2012年06月26日

第25回遊戯史学会例会を聴講して――将棋の初心者、教えます

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第25回遊戯史学会例会を聴講して――将棋の初心者、教えます

 蔵原大

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 2012年5月26日、遊戯史学会の例会(第25回)にいってきました(http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/yugishi.htm )。
01遊戯史.JPG
 三軒茶屋でおこなわれた例会での発表は、将棋と囲碁がテーマ(http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/yugisi03.htm )。

 ● 「将棋における超初心者の上達過程」(by 堀口弘治〔日本将棋連盟棋士七段〕)
 ● 「囲碁家元本因坊文書の基礎的研究」(by 高尾善希〔立正大学文学部史学科非常勤講師〕)

 うち前半の方は、堀口氏が幼稚園や高校で将棋を教えているその体験をもとにしたものでして、初心者教育の点ですこぶる実践的(http://www.shogi.or.jp/player/kishi/horiguti-kou.html)。せっかくなので、いただいたレジュメの要旨を一部ご紹介します。

 ☆初心者に対する精神的サポート

 初心者の多くは、「将棋は難しい」と思っている。ある意味それは、正しい感覚である。私達将棋関係者は普及のため、「将棋は誰でも出来て、とてもやさしいゲームですよ」とよく言うが、実際将棋を教えてみて様々な壁があることもよく知っている。

 まずは、駒の動かし方やルールの説明に最低でも30分以上はかかる程教えることが多い。そして、そのあと初心者がどのように駒組みを進めていけばよいのか、適切に説明することは至難の業である。つまり、初心者の大きな壁の1つは、「何をどのように、何の目的で指すのか」見当もつかないことである。人間は、わからないとつまらなくなる。さらに、失敗するこわさ、負ける悔しさ、自己嫌悪・バカにされる恥ずかしさが加わり、ここで多くの人が脱落してしまう。

 また実際考えることは、面倒でかなり疲れる作業である。本将棋において考え、神経を使わなければいけないことは、数々あり緊張・集中した時間はそれほど長くは続かず、混乱と挫折感だけ残り、ここでもやはり将棋は敬遠されてしまう。

 そこで、生徒の「やる気」を引き出し、持続させる指導者の技術と創意工夫と熱意が必要となる。

 まず大切なことは、指導者が使う言葉は、シンプルに分かりやすくすることである。たとえば、「角の斜め右前の歩を動かして角を使えるようにしましょう」「角の横に金が移動して角の頭を守りましょう。」など動作と目的を分かりやすく伝えることである。専門的に言えば、もっと細かく説明する必要はあるところではあるが、この段階では、そうするとかえって混乱させてしまう。そして、普通の手が指せたら、ほめてあげることである。なぜなら将棋のほとんどの手は悪手なので、私達プロから見れば、当たり前の手であっても、悪手の山から普通の手が選べたことは多いに評価すべきことだからである。初心者が矢倉や美濃囲いが出来たという事は、凄いことなのである。「出来た」という達成感、「わかった」「ホメられた」という喜びの体験を積み重ねていくことは、将棋を続ける上で大切なことである。

 そして実戦の指導において心がけることは、失敗をおそれさせず、のびのびと指させることである。本来初心者には、失敗という概念は必要ない。失敗がなければ初心者ではないからである。すべてが「成長途上の手」であり、「貴重な体験」だ。次から改善して指せるように気がつかせるため、その都度指摘してあげることが良い。

 指導者は決して、早く強くさせようとして焦ってはいけない。根気よく相手の理解度を見ながら、ステップバイステップ、繰り返し、繰り返し、行きつ戻りつで十分である。

 ときには勝つ喜びを与えるため、指導者は上手に負けてあげることも必要だ。

 また、自分がどのレベルなのか級の認定も大事な動機づけになる。子供の場合、賞状・認定証・スタンプ・テストの花丸など、小道具やちょっとした工夫でとても喜ぶ。

 そして、なにより「棋は対話なり」将棋はコミュニケーションのゲームなので、勝負に集中するときとは別に、生徒同士・先生と生徒、和やかな雰囲気を作ることも続けられる要因となる。『指導法
ベストはないが ベターあり』である。時には、目先を変えてリレー将棋・青空将棋・トランプ将棋やミニ将棋・パズル・駒遊びなども取り入れても面白い。欲を言えばこのほか、将棋の歴史の話や礼儀作法なども指導できるとなおよい。将棋の面白さと楽しさ、素晴らしさを知ってもらうためにも、指導者の柔軟かつ幅広い知識と豊富な経験に裏付けられた、人間的魅力が大きく物を言う。


 このなかで紹介されている「生徒の「やる気」を引き出し、持続させる」工夫は、将棋だけでなくゲーム、武道、技術全般を教えるのにも応用できそうな内容です。難しい知識をレクチャーされる場合に、こうしたテクニックが参考になれば幸いです。

 ところで話は変わりまして、近年では将棋・囲碁のプレイ能力と論理力との関連性が注目され、各大学がそうした知的スポーツを講義として取り込んでいます。いわゆる「シリアス・ゲーム」系にも関係してくる話かと。

 ○ 青山学院大学で囲碁授業を開始:
 http://www.nihonkiin.or.jp/news/2012/02/post_390.html

 ○ MNC科目「囲碁で学ぶ数理科学入門」:
 http://www.waseda.jp/mnc/letter/2010jun/teachers_column.html

 ○ 全学共通科目|大東文化大学: (「囲碁と将棋A・B」という科目があります)
 http://www.daito.ac.jp/education/whole_university/common.html

 ゲームとは単なるエンターテイメントではなく、公共に資するものでもある、という現代社会の一面がこんなところからも垣間見えます。

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★【余 談】(酔った象さん=王子さま)

 なお例会では、将棋や囲碁についての発表に関連して、さまざまな将棋のバリエーションが展示されていました。
002中国軍人将棋.JPG
 中国製の「軍人将棋」というのは初めて見ましたが、なるほどコマの種類が見やすく、けっこう使い勝手が良さそうです。
003中国将棋.JPG
 中国の将棋「象棋」は日本のとは異なり、コマは丸く、盤の真ん中に「河」があったりします。
004朝鮮将棋.JPG
 朝鮮の将棋では「漢」「楚」の二つの陣営に分かれてたたかうのだそうです。古代中国の、秦帝国がほろんだあとの項羽と劉邦のあらそいをモチーフにしたと言われています。

 そして極めつけがこれ。
005酔象.JPG006太子.JPG
 いわゆる「古将棋」というやつの駒でして、「酔象」が成ると「太子」に変わります。「太子」は「王将」の代わりとして機能する優れもの。とはいっても「古将棋」は駒が多すぎ。ほかにも「仲人」とか「麒麟」とか......おぼえきれません。誰が気合いの入った方、挑戦してみてくださいな。

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2012年06月12日

日本シミュレーション&ゲーミング学会2012年度春季全国大会参加報告


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日本シミュレーション&ゲーミング学会2012年度春季全国大会参加報告

 小春香子

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 2012年6月2日―3日に流通経済大学で行われていた「日本シミュレーション&ゲーミング学会」(以下、JASAGと表記)2012年度春季全国大会に参加してまいりました。仕事の関係上、きちんと参加することが出来たのは一般学術セッションのU〜V(懇親会を除く)のみで、メインであるパネルディスカッションにはラスト20分しか参加できませんでした。面白そうなテーマだっただけに残念です。

NPO法人 日本シミュレーション&ゲーミング学会 公式サイト
http://jasag.org/

 パネルディスカッションの参加者は30人程度でした。広い会場でしたので、実際の参加者数以上に閑散としてしまっていた印象があったのですが、一般学術セッションでは各部屋に15〜20人程度集まって発表を聞いたり議論をしていたりしてかなり盛況だったように思います。大学教授や学生などのほか、ゲーミング教材の制作会社の方、地域づくりや開発教育関係のNPOで活躍されている方、中高教員など参加者層も幅広めであったように思います。学術セッションに、国際政治のダイナミズムをシミュレーション&ゲーミングで学ばせる、という実践の発表があったせいか、ムスリムの留学生が学生ボランティアから同時通訳を受けていたのが印象的です。

 一般学術セッションでは、私の専門がシミュレーション&ゲーミングによる教材活用なのでそうした系統ばかりを聞いていましたが、数年前に始めて論文集を見たときよりかなり幅広い専門性の方が集まっている印象です。またシミュレーション&ゲーミングのテクニックにしても、過去のJASAGの論文集やセッションで紹介されたものを自分の教材に落とし込んで新しい発見や手法の深化を行っている実践の紹介が多かったので、学会の中での学びが深まっていることに感動しました。シミュレーション&ゲーミングがテーマのセッションでは、どのセッションでも必ず「複雑な現実をどこまでシミュに落とし込み、ゲーム性(数値パラメータ)だけを追う現実から乖離した展開を防ぐにはどうしたらいいか」といった議論が形を変えて行われていましたので、シミュレーション&ゲーミングの永遠の課題はやはりこの問いに集約していくではないでしょうか。「何のためにこの現実をシミュレーション&ゲーミングにするのか」という意識がはっきりしている実践が成果を挙げている報告が多かったです。

 いろいろな実践報告を受けて、共通していたのは「そのゲームの対象について全く知らない状態ではなく、ある程度の予備知識を得た状態(学習の入門期の集大成)で行う」実践、「たとえシミュレーションが現実と違う展開になったとしても、それを踏まえてさらに学びを進化させられる体制が整っている」実践がこの問いをクリアーできている(出来そうである)のではないかと考えられる学会でした。


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2012年05月23日

陸自シミュレーション演習はどこまで進んでいるのか ――陸自幹部学校主催「総合安全保障セミナー」体験記――


 筆者は、以前に目黒の陸上自衛隊幹部学校のシミュレーション演習に参加して、現役自衛官の方々といっしょに日本の「防衛」政策を「作成」したことがあります。この記事は、その体験談をWeb雑誌「軍事民論」(軍事問題研究会・出版)に寄稿し、ここには軍事問題研究会の許可をえて転載したものです。そういうわけですので(今回に限って)著者および軍事問題研究会の許可なくしての無断転載はお断りいたします。

 全文は『軍事民論』第473号(2010年2月10日発行)に掲載されているので、発行元の軍事問題研究会(Eメールアドレス:ttn5rhg28d*mx2.ttcn.ne.jp)までご注文下さい(*→@)。なお同号はPDFファイルをEメールにて頒布。1部\200円です。(蔵原大)
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Web雑誌「軍事民論」の見本です(502号と512号)。

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陸自シミュレーション演習はどこまで進んでいるのか ――陸自幹部学校主催「総合安全保障セミナー」体験記―― 

 蔵原大(初出:「軍事民論」第473号、軍事問題研究会)

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1.シミュレーション演習の重要性―陸自幹部学校の革新的試み

 2009年11月21日に行なわれた「国際関係シミュレーション(模擬演習)」(日本経団連21世紀政策研究所主催、読売新聞社・全日空後援)の詳細が『読売』紙面を飾ったことは、安全保障に関心のある読者ならご存じであろう。

 同演習は、2013年以後の「将来起こりうる国際危機に対して、どのような政策的対応が可能なのか、模擬演習のゲームを通じて、外交政策の選択肢を検証する」のを目的とした思考実験であって、日本からは現職の衆議院議員ら、またアメリカを始めとする各国から大学教員・報道記者らがプレイヤーとして参加した(*1)。

 このような各国の反応と国際関係の流れを分析し、長期的戦略を考えるヒントを提供しようというシミュレーションは、政治・経済・軍事の分野では特別なことではなく、世界的に認知された分析手法である。

 例えば今日、欧米の人文学はいわゆる「歴史のイフ」や人間の「限定合理的」意志決定に着目し、「ウォーゲーム」(武力紛争を題材とした知的競技)に代表される「シミュレーション」(学術的定義としては現実世界の動静を模擬的に再現する実験)という教育・研究の新手法を開発している(*2)。わけても戦略学では、まずウィリアムソン・マーレー(Williamson Murray)オハイオ 大学名誉教授が「士官達は、海戦における擬似的な意思決定を経験することができ、また技術革新の到来によって海軍にどのような戦術、戦略的可能性があるのかを検証できた」(*3)とウォーゲームの効用を論評し、更にフィリップ・セービン ロンドン (Philip Sabin) ・キングス・カレッジ教授も「失われた戦い:古代世界の大会戦を再構築して」(未訳)という著書の中で、戦争を指導する「将軍の視野」を検証すべく「紛争シミュレーション」(conflict simulation)を披露している(*4)。シミュレーションとしての思考実験のうち政治・軍事を題材にしたものを、学術的には「紛争シミュレーション」あるいは「ウォーゲーム」(Wargame)と呼ぶ(*5)。

 この種の演習が海外では民軍両分野で普及している点については、冒頭に述べた通りだが、更に補足すると、既に自衛隊でも行われている演練としての「図上演習」「指揮所演習」もまた(自衛隊内での定義はさておき)「ウォーゲーム」の一種だ。これまで日本のウォーゲーム研究は海外に比べて10年は遅れているとの指摘もあったけれども(*6)、我らが自衛隊がこの分野で決して惰眠を貪っていたわけではなかった。

 そのことを表わしているのが、陸上自衛隊幹部学校が主催する「総合安全保障セミナー」である。

 東京都目黒にある陸自幹部学校は、「将来の日本の安全保障戦略を考える」をテーマとしたシミュレーション演習「総合安全保障セミナー」を、平成16年度から毎年開催してきた。同セミナーに参加するのは、陸自幹部学校学生である自衛官諸氏及び民間の企業人や大学院生の総計百余名。参加者は各10名前後の研究グループに編成され、日本の防衛政策を立案・討議する職務を担うという役割演技を通じて、政策立案の模擬 的実務 (シミュレーション) のみならず民間と軍事それぞれの組織文化を学ぶ。これが「総合安全保障セミナー」の概要だ。

 筆者は偶然、今年度 (平成21年)の「第6回総合安全保障セミナー」(2009年7月24〜28日)に参加することができた。その貴重な機会の内容を本誌を借りて紹介したい。


2.政策立案シミュレーションとしての「総合安全保障セミナー」

 なお、今回を含めた例年の「総合安全保障セミナー」では、民軍を含めた参加者は「今後の国内外情勢等を踏まえ、見通しうる将来において日本が採るべき安全保障戦略について考察せよ。この際、思考過程、国家目的・目標等を含め、具体的政策提言を作成せよ」という課題を与えられ(*7)、各10名前後の研究グループ(以下「GP」)に編成された上で、約3日間のうちに「具体的政策提言」をグループ総意の発表として示さねばならない(今第6回では「見通しうる将来」は「10年」と設定された)。その際、発表は単に口頭で行うのではなく、3日かけてパワーポイント等を用いてプレゼン資料を作成し、更に2日間かけて陸自幹部学校側の審査員・他GPの構成員の前で示して彼らよりの質疑にも応答しなければならない。当然、発表準備に際しては、政策決定に必要な国際情報や法理論などを念頭に入れた上で、端的にいえば政策決定者「もどき」の立場に自らを準えて思考することになる。だからそれを、政策立案のシミュレーションと呼ぶのである。

 さてセミナー中の各GP構成員(筆者の知る限り全員20〜30歳代)は、参加者に配布された「研究GP編成」(参加者限りなので、ここでは内容の紹介はできない)によれば、全て自衛官がその過半を占めると同時に、必ず2〜3名の非自衛官(官庁組、大学院生、民間企業など)を含むようになっている。言い方を換えれば、GP内の多数派である自衛官は少数の非自衛官と協力(ないしは説得)して意見を統一し、発表までの準備を進めなければならない、という状況が人工的に生み出されている。

 従って各GPの発表内容を追跡すれば、現代日本の高学歴20〜30歳代(少なくとも若手の幹部自衛官)が考える「将来において日本が採るべき安全保障戦略」の平均像が見えてくるだろう。この意味でも総合安全保障セミナーは興味深い材料を提示しているのだ。


3.政策立案の「実務」を体感して――視覚化された戦略形成の場

 上記セミナーの各GPは約3日かけて「安全保障政策」を立案後、2日間の研究発表を経て審査員の講評を受けるが、「政策」の具体的な中身については残念ながら非公開につき、又の機会としたい。ただ付言すれば、筆者の属したX-GP(仮称)では民主主義と国際法の擁護を核とした硬軟両面こそ日本流の戦略に相応しいと結論する一方、他GPの中には財政面から鑑みた核武装の是非、また列島津々浦々までコンクリートで覆い尽くす不沈要塞構想等を取り上げた所もあった。しかし全体の傾向としては民主主義的価値観に沿った内容が多かったことをお断りしておく。

 ところでX-GPでの「政策」討議中に幾度も俎上に上ったのは、前述した軍民の組織文化の違い、特に「安全保障」の基本方針として自衛官側が「脅威(=国の安全を脅かす相手)の無力化」を重視したのに対し、筆者ら民間の参加者は「脅威すなわちライバル(=潜在的顧客)との共存」を掲げた点である。また討議時の判断材料となる世界情勢、国内の社会変動、科学技術についても、期せずしてその専門家や現場担当者が集ったおかげもあって、巷の書籍では到底お眼にかかれない複雑な内実が次々に開陳された。

 一例として武器輸出禁止政策に関して言うなら、今や国際市場ではライフルやミサイルといった銃火器に加えて、ヘルメット・防弾チョッキといった防御兵器さえも、民間人が紛争の犠牲者となっているせいもあって取引が盛んらしい、等の非公式の情報も議題に上り、昨今話題となった「武器輸出三原則」とも絡んで「武器」という用語の定義自体を見直すべきではないかという知的刺激に発展した。こうした事例を繰り返しながら、参加者は互いの異なる文化、公共の場には現れにくい新鮮な情報に適宜触れながら討議を重ね、理念と現実の融合を模索したのである。

 なお筆者は、以前に『軍事民論』第435号において、「総合安全保障セミナー」では主催者側が参加者を意図的にミリタリズム的思想へと誘導していたのではないかと考察していたが、今回直接に体験した限り、恣意的な誘導ないし強迫は全く見受けられなかった*8。逆に、監修に当たった陸自幹部学校教官の方々は民軍の間の意見交換が白熱し盛り上がるのを歓迎さえしており、してみると筆者の過去の考察には誤りがあった可能性を認めざるを得ない。読者の諸氏には、この場を借りてお詫び申し上げたい。

 さて連日、深夜12時に至るまで交わされたX-GP内の議論は、場合によっては平行線を辿りつつ、時間をかければかけるほど建設的・相互交流的な性格を帯びていった。思うにその理由は、何といっても互いの見解を まず(賛否は別にして)GP内で共有しようという積極性・自由闊達の精神にあった。そこから導出できる結論は、円滑な政策立案のカギとは、精緻な理論武装よりも関係者の「やる気」「聴く耳」「話す口」つまり長い討議を推進するに足る気力・体力・社交力を政策立案者が備えているか、この点に掛かっているのではあるまいか。

 ここで歴史を顧みるに、織田信長、ジュリアス・シーザー、ナポレオン・ボナパルトといった優れた指導者が少なからず老成よりも若輩の部類だったことを考え合わせれば、政策担当者にとっては上記3素質の方が、純粋な「年の功」より業績に大なる影響を与えると断言しても逸脱ではなかろう。少子高齢化の現状と照らし合わせてみると、奥の深い問題だ。

 もちろん、人間の「やる気」「聴く耳」「話す口」は、常に直近の労働環境に左右される。別の言い方をするなら、政策立案という知的労働の出来不出来は、オフィスの広狭、空調・照明、同僚との団欒、果ては休憩時間の有無に至る諸々に影響される。例えば、休憩時に一杯のコーヒーを飲んで気持ちを切り替えられるかどうか、一刻前までの論敵と居酒屋で馬鹿話をして酒量を競って仲直りを図れるか否か、そうした「ムード」「会議の空気」の細事が国家戦略全体を拘束しかねない、という事例は『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』でも既に紹介されている(*9)。その重要性も、コーヒーメーカーを完備した総合安全保障セミナーの「実務」現場から改めて学び得るところだ。

 戦略といえば、戦略研究者の石津 朋之(防衛省防衛研究所企画室研究調整官)は、戦略形成の諸要素を「戦略環境」「国内要因」「時代精神」の3点に集約していたが(*10)、新たに第4番目として戦略策定の司令塔・指導層が有する独自の「当事者心理」の揺れ動き、又は戦略担当者の言行を揺さぶる議場のムード・空気にも留意すべきではあるまいか。現場の空気や駆け引きは、書籍・文献といった間接的材料からのみでは決して理解しきれない。といって政策の現場を直に見聞するのは、その公的性質上どうしても一部の人員に限られてしまう。ここにシミュレーション演習の意義が立ち上がってくる。

 表現を換えれば、既に19世紀のクラウゼヴィッツが述べた「平時の演習をして十分にその効果あらしめるためには、演習中諸障害の一部でも現出させ、指揮官をしてその判断、その用意の周到さ、あるいはその決断力をすら訓練させるようにすべきである」(*11)ということなのである。

 むろん、以上は全て「模擬」の話に過ぎないわけだが、しかし現実のインテリジェンスや「戦略文化」(*12)を扱う研究者・ジャーナリストの諸氏の参考になることを願って記した次第である。


4.最後に:情報公開こそ安全保障の始まり

 セミナー修了式の後、参加者が帰宅する中、X-GP員の一民間人氏曰く「今まで自分は防衛に関心はなかったけれど、このセミナーであなた方幹部学校の学生とお会いして思ったのは、こういうしっかりした皆さんになら国防をお任せしても大丈夫だなということです」。

 自衛隊が真に国民の信頼を得ようとするなら、唯在りのままの姿を国民に示すだけで良いのではないか、それも一つの安全保障に違いない。自らの姿を見せることさえ嫌がる官僚の在り様に、国民が安心を覚えるはずがない。民間人に自衛官との交流体験を与えるだけでも、このシミュレーション演習は効果を発揮したと言える。

 蔵原大(くらはら・だい/本会研究委員)


【脚注】

(*1)2009年12月8日付『読売』第12版第13面掲載「近未来国際危機の模擬演習 そのとき世界は」。同記事で取り上げられた「国際関係シミュレーション(模擬演習)」は2013年から20年までの近未来を想定した模擬実験であり、日米その他の(実際の)政治家・学識者・ジャーナリストらが、「管理チーム」が運営する仮想の国際社会の中で「日本チーム」「米国チーム」「欧州連合チーム」「中国チーム」などに分かれて各国の政策実現に努めるゲームの体裁をとった。
 今回のシミュレーション演習では、各参加者はそのチーム内の「大統領、首相、外相、民間企業団体代表など」の役割を演じたが、こうした形式の演習を学術的には「ロールプレイング」(Roleplaying)と呼び、欧米では冷戦期よりビジネス教育等に応用されている。

(*2) 欧米での現状を簡潔に説明するのはAlan R.Washburn(宝崎 隆祐 訳)「米国における軍事OR」『オペレーションズ・リサーチ』(財団法人日本オペレーションズ・リサーチ学会)第53巻(2008年10月号)。

(*3) ウィリアムソン・マーレー(小谷 賢 訳)「軍事改革と職業軍人教育―過去から未来へのプロローグ―」『年報 戦略研究』(戦略研究学会)第3号(2005年)158頁。

(*4) 戦争シミュレーションが「一兵卒の視野よりも将軍の視野」(a general’s-rather than a soldier’s-eye view)に焦点を当てている点を解説するのが、Philip Sabin,Lost Battles: Reconstructing the Great Clashes of the Ancient World , (Continuum Book, London, 2007) p.xv.

(*5) この思考実験の基本的定義については、過去30年に渡り市販用ウォーゲームを製作した、ジョージア州立工科大学教授のジェームズ・F・ダニガン(Dunnigan, James F.)著の"Wargame Handbook," Third Edition, Writers Club Press, 2000, pp.317-323を参照。

(*6) 元海上自衛隊将官の井川宏による「モデリング・シミュレーション(M&S)の現状分析」『DRC年報』(2001年。http://www.drc-jpn.org/AR-5J/ikawa-j.htm. Retrieved Oct.31, 2006)中の諸指摘及び社団法人日本機械工業連合会日本戦略研究フォーラム「平成15年度最近の事例における防衛装備の質的変動と防衛機器産業への影響調査報告書」(2005年)109頁を参照。

(*7) 2004年(平成16年)7月に行われた第1回総合安全保障セミナーにおける「第1グループ」報告書(『軍事民論』第435号8頁紹介)を参照。

(*8) 蔵原「軍事力で全てを超越する−『新東亜共栄圏』を志向する2004年陸自幹部学校セミナー」『軍事民論』第435号(2008年6月9日)。

(*9) 戦略が迷走する一因が、例えば司令部内の「何をいっても無理だというムード」や「会議の空気を重苦しいものにした」、「統帥上の不信感」にある点は、戸部 良一、寺本 義也、鎌田 伸一、杉之尾孝生、村井 友秀、野中 郁次郎 共著「失敗の本質」(中央公論社 1991年)で、「インパール作戦」の計画決定(152〜158頁)、沖縄戦での「台北会議」(226〜230頁)等の例で紹介されている。

(*10) 「戦略環境」「国内要因」「時代精神」のそれぞれは、例えば組織を取り巻く世界情勢、組織内の既定路線、ある時代の人々が共有する一般的な認識といった物である。石津 朋之「戦略を考える三つの視点―第一次世界大戦前夜の事例を中心に」『国際安全保障』(国際安全保障学会)第33巻第2号(2005年9月)を参照。

(*11) クラウゼヴィッツ(清水 多吉 訳) ( 「戦争論」上巻 中央公論新社 2001年)141頁。

(*12) 「戦略文化」とは概ね「地理、天候、資源、歴史、技術などの諸々の環境によって規定される思考や行動の基準であり、政策や戦略の決定因子として機能する」諸々を指す。Jeffrey S. Lantis and Darryl Howlett, "Strategic Culture", John Baylis, James J. Wirtz, Colin S. Gray and Eliot Cohen (eds.), Strategy in the Contemporary World: An Introduction to Strategic Studies―2nd ed (Oxford University Press, 2007), pp.86-89.
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2012年04月30日

日本アーカイブズ学会「デジタルコンテンツのアーカイブ化の現在とその課題――文化政策論の視座から」のご報告


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日本アーカイブズ学会「デジタルコンテンツのアーカイブ化の現在とその課題――文化政策論の視座から」のご報告

 蔵原大、高橋志行


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[アーカイブズ学会での報告その後] 蔵原大

 2012年4月22日、学習院のアーカイブズ学会で、社会学研究生(D3)の高橋志行さんと一緒に報告してきました。
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 報告の内容は、以前に書きましたが、簡単にいえばゲーム・メディアのアーカイブ化の現状と課題についてのものです。
 http://analoggamestudies.seesaa.net/article/261905231.html

 ゲームといいましても、教育用の「シリアス・ゲーム」や軍事用の「モデリング&シミュレーション」を始めとするデジタル・ゲーム・メディアの話がメインでして、40人の聴衆の皆様にはお楽しみいただけたようです。経済産業省メディアコンテンツ課を始めとする関係者へ取材した際のこと、ゲーム・アーカイブズの概念が産学官連携による法的枠組みを欠かせない課題に直面していること、等々を実証的に言及したことが、好印象の一因だったように思います(この辺の問題意識は自分のアーカイブズ業務経験が活きているように改めて感じました)。

 さて今回取り上げました「クールジャパン」産業の内幕、立命館大学での「GAP」(Game Archives Project)の最新事情など、これからもメディア研究者として目が離せないところです。今やデジタル・ゲームは一つのメディアとして勃興しつつあるのが実情ですが、欧米やイスラームでの実例は2月に立命館大学(DiGRA大会)で報告しましたので、学習院では簡単にまとめました。

 ところでお聴きくださった方々の中に、国立公文書館にいた頃の元同僚(〜Ham氏とSak氏に御礼〜)に混じって、天皇制研究のエース瀬畑源さんがいたのには驚き(パンフで蔵原の名前をみて足をお運びくださったそうで、どうも恐縮です)。

 なんでも瀬畑さんの新刊本『公文書をつかう: 公文書管理制度と歴史研究』は売れ行きを伸ばしているらしく、実に羨ましい限り。
公文書をつかう: 公文書管理制度と歴史研究 [単行本] / 瀬畑 源 (著); 青弓社 (刊)
 この本は、公文書(例えば議事録とか機密文書)がどんな風につくられ、誰によって管理されるのかといったプロセスを、ご自身の体験を踏まえて解説しています。ゲーム・メディアと政治との関わりを研究する際には参考となること間違いなし。

 午後からは、3・11東日本大震災におけるアーカイブズ救援活動の報告を拝聴。被災した陸前高田の行政文書(津波のせいでカビだらけの危機)を救うため、神奈川県横浜市の県立公文書館から「公文書レスキューチーム」が出動していた、というのは初耳でした。報告者は隊長の木本洋祐さんでして、厳しい環境で十四万枚の文書をなんとか読めるまでに修復するエピソードにはちょっと感動(この文章を書いている現在、作業は継続中だとか)。

 ところで話は変わりますが、学会大会には業者の方々も出展されていて、ちょっと面白いパンフとかグッズがありました(資料保存につかう乾燥剤の新製品で、使用期限が迫ると色が変わるヤツなど)。色々ご説明いただいた「ニチマイ」の担当者の方に改めて御礼申し上げます(マイクロフィルムやデジタルアーカイブの業者さんです)。
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[蛇 足]
 いま学習院の史料館では、無料展示として「大正の記憶 絵葉書の時代」というのをやっているそうです(2012年4月5日〜6月9日:http://www.gakushuin.info/2012/04/post_243.html)。
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 それから今回取り上げた「クールジャパン」産業の件に関連して、こんなニュースが。

 <クール・ジャパンを脅かす韓流、官民一体モデルが鍵>
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120427-00000003-rcdc-cn

 数年前から半ば公然のことだったのに何を今さら、という話ですが、ご参考までに。

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 [アーカイブズ学会での報告その後] 高橋志行

 高橋です。蔵原大さんと共同で発表してきました。
 今回学会が開催された学習院大学は、人文科学研究科内にアーカイブズ学専攻という部門が2008年から創設され、ここ数年特にアーキビスト育成に注力している大学でもあります(参考URL: http://www.gakushuin.ac.jp/univ/g-hum/arch/ )。

 また今回、会場で頒布されていた『GCAS Report vol.1』(学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻研究年報)は、「アーカイブズ学」という立脚点から、どのような学術的展開が望めるのかについて、非常に刺激的な研究雑誌になっていました。

 特に、学習院大学アーカイブズ学専攻の院生たちによる Keeping Archives (The 3rd edition,2008) 読書会の記録は、まだアーカイブズ学それ自体に不案内な私としては、読書案内としても、またアーカイブズという営みにまつわる理論的な困難を掴む上でも、とても勉強になりました。

 ところで、『GCAS Report』および、当日の学会発表を振り返って感じたのは、(少なくとも、日本における)アーカイブズ研究の潮流は、おおまかに2つの分野があるのかな、ということでした。
 ひとつは、(1)「公文書」という、厳密に記録・保管された資料からどんな知見が導き出しうるのかという、史学的アプローチに寄り添った研究。そしてもうひとつは、(2) 世に流通し使用されるさまざまな「情報」のうち、後世に残す価値のあるものを具体的にどのように収集・管理していくのかという、どちらかといえば図書館情報学的なアプローチに近い研究です。

 今回、私達は、上記の区分で言えば(2)、つまり図書館情報学的な関心がアーカイブズ研究においても強まりつつあることを背景として、発表を作ってきました。対象を「収集」し、「保存」し、「登録」して「公開」する、その営みの総体を "archives" と呼ぶとして、今、デジタルコンテンツにはどのようなアーカイブズのあり方が求められるのか。

 個人的な課題としてはいささか大きすぎますし、また今回の発表だけで解決できたとは全く言えませんが、今後も継続的に考えてゆきたいと考えています。

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2012年04月19日

Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN 豊島区心身障害者福祉センター、レポート!(付記:「わらべ歌」歌詞リスト)

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Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN 豊島区心身障害者福祉センター、レポート!(付記:「わらべ歌」歌詞リスト)

 岡和田晃、協力:草場純

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 2012年3月29日(木)、Analog Game Studies&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」が、豊島区心身障害者福祉センターにて開催されました。本ワークショップは、発達障害当事者の方々、支援者の方々、あるいは発達障害当事者の方々との楽しいコミュニケーションのチャンスを持ちたいと思われている方々が、ともに伝統ゲーム「わらべ遊び」(童遊び)を体験してみるという主旨のイベントで、今回が初の開催となります。

 Analog Game Studiesの紹介記事も併せてご覧ください。
http://analoggamestudies.seesaa.net/article/259355278.html

 近年、アナログゲームの福祉分野での応用が注目を集めています。Analog Game Studiesのメンバーも、さまざまな研究会やイベントに出席して学習を重ねておりますが、今回はいよいよ、東京都成人(大人)発達障害(アスペルガー・ADHD等)当事者会「Communication Community・イイトコサガシ」ピアサポート・グループ(以下、「イイトコサガシ」)さまと共催という形で、イベント開催を行なってみた次第です。

 参加者には、さまざまな経歴の方々がいらっしゃいました。発達障害当事者の方々、発達障害支援を学んでいる方々はもちろん、イイトコサガシ代表の冠地情さま、イイトコサガシ心理職アドバイザーの加藤澄江さま、Analog Game Studiesに「CBT的アプローチのセッション運営」を寄稿くださいましたゲームデザイナーの伏見健二さまも参加する形で、ワークショップは大いに盛り上がりました。

 当日の天気は快晴。屋上に上がって簡単な自己紹介を行ない、「お手ぶし」をはじめ、簡単なリズム遊びから、「石蹴り」のようにゲーム性豊かな遊びまで、草場純氏の進行のもと、無理をせず、休憩を挟みながら3時間あまり、童心にかえって遊びに熱中した次第です。私自身、北海道の田舎で過ごした子ども時代に、いとこたちと牧場で「ケンケンパ」に興じたことを思い出しました。

 参加者の許可をいただきまして、写真をいくつか紹介いたします。「天国と地獄」(石蹴り)のレクチャーを受けているヒトコマです。
天国と地獄.jpg
レクチャー.jpgジャンプ成功.jpg

 イイトコサガシの「会話によるコミュニケーション能力開発ワークショップ」では、メインの会話のワークショップの前に、「アイスブレイク」として、緊張を取り除くための簡単なゲームを行っています。童遊びには、こうした「アイスブレイク」の効果もあるのではないかと感じた次第です。

 これまで草場純氏は、さまざまな場所でわらべ遊びのレクチャーを行なってきました。また、ミニコミ誌「子どもプラスMini」連載の「草場純の遊び百科」にて、伝統ゲームの一貫として童遊びを紹介してきました。「子どもプラスMini」40号[2011年3月号]では、Analog Game Studiesを紹介いただいております。

 この童遊びは古くからの口承伝統という側面があり、時として差別や悪口に近いものが混じっていたりします。そうしたものについても、成立事情や背景情報がわかりやすく解説されることで、「差別」が容認されたり、ゲームを通して「差別」が助長されたりすることなどは一切なく、童遊びの本質を体感することができました。

 総じて参加者は皆、気分良くゲームに参加することができました。アンケート結果からみても、ご好評をいただいていたことが改めて確認できました。今後、またこのようなイベントを開催していければと感じた次第です。



 さて、童遊びはパフォーマンスなので記録に残りにくく、複雑ではないもののなかなか覚えにくいという面があります。しかし「わらべ歌」(童歌)と密着しているために、歌詞を見ればやった人は比較的簡単に遊びを思い出すことができるものと思います。

 そこで、本レポートでは童歌の歌詞をご紹介していきます。当日ワークショップに参加された方も、また童遊びに興味がある方も、知っている歌、聞いたことがある歌を探してみてください。

〈「わらべ歌」歌詞リスト〉(採録:草場純)

■青山墓地

♪青山墓地からお化けがひょ〜ろひょろ
♪お化けの後から子豚がブーブー
♪子豚の後から桶屋さんがオッケオッケ
♪桶屋さんの後から子どもがジャンケンポン


■お手ぶし

♪おてぶしてぶし てぶしのなかは へ〜びのなまやき かえるのさしみ いっちょうばこやるから まるめておくれ い〜いや!


■からすかずのこ

♪か〜らすかずのこ にしんのこ おしりをねらって かっぱのこ


■黒猫

♪家(うっち)のうっらの黒猫は、白粉つけて、紅つけて、ひっとに見られてちょいと隠す!


■堂々巡り

♪どーどーめーぐり こーめぐり あーわのめーしもいーやいや そばきりそうめん 食べたいな


■なかなかホイ

♪なかなかホイ そとそとホイ なかなかそとそと なかなかホイ
そとそとホイ なかなかホイ そとそとなかなか そとそとホイ


■あぶくたった

♪あーぶくたった にえたった にえたかどうだか食べてみよう
  むしゃむしゃむしゃ まだにえない
 あーぶくたった にえたった にえたかどうだか食べてみよう
  むしゃむしゃむしゃ まだにえない
 あーぶくたった にえたった にえたかどうだか食べてみよう
  むしゃむしゃむしゃ もうにえた
「戸棚にしまって、鍵閉めて、…(以下家庭生活を即興で演じる)…、電気を消してもう寝ましょう。」
鬼「とんとんとん」
子「何の音?」
鬼「風の音。」
子「ああよかった。」
鬼「とんとんとん」
子「何の音?」
鬼「(即興)の音。」
子「ああよかった。」
 (以下任意に繰り返す)
鬼「とんとんとん」
子「何の音?」
鬼「おばけの音!」
 で、コドモ達は逃げる。


■あんたきらい(罰ゲーム)

♪ばかあほまぬけ おたんこなすかぼちゃ そっぱそっぱみそっぱ あんたきらい フン


■いろはに金平糖(身体感覚と課題解決の遊び)

♪いろはにこんぺいと


■ えべっさん(鬼決め)

♪どっちどっちえべっさん えべっさんにきいたらわかる


■おじいさんおばあさん(鬼交代)

♪おじいさんおばあさん なにくってかがんだ えびくってかがんだ


■今年の牡丹

  [コドモは内向きの一重円、オニは少し離れたところにいる。]
コドモ [輪になって踊る]
 ♪今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてスッポンポン もひとつからげてスッポンポン
 ♪今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてスッポンポン もひとつからげてスッポンポン
  [オニが来る]
オニ 「入れて」
コドモ「いや」
オニ 「どうして?」
コドモ「しっぽがあるから」
オニ 「しっぽ切ってくるから入れて」
コドモ「血が出るからいや」
オニ 「川で洗ってくるから入れて」
コドモ「川坊主が出るからいや」
オニ 「海で洗ってくるから入れて」
コドモ「海坊主が出るからいや」
オニ 「そんなら今度うちの前を通ったとき、天秤棒でひっぱたくぞ」
コドモ「じゃあ入れてあげる」
  [オニが輪に入る]
コドモとオニ  [輪になって踊る]
 ♪今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてスッポンポン もひとつからげてスッポンポン
 ♪今年の牡丹はよい牡丹 お耳をからげてスッポンポン もひとつからげてスッポンポン
  [オニが抜ける]
オニ 「わたし帰る」
コドモ「どうして?」
オニ 「晩ご飯だから」
コドモ「おかずはなあに?」
オニ 「蛙となめくじ」
コドモ「生きてるの? 死んでるの?」
オニ 「生きてるの」
コドモ「じゃあさようなら」
  [オニが去って行く]
コドモ「だれかさんの後ろに蛇がいる」
オニ 「わたし?」
コドモ「違うよ」
オニ 「ああよかった」
コドモ「だれかさんの後ろに蛇がいる」
オニ 「わたし?」
コドモ「違うよ」
オニ 「ああよかった」
コドモ「だれかさんの後ろに蛇がいる」
オニ 「わたし?」
コドモ「そう!」
  [以下鬼ごっこ]


■どんど橋 (とおりゃんせ遊び)

 ♪どんどばしわたれ、さあわたれ。こんこがくるぞ、さあわたれ。


■なべなべ (ミキシング)

 ♪なべなべそっこぬけ、そっこがぬけたら かえりましょ。
  なべなべそっこぬけ、そっこがぬけたら まわりましょ。



12/04/20追記:
 本レポートをお読みになった松本由香子さまが、「あぶくたった」の歌を歌い、動画としてご提供してくださいました。
 伝承遊び(童遊び)「あぶくたった」の歌です。
 以下、松本由香子さまのコメントとなります。
 私は昭和40年代後半〜昭和50年代前半(1970年代)、神戸市灘区と中央区(旧・葺合区)で小学校時代を送りました。当時は近所の年齢の違う子どもたち十数名が小学校-や幼稚園が終わると集まって、路地や空き地、公園で様々な外遊びをしていました。
「あぶくたった」は怪談やごっこ遊び的な要素が含まれているためか、人気の遊びの一つでした。
 Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)で「あぶくたった」の歌詞の採録を拝見して、懐かしくなったので歌ってみました。

 あぶくたった」がどんな歌だったのかご存知ない方、あるいは、久しぶりに「あぶくたった」を聞いてみたい方は、ぜひアクセスしてみてください。

posted by AGS at 11:19| レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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