2022年06月29日

『ウォーハンマーRPG』を愉しもう! Vol.23

 2022年6月16日配信の「FT新聞」No.3431に、「『ウォーハンマーRPG』を愉しもう!」Vol.23が掲載されています。複数プロットの話題の続き。ケイパー・コメディとゲームブック、シナリオ「オペラ座の夜」にも触れております。バロック悲哀劇に関してはベンヤミンがソース。

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『ウォーハンマーRPG』を愉しもう! Vol.23

 岡和田晃
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 ぐるぐると渦を巻いてきた死者たちの感情は、懸命に何かを訴えかけている。
 無実の罪で焼き殺された人々の霊だ……。
 いや、こちらはチーズを食べただけで身体が爆発してしまった人も……。
 やり場のない感情に共鳴し、胃の調子がおかしくなってきた。
 呪いは、なぜ呪われるのかを問わない者にはほとんど効かない。そのように教えられたことを、思い出した。
 霊の感情を解きほぐすことはできない。ただ、チーズと爆発に因果関係があると思えなかった不条理さについては、感情ではなく論理で受け止めるべきものだ。
 −−魔女レジーナが書き遺した手記「ありえざる遭遇」の章より

●RPGにおける二重の視点

 「複数プロット」をテーマに据えた本連載の前回は、思いのほか広い層の方々から反響を頂戴しました。
 普通に楽しく遊ぶうえではあまり意識されることはありませんが、RPGは明らかに、既存の物語構造を解体し、再構築するという側面があるからでしょう。
 だからこそ私も、文芸評論の仕事をしながら、不惑に至るまでRPGを続けてこられたのですが、RPGにおいては、ゲームへ「没入」し体験するという視点と、物語構造を超越的かつ俯瞰的に捉えるという視点が、自然に同居します。
 こうした経験を解きほぐして説明するのは意外に難しく、かつゲーム中はフォーマルな書き言葉ではなく話し言葉で進行するので(あるいは、書き言葉で記されたシナリオを話し言葉に「翻訳」しつつ進めるため)、既存の理論にまるごとすっぽり収めるような形での論述は難しいわけですが……。にもかかわらず実際にプレイすると、このことは身体レベルですんなりと飲み込めてくるはずです。
 ごく単純な、ダンジョンへ潜ってオークを退治するだけの仕事でも、いかなるプレイヤーが参加し、どのようなキャラクターがどう行動するかで、展開は千変万化します。とすると、「複数プロット」のシナリオについては、まさしく天文学的な進行パターンが予測されうるわけです。しかも、たいていのセッションは1 on 1形式ではなく、4〜6人のプレイヤー・キャラクターが参加するもの。
 となれば、余計に起こりうるセッションはカオスに近づいてきます−−「混沌」はレルム・オヴ・ケイオスから訪れるだけではなく、すぐそこに潜んでいるということなのかもしれません(笑)。

●ケイパー・コメディ

 『眠れぬ夜と息つけぬ昼』は、1960〜70年代のケイパー・コメディを一つのモデルと意識して組み立てられているのだと断られています。ケイパー・コメディとは、犯罪者視点で事件を描いたコメディで、名作とされる映画が多数あります。
 私が一点オススメするとしたら、サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』(1972年)でしょうか。ジム・トンプソンのノワールを原作とする、銀行強盗夫婦の逃避行を描いた作品で、アクションが見事なのはむろんのこと、一癖も二癖もある奴らしか出てこない残酷な世界の描き方が、実にオールド・ワールド的です。
 ちなみに1960〜70年代縛りを外せば、コーエン兄弟の映画なんかもケイパー・コメディに入れてかまわないと思うのですけど、これについてはナラティヴ・RPGの代表作の一つといってよいだろう『フィアスコ』(ハロウ・ヒル、2018年)が、そのドタバタぶりを遺憾なく表現しておりますね。

●例としての『ルパン三世』

 が、おそらく日本人ゲーマーにとって、いちばんわかりやすいケイパー・コメディの例は『ルパン三世』なのではないかと思われます。
 飄々としてすばしっこいルパン、ガンマニアのええかっこしいである次元、義理堅い斬鉄剣使いの五右衛門、憎めないファム・ファタルの峰不二子、そして、どこまでもルパンを追いかけてくる銭形警部。
 個性の塊のような悪人たちが織りなす珍道中の数々は、『ルパン三世』ゲームブックの第一巻『さらば愛しきハリウッド』(吉岡平著、塩田信之編、双葉社、2021年)が復刻されて話題を呼びました。この作品など、ルパンと次元が砂漠を放浪するところから始まり、途中で合流する五右衛門や不二子らにも独自の目的があります。
 ゲームブックなので当然、展開は分岐していきますが、同書の巻末で塩田さんが解説しているように、分岐先は無限に枝分かれして細分化されていくのではなく、合流パラグラフというものが設定されています。
 要するに、この合流パラグラフが、「複数プロット」のシナリオにおけるタイムラインに相当するものなのでしょう。

●『さらば愛しきハリウッド』と「バディもの」

 『さらば愛しきハリウッド』では、砂漠を超えると映画撮影の場面、それが終わるとさらに別の場所へと、展開は目まぐるしく変わっていきます。数値は最小限のものしか使わないため、読者が注意を集中するのは、やはり展開の分岐でしょう。
 ところがゲームブックにおいては、基本は『ファイティング・ファンタジー』のように、「君」の二人称をベースに進んでいくため、視点人物を多極化させることはかなり難しい。
 私の場合は、T&Tソロアドベンチャーとして、無敵の万太郎と岩悪魔シックス・パックの凸凹コンビが織りなすソロアドベンチャーを8作書いているのですが、基本は万太郎視点を取りながらも、冒頭はまるまる岩悪魔視点による「別の物語」を提示し、ある場面ではツッコミ役、別の場面はでボケ役、別のところでは解説役など、シックス・パックの視点を自然に書き込むことで、複数的な視座が生まれるように気を配っています。
 最近では「バディもの」とも言われる、ホームズ役とワトスン役のコンビで進める物語形式は、ゲームブックにはよく見合っており、まだそこまで多くの作例がない鉱脈だと思います。
 『さらば愛しきハリウッド』では、ルパンと次元の「バディもの」として進んでいく部分があり、シリーズ第1作とは思えないほど、うまく処理されています。ただ、合流パラグラフを頻繁に設けるなどして、うまく手綱を締めてやらないと、ゲームブックで複数プロットはやりづらい部分がないでもありません。

●「大人の事情」も意識せよ

 「ホワイト・ドワーフ」誌でサポートされていたRPGのうち、『ウォーハンマーRPG』は−−管見の限り−−まるでゲームブック形式の公式ソロアドベンチャーが書かれていないRPGなのです。
 英語版の発売元であるゲームズ・ワークショップ社としては、ゲームブックのラインは『ファイティング・ファンタジー』、ミニチュアゲームのラインは『ウォーハンマー』という「棲み分け」を意識していたのかもしれません。
 あるいは、特に日本においては、1980年代のゲームブック・ブームが一段落してから、"次の弾"として『ウォーハンマーRPG』の展開が始まった部分があります。
 「ウォーロック」の最終63号(1992年)の編集後記には、最近の号では紙幅のほとんどを費して『ウォーハンマーRPG』にサポートを集中させた旨が書かれていました。
 つまり、ブームの対象が変遷をしているのにすぎない、とも言えると思います。そうした視点を保持しておきながら、なおかつ「複数プロットのゲームブックは可能か?」「可能だとしたら、どのような形に新規性があるか?」ということを考えてみるのも面白いのではないでしょうか。

●ゲームブックから考える

 推理ゲームブック『シャーロック・ホームズ10の怪事件』(二見書房、1985年)は、いま「GMウォーロック」誌等でフィーチャーされているボードの謎解きゲームの先駆とみなすことができます。このゲームブックは複数でプレイしたほうがずっと面白いのですが、『眠れぬ夜と息つけぬ昼』のように、各シナリオで7本ものプロットが同時進行ということはありません。
 模範プレイヤーとして提示されるホームズは数手で敵の真相を暴くという、ほとんどチート級の頭脳を誇りますが、多くのプレイヤーは真相について、「ああでもない、こうでもない」と起こっている状況を合理的に説明する(ものと思われる)プロットを複数パターン考えるものです。
 仮説はすべて当たっているとは限らず、あるいは全部が間違いなのかもしれません。ただ、事件の真相がマーダーミステリーのタイムラインに当たるものだとたら、謎解きを介してあれこれ真相とは別の物語を想定する行為は、本筋としての真相以外の複数プロットを生み出すことに近いのかもしれません。
 RPGのシナリオ・デザイン作法の記事や本は多々ありますが、複数プロットのシナリオに絞った指南書は−−当のシナリオ内での解説を除けば−−ありません。
 逆に言うと、このスタイルには可能性があります。『ウォーハンマーRPG』を介して、複数プロットの面白さを体感してみてください。

●「オペラ座の夜」

 前回予告した『眠れぬ夜と息つけぬ昼』の第3話「オペラ座の夜」についても、簡単に紹介しましょう。ネタバレはしませんが、何一つ予備知識を入れたくないという方はご注意いただければと存じます。
 本作はまず、オペラの概観のヴィジュアルと、舞台の具体的な地図が壮観で、そこにナルンの女侯エマニュエル・フォン・リーベヴィッツや、ウォーハンマー小説でお馴染み天才劇作家のデトレフ・ジールックまで出てくる豪華な作りの作品です。
 批評家のフランセス・イエイツはシェイクスピアのグローブ座を「世界劇場」と呼びましたが、以降の時代にオペラが上演されてきた劇場もまた、さながら自律した別世界そのものでした。
 あるいは、ガストン・ルルーの怪奇小説『オペラ座の怪人』は、ジャック・ヨーヴィルのウォーハンマー小説にも取り入れられています。華やかな舞台とみすぼらしい怪人という「陽」と「陰」の対比が印象的だからでしょう。
 いずれにせよ、自然とドラマティックな展開やメタ構造への仕込みが行いやすいため、オペラや劇場は、しばしばシナリオの舞台とされてきました。
 実際、私自身、ガンアクションRPG『ガンドッグゼロ』のリプレイ『アゲインスト・ジェノサイド』(新紀元社、2009年)を書いたときには、プーシキン原作・チャイコフスキー作曲のオペラ『エフゲニー・オネーギン』を取り入れています。
 わかりやすさを重視し、幕ごとの切れ目を実際のオペラとは変えているのですが、とはいえシナリオ執筆にあたっては、2008年の二期会公演、コンヴィチュニー演出の『エフゲニー・オネーギン』を鑑賞し、その雰囲気を取り入れられるように工夫しました。
 ちなみに、私が編集長をしている「ナイトランド・クォータリー」Vol.29(6月29日頃発売予定、アトリエサード)では、二期会会員のバス・バリトン歌手、畠山茂さんによるコンヴィチュニー演出『サロメ』に出演した経験についてエッセイを書いていただきました。こちらも参考になると思います。

●「オペラ座の夜」をより愉しむために

 「オペラ座の夜」で上演されるのは、あくまでもオールド・ワールドでの劇であり、我々の世界のオペラ、それそのものではありません。オールド・ワールドは主に、三十年戦争期の神聖ローマ帝国(ドイツ)をモチーフとしていますが、文化芸術の一部は、ヴィクトリア朝イングランドあたりを模倣しているところがあります。
 ただ、近代文学の特徴たる単線的で明確な時間軸・筋の通った物語・内面を有した登場人物をしっかり揃えた作品は、17世紀フランスの古典劇ですでにありました。
 他方、17世紀のドイツ・バロック悲哀劇は、現代から見るとしばしば支離滅裂で残虐。それをそのまま提示すると、リアルなはずなのにかえってリアルでなくなってしまう、ということに繋がりかねません。
 逆に言うと、シナリオのタイムラインをしっかり押さえつつ、理解の枠組みを超えない範囲で支離滅裂で残虐にすれば、自然とそれらしくなるわけです。そのためには、回り道のようで、しっかり資料を読んでいただくのがよいでしょう。
 本シナリオをプレイするにあたっては、GMはぜひ、ウォーハンマー小説『ドラッケンフェルズ』(ジャック・ヨーヴィル、待兼音二郎他訳、ホビージャパンHJ文庫G、2007年)は読んでいただきたい(あるいは、再読いただきたい)。欲を言えば、プレイヤーの方にも、読んでいただきたいと思います。盛り上がり方が段違いだからです。
 『クトゥルフの呼び声』(『クトゥルフ神話TRPG』)の名作キャンペーン『黄昏の天使』(1988年)には、プレイにあたって事前に『遠野物語』を読むのが推奨されるシナリオが含まれますが、それと同じこと。いきなり言われると面食らうかもしれませんが、これが、プレイしてみると自明なのです。
 マストではありませんが、ぜひ『ドラッケンフェルズ』にチャレンジいただきたい。そうすれば、「オペラ座の夜」は何倍も面白くなるでしょう。そうそう、「オペラ座の夜」というタイトルは、著名な「ボヘミアン・ラプソディ」を収めたクイーンのアルバム『オペラ座の夜』(1975年)を意識していますね……。