草場純
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日本のメジャーな伝統ゲームと言えば、将棋・囲碁・絵双六・麻雀・かるた・連珠と五目並べ・花札といったところだろうか。これ以外の伝統ゲームは、マイナー、瀕死、滅亡のどれかと言ってよいだろう。
高橋浩徳氏の『日本伝統ゲーム大観』大阪商業大学アミューズメント産業研究所刊 には、86種の日本の伝統ゲームが挙げられている。そのうち多くは、瀕死のゲームと言ってよいかも知れない。それを参照しつつ、もう少し事例を取り上げよう。
盤双六は、日本のバックギャモンとでも言うべきゲームであり、滅亡したゲームである。滅亡したゲームだから厳密なルールは完全には解明されていない。従って以下の細部は文献からの推定の域を出ない。
推定されるルールは、大枠に於いて現行のバックギャモンと同様である。それも当然で、飛鳥時代(7世紀あるいはそれ以前)に日本に伝来したバックギャモン(の祖先)が盤双六だからである。とは言え両者には千三百年の隔たりがあり、当然相違点もある。
現行のバックギャモンと盤双六の相違点は、
@まずバックギャモンにあるダブリングキューブは、盤双六にはない。これはダブリングキューブの発明が、20世紀のバックギャモンに於いてであるから当然である。
Aぞろ目はバックギャモンでは4回プレイするが、盤双六では2回のプレイとなる。これは、古いバックギャモンのルールは、実はそのようだったと伝えられていてる。
Bオープニング(初手)は一つずつダイスを振って決め、そのまま動かすバックギャモンに対し、盤双六では先手を決めてから二つダイスを振り出して始める。これも、古いバックギャモンのルールはそのようだったと伝えられていて、現在でも国や地域によってはこのルールが残っているところもある。
C盤双六にはベアリングオフがない。このことは最も重要なバックギャモンとの違いだが、ベアリングオフはバックギャモンの専門用語なので、ここでバックギャモンをご存知ない方のためにちょっとだけ補足すると、要するに双六だから「あがり」を目指すゲームなのに、バックギャモンはあがりまでやるが、盤双六ではあがりの準備ができたところでゲーム終了になるのである。
このCのルールが大きな意味を持ってくる(と私は考える)。なぜなら、(@)ABは、少し昔のとは言えバックギャモンにもあったルールであるのに対し、このCは全く日本の盤双六に特有のルールだからである。
この先の議論は後段の「ゲームの受容」の領域になるが、盤双六に限っては受容の変遷が深く内実(ルール)の変遷にかかわっているので先回りして考察を進めよう。
盤双六は、中世には猖獗を極めたにもかかわらず18世紀末にはすっかり衰退し、忘れられたゲームとなってしまう。即ち相転移が起るのだ。これが「盤双六の謎」であり、衰亡の理由について様々な憶説が唱えられてきた。ここではその詳細に触れている余裕はないので、私の仮説のみを述べると「つまらなかったから廃れた」という身も蓋もないものである。ではなぜ中世では盛んだったのか。一つにはセネトのところで述べたように、ほかに面白いゲームが少なかったからだろうが、私はもっと大きな理由として「正しいルールが失われたから」だろうと考えている。
私の推測では、上記Aのルールにより、ノーコントタクト後のプレイが単調になった(ぞろ目がないので波乱がない=リードしている方がそのまま勝ってしまう)。→→Cベアリングインでゲームをやめてしまう。→→最後の逆転がなくなりゲームとしての魅力が衰える。→→プレイヤーが少なくなり、ますます伝承ができなくなる。というシナリオなのではないかと推察している。言い換えれば、ルールの劣化がゲームの社会における扱い(相)を変換させてしまった、と考えるのである。
ただしもとよりこれは文献的な裏づけのない、私の推察・仮説にとどまるものである。上記のルールの劣化が起った時代も特定できない(私は江戸時代前半と考えているが確証はない)。
「伝統ゲームを現代にプレイする意義」という主題に対しては、盤双六はネガティブな材料となろう。恐らく盤双六が現代に復活することはあり得まい。現代では盤双六のニッチは、すっかりバックギャモンにとって変わられているからである。これはしかし、外来種が在来種を駆逐したのではない。おっとり刀でブラックバスやブルーギルがやってきたときには、在来種はもう自ら滅んでいたのである。いやむしろニッチそのものがやせ細っていたと言うべきである。ニッチの一部は確かに絵双六へと引き継がれたのだが、絵双六の評価は子供の遊び、あるいは知育ゲームとしてのものである。(あるいは芸術品。)
すなわち、乏しいニッチと成り果てていたのだ。
出典ははっきりしないが次のような逸話がある。幕末・明治初期にバックギャモンが西洋双六として再伝来してきたときに、「盤双六の亜流」としてしか見られず、ために普及しなかったと言うのだ。何とバックギャモンの再上陸には、それから更に百年待たねばならなかったというわけだし、現在でも日本でバックギャモンがなかなかメジャーなゲームになれないのは、その後遺症が残っているせいなのかも知れない。
瀕死・滅亡の伝統ゲームの「内実」を、盤双六を実例に眺めてみたが、では果たして盤双六という「伝統ゲームを現代にプレイする意義」はあるのだろうか。私はズバリ、ないと思う。もちろんこれは私の上記仮説が正しければ、だが。
もちろん反面教師的な意味では、意義はある。私は盤双六を数多くプレイした。残念ながら面白いものではなかったが、そこから私は次のことを学んだ。
まず、ゲームのルールは変化していくが必ずしも面白く変わるとは限らない、ということである。そうして当然のことだが、つまらないゲームは廃れるということである。(この辺りは、「結果と原因を逆転して考えている」という批判はあるかも知れないが。)
言い換えれば、「伝統ゲームは固有のシステムを保存している(ことがある)が、それが必ずしも良いものとは限らない」ということを学べるわけだ。
しかし研究者ならいざ知らず、一般のプレイヤーが好んでつまらないゲームをやることはない。ゲームは伝統芸能や伝承芸術というわけではない。私は全ての伝統ゲームをプレイすべきと唱えたりはしない。むしろつまらないゲームが淘汰されていくのは、健全なことと考えるべきであろう。
だがそれでも、私は盤双六から多くを学んだと考えている。
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草場純(くさば・じゅん)
1950年東京生まれ。 元小学校教員。JAPON BRAND代表。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年〜2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。『子どもプラスmini』(プラス通信社)に2005年から連載している「草場純の遊び百科」は、連載40回を数える。
遊戯史学会員、日本チェッカー・ドラフツ協会副会長、世界のボードゲームを広げる会ゆうもあ理事、パズル懇話会員、ほかSF乱学講座、盤友引力、頭脳スポーツ協会、MSO、IMSA、ゲームオリンピックなどに参画。
著書に『ゲーム探険隊』(書苑新社/グランペール(共著))、『ザ・トランプゲーム』成美堂出版(監修)、『夢中になる! トランプの本』(主婦の友社 )
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