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Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)& イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN 豊島区心身障害者福祉センターを開催します! 草場純、岡和田晃
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Analog Game Studiesでは、ゲームとそれ以外の社会的要素を繋ぐことを大きな目的としています。
アナログゲームは、人と人とのコミュニケーションを促進し、よりよい社会参加を可能にするツールとして、大きな可能性を秘めていると私たちは考えています。そのため、福祉分野への応用可能性を研究し、ささやかながら実践に移してまいりました。
今回はその一環といたしまして、
“東京都成人(大人)発達障害(アスペルガー・ADHD等)当事者会「Communication Community・イイトコサガシ」ピアサポート・グループ”(以下、「イイトコサガシ」)さまと協力する形で、発達障害当事者(アスペルガー、ADHD、高機能広汎性等自閉症スペクトラム)にとって、コミュニケーションを試せる心地のよい「機会」となることを目標とするイベント「現代におけるわらべ遊びの数々」を開催することとなりました。
講師を務めるのは、Analog Game Studies顧問にして、「
伝統ゲームを現代にプレイする意義」を連載した草場純氏となります。発達障害当事者の方々、支援者の方々、あるいは発達障害当事者の方々との楽しいコミュニケーションのチャンスを持ちたいと思われている方々、この機会にぜひお越しください。
イベントの詳細、および申込み方法や諸注意などは、
「イイトコサガシ」さまのWebサイトをご覧ください。
※Analog Game Studiesでは、申込みを受付けておりません。あらかじめご了解をお願い申し上げます。・2012年3月29日(木)Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN豊島区心身障害者福祉センターhttp://iitoko-sagashi.blogspot.jp/2012/03/2012326analog-game-studiesin.html 「わらべ遊び」(童遊び)とは、伝統ゲームの一種で、昔ながらの子どもの遊びのことを意味します。
慌ただしい日常、一時、童心に帰ってみるのはいかがでしょうか。いずれもゲーム性に優れたものばかりで、子どもの遊びだからといって、決して侮ることはできません。
現在、童遊びの中には、その遊びを知っているお年寄りが亡くなってしまうことで、遊びの継承が途絶えてしまうことが多くなっています。この機会に、ぜひ皆さまも童遊びを体感してみてください。
当日は、次の童遊びをみんなでやりながら覚えていただく予定です。覚えたらよそでも遊んでみてくださいね。
童遊びは童歌と強く結びついています。というより、古い童歌はみな遊びが付随していると言うべきでしょうか。遊びの名前とそれがどんな遊びなのか、簡単なリストを用意いたしました。
これ以外に歌のない遊びがたくさんあります。
一回ではとても遊びきれないので、このうちいくつかをプレイすることになります。
【童遊びの紹介】
『黒猫』 鬼交代の遊びです。鬼交代というのは、プレ鬼ごっこ、鬼ごっこの前段階の遊びです。
『鍋々』 ミキシングの遊びです。よく知られているナベナベとは二番が少し違います。
『青山墓地』 東京の手合わせ遊びです。これは知っている人も少しはいるかな?
『あんた嫌い』 罰遊び。今の言い方だと罰ゲームですね。
『お爺さんお婆さん』 鬼交替です。掛け合いがあるので黒猫より少し高度。
『蛍来い』 鬼交代ですが、輪も動くのでかなり高度ですね。
『なかなかほい』 リズム遊び・動作遊び
『お茶を飲みに』 ミキシング。
『烏・数の子』 増やし鬼。盛り上がります。
『堂々巡り』 文字通りどうどうめぐりの遊びです(笑)
『つうながれ』 いわゆる蛇ごっこです。
『竹の子』 これは身体接触の遊びですね。
『おてぶし』 当て物遊びです。古くは臓鉤と言った遊びです。
『今年の牡丹』 演技と問答の遊びです。
『子取ろ鬼』 子取り鬼とも言います。これは江戸時代の本にも載っているので知ってるかな?
『えべっさん』 鬼決めです。
『つる』 蛇ごっこですが、鍵遊びにも使います。
『どんど橋』 橋落としです。ロンドンブリッジと伝承関係があるのかも??
『初めの一歩』 動作遊び。よく「だるまさんがころんだ」と呼ばれる遊びです。
『あぶくたった』 創作問答の遊び
『花一匁』 人取り遊び。
『たまりや』 守り鬼遊び。
『釜鬼』 留守鬼遊び。
『梅と桜』 問答遊び。
『いっちくたっちく』 鬼決め。
『げっくりかっくり』 縄跳び遊び。
『くまさん』 縄跳び遊び。
『いろはに金平糖』 障害物。
(リスト作成:草場純)
なお、本イベントの開催に先んじて、Analog Game Studiesの有志は、「イイトコサガシ」さまの主催する
「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」に参加し、発達障害の方々とコミュニケーションを楽しむ機会を得ました。
まず、「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」についての説明は、お手数ですがイイトコサガシのウェブサイトの紹介文をご覧ください。
・「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」の説明 http://iitoko-sagashi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_23.html そのうえで、以下の「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」に参加した草場純氏のレポートをお読みくださり、「現代によみがえるわらべ遊びの数々」参加にあたっての参考としていただければ幸いです。(岡和田晃)
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「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」(イイトコサガシ)に参加して 草場純
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他人とコミュニケーションをとりにくい人に、ワークショップ、アイスブレイク・ゲームなどを通して、コミュニケーションの手がかりやコツを提供していくというのは、とても有意義な営みだと思いました。
展開されたアイスブレイク・ゲーム(導入のための簡単なゲーム)の一つ一つもよく発案され、よく工夫されていました。
またファシリテーターの説明は、言葉も明瞭で、指示が大変具体的で分かりやすく、次に何をやればいいかが参加者にはっきりわかって感心しました。指示が曖昧ですと、不安になったり意図せずイレギュラーな行動になったりしがちですが、明確なめあてと見通しがあれば、人はその能力を十分に発揮できるものだと認識を新たにしました。
一番感心したのは、一つ一つのアイスブレイク・ゲームの後に、それが何の練習であったか、何のために行われたかの狙いについて、逐一詳しい説明がなされたことです。この解説を通して、何が養われたかが再認識されるだけでなく、参加者にとっても、いわゆるアスペルガーと言われたりする人たちが何を問題として抱え、何が越えにくい障壁として感じ、そしてそれを越えるためにはどうしたらいいかが、具体的な道筋と方法によって示されることになります。つまり具体的な行為を通して、参加者の抱える問題のありどころが解析されていくことになるなるのです。
理解は超克への第一歩だと言われます。自分の、あるいは仲間の抱える共通の問題は何かを理解することは、それを乗り越えていくことの第一歩なのだと深く感じとりました。
と、同時に、こうしたアイスブレイク・ゲームの一つ一つが、逆に発達障害当事者の方々の困難さを解析し逆算して、「こういう困難を抱えている。それは例えばこんなことが原因の一つになっている。ではその原因に対処するアイスブレイク・ゲームとしては、こんなことではどうだろうか。」と工夫し、考案されたものだということが、見て取れます。すなわち一つのアイスブレイク・ゲームの背後には、そうした考察と工夫と実践とそのフィードバックがたくさん潜んでいるのだと思われるのです。
互いに肯定しあい、認め合い高めあう傾向にも感心しました。決して批判しないというのは、案外難しいことです。自らの梁には気づかず、他人の塵にはよく気づくのが人間の性です。しかし絶対批判しない、必ず褒めるとなれば、人間の性に寄りかかってはいられません。他人の褒めるべき点をどうあっても探さなければならないわけです。これは他人への肯定的な眼差しを生みます。肯定的な眼差しは人に安心感を与えるでしょう。
逆の方面から見てみると、絶対批判されないとわかっているからこそ、安心してアイスブレイク・ゲームに取り組むことができ、安心して自分を出すことができるのだと思います。肯定的な眼差しの中でこそ、人はのびのびとできるのだと思います。特に傷を負ってきた人は、深く癒されることでしょう。
ただし、強いて言うなら、実は褒めることは難しいことなのだと思います。
例えば自分に即して考えて見ましょう。自分が自負していること、自身が努力したこと、などを褒められるととても嬉しいものです。しかし、そうでないことを褒められると、ちょっと複雑です。もちろん自分の新たな良さを見つけることもあるでしょうが、ピント外れだと感じたり、ひどい場合にはからかわれたと感じることすらあるかも知れません。
これは、決して褒めることを否定しているのではありません。褒めることには、前述したような様々な効果があります。ですから褒めるなと言いたいのではなく、褒めるためには、本当によく相手を見なければならないと言いたいのです。それを促すためには、ファシリテーターは、時に褒め方を褒める必要があるでしょう。なかなか難しいことですが。
最後に童遊びとの関連を述べてみます。
日本の童遊びは、日本の文化の中で伝承されてきたものです。しかしながら、戦災や、戦後の混乱、そして高度成長による社会の変容の中で、多くは失われ、忘れ去られ、今消え去る寸前です。では単にそれを復興すればよいかというと、それほど単純なものではありません。
童遊び喪失の背後には、それを支えてきた遊び集団の消失があります。これはもうおいそれとは戻ってきません。みんなで多数集まって遊ぶ遊び集団ではなく、みんなで少数集まって銘々携帯デジタルゲームをやる時代なのです。とするなら、童遊びは既にその役割を終えたと言うべきなのかも知れません。
けれども、童遊びの中には我々(の前の世代ぐらい)が伝承してきた、日本文化の知恵が詰まっています。上記の文脈でそれを捉え返すならば、それは集団コミュニケーションの手段であり、ツールなのです。そうした意味で現代に生かせるならば、それは生きた伝承と言えるのではないでしょうか。願わくば童遊びの中から、新たなアイスブレイク・ゲームの素材を見出していただきたいものです。
もう一点問題なのは、童遊びは古くからの口承伝承という側面があり、現代の観点からすると、時として差別的であったり、あるいは悪口雑言に近いものが混じっていたりすることがあります。童遊びはコミュニケーション・ゲームなので、こうしたものをどう捉えるのかという点においては、難しい問題を孕んでいます。
まずは大前提として、ゲームによって差別が容認されること、差別が助長されることは、あってはなりません。そのうえで、参加者の心情をいたずらに傷つけないよう配慮をしつつ、童遊びの歴史的な意義を学んでいくことが大事になります。これについては、今後とも、皆さんと一緒に考えていきたいと思う次第です。