【テーマ連載】『ファンタズム・アドベンチャー』を語ろう(第2回)
わたしと『ファンタズム・アドベンチャー』
仲知喜 (協力:岡和田晃、田島淳、齋藤路恵、高橋志行)
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学生時代、ぼくは会話型RPGに夢中でした。放課後セッションにとどまらず、登校前に友人宅でダンジョン探索。ぼくと同世代の方々――現在30代後半から40代――共通の思い出だと思います。その頃遊んでいたゲームは、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(クラシック)、『ストームブリンガー』(第2版)、『クトゥルフの呼び声』(第2版)、『指輪物語ロールプレイング』(MERP)、『トンネルズ&トロールズ』(第5版)……。懐かしい名作・傑作ばかりです。そんなゲームの中でひときわ記憶に残る作品があります。それが『ファンタズム・アドベンチャー』です。
![ファンタズム・アドベンチャー (ファンタズムアドベンチャーベーシックルール) [大型本] / トロイ クリステンセン, 草山 浩章, 清田 充規, 武田 邦人, 小島 豊喜 (著); 大日本絵画 (刊) ファンタズム・アドベンチャー (ファンタズムアドベンチャーベーシックルール) [大型本] / トロイ クリステンセン, 草山 浩章, 清田 充規, 武田 邦人, 小島 豊喜 (著); 大日本絵画 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61rJBSbMgZL.jpg)
『ファンタズム・アドベンチャー』は、1988年、大日本絵画から出版されたファンタジーRPGです。 このゲームのメイン・デザイナーは、トロイ・クリステンセンさん。当時、大日本絵画は、「ゲームグラフィックス」というアナログゲーム雑誌を出版しており、『ファンタズム・アドベンチャー』は「ゲームグラフィックス」の看板ゲームでした。
ルールブックの裏表紙には次のようなうたい文句が書かれています。
地球から遠く時と時空を隔てた惑星モノカン。そこには様々な形態から進化した知的生物と、彼らをはるかに上回る種類の生物が棲んでいます。惑星上の小さな大陸アニス。そこがロールプレイの出発点になります。あなたは、存在する多くの知的生物の中から、好きな種族をキャラクターとして選んで下さい。そして、そのキャラクターを第2の自分として、血に飢えたキャラクターや死の罠の数々が待ち受けている果てしない冒険へ挑んでゆくのです。ファンタズム・アドベンチャーは、大いなる危険と終わることのないスリルに満ちたファンタジー・アドベンチャーです。
『ファンタズム・アドベンチャー』はどいうゲームか、一言で言い表すのは難しい。
プレイヤー・キャラクターとして選択可能な種族はエルフ、ジャイアント、ピクシー、セントール、オーク、ガーゴイル、トレント(!)、マンティコア(!!)、スリッジ(アメーバ……)など基本ルールブックだけで79種類。キャラクターは「氏族」という中世のギルドのような同業者組合に所属することで、いわゆる『クラス』のような特徴を持ちます。同時に、キャラクターのレベルアップは「氏族」内の地位の上昇として表わされます(地位が上がるにつれ、使用可能な武器やサービスなどさまざまな恩恵が解除される仕組み)。すべてのスキルには決定的成功と致命的失敗表が設けられ、戦闘には鎧や武器の消耗、ダメージによるショック、特定部位への攻撃、大きさの違いによるダメージの変化や命中修正など細かいルールがあります。魔法使いは独自の魔力獲得パターンや行使のスタイル(ジェスチャー、詠唱、踊り、歌唱など)を自由に選択できます。いくつもの「神話」が共存するエキゾチックな宗教設定。そして、ファンタジーゲームの世界設定といえばトールキンに代表されるハイ・ファンタジーが多い中、大勢の異種族と社会体制、魔法と異形の科学が共存する惑星モノカンは、ジャック・ヴァンスの『終末期の赤い地球』 や M.ジョン・ハリスンの『パステル都市』のようなサイエンス・ファンタジー色の濃い世界設定でした。

「異色」。『ファンタズム・アドベンチャー』にふさわしい言葉です。
わたしのゲーム経験でもファンタズム・アドベンチャーは特異な位置を占めています。そもそも、異種族(デミヒューマン)といえばエルフ、ドワーフ、ハーフリングぐらいしか遊んだことがなかったのに、いきなりスリッジやマンティコアが選択可能になるのですからね。身長3メートルのジャイアントがどれだけひっそり行動するのに不向きなのか身を持って体験したり、トレントの盗賊が鍵明けに挑戦するさまを想像してみんなで大笑いしたり、このゲームは強烈な印象を与えてくれました(笑)。
でも、失礼を承知のうえで言わせてもらうと、『ファンタズム・アドベンチャー』は謎の多いゲームでした。その頃、遊んでいたゲームの中では飛び抜けて個性的なゲームでありますが、振り返って考えると自分がその魅力を理解していたとは言い難いのです。
このたびのトロイさんへの質問には、そういった疑問をぶつけてみたいという気持ちがありました。「ファンタズム・アドベンチャーとは一体なんだったのか?」
トロイさんの回答は、残念ながら、ぼくが予期していたものでありませんでした。例えば、「ファンタズム・アドベンチャーの種族の多いところはラリー・ニーヴンの『リングワールド』に影響を受けたんだ」そういうデザインコンセプトの答えを予想していたのです。ですから、しばし、悩んだんですよ。なんだろうこれは、と。この人はなにを隠してるんだ(笑)。
もやもやした気分のまま数日が過ぎ、気が付きました。古いRPG雑誌に載ったキャンペーン設定の作成に関する記事を思い出したのです。そこで紹介されていたのは、「世界設定を自作するにあたり、いきなり膨大な設定を決めたりせず、最初はプレイヤーの暮らす村や町など(いわゆるホームタウン)周辺のみの設定にとどめ、その後、キャラクターの行動範囲が広がるのに合わせて(GMのシナリオの展開にあわせて)どんどん設定を拡張していく」という手法です。
そこでパッと閃いた。つまりトロイさんは最初から、今ある形の『ファンタズム・アドベンチャー』を想定してデザインを行なったというよりも、プロトタイプでのプレイを重ねながら、少しずつ手を加え、『ファンタズム・アドベンチャー』を仕上げていったのではなかろうか。実プレイの積み重ねによって生まれた記録の集合体が『ファンタズム・アドベンチャー』なのかも知れない。
そういえばわたしにも似たような経験があります。むしろ、手元にあるのは一冊のルールブックだけ、世界設定も追加ルールも英語版で入手するのも読むのも夢のまた夢なんて状況では、ゲームのプレイはそうせざるを得なかったんですよね。名前も考えてなかった小さな村がホームタウンになり、ふとした拍子に登場したNPC(ノンプレイヤー・キャラクター、GMが演じるキャラクターのこと)がその後重要な役割を持つようになり、全滅寸前のパーティへの救済策として都合主義もはなはだしいオリジナルのマジックアイテムを登場させて後付で隠された伝説をひねり出したり、あるシナリオで救出した伯爵の娘とキャラクターの一人が婚約したり……。
あの当時の記録を集大成したら、ちょっとしたD&Dの自家製ルール集兼キャンペーンガイドできるかもしれません。あの当時は多くのゲームマスターがそうだったように記憶しています。何層にもなる手書きダンジョンマップ、部屋ごとの細かい描写、NPCのリスト、人間関係図、王国とその近隣国の設定など、ノートにまとめていませんでした?
というか、あのグレイホークやフォーゴトンレルム、グローランサだって、そういう過程を経て創られていったんですよね!
トロイさんの発言から『ファンタズム・アドベンチャー』の成り立ちについて想像を膨らませるうちに、だんだん『ファンタズム・アドベンチャー』に不思議な親近感がわいてきました。同時に、昔懐かしいゲームをもう一度じっくり遊んでみたいという気持ちが高まりました。
しかし、この年齢になると、学生時代のようにはゲームに時間を割けません。それに、人生には「ゲームどころではない」という事態が人生には思いのほか多いです。
昔のようには遊べないかもしれません。でも、ある時期、ある世代、RPGを遊んだ人たち、自作の世界設定を作り、壮大なキャンペーンを行なっていた人たちがいた。そんなゲームの「達人」――彼らのような人をこう呼ばせてください――が、腕を錆びさせてしまうのはあまりにももったいないんじゃないか。
最後に、唐突になりますが、わたしの体験談をお話しさせてください。わたしのゲーム関係の知人に東北地方太平洋沖地震で被災した方がいます。彼の家は、地震の被害は最小限だったそうです。それでも、断水や停電が1週間以上続いたそうです。彼とオンラインで連絡が取れたのが震災発生から2か月以上後のことでした。心配する私に彼が笑ってこう言っていました。「なんとかやってる。いやー、ゲームどころじゃないよ」。そのあとでいつものようにゲームの話題になりました。わたしから見た彼はいつもの会話ができて心底ほっとしているようでいて、どこか、なんといえばいいのか、壮絶でした。それ以来、ぼくの中にある考えが浮かぶようになりました。
「ゲームのある日常とは何か」
実のところ、まだ、答えは出ていません。
「ゲームどころではない」という事態が人生には思いのほか多い。という事実は40年も生きていれば身をもってわかっているつもりでした。でも、その時初めて、我々がゲームを楽しんでいる日常っておそろしくあっさり崩壊するもんなんだと、痛感したのです。
そこで、こう自問する。
「だからこそ平凡な日常で、ゲームにしかできないことはないだろうか?」
難しいです。
だが、やってみないことにはならないと思うようになりました。少なくともその価値はある。なにより、ゲームの素晴らしさは自分が一番よく知っているからです。
「ここらでいっちょう時間も手間のかかるゲームにしっかり取り組んでみよう」
そう考えながら、数年ぶりに押入れから出してきた『ファンタズム・アドベンチャー』を手近な本棚に 戻したのでした。
「忙しい」を口実に楽な方に逃れてはいないかと自戒の念も込めつつ。