筆者は、以前に目黒の陸上自衛隊幹部学校のシミュレーション演習に参加して、現役自衛官の方々といっしょに日本の「防衛」政策を「作成」したことがあります。この記事は、その体験談をWeb雑誌「軍事民論」(軍事問題研究会・出版)に寄稿し、ここには軍事問題研究会の許可をえて転載したものです。そういうわけですので(今回に限って)著者および軍事問題研究会の許可なくしての無断転載はお断りいたします。
全文は『軍事民論』第473号(2010年2月10日発行)に掲載されているので、発行元の軍事問題研究会(Eメールアドレス:ttn5rhg28d*mx2.ttcn.ne.jp)までご注文下さい(*→@)。なお同号はPDFファイルをEメールにて頒布。1部\200円です。(蔵原大)


Web雑誌「軍事民論」の見本です(502号と512号)。
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陸自シミュレーション演習はどこまで進んでいるのか ――陸自幹部学校主催「総合安全保障セミナー」体験記―― 蔵原大(初出:「軍事民論」第473号、軍事問題研究会)
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1.シミュレーション演習の重要性―陸自幹部学校の革新的試み 2009年11月21日に行なわれた「国際関係シミュレーション(模擬演習)」(日本経団連21世紀政策研究所主催、読売新聞社・全日空後援)の詳細が『読売』紙面を飾ったことは、安全保障に関心のある読者ならご存じであろう。
同演習は、2013年以後の「将来起こりうる国際危機に対して、どのような政策的対応が可能なのか、模擬演習のゲームを通じて、外交政策の選択肢を検証する」のを目的とした思考実験であって、日本からは現職の衆議院議員ら、またアメリカを始めとする各国から大学教員・報道記者らがプレイヤーとして参加した(*1)。
このような各国の反応と国際関係の流れを分析し、長期的戦略を考えるヒントを提供しようというシミュレーションは、政治・経済・軍事の分野では特別なことではなく、世界的に認知された分析手法である。
例えば今日、欧米の人文学はいわゆる「歴史のイフ」や人間の「限定合理的」意志決定に着目し、「ウォーゲーム」(武力紛争を題材とした知的競技)に代表される「シミュレーション」(学術的定義としては現実世界の動静を模擬的に再現する実験)という教育・研究の新手法を開発している(*2)。わけても戦略学では、まずウィリアムソン・マーレー(Williamson Murray)オハイオ 大学名誉教授が「士官達は、海戦における擬似的な意思決定を経験することができ、また技術革新の到来によって海軍にどのような戦術、戦略的可能性があるのかを検証できた」(*3)とウォーゲームの効用を論評し、更にフィリップ・セービン ロンドン (Philip Sabin) ・キングス・カレッジ教授も「失われた戦い:古代世界の大会戦を再構築して」(未訳)という著書の中で、戦争を指導する「将軍の視野」を検証すべく「紛争シミュレーション」(conflict simulation)を披露している(*4)。シミュレーションとしての思考実験のうち政治・軍事を題材にしたものを、学術的には「紛争シミュレーション」あるいは「ウォーゲーム」(Wargame)と呼ぶ(*5)。
この種の演習が海外では民軍両分野で普及している点については、冒頭に述べた通りだが、更に補足すると、既に自衛隊でも行われている演練としての「図上演習」「指揮所演習」もまた(自衛隊内での定義はさておき)「ウォーゲーム」の一種だ。これまで日本のウォーゲーム研究は海外に比べて10年は遅れているとの指摘もあったけれども(*6)、我らが自衛隊がこの分野で決して惰眠を貪っていたわけではなかった。
そのことを表わしているのが、陸上自衛隊幹部学校が主催する「総合安全保障セミナー」である。
東京都目黒にある陸自幹部学校は、「将来の日本の安全保障戦略を考える」をテーマとしたシミュレーション演習「総合安全保障セミナー」を、平成16年度から毎年開催してきた。同セミナーに参加するのは、陸自幹部学校学生である自衛官諸氏及び民間の企業人や大学院生の総計百余名。参加者は各10名前後の研究グループに編成され、日本の防衛政策を立案・討議する職務を担うという役割演技を通じて、政策立案の模擬 的実務 (シミュレーション) のみならず民間と軍事それぞれの組織文化を学ぶ。これが「総合安全保障セミナー」の概要だ。
筆者は偶然、今年度 (平成21年)の「第6回総合安全保障セミナー」(2009年7月24〜28日)に参加することができた。その貴重な機会の内容を本誌を借りて紹介したい。
2.政策立案シミュレーションとしての「総合安全保障セミナー」 なお、今回を含めた例年の「総合安全保障セミナー」では、民軍を含めた参加者は「今後の国内外情勢等を踏まえ、見通しうる将来において日本が採るべき安全保障戦略について考察せよ。この際、思考過程、国家目的・目標等を含め、具体的政策提言を作成せよ」という課題を与えられ(*7)、各10名前後の研究グループ(以下「GP」)に編成された上で、約3日間のうちに「具体的政策提言」をグループ総意の発表として示さねばならない(今第6回では「見通しうる将来」は「10年」と設定された)。その際、発表は単に口頭で行うのではなく、3日かけてパワーポイント等を用いてプレゼン資料を作成し、更に2日間かけて陸自幹部学校側の審査員・他GPの構成員の前で示して彼らよりの質疑にも応答しなければならない。当然、発表準備に際しては、政策決定に必要な国際情報や法理論などを念頭に入れた上で、端的にいえば政策決定者「もどき」の立場に自らを準えて思考することになる。だからそれを、政策立案のシミュレーションと呼ぶのである。
さてセミナー中の各GP構成員(筆者の知る限り全員20〜30歳代)は、参加者に配布された「研究GP編成」(参加者限りなので、ここでは内容の紹介はできない)によれば、全て自衛官がその過半を占めると同時に、必ず2〜3名の非自衛官(官庁組、大学院生、民間企業など)を含むようになっている。言い方を換えれば、GP内の多数派である自衛官は少数の非自衛官と協力(ないしは説得)して意見を統一し、発表までの準備を進めなければならない、という状況が人工的に生み出されている。
従って各GPの発表内容を追跡すれば、現代日本の高学歴20〜30歳代(少なくとも若手の幹部自衛官)が考える「将来において日本が採るべき安全保障戦略」の平均像が見えてくるだろう。この意味でも総合安全保障セミナーは興味深い材料を提示しているのだ。
3.政策立案の「実務」を体感して――視覚化された戦略形成の場 上記セミナーの各GPは約3日かけて「安全保障政策」を立案後、2日間の研究発表を経て審査員の講評を受けるが、「政策」の具体的な中身については残念ながら非公開につき、又の機会としたい。ただ付言すれば、筆者の属したX-GP(仮称)では民主主義と国際法の擁護を核とした硬軟両面こそ日本流の戦略に相応しいと結論する一方、他GPの中には財政面から鑑みた核武装の是非、また列島津々浦々までコンクリートで覆い尽くす不沈要塞構想等を取り上げた所もあった。しかし全体の傾向としては民主主義的価値観に沿った内容が多かったことをお断りしておく。
ところでX-GPでの「政策」討議中に幾度も俎上に上ったのは、前述した軍民の組織文化の違い、特に「安全保障」の基本方針として自衛官側が「脅威(=国の安全を脅かす相手)の無力化」を重視したのに対し、筆者ら民間の参加者は「脅威すなわちライバル(=潜在的顧客)との共存」を掲げた点である。また討議時の判断材料となる世界情勢、国内の社会変動、科学技術についても、期せずしてその専門家や現場担当者が集ったおかげもあって、巷の書籍では到底お眼にかかれない複雑な内実が次々に開陳された。
一例として武器輸出禁止政策に関して言うなら、今や国際市場ではライフルやミサイルといった銃火器に加えて、ヘルメット・防弾チョッキといった防御兵器さえも、民間人が紛争の犠牲者となっているせいもあって取引が盛んらしい、等の非公式の情報も議題に上り、昨今話題となった「武器輸出三原則」とも絡んで「武器」という用語の定義自体を見直すべきではないかという知的刺激に発展した。こうした事例を繰り返しながら、参加者は互いの異なる文化、公共の場には現れにくい新鮮な情報に適宜触れながら討議を重ね、理念と現実の融合を模索したのである。
なお筆者は、以前に『軍事民論』第435号において、「総合安全保障セミナー」では主催者側が参加者を意図的にミリタリズム的思想へと誘導していたのではないかと考察していたが、今回直接に体験した限り、恣意的な誘導ないし強迫は全く見受けられなかった*8。逆に、監修に当たった陸自幹部学校教官の方々は民軍の間の意見交換が白熱し盛り上がるのを歓迎さえしており、してみると筆者の過去の考察には誤りがあった可能性を認めざるを得ない。読者の諸氏には、この場を借りてお詫び申し上げたい。
さて連日、深夜12時に至るまで交わされたX-GP内の議論は、場合によっては平行線を辿りつつ、時間をかければかけるほど建設的・相互交流的な性格を帯びていった。思うにその理由は、何といっても互いの見解を まず(賛否は別にして)GP内で共有しようという積極性・自由闊達の精神にあった。そこから導出できる結論は、円滑な政策立案のカギとは、精緻な理論武装よりも関係者の「やる気」「聴く耳」「話す口」つまり長い討議を推進するに足る気力・体力・社交力を政策立案者が備えているか、この点に掛かっているのではあるまいか。
ここで歴史を顧みるに、織田信長、ジュリアス・シーザー、ナポレオン・ボナパルトといった優れた指導者が少なからず老成よりも若輩の部類だったことを考え合わせれば、政策担当者にとっては上記3素質の方が、純粋な「年の功」より業績に大なる影響を与えると断言しても逸脱ではなかろう。少子高齢化の現状と照らし合わせてみると、奥の深い問題だ。
もちろん、人間の「やる気」「聴く耳」「話す口」は、常に直近の労働環境に左右される。別の言い方をするなら、政策立案という知的労働の出来不出来は、オフィスの広狭、空調・照明、同僚との団欒、果ては休憩時間の有無に至る諸々に影響される。例えば、休憩時に一杯のコーヒーを飲んで気持ちを切り替えられるかどうか、一刻前までの論敵と居酒屋で馬鹿話をして酒量を競って仲直りを図れるか否か、そうした「ムード」「会議の空気」の細事が国家戦略全体を拘束しかねない、という事例は『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』でも既に紹介されている(*9)。その重要性も、コーヒーメーカーを完備した総合安全保障セミナーの「実務」現場から改めて学び得るところだ。
戦略といえば、戦略研究者の石津 朋之(防衛省防衛研究所企画室研究調整官)は、戦略形成の諸要素を「戦略環境」「国内要因」「時代精神」の3点に集約していたが(*10)、新たに第4番目として戦略策定の司令塔・指導層が有する独自の「当事者心理」の揺れ動き、又は戦略担当者の言行を揺さぶる議場のムード・空気にも留意すべきではあるまいか。現場の空気や駆け引きは、書籍・文献といった間接的材料からのみでは決して理解しきれない。といって政策の現場を直に見聞するのは、その公的性質上どうしても一部の人員に限られてしまう。ここにシミュレーション演習の意義が立ち上がってくる。
表現を換えれば、既に19世紀のクラウゼヴィッツが述べた「平時の演習をして十分にその効果あらしめるためには、演習中諸障害の一部でも現出させ、指揮官をしてその判断、その用意の周到さ、あるいはその決断力をすら訓練させるようにすべきである」(*11)ということなのである。
むろん、以上は全て「模擬」の話に過ぎないわけだが、しかし現実のインテリジェンスや「戦略文化」(*12)を扱う研究者・ジャーナリストの諸氏の参考になることを願って記した次第である。
4.最後に:情報公開こそ安全保障の始まり セミナー修了式の後、参加者が帰宅する中、X-GP員の一民間人氏曰く「今まで自分は防衛に関心はなかったけれど、このセミナーであなた方幹部学校の学生とお会いして思ったのは、こういうしっかりした皆さんになら国防をお任せしても大丈夫だなということです」。
自衛隊が真に国民の信頼を得ようとするなら、唯在りのままの姿を国民に示すだけで良いのではないか、それも一つの安全保障に違いない。自らの姿を見せることさえ嫌がる官僚の在り様に、国民が安心を覚えるはずがない。民間人に自衛官との交流体験を与えるだけでも、このシミュレーション演習は効果を発揮したと言える。
蔵原大(くらはら・だい/本会研究委員)
【脚注】
(*1)2009年12月8日付『読売』第12版第13面掲載「近未来国際危機の模擬演習 そのとき世界は」。同記事で取り上げられた「国際関係シミュレーション(模擬演習)」は2013年から20年までの近未来を想定した模擬実験であり、日米その他の(実際の)政治家・学識者・ジャーナリストらが、「管理チーム」が運営する仮想の国際社会の中で「日本チーム」「米国チーム」「欧州連合チーム」「中国チーム」などに分かれて各国の政策実現に努めるゲームの体裁をとった。
今回のシミュレーション演習では、各参加者はそのチーム内の「大統領、首相、外相、民間企業団体代表など」の役割を演じたが、こうした形式の演習を学術的には「ロールプレイング」(Roleplaying)と呼び、欧米では冷戦期よりビジネス教育等に応用されている。
(*2) 欧米での現状を簡潔に説明するのはAlan R.Washburn(宝崎 隆祐 訳)「米国における軍事OR」『オペレーションズ・リサーチ』(財団法人日本オペレーションズ・リサーチ学会)第53巻(2008年10月号)。
(*3) ウィリアムソン・マーレー(小谷 賢 訳)「軍事改革と職業軍人教育―過去から未来へのプロローグ―」『年報 戦略研究』(戦略研究学会)第3号(2005年)158頁。
(*4) 戦争シミュレーションが「一兵卒の視野よりも将軍の視野」(a general’s-rather than a soldier’s-eye view)に焦点を当てている点を解説するのが、Philip Sabin,Lost Battles: Reconstructing the Great Clashes of the Ancient World , (Continuum Book, London, 2007) p.xv.
(*5) この思考実験の基本的定義については、過去30年に渡り市販用ウォーゲームを製作した、ジョージア州立工科大学教授のジェームズ・F・ダニガン(Dunnigan, James F.)著の"Wargame Handbook," Third Edition, Writers Club Press, 2000, pp.317-323を参照。
(*6) 元海上自衛隊将官の井川宏による「モデリング・シミュレーション(M&S)の現状分析」『DRC年報』(2001年。
http://www.drc-jpn.org/AR-5J/ikawa-j.htm. Retrieved Oct.31, 2006)中の諸指摘及び社団法人日本機械工業連合会日本戦略研究フォーラム「平成15年度最近の事例における防衛装備の質的変動と防衛機器産業への影響調査報告書」(2005年)109頁を参照。
(*7) 2004年(平成16年)7月に行われた第1回総合安全保障セミナーにおける「第1グループ」報告書(『軍事民論』第435号8頁紹介)を参照。
(*8) 蔵原「軍事力で全てを超越する−『新東亜共栄圏』を志向する2004年陸自幹部学校セミナー」『軍事民論』第435号(2008年6月9日)。
(*9) 戦略が迷走する一因が、例えば司令部内の「何をいっても無理だというムード」や「会議の空気を重苦しいものにした」、「統帥上の不信感」にある点は、戸部 良一、寺本 義也、鎌田 伸一、杉之尾孝生、村井 友秀、野中 郁次郎 共著「失敗の本質」(中央公論社 1991年)で、「インパール作戦」の計画決定(152〜158頁)、沖縄戦での「台北会議」(226〜230頁)等の例で紹介されている。
(*10) 「戦略環境」「国内要因」「時代精神」のそれぞれは、例えば組織を取り巻く世界情勢、組織内の既定路線、ある時代の人々が共有する一般的な認識といった物である。石津 朋之「戦略を考える三つの視点―第一次世界大戦前夜の事例を中心に」『国際安全保障』(国際安全保障学会)第33巻第2号(2005年9月)を参照。
(*11) クラウゼヴィッツ(清水 多吉 訳) ( 「戦争論」上巻 中央公論新社 2001年)141頁。
(*12) 「戦略文化」とは概ね「地理、天候、資源、歴史、技術などの諸々の環境によって規定される思考や行動の基準であり、政策や戦略の決定因子として機能する」諸々を指す。Jeffrey S. Lantis and Darryl Howlett, "Strategic Culture", John Baylis, James J. Wirtz, Colin S. Gray and Eliot Cohen (eds.), Strategy in the Contemporary World: An Introduction to Strategic Studies―2nd ed (Oxford University Press, 2007), pp.86-89.