2023年07月08日

ファンタジーRPGと時間論


 2023年6月9日配信の「FT新聞」No.3789に、「ファンタジーRPGと時間論」が掲載されました。これは「FT新聞」No.3781の「『ブルーフォレスト物語』の背景世界」の補足記事も兼ねています。

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ファンタジーRPGと時間論

 岡和田晃
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 『ケン・セント・アンドレによるズィムララのモンスターラリー(Ken St Andre’s Monsterary Zimrala)』の印刷版が私のもとにも届きました。これは『モンスター! モンスター!』の第2版をベースにした汎用ワールドガイド&モンスター集です。
 改めて印刷版で読んでいくと、ズィムララには月が7つあると書かれていました。
 おお、月が7つ! 真っ先に思い出されるのは『ルナル・サーガ』です。こちらは汎用システム(『ガープス』)用の背景世界なのですが、別に『モンスター! モンスター!』でプレイできないわけではありません。ただ、『ルナル・サーガ』での七つの月が、どことなく繊細で寓意的な陰影をたたえる設定なのに対し、ズィムララの月はもっと突拍子もない感じ――としか形容しようのないもの――になっています。
 『ズィムララ』はそもそも地球とは全く別の星のようですし、『ルナル・サーガ』にしても、別に宇宙物理学的な観点から7つの月を考察したりはしません。太陽系の惑星をベースにRPGをプレイしたいなら、『エクリプス・フェイズ』をお勧めしたいのですが、実は『ウォーハンマーRPG』にしても月は2つあります。こうした月が2つ以上あるRPGを見ると、私はどうしても名著『T&Tがよくわかる本』に書かれた教訓が脳裏をよぎってしまいます。

「月の数とか、カレンダーとかあまり妙にいじくらないほうがいい。月は一つで十分だし、一年三六五日のカレンダーでかまわない」

 だだーん! これはオリジナル・ワールドを作ろうとするゲームマスターへの指針を解説する章に出てくる文言です。耳が痛い人も多いのではないでしょうか――もちろん、これは初心者用のアドバイスなので、腕に覚えがあるGMは月や暦をいじっていただいていいと思いますし、これまで言及した作品はいずれも、月の数を増やすことによって世界観に奥行きが与えられているのは確かです。「妙にいじくらないほうがいい」というのは、思わぬところに落とし穴がありがちだから、ということなのです。
 何にせよファンタジーなのですから、必ずしも科学的に月の位置付けを決める必要はない、とイメージ優先で割り切った解決策を取るのも一つの方法ですし、付言すればそもそも、我々は地動説をベースに教育を受けますが、天動説のような考え方が無くなったわけではありません。占星術のなかには天動説をベースにした考え方を採用したものもありますし、デューラーの版画『メランコリア』に見受けられるような、“土星は憂鬱質”というアレゴリーは、天動説に基づいており、エンブレムという形でアレゴリー化され、あちこちでお約束として残存しています。このあたり、より詳しく知りたい方はエンブレムを哲学的に考察したベンヤミン『ドイツ悲哀劇の根源』をお読みください。

 それでは暦はどうなのでしょうか? 「FT新聞」No.3781の「『ブルーフォレスト物語』の背景世界」で、私は『ブルーフォレスト物語』の背景世界シュリーウェバにおける時間について、次のように書きました。

「この世界は1日が180日で、6ヶ月で1年が終わります。1日の長さは我々の知る時間と同じ長さなのですが、およそ2倍の速度で時間が流れるというイメージでしょう。(……)
 平均寿命は男性50歳ほど、女性60歳ほどとなります。ちなみに岡和田は41歳なので、シュリーウェバの冒険者ならば大ベテランで、かつ孫がいてもおかしくないということになります。」

 できるだけ短い言葉で要約しようとしたあまり、見方によっては混乱を招きかねないものになってしまっていたようです。いまいちど整理しましょう。シュリーウェバでは、我々の世界における半年が1年。つまり時間が2倍流れる。そして現実世界を生きる岡和田が41歳ならば、シュリーウェバでは約2倍、82〜83歳に相当するのではないか、という話にもなりかねません。
 実はルールブックには、シュリーウェバの冒険者は30歳くらいでよく死ぬという話もあります。そこで計算をわかりやすくするため、現代日本人の平均寿命を仮に82歳とし、シュリーウェバの冒険者・非冒険者を交えた平均寿命を41歳だと仮定すると、なんとシュリーウェバでは現代社会の4倍の速度で時間が流れる、ということになってしまいます!

 ――ただ、実のところ、私は先の記事を書いた際、岡和田が41歳と書いたのは、あくまでも“シュリーウェバ時間のなか”で41歳と意味したつもりで、シュリーウェバ人の立場に成り代わって考え、現実社会のことを想定してはいませんでした。
 というのも、時間というのは客観的に遍在するかに見えて、実のところ主観的なくびきであるからです。生物学者ユクスキュルは『動物から見た世界』で「環世界」という概念を提示しました。世界に生きる動物たちは、各々の主観的な世界をそれぞれ生きているのだという考え方のことを意味します。
 ウスバカゲロウは数時間から数日で死にます。では、ウスバカゲロウはそれほど儚い存在なのでしょうか。当のウスバカゲロウがそう認識しているとはあまり思えません。彼らにとっての1日は、私たちが体感する一生涯の時間よりも、ともすれば長いのかもしれないのです。つまり、世界には各々の主観に基づいて構成される時間軸がそれぞれ存在するだけで、超越的な観測者は存在しないというわけです。

 こうした「主観」としての時間という考え方は、実のところベルクソンやフッサールの現象学、あるいはハイデガーの存在論とも密接に関わってくる現代思想の屋台骨ですが――そちらに深入りする前にシュリーウェバに話を戻せば、浦島太郎やリップ・ヴァン・ウィンクルのように現代人がシュリーウェバに行くと4倍の速度で老化する、という話にはなりません(ただ、参加者の同意が得られれば、そうしたシナリオを遊ぶのも面白いだろうとは思いますが)。
 シュリーウェバ人として生きることは、シュリーウェバにおける因果律を受け入れる、という話であり、それは1年が180日の世界を私たちが365日を生きるのと同じように過ごす、ということになるでしょう。体感的には、現実よりも“長い”ことすらありえます。
 時間線が主観的に紐づくという考え方を採用したSFに、アルフレッド・ベスターの「モハメッドを殺した男たち」となる傑作があります。あるいは浜辺の砂の城をすみかとし、満潮で城が崩されるまでのほんの数時間の生命しかない妖精の生涯を扱うジェフリー・フォード「イーリン・オク一代記」も読み応えがあり、ファンタジーRPGにおける時間論を考えるにあたって、大いに参考になるでしょう。

posted by AGS at 21:31| ブルーフォレスト物語小特集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする