岡和田晃
―――――――――――――――――――――――――――――
毒々しい赤で書かれた「ホラーショウ」。
このおどろおどろしいタイトルロゴは、リチャード・オブライエンによるSFとグラムロックへの愛に満ちたミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』を彷彿とさせます。しかし本書は傑作ホラーRPG『クトゥルフ神話TRPG』(『クトゥルフの呼び声』)のソースブックなのです。

『クトゥルフ神話TRPG』とはアメリカ・ケイオシアム社が1981年から発売しているタイトルであり、マイナー・チェンジを重ね、本年で30周年を迎えます。たびたび邦訳がなされ、現在手に入る『クトゥルフ神話TRPG』は本国での第6版が底本となっています。
その『クトゥルフ神話TRPG』とは、アメリカの作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが生み出した世界観、そしてラヴクラフトの死後も書き継がれてきた神話体系「クトゥルフ神話」を表現することを目的とした会話型RPG(TRPG)を意味しています。
![クトゥルフ神話TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [単行本] / サンディ ピーターセン, リン ウィリス (著); 中山 てい子, 坂本 雅之 (翻訳); エンターブレイン (刊) クトゥルフ神話TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ) [単行本] / サンディ ピーターセン, リン ウィリス (著); 中山 てい子, 坂本 雅之 (翻訳); エンターブレイン (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/21VQBYW2TVL._SL160_.jpg)
ラヴクラフトの仕事は多岐に渡りますが、その中でも最も大きなインパクトを有しているのは、やはり「ウィアード・テールズ」などのパルプ雑誌に発表された怪奇小説群でしょう。彼の小説は、狼男や吸血鬼といった古典的なホラーの範疇に留まらず、また(天文学に代表される)科学的な批評意識を取り入れながら、ポオやダンセイニといった作家たちが形成した世界観を独自に咀嚼したものでもあり、「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」と呼ばれる独特の色調を有しています。そのスケール感は、ジェイムズ・ジョイスやミシェル・ビュトールといった、20世紀文学における最も冒険的な作家たちの仕事と遙かな照応を見せるでしょう。
最近はラヴクラフト研究の基礎文献とも言える、リン・カーターの『クトゥルー神話全書』が邦訳されました。
![クトゥルー神話全書 (キイ・ライブラリー) [単行本] / リン・カーター (著); 朝松 健 (監修); 竹岡 啓 (翻訳); 東京創元社 (刊) クトゥルー神話全書 (キイ・ライブラリー) [単行本] / リン・カーター (著); 朝松 健 (監修); 竹岡 啓 (翻訳); 東京創元社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41mRJNGnqsL._SL160_.jpg)
そしてラヴクラフトの昏い魅力は、最近では『きことわ』で第144回芥川賞を受賞した朝吹真理子氏がインタビューで「インスマウスの影」への愛着を語っていることからもわかるように(「文学の名門に生まれたゆえの苦悩」)、現代の先鋭的な表現者たちをも惹きつけてやまないようです。
本格的なクトゥルフ神話小説としては、朝松健氏の『弧の増殖 夜刀浦鬼譚』が発売になり、ダゴン信者たちの話題を集めているようです。
![弧の増殖 夜刀浦鬼譚 [単行本] / 朝松 健 (著); エンターブレイン (刊) 弧の増殖 夜刀浦鬼譚 [単行本] / 朝松 健 (著); エンターブレイン (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/516posaXUeL._SL160_.jpg)
◆
ラヴクラフトが創造した「クトゥルフ神話」は、ゲームにおいてもデジタル・アナログ問わず、多くのタイトルの背景として採用されていますが、『クトゥルフ神話TRPG』はその中でも嚆矢と言える作品です。プレイヤー・キャラクターが味わった恐怖によってどれだけ狂気の淵に近づいたのかを正気度(SAN)という形で数値化した独特のルールをはじめ、神々の扱い、ディテクティヴ・ストーリーを思わせる物語の進行様式など、「宇宙的恐怖」の色調を活かしつつ、「参加するもの」としてラヴクラフトの世界を誠実に捉え直した作品だ言うことができるでしょう。
また『クトゥルフ神話TRPG』はパーセンテージ・ロールでの技能判定を基軸とした「ベーシック・ロールプレイング・システム」というルールシステムを背景にしているため、柔軟かつ明快に処理を行うことができ、モダン・ホラーを演じるにあたって最も重要な、背景情報や物語性を活かしたセッションを行なうのに適しています。
独自のプレイスタイルと、遊びやすいルールシステム。『クトゥルフ神話TRPG』が30年の長きにわたって、コンセプトやシステムに大規模な改変を加えることなく愛されてきたのは、こうした長所がユーザーに理解されていたからでしょう。
歴史の長いRPGだけあって、『クトゥルフ神話TRPG』には数多くのソースブックが存在しています。
『クトゥルフ神話TRPG』の基本ルールブックのみでも、ラヴクラフトが主な作品の舞台として設定した禁酒法時代のアメリカで遊ぶことができますが、これらのソースブックを活用すれば、まったく別の世界で『クトゥルフ神話TRPG』を楽しむことが可能になります。『クトゥルフ神話TRPG』は、プレイヤーの社会経験や、歴史を始めとした社会科学的な知識を存分に活用することのできるゲームですが、ソースブックの活用によって、さながら異国に旅行するがごとく、新しいセッティングでの冒険を満喫することができるでしょう(もっとも、旅行の先には底知れぬ恐怖が待ち受けることになりますが……)。
これまで日本語化されたソースブックに限っても、ヴィクトリア朝時代のイングランド、大正時代の日本、現代日本、十字軍時代のヨーロッパ、戦国時代の日本、果ては夢の世界(ドリームランド)など、さまざまな世界で遊ぶことができます。未訳のものを含めれば、ロシア革命時代を遊ぶシナリオや猫になって遊ぶルールのように、さらにぶっとんだ設定のものもあるのです。
そして本作『クトゥルフ・ホラーショウ』は、ホラー映画を題材として『クトゥルフ神話TRPG』を遊ぶため、いわばホラー映画のお約束を『クトゥルフ神話TRPG』に活用しよう、という特異なコンセプトのソースブックとなります。
同種のコンセプトの作品としては、かつて『13の恐怖』と呼ばれるシナリオ集が発売されていました。しかし『クトゥルフ・ホラーショウ』はホラー映画の世界観を遊ぶこと、後半分の紙幅で3本のシナリオが含まれるという意味で『13の恐怖』と共通する部分もありますが(*1)、『13の恐怖』とはまた違った切り口でホラー映画を扱ったソースブックとなっています。そもそもホラー映画とは何たるや、というところから始まり、読者のホラー映画・リテラシーを高めるための工夫が施されているのです。
つまり『クトゥルフ・ホラーショウ』は、RPGの観点からホラー映画を見るための入門書、あるいはホラー映画に即した創作ガイドを目指したサプリメントであると言えるでしょう。もちろん「捨て駒キャット」(探索者たちが暫定的に扱うことのできるNPCに関するルール)、『クトゥルフ・ホラーショウ』専用の狂気リスト(実にヒドい)・武器リスト(血しぶきどろどろ)といった追加ルールも見逃せません。
ホラー映画は、あらかじめ予期された「お約束」(が実際に引き起こされること)を楽しむという、いわばメタ構造を多く内包しています。
それゆえホラー映画を題材とした会話型RPGのセッションでは、どうしてもそうした「お約束」が前景化せざるをえません。『イット・ケイム・フロム・レイト・レイト・レイトショウ 深夜三流俗悪映画の来襲!』のように――「史上最悪の映画監督」エド・ウッドの『プラン9・フロム・アウタースペース』を彷彿とさせる映画に出演する俳優を演じ――低予算の三流映画の世界観を、「お約束」という観点からメタ視点で楽しむことをテーマとした会話型RPGすら存在しているほどです。
セッションに「お約束」を積極的に盛り込むかどうかという点には賛否両論あるでしょうが、一方で「お約束」は、「神話の力」(ジョゼフ・キャンベル)ともリンクしうるもの。使い過ぎれば食傷しますが、うまく活用できればセッションを大きく盛り上げることが可能になります。いずれにせよ「お約束」をはじめとしたホラー映画についてのリテラシーは、高められるに越したことはないはずです(映画についてよく知っていれば、さらに映画を楽しむことができるようになるはずですから)。
この点、本作では「ホラー映画の名作イレブン」と題し、代表的な名作ホラー映画を11本取り上げ、充分な紙幅を割いて解説しています。単なる紹介記事ではありません。名作ホラー映画を、『クトゥルフ神話TRPG』のシナリオを創造したり、あるいはセッションを運用したりするための観点から分析しているのです。それゆえ『クトゥルフ・ホラーショウ』はRPGゲーマーのための映画批評の書でもあるのです。「ホラー映画の名作イレブン」を紹介する面々も、坂本雅之氏・内山靖二郎氏といった日本の『クトゥルフ神話TRPG』の紹介に貢献してきたベテラン・ライターから、『クトゥルフ神話TRPG』の有名ファンサイト「Red Worm Sanatorium」を運営している寺田幸弘氏、そして『玻璃の家』で第1回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した松本寛大氏(*2)と、豪華な面々が揃っています(ほか、シナリオではベテラン・ゲームデザイナー高平鳴海氏も参加しています)。
もちろん「ホラー映画の名作イレブン」で解説される作品の多くは著名な傑作ゆえに、ホラー映画マニアには物足りない部分があるかもしれれません。また、この解説はランダムシナリオ作成チャートのように「セッション中すぐに使える!」という即効性を有したギミックでもありません。しかしながら名作の構造を分析し、その活用法を自家薬籠中のものとすることができれば、キーパー(ゲームマスター)の能力は飛躍的に向上を見せることと思います。
また、これらの名作ホラー映画(の構造)をモチーフにしたシナリオを遊ぶ場合、あらかじめ対象とする映画の解説部分をプレイヤーに読ませるようにしておけば、「お約束」を速やかに共有することができます。
アメリカでは、ゲームデザイナー/小説家のロビン・D・ロウズ氏が、『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET'S HIT POINTS(未訳)という、『ハムレット』、『007 ドクター・ノオ』(『007は殺しの番号』)、『カサブランカ』といった古典的名作の構造を、ストーリーラインの持続性と物語に関連したダイナミズム(Beat)の観点から徹底的に分析し、RPGの「語り」(ナラティヴ)に活用できるようにするという、興味深い理論書を出しています。この点、『クトゥルフ・ホラーショウ』の試みは『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET'S HIT POINTSのような海外のRPG界における先鋭的な試みと共鳴する部分があると言えそうです。
ロビン・D・ロウズ氏は、ジャック・ヴァンスの小説『終末期の赤い地球』を原作としたRPGThe Dying Earth Roleplayingで有名ですが、近年の仕事である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第4版のコアルール『ダンジョン・マスターズ・ガイドII』や、幻想世界グローランサを舞台にしたRPGシステム『ヒーローウォーズ』は日本語でも紹介がなされています。ロウズ氏の小説は残念ながら未訳のようですが、“死体のような外見”という特異なヒロイン、アンジェリカ・フライシャーが活躍するシリーズなどで人気を博しているようです(筆者も1冊持っていますが、なかなか痛快)。
そんなロウズ氏の現場での経験から生まれた『ハムレットのヒット・ポイント』HAMLET'S HIT POINTSについては、いずれAnalog Game Studiesでも詳しく紹介したいと思いますので、どうぞお楽しみに!
-thumbnail2.jpg)
また現在発売されている、会話型RPGを中心としたアナログゲーム総合情報誌「Role&Roll」Vol.77では、『クトゥルフ・ホラーショウ』に関連した「ホラー映画テンプレート式シナリオ講座」が掲載されており、シナリオ作成にあたって大きな手助けとなるでしょう。
![Role&Roll Vol.77 [大型本] / アークライト (編集); 新紀元社 (刊) Role&Roll Vol.77 [大型本] / アークライト (編集); 新紀元社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51R1UqRoEIL._SL160_.jpg)
―――――――――――――――――――――――――――――
【脚注】
(*1)題材の性質上、シナリオタイトルだけでもネタバレになってしまいかねないので解説は避けます。ただし筆者は2本目の寺田幸弘氏のシナリオをいたく気に入っています。
(*2)松本寛大氏の長編ミステリ小説『玻璃の家』では、相貌失認(「顔」を正確に把握できなくなる症例)という認知科学的な問題意識とアナログゲームにも通じる感受性が巧みに融合されていました(詳細は拙稿「ミステリとSF あるいはリセットの利かないゲーム」(〈ジャーロ〉38号を参照)。
現在、松本寛大氏は『玻璃の家』に引き続き、ギリシア劇における合唱団「コロス」に相当する役割の人物を探偵役に据えた第2長編『妖精の墓標』(仮題)を執筆中とのこと(『本格ミステリー・ワールド2011』)。『クトゥルフ・ホラーショウ』は松本氏のフィクション観を窺い知ることができるという意味で、ミステリ・ファンにもお薦めしたいところです。
![玻璃の家 [単行本] / 松本 寛大 (著); 講談社 (刊) 玻璃の家 [単行本] / 松本 寛大 (著); 講談社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51jViPbuPrL._SL160_.jpg)
![EQ Extra GIALLO (イーキュー エクストラ ジャーロ) 2010年 01月号 [雑誌] [雑誌] / 光文社 (刊) EQ Extra GIALLO (イーキュー エクストラ ジャーロ) 2010年 01月号 [雑誌] [雑誌] / 光文社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41MqpV0Z2CL._SL160_.jpg)
![本格ミステリー・ワールド2011 [単行本(ソフトカバー)] / 島田荘司 (監修); 南雲堂 (刊) 本格ミステリー・ワールド2011 [単行本(ソフトカバー)] / 島田荘司 (監修); 南雲堂 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51WbD5Tb0FL._SL160_.jpg)