2013年04月23日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第15回)

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伝統ゲームを現代にプレイする意義(第15回)
 草場純 (協力:岡和田晃、高橋志行、八重樫尚史)

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◆第14回はこちらで読めます◆

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 伝統ゲームを考える上で欠かせないのはその受容の問題である。これは何も伝統ゲームに限らないが、最近の新しいゲームと違って、広く一般化した伝統ゲームは、けた違いに多くの人々と層に深く受け入れられているということが、しばしば見られる。そのようなゲームは、独特の「相」を形成していると見ることができる。

 そうしたゲームには、囲碁、将棋、麻雀のように、現在もまたおそらく将来も、多くの担い手(プレーヤー)のいる(であろう)ゲームもあれば、連珠のようにそれほどはたくさんのプレーヤーが(現在は)いないのではないかと思われるゲームもあり、盤双六や地方札のように現在はプレーヤーのいないゲームまで、さまざまな様相を見て取ることができる。だがそうしたこととあまり関係なく、このような伝統ゲームに共通する特色もある。

 現在、日本にはしっかりしたシャンチー協会があるが、かつてはそうではなかった。40年〜50年前には、日本で象棋(シャンチー)の指せる人は、留学生や「華僑」の人々を除けば珍しい存在であった。だが、ゲームを研究する人々はその時代でも少数ながらいて、中国語の本を読み解いて覚えた人もいた。私のゲームの師の一人である、故・丸尾学氏もそうした一人であり、私は丸尾氏と中将棋やら大将棋、大々将棋、広将棋、シャンチー、チャンギ、マックルックなどを指したものであった。その丸尾氏から聞いた逸話であるので、伝聞であるが、興味深い話があるので紹介したい。

 丸尾氏の更に先輩に当たるような人々が、内輪の「シャンチークラブ」のようなものを作り、仲間内で対局していたそうだ。丸尾氏も囲碁のプロになるか、将棋のプロになるか迷ったというほどの人で、そのクラブの人たちもそれを上回るような人たちだったので、みなそれなりに上達し、仲間内の名人戦なども開催し、「名人」を選んだりしていたという。周囲への普及も試みたらしいが一向に広まらず、また自分たちの実力もいかほどであるか、定めがたい。そこでこれは一つ本場に行って、腕試しをしようということになり、「名人」はじめ何人かが、あまり「つて」も求められぬまま、訪中したそうである。当時の旅行事情がどうだったか私にはよくわからないが、上海かどこか(場所は定かではありません)に行って、そこのホテルに泊まったそうである。ところがたまたまそのホテルのボーイが、「象棋? 指せますよ。」てな話でさっそく「名人」と対戦したそうである。すると「名人」は、手もなく捻られたそうなのだ。

 話はここまでで、その後どうしたかまでは聞き漏らしたが、考えてみればありそうなことである。

 例えば、遠い外国で、日本の将棋を紹介記事かなんかで覚えた人たちが、これは面白いとクラブを作り、仲間内で指し合って名人を定めたとして、その人が日本に来て、ホテルに泊まり…… と考えてみると考え易い。

 これはある程度確立した伝統ゲームには共通した特色で、そうした伝統ゲームのプレーヤーは、幅広い層まで高い技量を保持していることが多いのである。

 逆に言うと、ゲームはルールを理解できる能力さえあれば、だれでも試みることはできるが、それだけではかなか高い技量は得られないということであり、伝統ゲームではそれが露わになるのである。


 例えばチェスは国際大会が非常にたくさん開かれるゲームではあるが、日本の成績は振るわない。日本にはグランドマスターはもちろん、まだ一人のインターナショナルマスターもいない。 『ヒカルの碁』をもじって「ヒカルのチェス」と呼ばれた中村光氏も国籍については私はよく知らないか、少なくとも文化的には私の身の回りのいわゆる日本人と全く同様とは言えないように思う。

 だがこれは奇妙なことである。前回にも述べたように、中国人の頭脳がシャンチー向きにできているとか、ロシア人の頭がチェス向きだとか、日本人は将棋に適性があってチェスには向かない、などということはあり得ない。それは前述の中村氏に照らしても明らかだろう。

 であるなら、上記のよう現象はなぜ起こるのだろうか。「民族音楽」というジャンルがあるが、「民族ゲーム」という概念は果たして成立するのだろうか。それが無理だとしても、多少誇張した不正確な印象論にはなるが、「中華民族は象棋が強い」と見えるような、前述した類の現象があると感じられるのは、一体なぜなのだろうか。


 現在、人種や民族の問題は極めてデリケートで扱いに慎重を要する話題である。確かに生物学的には人類は一属一種であり、その故郷がアフリカ中南部であることは学界の定説である。その意味で人類は一つであり、「人種」が観念の産物であることは明らかである。ましてや「民族」は、極めて政治的で相対的な概念でしかない。さはありながら、かたやいわゆる民族紛争やら、領土問題、はては「民族浄化」に至るまで、「民族」概念が猛威をふるっているように見えるのも、また現実である。すなわち「民族」が虚構であるのは確かだが、それは決して絵空事ではなく、現にリアルな力を持ち得る虚構である。では、それはなぜなのだろうか。

 これに対して、前回までに縷々述べたように、ゲームも構造を持つある種の虚構そのものである。ここで私が試みたいのは、「民族ゲーム」というような概念を持つことによって、二つの虚構の関係性から逆に、両者それぞれの構造が見て取るのではないか、という仮説なのである。社会とゲームの通時的・共時的な関係性を「ゲームの相」と呼ぶならば、社会的虚構である「民族」からは、ゲームの相はどう見えるのだろうか。
 なお、「民族」という概念のうちには、例えば「人種」や「エスニシティ(出自を軸にした文化的規範)」といった要素が分かちがたく結びついている。ただ、本稿では、敢えて日常的かつプレーンな文脈を第一に想定して「民族」の用語を用いることにしたが、「人種」にまつわる差別の容認や助長を意図したものではまったくない。本稿が目指すのは、ゲームとの関係性から逆説的に「民族」という観念に迫っていくことで、ゲームを通じた「エスニシティ」の特性を素描するとはどのようなことかを考える、一種の文化論である。


 ここで問いを繰り返すならば、「民族」と言語や音楽が結びつくように、ゲームもまた「民族」と結びつく(ように見える)のは一体なぜなのだろうか、ということである。

 そしてそれに対し、答えを先に言うならば、そこが「受容の問題」なのである。


 「民族」と言語や音楽が結びつくように、「民族」とゲームも結びつくと仮定したとしても、前回述べたようにそれらの結びつき方は同じとは言えない。それは、言語・音楽・ゲームの内実が同等でないので、それぞれと「民族」との結びつきが同等ではないのは当然ではある。ではそれらはどう違うのだろうか。

 私は日本語を母語にするが、当然だが先天的に日本語をしゃべるわけではない。私が日本語環境の中で育ったから、日本語を操るのであって、それ以外の理由ではない。同様に私は納豆が好きなのだが、それは納豆環境に育ったからというのが、最大の原因の一つであろう。こうした環境の総体が「民族」なのかも知れない。一つ一つは個人的な受容であるが、それがある共同体内に繰り返されることによって、一見したところ世代を超えて存在し続けるように見えてしまうのだから。
 しかし、特に注記しておきたいのは、これは単にパトリオティズムの説明でしかないという一点である。このようにして、確かに民俗あるいは「民族」の一部は形成されるものかも知れないが、それと国民国家としての民族ナショナリズムとの間には、似ているように見えて大きな飛躍がある。言語や音楽に関しては、より両者の親和性が高く、より両者が混交して考えられやすい。その点、ゲームはその後天性(後述)によって、この結びつきから比較的自由であり、新しい視座を与え得るのではないかと、私は考えるのである。

 食文化は幼少期の体験が大きいので、その意味では言語と似ているかも知れない。一方音楽はどうだろうか。私は雅楽は嫌いではないが、民謡や浪花節などのいわゆる邦楽(の一部)はあまり好きではない。この例はもちろん、文化のあくまでも個人的な受容の話である。当然、邦楽の大好きな人々もたくさんいるだろう。だが当たり前だが、日本語を話す日本人に比べれば、邦楽好きの日本人は圧倒的に少ないように思える(ここで言う「邦楽」に流行歌やJ-POPなどを含めれば、また様相は異なるかも知れないが)。すなわちここには、個人的な受容を超えた、社会的歴史的な受容の問題がかかわっていると、私には思えるのである。そこに、前回の漢詩かるたと百人一首の交代劇で述べたような、文化の歴史的軋轢を感じるのだが、いかがだろうか。

 私は長年小学校の教員をやり、低学年では音楽を教えたこともあるので、よく知っているが、「学校唱歌、校門を出ず。」という言葉がある。現在では邦楽も見直されているとはいえ、学校教育の音楽科の基本は、井沢修二以来の洋楽である。音楽室の壁の語るところによれば、音楽は長いこと鬘をつけたバッハ・ヘンデルから始まることになっていた。思えば、学校(と軍隊)は、近代の「装置」である。漢詩かるたを捨てて百人一首を受け入れたのは、いわば民衆だが、音楽は制度として装置に組み入れられたのである。学制が敷かれたとき、三味線や琴は捨てられ、足踏みオルガンがこれに替わったのである。

 明治五年末に春節を捨てたとき、日本の暦は脱亜を果たした。だが同時に、日本は東アジアの時制から引き裂かれてしまった。同様に、日本の音楽は、校門の内と外に引き裂かれてしまったと言えよう。もちろん、その善悪をここで問うものではない。そうした歴史性を踏まえて、考えを進めようと言うのにすぎない。


 興味深いのは、この同じ井沢修二が、方言撲滅に血道を上げたということである。近代国民国家は、国境を欲し、国旗を欲し、国歌を欲し、国語を欲し、以て国民を創ろうとする。日本の小中学校で教えられるのは、いまだに日本語ではなく、国語である。だが、面白いことに、「国ゲーム」は作ろうとはしない。 全ての言語は本質的に方言であるから、「標準語」に意味はないが、均質な国民を夢想する近代国家は、均質な国語を強制する。学校が装置たる所以である。

 ではゲームにおける方言とはなんだろうか。それはローカルルールであり、地方札であり、伝統ゲームが比定されるかも知れない。だがありがたいことに、これらは制度的に標準化を強制されることはない。なにしろ「国ゲーム」はないのだから。

 前回まで述べた、日本各地の伝統ゲームのいくつかは、地理的に隔離されたところで発達している。例えば掛合トランプが遊ばれている土地は、今はよい道路がたくさんできているが、昔は訪ねていくのにそれなりに苦労したであろう内陸である。白久保のお茶講は、文字通り山ふところだし、ウンスンカルタは人吉盆地の中で保存されていた。グールドの進化論ではないが、一定程度交流の制限されたところで、独自性のある豊饒な文化が育つのである。方言も伝統ゲーム(の一部)も同様である。

 このことは、地域共同体のゲーム受容という観点で、先へ行ってもう一度振り返ろう。


 さて、文化には様々な領域があるが、言語、音楽、ゲームと並べてみると、共通するところと、先に少し触れたようにそれぞれ違うところがあるのに気づく。これにさらに衣・食・住などを加えて考察しても面白いかも知れないが、あまりに回り道になるので、ここは先を急ごう。

 これまた繰り返しになるが、言語は後天的に得るものであるが、個人的には先天的に得たものとの区別はつきにくい。私は気が付いたらこの顔だったが、同様に気が付いたら日本語話者であった。これを今、仮に「後天性が弱い」と表現してみよう。後天的に得られるものであるが、あんまりそんな感じはしない、という意味である(後天的に得たのだと強く思えるものが、後天性が強い、というわけだ)。

 音楽は後天性が言語よりは強い。食文化も言語より強いと思うが、発酵食品などは後天性が弱いのかも知れない(笑)。ゲームは、「ゲーム」の意味を囲碁・将棋・麻雀・トランプなどのような具体的なアナログゲームに限るなら、これらに比べて後天性がずっと強い。前回述べたように、将棋を指さなくても日本で生きていけるが、日本語を話さずに日本で生きていくのは相当に困難だろう。しかし、ゲームの後天性は非常に強いわけではない。そうでなければ、冒頭で述べたような逸話は起こらない。ゲームの後天性が極めて強ければ、日本人のチェスのグランドマスターが輩出されていてもおかしくないし、インド人の将棋の名人がいても変ではない。スポーツでは相当程度そのようなことが起こっているが、それはスポーツの後天性が強いからである。だがそれでも、例えば大相撲の横綱を輩出している背景に、モンゴル相撲の「伝統」があることは疑えないだろう。後天性が最強と言うわけではないのだ。

 ブラジルがサッカーが強いとか、キューバが野球が強いとかが、いみじくも「伝統」と呼ばれたりする。それは実は受容の構造を指しているのである。


 では、後天性のほどほど強いゲームは、そのほどほどの強さからどういう性質がもたらされるのだろうか。

 これも結論から先に述べるのなら、受容の偶然性、一回性、歴史性がもたらされるのである。

 次回から、世界の様々なゲームの、「民族」的受容の相を、具体的に見ていくことにしよう。

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