2011年05月07日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第9回)

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第9回)

 草場純 (協力:公成文)

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第8回はこちらで読めます

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 失われた日本の伝統ゲームとして、次に連歌を挙げよう。

 連歌はあまりに廃れすぎて、むしろ最近では復興の兆しさえあるが、極めてストリクトなルールに則るゲームでありながら、ゲームとして意識されることの少ない文芸である。馴染みのない方も多いと思うので、冒頭にその成立と沿革に簡単に触れ、ルールの概説をしよう。


 伝説によれば連歌は日本武尊が開祖で、筑波とか筑波嶺の道とか呼ばれたそうであるが、現実には短歌の返歌や付歌として発祥したのであろう。長歌や旋頭歌の下地がそこにあったことも疑えない。つまり五七五七七と詠まれて五七五七七と返す、五七五と詠まれて七七と返すなどがその原型であったと想像される。もしそうなら、既にここに「問いと答え」というクイズ的、ゲーム的なものの萌芽を感じる。


 筑波山は現在では全く面影もないが、歌垣で有名な場所である。歌垣というのは、まあ現代で言うなら合コン(合同コンパ)みたいなもので、若い男女が集まって歌を詠みあい、その後色々と楽しんだということだ。現代ならさしずめカラオケパーティーでもあろうか。ここには後の時代の、若衆小屋や連中や連衆、数寄や講などという集団遊芸につながる伝統が見て取れる。現代のゲーム会ではないか。


 連歌が遊芸として(私に言わせればゲームとして)完成したのは鎌倉時代と言われる。同時にやんごとなき方々の楽しむ堂上連歌から、庶民まで楽しむ地下連歌へとの広がりも見せる。このことはゲームと階級性、あるいは階層性ということで、重要な論点なのであるが、今は深入りしない。

 南北朝時代、関白の二条良基は、連歌式目を制定した。この「式目」というのは、要するにルールのことである。ゲームが「ルールと闘争性のある遊び」(草場1976 *註)であるなら、これはゲームとしての確立の要件である。これ以降の連歌は「新式」と呼ばれるのだが、仮にルールの成文化を以ってゲームの成立と考えるのなら、新式連歌はゲームと呼べるのではないだろうか。


 そこで新式連歌のルール(式目)を見ていくことにしたい。もっともこの連歌式目も、その後もいろいろなものが出され、変化していく。


 さて、連歌は一人でもできないことはない(独吟)が、普通は三人以上で行う。なぜなら二人(両吟)だと、一方が常に五七五を、もう一方が常に七七を担当することになるので、三人以上の奇数が望ましいとされるわけだ。(ゲームになぞらえるなら「多人数ゲーム」が一般的ということ。)


 よくあるタイプは主人(ホスト)が、正客(ゲスト)と宗匠(先生)を招いて開く連歌会である。もちろん正客(主客)以外にたくさんの客(参加者)が居ていいのだが、ここでは説明のため、三吟としてみよう。

 まず正客が「五七五」と一句詠む。これを発句と言い、後の世の俳句はこの発句が独立したものである。すると主人がそれを受けて「七七」とつける。これを脇句と言い、ここまでで二韻と数える。すると更にそれを受けて宗匠が「五七五」と続ける。これを第三と呼ぶ。実は後で述べるようにこの三韻目がなかなか難しく、だからこそ宗匠が担当することが多い。するとまたそれを受けて正客が「七七」とつけ、主人が「五七五」… と続けていくわけである。

 一般的にはこれで最後に正客が百韻目の「七七」を詠んで終る。この百句目を「挙句」とか「結句」と呼ぶ。俗に「あげくの果てに…」などと言われる「あげく」はここから来ている。これが正式の百韻連歌である。


 百韻とは短歌にして50首分であり、それではあまり長いので、五十韻、世吉(44韻)、歌仙(36韻)、半歌仙(18韻)なども行われた。半歌仙は3人で3首(6韻)ずつ詠めばいいので私も仲間と試してみたが、和歌の素養がないとなかなか難しい。

 しかしそのぐらいで驚いてはいけない。十百韻といって千句、十千韻といって万句の連歌も催されたという。時代は下って江戸時代の記録だが、宗匠何某の屋敷に数十人の庶民が集まり、夜は灯篭に燈を点し、昼夜を別たず万句を越える連歌会を催したなどという話も出てくる。現代で言えば、視聴者参加型マラソンテレビ番組みたいな雰囲気であろうか。現代における連歌の零落ぶりと、江戸時代の庶民の教養の高さに、二重に驚かされる。

 もっと公式の連歌会を連衆(れんじゅ)と言うが、これには普通「点者(てんじゃ)」と呼ばれる採点者(宗匠がなる)と「執筆(しゅひつ)」と呼ばれる公式記録者がつく。彼らは連歌には加わらない(加わることもある)。点者の仕事は採点であり、後に述べる式目の監督である。執筆の仕事は文字通り記録であって、和紙を半分に折り(半紙大)、百韻ならこれを4枚用意する。一枚目を「初折」と呼び、表に8句(8韻)裏に14句を記録する。二枚目を「二の折」、三枚目を「三の折」と呼び、それぞれ表裏に14句ずつ記録する。最後の四枚目を「なごり」と呼んで表に14句裏に8句記録し、合計百韻となるわけだ。これに主人(主催者)、宗匠が署名して公式記録とする。この記録を「折り紙」と呼ぶ。現代でも「彼の能力は折り紙つきだ。」などという、「折り紙」の語源である。

 折り紙は現代にも多数当時の実物が遺っていて、中世・近世ゲームのリプレイ記録として貴重なものとなっている。


 さて連歌が現代人に馴染みがないと予想されるので、その概要にやや詳しく触れたが、いよいよ式目の説明に入っていこう。


 ここまでの説明で分かったと思うが、連歌は集団詩作である。リレー作詩であり、言語ゲームである。しかしゲームと言っても文学なので、採点は難しい。これは現代でも新体操やフィギアスケートの採点が物議をかもすのに近い。かつては「懸け物」と言って、点者によって高点をつけられた者に賞品が出されたりしたが、評価が主観によることは避けられず、評価を巡ったトラブルも少なからずあったようである。そういう意味で、ゲームとしての厳密さに欠ける嫌いがあるのは否めない。しかし現代でも、ロールプレイングゲームなどにはそうした曖昧さは付きまとっているだろう。むしろごく最近では、協力ゲームの隆盛に見られるように、ゲームの範囲の方が広がってきているようにも思われる。ならば、連歌が現代にゲームとして復活する日もあるのかも知れない。


 そうした文学的な曖昧さ以上に、ゲームとしての難点は、それが芸術的創作の上に成り立っているというところにある。『ディクシット』や『ヒットマンガ』、『キャット&チョコレート』など、ごく最近のゲームに通ずると言ったらよいかもしれないが、もっと高度で、『ワンスアポンナタイム』を思わせるものがそこにはある。いやプレイヤーに要求される能力はもっと厳しいと言ってよさそうだ。


 まず大前提として連歌に要求されるのは、当たり前のようではあるが、それが和歌であるということである。和歌とは日本の伝統的韻文定型詩である。それ自身約束事が多数あり、それを創るためには、詩作の能力と韻文定型詩に対する素養が必要であり、現代の文化状況では両者ともなかなか難しい。サラダ記念日がもっと大発展しないと、難しいのかも知れない。後段の「ゲームの受容」の議論を先取りするなら、プレイヤー集団に共有される文化的基盤が必要である、ということだ。

 しかしここでとどまっていたのでは、話が進まないので、そこはクリアしたとして、いよいよ連歌の式目の詳細を述べよう。


 連歌式目で前提として言われるのは、「付合(つけあい)」と「行き様(いきよう)」の相反する二つの指針である。

 付合とは、マッチングである。当然だが、ある句は前の句とつながらなければならない。これは分かりやすいだろう。

 行き様とは、変化である。付合だけを気にしていると、明らかにマンネリとなる。いつも狭い世界に終始し、発展せず、最悪の場合は堂々巡りとなる。

 すなわち、連歌とはつながりつつ変化しなければならないわけである。あたかも弁証法のように、矛盾する二つの概念をかかえつつ発展し、全体として詩的世界を構築していく集団芸術なのである。


 式目では付合には、平付け(順接)、対揚げ(逆説)、四つ手(ガッチリ付ける)、言葉付け(言葉の多義性を利用して付ける)、心づけ(言葉を離れ意味で付ける)、景気(状況でつなぐ)、引き違え(転換)、本歌(引用やパロディ)、本説(歌以外の引用)、名所(歌枕)、狂句(破調)、異物(あえてテーマを外す)などの手法があると解説されている。前述したように、第三(三韻目)が難しいと言われる理由はここにある。発句にはその連歌全体のテーマが求められるが、事前にゆっくり考えられる。脇句はとりあえずつければ上記のどれかにはなろう。それに対して第三は、その連歌の方向を決める役割が求められるわけだ。

 関係性も複雑になる。ある「五七五」と、次の七七を飛ばしたその次の「五七五」との関係、あるいは同様に「七七」と一つ離れた「七七」との関係を、「打越(うちこし)」と言うが、打越どうしの、同じ雰囲気を持ちつつ離れた関係、あるいは同じ題材なのに微妙に雰囲気を変えた関係というような、受けつつ変え、変えつつ受けて進行する、螺旋のような構成がもとめられるのである。すなわち、いかに関係を保ちつつ変化させるかという技量が問われるわけである。

 常に、付合と行き様を考えつつ、打越に注意を払い、全体のテーマを意識しつつ詩作するのだから、なかなかもって大変である。連歌を、高度なゲームと言う所以である。


 けれども式目の真の眼目はここではない。眼目は、「去り嫌い(さりきらい)」に見られるような詳細かつ厳密な制限ルールにあるのである。

 式目は時代が下るほど微に入り細を穿つようになり、ついには巨大になりすぎた恐竜が滅んだように、連歌そのものを廃れさせてしまったと考えられる。我々が連歌から学ぶべき一端は、そうしたルールの適正性であるのかも知れない。それを理解するためにもさらに式目を見ていこう。


 式目にはまず賦物(ふもの)がある。賦物とは包括テーマである。例えば「源氏」とか「国名」とか「いろは」とかであるが、何かを寿ぐための連歌会だったりすれば、そのこと自体がある種の賦物として意識される。

 賦物は発句にそのまま出たり、露骨には出なくても発句には賦物が強く意識される。
 更に後代には、発句は月(moonではなくmonth)を詠み込むものともされ、これが俳句の季語に影響を与える。


 そして去り嫌いであるが、これはある特定の語句の使用を制限するというルールである。これには二種類あり、それは「一座何句物」と「何句可隔物」である。

 一座何句物は更に、一座一句物、一座二句物…とある。

 一座一句とは一回の連歌で一回しか使ってはいけない語句で、例を挙げれば、梅・藤・杜若・鶯・郭公・鹿と、まるで花札のようである。しかし他にも、蛍・猿・若菜・蝉などがあり、更に、むかし・いにしえ・ゆうぐれ・しぐれ・夕立・木枯らしなどがある。なるほどこれらは確かに詩情に溢れた単語なので、何度も使うのは避けた方がよさそうではある。とは言え回数を制限するとは!

 一座二句物は、二回まで使っていい言葉で、柳・桜・秋風・ふるさとなど。

 一座三句物には、花・しぐれ・有明など。

 一座四句物には、雪・世などがある。

 要するに、参加者は「有明は既に三度出てきたからもう使えないな」などと意識しつつ詩作しなければならないということなのだ。


 一方、何句可隔物は、ある単語は何度も使ってよいが、続けて使ってはいけない。何句か隔てて使えというものである。特に打越には厳しい制限がある。

 とまあ、大まかに述べただけでも、点者がいて監督したり、執筆がいて記録を克明にとったりする必要性も納得されよう。


 あまり煩雑なのでこの辺りまでとするが、更に後代になると「座」などというものまででてくる。

 簡単にだけ触れると、例えば初折表七句目や、裏十句目は「月の座」とされた。つまりそこでは必ず月(moon)を詠まねばならないのである。ここまで来ると創作と言えるのかどうか疑問にすら思えてくる。


 更に詳述は避けるが、折端や折立といったルール(テーマを一巡させる)などもあり、とにかく煩瑣を極める。私にはある種のシミュレーションーゲームのように複雑に思えるが、これは偏見だろうか。


 けれども、こうしたルールの体系から学ぶこともまた多いように私には思える。例えば私のように詩心のない者には、ここまでガンジガラメにルールを定めてもらった方が却って作りやすいかもしれない。自由に詩作するとなればそれこそ才能が要求されようが、定型がかっちり決まっているのなら、凡人でも穴埋め式にそれをこなして楽しむことができるのかも知れない。ルールが煩瑣であるということは、反面では綿密であるということであり、連歌ゲームの復活は、ある意味可能であると私は思う。

 また、ここまで微に入り細に渡ってルールを作り上げるスピリットにうたれる。我々には煩瑣に見えるだけではあるが、言葉の美と楽しみを芯まで汲み尽そうという、真摯で徹底した営みをそこに感じるのである。


 さて、現代でもごく簡略化したルールで連歌を楽しんでいる人もいる。ネットとの相性もいいので、そのような試みもあるという。主として明治以降であるが、連句と称して、式目を大幅に軽減してやる手法も一時盛んになったし、現代でも連句の会はそれほど数は多くないものの、催されている。文芸としてはそれでも十分楽しめるだろうし、価値もあるだろうが、ゲームとしては逆に評価できないかもしれない。(形式的には、長句(五七五)と短句(七七)を繰り返す連句は、連歌と同じものになる。実際、江戸時代には連歌のことを連句とも呼んだ。)


 では、式目を綿密に再現し連歌ゲームを再興したとして、それは果たして「連歌」だろうか。

 例えば連句では、歌仙が巻かれたりする。つまり36韻の連歌と同様のものができるわけだ。けれどもそれは既に連句であって連歌ではない。ではどう違うのか。

 縷々述べたことの繰り返しになりそうだが、連歌を連歌として支えているのは万葉から始まり、古今、源氏、新古今、その他諸々の日本の文学的背景そのものなのである。すなわち式目のような明文化された「お約束の体系」の背後にある、明文化されていない「お約束の体系」である。そこでは単語一つをとっても、その含意するところはお約束の網の目のなかにあり、そうした「素養」のないものには、「連歌ゲーム」は可能でも「連歌」はできないということになる。


 これを私はこの連載の初期に「相」という概念として提出している。それを使って言い換えるなら、連歌は中世・近世の文化的相の中にある、ということになる。

 近代に入って、子規などが試みたのはいわば相転移であった。その中にあって、かつての「暗黙のお約束の体系」は棄却されていき、連歌はいわば連句へとそのニッチを明け渡したことになる。あるいはお約束をやめて、写生を志すことによって、ニッチそのものが喪失したと言えるのかも知れない。


 では我々は中世に生まれ変わらない限り連歌は詠めないのだろうか。しかり。大変な努力をして中世の文学的素養を身につけない限り、連歌は詠めないと言わざるを得まい。連歌が言語ゲームでありながら、そう意識されない理由の一端もここにある。


 ならば連歌ゲームを現代にプレイする意義は、何もないのだろうか。


 私はそのままの形では生きてこないと思う。だが千年に渡って磨いてきた言語ゲームのスピリットは、別の意味で現代に生かせると考えている。若干飛躍はあるが、現代の連歌ゲームとでも言うべき遊びを紹介して、その意義を示唆したい。


 『詠み人知らず』(みなひともじ)というゲームがある。かんぽの会というゲーム会を主催する宮崎さんの考案になり、個人の創作ゲームなのでここでは詳細なルールは述べないが、文字による連歌といった趣の傑作ゲームである。とにかく面白く、採点もゲームとして工夫された名作である。

 作者本人に確かめたわけではないが、恐らくこのゲームは連歌の伝統を直接的に受けたものではないだろう。しかし日本人が日本語と付き合って二千年。日本語を芯まで楽しむという意味で、「連歌」と『詠み人知らず』は通底していると、私は強く感じる。「連歌」を真に支えるのが、万葉・源氏等々の教養と言語センスなら、「詠み人知らず」を支えるのは、現代のテレビ、ネット、週刊誌等々で共有されるギャグとユーモアの言語センスなのである。

 本当は『詠み人知らず』が連歌の影響を直接受けて成立しているのなら、「伝統ゲームを現代にプレイする意義」が、説得的に語れて好都合なのだが、そうだとは断言できないところが、少々残念なところではある。だが構造こそ違え、連歌が中世・近世的な相として存在するように、『詠み人知らず』は現代の相として存在するという意味で、共通していると思えるのである。

 そしてここまで縷々述べたように、連歌はここまで詳細なルールを定めたゲームとして、多くのプレーヤーを擁しつつ千年の命脈を保ったのである。これを見直し、捉え返し、遊びなおして意味を汲み取ることができるのなら、それはきっと現代のゲームシーンにも意義のあることだろうと考えるものである。


*註 「SFマガジン」207号(1976年2月号)78ページ 「ゲームについて」


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草場純(くさば・じゅん) 
 1950年東京生まれ。 元小学校教員。JAPON BRAND代表。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年〜2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。『子どもプラスmini』(プラス通信社)に2005年から連載している「草場純の遊び百科」は、連載40回を数える。
 遊戯史学会員、日本チェッカー・ドラフツ協会副会長、世界のボードゲームを広げる会ゆうもあ理事、パズル懇話会員、ほかSF乱学講座、盤友引力、頭脳スポーツ協会、MSO、IMSA、ゲームオリンピックなどに参画。
 著書に『ゲーム探険隊』(書苑新社/グランペール(共著))、『ザ・トランプゲーム』成美堂出版(監修)、『夢中になる! トランプの本』(主婦の友社 )
夢中になる!トランプの本―ゲーム・マジック・占い (主婦の友ベストBOOKS) [単行本] / 草場 純 (著); 主婦の友社 (刊) ゲーム探検隊-改訂新版- / グランペール

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