。

 トランプでよく行われる大貧民に似ているとも言える。中国の天九牌のゲームにも似ていると言えば似ている。欧米に広く分布するトリックテイキングゲームにも少し似ている。北欧のキューカンバー、東欧のセドマにも、似ていると言えば似ている。だがそれらのどれとも違うのである。


 「システム」という言葉をどのような深さで捉えるかは、なかなか難問である。このゲームをケーススタディーとして「システム」を考えるなら、手札を順に出して行って早くなくすという大きな意味での「システム」としては大貧民やウノ、ノイなどに似ている。だか基本的に二枚ずつ出し、隣との戦いの連鎖になっている「サブシステム」としては、どれとも微妙に異なる。ククほど劇的ではないが、私はここにまた新たな(サブ)「システム」を見出すのである。これを仮に「黒冠システム」と呼んでみよう。


 前回も述べたように「瀕死」のゲームは、現在のメインストリームと接触の薄いゲームと言える。そこではメインストリームでは淘汰されてしまうシステムが、保存されたり確かめられたりしているわけである。つまり「瀕死」のゲームはシステムの保存庫であり、実験室だとも言える。

 前回の繰り返しになるが、私はここに伝統ゲームをプレイする意味の一つを見出すのである。


 面白いことに「黒冠システム」のゲームは、日本の各地に伝統ゲームとして散見される。代表的なのは、石川県能登町宇出津の「ごいた」である。これは元来は将棋の駒を使った黒冠である。ただ、「攻め」が一周続き、ここはよりトリックテイキングシステムに近いと言えそうだ。

 他にも茨城には「ゴンパ」とか「丸将棋」と呼ばれた黒冠システムのゲームがあるし、東京(江戸)には「くろ大黒」という、黒冠のバリエーションがあったと言われる。北陸には「色てん」という、また少々細部の異なったゲームが、今も細々と遊びつがれている。

 更に、明治期には「芋将棋」という黒冠システムのゲームが売られていたし、その元は江戸時代の「受け将棋」であったとも言われる。

 またかつては、「合駒かるた」といって、花札でやるゲームもあったと伝えられている。

 すなわち、少なくとも百五十年以上前から、黒冠システムのゲームは、文献に記録されることこそ少ないものの、地下水脈のように日本の各地に広まり、細々とではあっても遊びつがれてきたのである。


 こうしたことは二つの面から興味深いと思われる。

 一つは庶民史の側面である。そうしてもう一つは「ゲームのニッチ」の面からである。

 夙に「歴史は支配者の歴史である」と言われて久しい。正史を編纂するのは時の支配者であるし、史料も圧倒的に「そちら視点」が多く残される。社会システム自身が為政を体現したものであるともいえよう。それ以外の歴史の目は乏しいといわざるを得ない。これに対して、「遊び」は、そうした区別なく楽しまれ伝えられ、息づいている。つまり遊びやゲームは、歴史を今までと違った視点で切り開く可能性を持っているわけである。ここにもう一つの、「伝統ゲームを現代にプレイする意味」があると、私は考える。


 もう一つの「ゲームのニッチ」とは、生物学で言うニッチ、すなわち生態学的地位ということである。

 安易な比喩やアナロジーは危険であるのは承知のうえで、私はゲームは生物のように、進化・分化・興隆・衰退・滅亡を繰り返すと考えている。「ゲームの生態学的地位」すなわち、ゲームのニッチは、それを推し進めた私の一つの仮説である。すなわち「ゲームのシステムは、人類の遊び時空間の中で、他と区別される地位を持つ」ということである。これは単なる仮説であり、ここでわき道に逸れると本題に戻れなくなるので、深入りは避け、一言だけ言及しておくことにする。

 人類が、深海における熱湧水に新しい生態系を見出したのはそんなに古いことではない。はおり虫(チューブワーム)は、硫化物の分解という我々好気生物の営みとは全く別のシステムによってエネルギーを得、子孫を残してきた。

 黒冠システムのゲームは、様々なバリエーションが日本の各地に人知れず少しずつ残っている。私には「黒冠システム」のニッチを、いろいろなゲームが襲い分け合っているように感じられるのだが、いかがだろうか。

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草場純(くさば・じゅん) 
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2010年12月26日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第3回)  草場純

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第3回)
 草場純

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 「瀕死の伝統ゲーム」という表現は穏やかでないが、誰もプレイすることのないゲームは、信仰することのない宗教や、誰も演奏することのない音楽のように、滅亡したと言ってよいだろう。ならば、「殆ど忘れ去られた」ゲームは「瀕死」と言ってよいかも知れない。

 音楽は楽譜があれば再現できるが、古代や中世の音楽は残された楽譜が少なく、記述も不完全で、たとえ再演されたとしても、それが古代・中世の響きであるかどうかは、検証の方法がない。宗教はもっと深刻で、一度忘れ去られた神々は、神像があっても教義が残っていても、蘇ることは難しい。エジプトの神々は、ピラミッドに、パピルスに、多く姿が残され、かつて莫大な数の人間の信仰を受け、崇められ、巨大な体系が築かれていたにもかかわらず、現在ラーを信仰するような人々は殆どいないのではあるまいか。聖書・聖典の類では、しばしば神々は人類に鉄槌を加え、これを滅ぼすが、現実には人類こそが、神々を滅ぼすわけである。もちろんエジプトの宗教が後世に与えた影響は無視できないし、現在でも信者がいないとは限らない。だが痕跡も残さず滅びてしまった宗教なら、復活することは考えられまい。

 さて、ゲームは宗教よりは音楽に近く、ゲーム用具やきちんと記述された(ここが問題だが)ルールブックがあれば、再現はむしろ容易である。もちろんそうして再現されたものが、果たしてかつてのものと同様なのかは音楽と同じく検証は難しいが、ルールがアルゴリズムであるからには、宗教のように信仰心や、音楽のように感覚に依存するもの以上に、かなりかつてのものに近いと考えてもよいだろう。実際、「滅びたゲーム」とは、そのようなルールすら残されていないものを指すのである。


 では「瀕死のゲーム」とはどんなものか。それは(完全にではなく)殆ど忘れ去られたゲームである。

 こうした瀕死の伝統ゲームをプレイすることは、囲碁・将棋・象棋・チェス・双六などの、現在でも多くのプレイヤーがいる伝統ゲームをプレイすることとは、相当に意味が異なる。では、どこが異なるのか。「瀕死の」伝統ゲームをプレイすることの意味・意義は、奈辺にあるのだろうか。
 そうした具体的なゲームの一例として、以下にククの例を挙げて考察してみよう。


 ククはイタリアのカードゲームであるが、何度かたまたま知り合ったイタリア人に尋ねてみたが、知っていた人に会ったことがない。その意味で瀕死と診断してよいと考える。

 このカードは、様々なゲームができる準汎用カードであるが、現在日本の一部に流布しているルールは「カンビオ」であり、これは1980年に法政大学の江橋崇教授によって紹介されたものであって、それ以前に日本で知っていた人は皆無であったと考えられる。江橋氏のそのまた元は、1979年にデンマークのラーセンが復刻したGNAVカードとそのルールである。ヨーロッパの事情は、私には正確には掴みかねるが、それまでは恐らくヨーロッパでも忘れられたゲームであったろうと推測されるし、現在でも決してよく知られているゲームではない。


 前回述べたように、忘れ去られるには忘れ去られる理由があって淘汰されたと考えられるから、このゲームが誰の心も掴んで離さないほど魅力的なゲームであるはずはない。では、果たしてそんなゲームをやる意味はあるだろうか。

 私自身が初めて「かるたをかたる会」でやらせてもらったときも、子どもの遊びという印象であった。農民が農作業のあと、村の酒場で一杯ひっかけながら、小銭を賭けて遊んだという話を聞くにつけ、ギャンブルゲーム、すなわち金でも賭けなければ面白くないゲームと感じた。何せ、手札はたった一枚。プレイもただ一度、それも隣と交換するかしないかを判断するだけなのである。カードは40枚だが、特殊な役を持つカードも僅かに6つしかなく、それもあまり意味がなさそうに感じた。カードには、それら役札を含めて単純にランクがついているだけで、スートの区別すらない。そんなゲームが面白いだろうか? 面白いはずがないではないか。


 だが私は、マッセーンギーニ社(イタリア)のカードを手に入れ、自宅に帰ってボードゲーム仲間と何度か遊んでいるうちに、このゲームの面白さを文字通り「発見」していった。たった1枚の手札のただの1プレイが、「最も弱い札を持っていた人だけが負ける」という何でもないルール(負け抜けシステム)のために、うまく働くのである。初め冗長で半ば無意味と思えた役札の特殊能力も、実はよくできていることを知って驚かされた。誠にゲームばかりはやってみなければ分からない。そして私にとって何よりも衝撃だったのは、そのようなシステムのゲームを他に全く知らなかったという点であった。


 私はシステム派なので、「ゲームの本質はシステムだ」と思っている。ここで言うゲームのシステムとは、「競りシステム」「神経衰弱(記憶)システム」「はげたか(バッティング)システム」「双六システム」などのゲームのジレンマを生み出す、最も基本的な仕掛けのことである。こうした基本システムでは全く新しいものを生み出すことは難しい。人間の考えることはどうしても類型化しやすいし、長い淘汰の歴史があるということは、逆に言えば様々なシステムが繰り返し試されたということであり、新しいものを生み出すための試行錯誤が既になされたということであるからだ。ある意味、新しいゲームとは、それまであった基本システムの、新しい組み合わせのことでしかなく、しかしそれも立派な創造であることは間違いない。

 ところが私がククの面白さに気づいたとき、私はその類型を思いつくことができなかった。似たゲームがないのである。(厳密にはイギリスのランターゴーラウンドが唯一似たゲームである。だがランターゴーラウンドも極めてマイナーなゲームだ。)すなわち私は、古いゲームに新しいシステムを見出したのである。


 瀕死の伝統ゲームを遊ぶ意味の一つが、ここにあると私は考える。忘れ去られようとするゲームは、逆に言うならその時点での社会との接点の薄いゲームである。だからその内実が知られていないという意味で、新しい。かつ伝統ゲームであるからには、それが遊ばれ続けた長い時間の中での洗練が期待できる。瀕死のゲームにつねに新しいシステムが見出せるというようなわけではもちろんないけれど、現在のゲームの持つ相との異質な相をそこに見出すことは少なくない。つまり瀕死の伝統ゲームというのは、それが生み出されたときの社会との相互関係すなわち相を、現代の相の中にもたらすタイムカプセルであるとも言えるのだ。

 考古学者は古い墓の中から、時に思いがけず古代の見知らぬ文化を発見することがある。ごく最近も、出雲で室町時代の将棋盤が出土した。我々も忘れられようとしている古い伝統ゲームの中に、知られざる文化を発見しようではないか。そしてここが重要なのだが、本当に忘れられてしまったら(復元する手がかりがなくなってしまったら)、それは滅亡した生物同様、永遠に人類から失われてしまうのである。

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2010年12月17日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第2回)

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第2回)
 草場純

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 ◆第1回はこちらで読めます◆

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 ゲームには全てそのゲームの内実(実際のルール)と、受容(人々がそのゲームをどう受け入れているか)との二つの側面がある。
 まず、内実の側面に目を向けて考察してみよう。


 伝統ゲームの内実に関してはっきり言えることは、長い伝統を有しているゲームは無数のテストプレイが繰り返されているということである。


 創作ゲームをプレイした人は誰でも、「このゲームはテストプレイしたんかいな」という感想を持たれたことが、一度ならずおありだろう。(笑) つまり創作ゲームにおいては、そのテストプレイは、絶対的に重要である。

 ゲームのルールは端的に言ってアルゴリズムであるから、実際に走らせてみて初めて機能を発し、評価が可能になる。一部のシミュレーションゲームのように、シナリオだけを楽しむというのも、ありえるとは言え、ゲーム本来の姿ではなかろう。

 創作ゲーム(どんなゲームでも最初は創作ゲームだ)は、テストプレイを通してデバッグされ、洗練され、ゲームとしての体をなす。しかもそれは様々な戦略をとる多様なプレイヤーに、ある程度繰り返しプレイされることが重要である。

 世にあるゲームのうち、こうした要件を満たさないと思われるものは、決して少ないとは言い切れまい。その点、伝統ゲームは折り紙つきだ。


 例えば囲碁は、少なくとも二千年のテストプレイが繰り返されたということができる。しかも数え切れないほどの人々によってである。尤もだからと言って完全に洗練されたルールになっているか、と言うと、必ずしもそうでないところが面白いのだが、それについてはまた後述しよう。

 伝統ゲーム、特に現在でも盛んにプレイされている多くのゲームは、実質的にテストプレイが繰り返され、無数の淘汰をかいくぐって現存しているからこそ、伝統ゲームたりえている。こうしたことは広く「伝統」一般にかかわる現象であろう。しかもその本質がアルゴリズムであるゲームは、その他の歌舞音曲や芸能の類に比べて、それを取り囲む社会の変容から影響を受けにくいと考えられる。もちろん文化現象であるからには、影響を受けないということはありえないのだから、あくまで程度問題に過ぎないのではあるが、少なくとも現在もプレイされている伝統ゲームは、そうした淘汰圧を跳ね返して残存、あるいは変容してきた内実の結果である。

 結論すれば、伝統ゲームの内実は歴史によって保証されているのである。


 では、現在滅亡してしまった、あるいは瀕死の伝統ゲームはどうだろうか。

 一例を挙げれば、中国の「六博」は、春秋時代から千年の命脈を保って滅亡した。現在でもゲーム盤は多数出土し、プレーの状態を活写する「俑」まで出てくるのに、ゲームのルールは不明と言わざるを得ない。こうした状況は生物の系統に似ている。一度滅んだ生物が復活することがありえないように、「千年の伝統」は消滅してしまったのである。ではその理由は何だったのだろうか。ゲームの内実の問題だったのだろうか、それとも受容の変化故なのだろうか。


 それを考えるのに、もう一つ例をあげてみよう。

 エジプトのセネトというゲームも、恐らく千年前後の歴史のあるゲームと考えられる。だが、現在これを日常的にプレイする人は恐らくいないだろう。ルールはかなり復元されているが、絶対確実というわけではない。だから以下は全て推察である。

 セネトを復元ルールでプレイする限り、少なくとも私は面白いとは思えなかった。これを理解してもらうには、日本の絵双六を考えてもらえば分かりやすいだろう。少なくとも現代日本の大人が、ゲームの楽しみとして絵双六をやることは私にはあまり考えられないが、いかがだろうか。セネトを復元ルールでやる限り、それは運の要素が強く、絵双六より更に悠長で、私には退屈に思えた。セネトは絵双六と違って戦闘の要素があるので、その分実力の要素が加わるが、反面ゲームに時間がかかるのである。もしこの感想が私だけのものでないならば、セネトはその内実により滅びたのだろう。つまり一千年のテストプレイにより、淘汰されたのである。

 現代的な感覚で断定するのは極めて問題があるのは自覚しつつ敢えて言うなら、古代エジプトではもっと面白い盤上ゲームがまだなかった、ということなのだろう。逆に言うなら、こうしたゲームが受容される社会がそこにあったということになる。それがどのような社会であったかを想定することは、ゲームから歴史へと遡る、新たな歴史的手法となりえるのかも知れない。ゲームの相は、社会の相を反映している(あるいはひっくるめて社会の「相」と見られる)と考えるわけである。


 では滅んだゲームは全てその内実によるのだろうか? 実は決してそうは思えないのである。


 これを考えるのに、現在瀕死の伝統ゲームについて見るのが極めて示唆的である。

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◆第3回はこちらで読めます◆

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草場純(くさば・じゅん) 
 1950年東京生まれ。 元小学校教員。JAPON BRAND代表。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年〜2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。『子どもプラスmini』(プラス通信社)に2005年から連載している「草場純の遊び百科」は、連載40回を数える。
 遊戯史学会員、日本チェッカー・ドラフツ協会副会長、世界のボードゲームを広げる会ゆうもあ理事、パズル懇話会員、ほかSF乱学講座、盤友引力、頭脳スポーツ協会、MSO、IMSA、ゲームオリンピックなどに参画。
 著書に『ゲーム探険隊』(書苑新社/グランペール(共著))、『ザ・トランプゲーム』成美堂出版(監修)、『夢中になる! トランプの本』(主婦の友社 )
夢中になる!トランプの本―ゲーム・マジック・占い (主婦の友ベストBOOKS) [単行本] / 草場 純 (著); 主婦の友社 (刊) ゲーム探検隊-改訂新版- / グランペール

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