2021年04月21日

『ウォーハンマーRPG』を愉しもう! Vol.6


 2021年4月13日の「FT新聞」No.3002にて、「『ウォーハンマーRPG』を愉しもう!」のVol.6が配信されました。今回は、オールド・ワールドの宗教と信仰について、中世史、『指輪物語』、D&D、『メタモスの魔城』、T&T、『ハーンマスター』等と比較しつつ考察しています。

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『ウォーハンマーRPG』を愉しもう! Vol.6

 岡和田晃
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 ピンと来た。魔力の風を察知するのと、必ずしも一致しない、直感。
 わたしを身の危険から、いつも守ってきてくれた、生きるのに必要な原初の感覚だ。
 「真のダハール」に染まった魔術師が呼び出そうとしている脅威が何か、この魔狩人はよくわかっていない。
 なるほど、彼は魔女については、一定の知識があるようだ。似非魔術や俗魔術に何ができるのかも、これまで拷問にかけて火炙りにしてきた数々の魔女からの「耳学問」として、一定の知識はあるようだ。
 しかし、魔女の魔術と殺人の神カインの信者が起こす奇跡の違いを問われても、フレイザーは答えられないだろう。シグマーには狂信に近い敬慕の念をもっているようだが、そういった手合いに限り、他の神々にはほとんど無関心だからだ……むろん、そのことを認めるとは思えないが。
 ここにチャンスがある(ラナルズ・グリン)。
 混沌による汚染の拡大を食い止めて、かつ、わたしも吊るされずに済む道が。
 ――魔女レジーナが書き遺した手記「ありえざる遭遇」の章より

 前回は『ウォーハンマーRPG』における混沌と、その裏返しの「エーテル」について説明しました。しかし、オールド・ワールドにおいて、混沌の神々は、決してマイナーではありませんが、あくまでも日陰の存在であり、よりキャラクターたちの生活へ密接に結びついた神々が設定されているのです。
 そこで今回は、オールド・ワールドにおける神々と宗教について概観していきたい……ところなのですが、こと宗教の位置づけというのは『ウォーハンマーRPG』が、もっとも微に入り細に入り、こだわっている部分としても過言ではありません。

●生活と密接に結びついた宗教

 オールド・ワールドを扱った小説を読んでも、「こんちくしょう」に「シグマーズ・ブラッディ・ハンマー!」とルビが振られるなど、すなわち慣用句となるほどに、宗教が生活に密接に関わっているということが窺い知れます。
 いざ、ルールブックをめくってみたら、膨大な数の宗教が設定されています。それは初版の時からの伝統です。それでも物足りない方は、ぜひ『ウォーハンマーRPG』第2版の『救済の書:トゥーム・オヴ・サルヴェイション』(ホビージャパン、2009年)をご参照ください。
 教会が絶大な権力を行使していた中近世ヨーロッパがモデルにされており、かつ、一神教ではない多神教なので、ともすれば中世の異端信仰を総ざらいしたよりも、多くの神々が設定されていると言えるのかもしれません。

●「死」に関した神のあれこれも

 初めてオールド・ワールドの設定に触れた時、私は死を司る神モールが、単なる悪役ではなく、エンパイアの社会に自然に溶け込んでいることに、とても驚いたものです。
 しかし、『ウォーハンマーRPG』は死と隣り合わせの世界。死は対峙すべき敵ではなく、付き合い方を見極めなければならない、隣人なのです。
 いま、コロナ・ウイルス禍は、スペイン風邪や黒死病など、歴史上、世を席捲した疫病に擬えられています。一説によれば、中世ヨーロッパの人口の3分の2は黒死病で命を落としたと言われています。
 そして、オールド・ワールドにも、当然、黒死病はあるのです。それだけではなく、病気のカタログに一節が割かれているほど、多数の病気が存在します。
 それでは、病気をもたらす混沌の神ナーグルと、死の神モールはどう違うのでしょうか?
 実はまったく違うのです。ナーグルは腐敗を撒き散らし、混沌の力を広げるためには、手段を選びません。
 けれども、モール神は不自然な死を振りまくことに加担せず、結果として生じた死者を、正しく冥界へ送り届けることを旨とします。
 ゆえに、モールの信者は、混沌の信者はもとより、いたずらに死を弄ぶ死霊術師やアンデッドを、激しく憎んでいます。
 あるいはモールの兄弟神に、暗殺者と殺人者の神カインがいます。
 当然、オールド・ワールドではカインの信仰は禁じられているのですが、それではカインはナーグルのような混沌の神々の一柱なのかと問われたら、違うと言わざるをえません。
 確かに、カインを奉ずるあまりに気が狂った無差別殺人鬼ならば、より多くの死をもたらすため、流血の混沌神コーンと手を結ぶこともありえるかもしれませんが、カインの司祭は必ずしもいい顔をしないでしょう。
 請け負った殺しの仕事を確実にするためカインの力を借りようとする、誇り高い職人肌の暗殺者が、混沌の信者と混同されることをよしとしない例を考えてみれば、わかりやすいのではないかと思います。
 『ウォーハンマーRPG』の8大魔法学府の設定は、ハイエルフが介入しているだけあって、よく整理されているものですが、逆に宗教は史実の宗教がそうであるように、あるいはそれ以上に、見通しが付きづらいものとなっています。
 そこで、RPGの根幹の部分にまで立ち返り、他のファンタジーRPGとも比較しつつ、この問題を様々な角度から考えてみましょう。

●古典ファンタジー小説に回復呪文は出てこない!?

 多くのファンタジーRPGでは、神々や宗教が設定されています。古代から中世にかけて、神々や宗教の社会的な影響力は、現代とは比べものにならないほど大きなものでした。
 こうした世相を反映してか、商品化された最初のRPGである『ダンジョンズ&ドラゴンズ』では、僧侶(クレリック)という職業が設定されています。
 剣ではなくメイスを振るい、回復呪文で味方を治療し、あるいはアンデッドを退散させる、というのがその役割です。
 ところが、こうした回復系の僧侶呪文は、おそらくゲーム的な必要性によって生み出された部分が大きいのではないかと思われます(ただし、死者を蘇生するとなるとまた別で、ホラー小説を中心に多数の実例がありますが)。
 というのも、D&Dは多数のファンタジー小説から影響を受けたのにもかかわらず、D&D以前のファンタジー小説に、回復呪文が使われる場面は滅多にないのです。
 いや、あるにはあるんですよ。例えば『指輪物語』に、アラゴルンがファラミアを「王の手は癒しの手」と薬草で治療する有名な場面が出てきますが、これは史実でのエドワード証聖王が、ハンセン氏病に苦しむ患者を背負って治療したという逸話に由来するものと思われます。
 ただ、これはどちらかというと、『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(AD&D)から登場するパラディン(聖騎士)に近いのかもしれません。
 こうした聖人の逸話は回復呪文の重要な発想源と思われます。史実の僧侶や聖人伝については、「Role&Roll」Vol.155に掲載されている「戦鎚傭兵団の中世“非”幻想事典」第40回をご参照いただければと思います。

●遠隔型攻撃ユニットとしての魔法使い

 背景設定とは別に、ルール面から考えると、ウォーゲームからRPGが生まれた際、剣や斧で直接攻撃をする近接型のユニットとしての戦士に、「マジックミサイル」や「ファイアーボール」で遠くの敵を一掃する遠隔型ユニットとしての魔法使いを対置してみれば、しっくり対比できるのではないでしょうか。
 1974年に発売されたオリジナルのD&D(OD&D)では、ファイティング・マン、マジック・ユーザー、そしてクレリックの3種類でした。
 なんと盗賊(シーフあるいはローグ)はいなかったのです(ただ、クラス扱いのエルフ、ドワーフ、ハーフリングについては、この時から設定されていましたが)。
 遠隔攻撃は魔法だけではなく、弓矢もあります。つまり、物理攻撃を主軸とした、遠隔ダメージ・ディーラーで、クラシックD&Dでは盗賊、AD&Dではレンジャー(野伏)が該当しますね。
 ただ、それは、あくまでも魔法使い(マジック・ユーザー)の後から設定されたものなのです。

●『デンドロギガス メタモスの魔城』のクラス(職業)観

 『デンドロギガス メタモスの魔城』(2015年〜)という、D&Dに強い影響を受けた食玩シリーズ『ネクロスの要塞』(1987〜89年)の精神を受けた新しいオマケシール・シリーズがあります。
 この『メタモスの魔城』のデザインにあたり、クリエイターのあだちひろし氏は、「R・P・G」(国際通信社)の2号に掲載された芝村裕吏氏の『トンネルズ&トロールズ』(T&T)やD&Dの分析を紹介し、それを『メタモスの魔城』のキャラクター設定に活かしています。
 そこで、あだち氏が行なった要約を以下に紹介してみましょう。

 <戦士>というのはその体力を生かした守備の専門家である。<魔法使い>は攻撃魔法を生かした攻撃の専門家である。
 …というのですね。これはアメリカン・フットボールのフロントラインとクオーターバックの関係からのイメージのようです。意外でしたが、役割分担としては合っている気がします。
 <盗賊>は宝箱・罠などを解く専門家。<僧侶>は回復魔法の専門家。…これはすんなり理解できます。(「変妖亭」2016.8.12より)

 『ネクロスの要塞』も『メタモスの魔城』も、オールドスクール・ファンタジーテイストに溢れたシリーズで――「FT新聞」の読者には、『メタモスの魔城』はまだ未チェックの方も多いようなので、この機会に触れていただきたいのですが――こと、低年齢層から参加できるオマケシールをデザインする場合においても、D&DやT&Tでなされたようなクラス(職業)の原理の問題を念頭に置く必要がある、ということをあだち氏の要約は示唆しています。

●T&Tには僧侶がいない?!

 しかし、ご承知の方も多いでしょうが、T&Tには僧侶という役割がありません。T&T完全版においてさえも、僧侶というキャラクター・タイプは特に設けられていないのです。
 もちろん、データは魔術師で社会的な位置づけは僧侶、というキャラクターをデザインするのは自由です。
 デザイナーのケン・セント・アンドレが宗教や神が嫌いだからとも言われますが……こと、システム面から考えれば、魔術師に回復呪文を使えるようにさせたり、毒を中和させたり、呪いを解いたりするという能力を与えれば、ゲームとしての僧侶はそれで事足りてしまう、というわけだからとも言えるでしょう。
 先に確認したところでは、魔術師は遠隔ダメージ・ディーラーというわけですが、別にそうしたタイプの僧侶だけではなく、近接攻撃型の僧侶がいてもいいわけです。
 事実、D&D第4版のクレリックは、敵を近接攻撃で殴ったら味方が回復するというパワーを駆使する役割なのです。
 それにリアリティがあるかどうかはともかく、ゲームとして見れば(味方の回復に追われて、プレイが受動的になるということがないという意味で)デザイン・センスに優れており、英語圏にはD&D第4版をリスペクトするゲームデザイナーが多い、というのも頷ける話です。

●「負傷を治す」という行為はリアリティ・ラインに関わる

 あるいは、傷を回復するという奇跡は、相手を炎で傷つける呪文等に比べて、ゲームのリアリティ・ラインに大きな影響を与えやすい、という側面があります。
 現実世界で怪我をして入院したら、治るまでに何週間もかかってしまいます。破傷風といった感染症等の脅威もあるでしょう。
 なのに、満身創痍になったキャラクターが呪文一声で一瞬にして全快すると、世界における「生」や「死」の位置づけまでが軽く見られがち、とも言うことができるでしょう。いかにもコンピュータゲーム的になってしまう、と言えるかもしれません。
 「リアル中世シミュレーター」との異名をとる『ハーンマスター』(第3版は2007年、サンセットゲームズから日本語版が出ています)のように精緻さがウリのRPGなどは、傷からの治療プロセスや破傷風の判定が、できるだけ自然になるようルール化されています(単にデータを増やしているのではないのがミソ)。
 クラシックD&DのようにシンプルなルールのRPGでも、クレリックは1レベルの間は何ら呪文が使えず、戦闘では多くの場合「ちょっと弱めの戦士」として前線に立たざるをえないことになります。

●『ウォーハンマーRPG』における治癒

 そして『ウォーハンマーRPG』も、いたずらに奇跡を用いて傷を治すよりは、まずは、〈治療〉技能や、癒やしのドラフトなどのアイテムを用いて「自然に」治癒を行う方が自然、といったタイプのゲームなのです。
 『ウォーハンマーRPG』第4版では、司祭や戦闘司祭のキャリアは、いちばん下の段階のキャリア・パス(入信者や修練者)の段階から、《祝福》という、神の意思のちょっとした具現化による恩恵を得ることができるようになりました。
 ただ、『ウォーハンマーRPG』の第2版では、入信者の段階では、第4版での《祝福》に相当する《初歩魔術:信仰》も習得することができません。
 秘術魔法大系の習得を選んだキャラクターよりも、呪文(《奇跡》)が使えるようになるには――最短で1キャリアを満了するまで――余計に時間がかかってしまい、それまでの間は〈負傷治療〉技能やアイテム、所属教団へのコネクションを使い倒すのが基本でした。
 世界観のリアリティ・ラインをいたずらに崩さないため、そしてゲーム的には(とりわけ初期において)僧侶系の魔法が必ずしも必須ではないというところから、こういう発想は生まれているように思います。
 実際のところ、『ウォーハンマーRPG スターターセット』に収録されている6体のサンプル・キャラクターに、シグマーを信仰する魔狩人はいても、そのものずばり、《奇跡》や《祝福》を駆使する入信者や司祭はいないのです。
 次回も、『ウォーハンマーRPG』における宗教と信仰の問題を、引き続き考えていければと思います。