蔵原大
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平時の演習をして十分にその効果あらしめるためには、演習中諸障害の一部でも現出させ、指揮官をしてその判断、その用意の周到さ、あるいはその決断力をすら訓練させるようにすべきである。このような演習ならば、その価値たるや、実戦の経験のない者が信ずる以上に莫大なものがあるであろう。初めて経験した場合は、周章狼狽するにちがいない戦争の諸現象を、戦争前に経験しておくことは、その地位階級にかかわりなく軍人にとって測り知れないほど重要なことである。
―クラウゼヴィッツ著、清水多吉訳『戦争論(上)』(2001), pp.140-1―
今回ご報告するのは、DBAという紛争シミュレーション(ウォーゲーム)のプレイ経過です。このゲームのプレイヤーは古代世界の国王/将軍となり、各文明(シュメールやローマ、アジアの諸王国など)の軍隊を率いて奮戦します。DBAにおけるプレイ手順は、基本的には先攻プレイヤーが「移動→戦闘」を行い、それから後攻プレイヤーが同様の行動をするという、将棋に近いオーソドックスなシステムです。

以前に多摩のゲーム団体「GGG」(Good Gamers' Group)でプレイした際、このゲームの体験レポートを書きました(2007年9月定例会レポート. http://homepage2.nifty.com/ggg2/50_houkoku/houkoku-2007/2007-09-09-report.htm)
今回はその続編に当たります。
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【会戦(○エジプト vs ●ヌビア)】
今回の戦いでは、報告者(Dai Kurahara)がエジプト(Eygpt)軍を、イタリア人のジョバンニ・アラーリ氏(Mr.Giovanni Allari: http://westtokyowargamers.blogspot.com/ )がヌビア(Nubia)軍を担当します(2007年にゲーム団体「GGG」( http://homepage2.nifty.com/ggg2/ )でプレイしました)。
古代エジプトの王朝は、アフリカ大陸を流れるナイル河流域を拠点とし、数千年に渡って古代世界の覇者として君臨していました。そしてエジプトはその力が強大になると、現在のスーダンに相当するヌビアを影響下に置き、その産品である金や木材で豊かになりました。しかし逆にエジプトの力が衰えると、ヌビアの勢力が北上してエジプトを支配する時もありました。

画像の、右下の方がエジプト軍、左上に整列するユニットの列がヌビア軍です。
盤の右端にある青い帯は、ナイル河…ではなくて、戦場の境界線です。DBAでは戦場の大きさは明確に定められており(最大で90cm四方)、プレイヤーはそのなかで策略を駆使して部隊を操ります。
今回対決する各軍(DBAにおける一つの軍隊は12ユニット構成)の編成は、非常に対照的です。エジプト軍は歩兵(8ユニット)+戦車兵(4ユニット)の混成部隊であるのに対して、ヌビア軍は(12ユニット全て)歩兵のみで編成されています。今回のように丘陵が多い地形では、小回りのきく歩兵の方が、騎兵や戦車よりも早く動くことができます。DBAにおける(そしてもちろん実際の)騎兵や戦車は「悪路」(off-road)すなわち丘陵や沼地などの地形では移動速度や戦闘力が低下するのです。「歩兵は陸戦の女王」と言われるのは、その辺の事情と関係しています。
両軍がユニットの配置を終えたら、いよいよ戦闘開始です。この紛争シミュレーションにおけるユニットの配置の方法は、相争う陣営がお互いに6面体ダイス1個を振り、低い目を出した陣営(防御側)が先に配置し、高い目を出した陣営(攻撃側)は敵の配置を見ながら自軍を並べる、というものです。
今回はヌビア軍が振った目が低かったので、ヌビア軍が先に配置し、エジプト軍はその配置を見て作戦を立てます。
一般的にはエジプト軍のような諸兵連合部隊は足の速い部隊を側面に置き、歩兵を中央に置いて、敵の側面を狙いながら前進する、という作戦をとりがちのようです。ところが今回は丘や沼などの地形があちこちに在るため、機動戦法は適切ではないかもしれません。そこでエジプト軍は主力を丘と森の間に並べ、さらに一部の戦車を派遣して敵の左翼を突く作戦を考えました。『孫子』「虚実篇第六」に曰く「それ兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて低きに趨(おもむ)く。兵の形は実を避けて虚を撃つ」という訳です。
対してヌビア軍はすべて歩兵なので、エジプト軍のように馬を使った部隊の機動を考慮する必要はありません。横一列陣形のまま敵に向かって前進します。
両軍とも前進して敵を叩く意図があったので、戦いは戦場の中央で行われます。
すでに説明したとおり、エジプト軍の作戦は中央で敵を拘束すると同時に、自軍の右翼の戦車で敵の側面を突く、というものでした。そしてエジプト軍の作戦はたしかにうまくいきました…途中までは。
さてエジプト軍の戦車隊は、一隊は丘の上から、もう一隊は側面から、ヌビア軍の左翼を襲います。しかし攻撃はまったく功を奏しません。戦車はヌビア軍の歩兵の壁に阻まれて前進できなくなります。

じつはエジプト軍の戦車は「軽戦車」(Light Chariot)つまり強力な武装を備えていない戦車でした。しかも先ほど説明したように、戦車や騎兵は丘などの複雑な地形で戦闘する場合、戦闘力が減少してしまいます。エジプト軍右翼の戦車隊は、突撃して敵を捕捉するはずが、かえって自分にとって不利な地形で敵に戦闘を強いられてしまったのです。
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さらに、ヌビア軍はエジプトの戦車が動けないのを見て取ると、自軍の予備兵力を左翼に動かし、戦車を逆包囲するように機動してきました。このままではエジプト軍の戦列は右翼から崩壊してしまいます。エジプト軍の勝ち目は中央で敵を突破できるかどうかにかかってきました。
しかし両軍の中央における戦いはエジプト軍有利に展開しました。少なからぬ損害を出しながら、エジプト軍は敵の戦列を押していきます。ヌビア軍は左翼に兵力を回したせいで、中央を支えることができません。勝敗は明らかとなりました(DBAにおける勝利条件は、敵の4ユニットを撃破する/敵の将軍ユニットを破壊すること。ゲーム終了時点でエジプト軍は4個、ヌビア軍は2個のユニットを撃破した)。
すでにヌビア軍の戦列は総崩れになっていますが、その真ん中にいたヌビアの将軍は最後まで後退せずに戦い続けます。しかしこの将軍もまた、ついにエジプト軍の戦車に蹂躙されるのでした。

DBAの戦車ユニットの大きさは横60mm、縦80mmです。一番小さい歩兵ユニットでさえ縦60mm、縦20mmですから、従来の紛争シミュレーションで使われた紙製ユニットよりもはるかに大きいことになります。画像は古代世界で使われた、馬で牽引された戦車をかたどったユニットを写したものです

DBAは古代世界のさまざまな軍隊、例えば今回のエジプト軍やヌビア軍だけでなくローマ軍団やギリシャ軍、さらに中世日本のサムライ軍なども扱っています。また派生版としてヨーロッパの近世やナポレオン戦争を扱ったミニチュアゲームもあり、そちらも海外では人気があるそうです。
そうしたゲームは、日本では次のお店で取り扱われています。
○ サンセットゲームズ: http://www.sunsetgames.co.jp/
○ コマンドマガジンWEBサイト: http://commandmagazine.jp/
ところで紛争シミュレーションって、世の中にとっては一体何の役に立つんでしょうか?
○ ウォーゲームを製作する歴史学の講義:フィリップ・セイビンの革新的試み
○ 秦郁彦編『太平洋戦争のif[イフ]』(2010):歴史学者の秦郁彦と戸高一成、ウォーゲームにて激突す!
大規模な戦闘の客観的真実性を把握するためには、眼=カメラ(ナポレオン、グリフィス)が将軍や監督などの個人的なものであってはならず、人間の眼と頭脳が、特定の時と場所において知覚するものよりも遥かに多くの事実と効果を記録分析し、ふたたび舞台装置の中に置き直すモニターのそれでなければならない。戦場の地政学的規模が新たに広がり、現代では予想行動が必要となり、真の意味での戦争の予想が要求されるようになった。要するに、動力革命(軍備、大量輸送)の結果として極端に肥大化した行動範囲は、軍事的な覗き見のまなざしによっては短時間のうちに視野に収めることなどできないとするヴィデオ型発想がすでに誕生しているのだ。またしても科学技術のベクトルのみが新たな合成物を用いながら、みずからが産み落とすこの傾向と戦う力を持つ。加速度的な移動(速度の活動とナポレオンは呼んだ)という補完代用物において臨場性の効果は失われ、全面的にシミュレートされたみせかけの像を作りだす必要が生じる。つまりはメッセージ全体の三次元的再構成のことだ。
―ポール・ヴィリリオ著、石井直志・千葉文夫訳『戦争と映画T―知覚の兵站術』(1988), p.124―
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【補足説明】
■ 紛争シミュレーション(Conflict Simulation)
日本では「兵棋演習」とも「ウォーゲーム」ともいわれる紛争シミュレーションは、古くから「将棋」や「チェス」として親しまれ、今では各国の大学で歴史教育、社会研究の材料として使われています。今回のようなミニチュアゲームを体験された方々の中にはヘルムート・フォン・モルトケ、ハーバート・G・ウェルズ、アイザック・アシモフといった人々もいるのだそうです。
細かいことは以下をご参照のほど。
○ "平成18 年度特色GP 採択プログラム ゲーミング・シミュレーション型授業の構築." 秋田大学. ( http://bonden.is.akita-u.ac.jp/ )
○ Conflict Simulation :War Studies :King's College London: ( http://www.kcl.ac.uk/schools/sspp/ws/consim.html )
○ 「20世紀のウォーゲーミング(図上演習の方法論)に関する歴史」戦略研究学会編『戦略研究』(第6号、2009)芙蓉書房 ( http://www.fuyoshobo.co.jp )
○ 「歴史上の紛争を表現するシミュレーション手法」戦略研究学会編『戦略研究』(第8号、2010)芙蓉書房 ( http://www.fuyoshobo.co.jp )
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■ DBA (De Bellis Antiquitatis)
プラスティック製のフィギュアを使って古代〜中世の陸戦を再現するミニチュアゲームです。このゲームではプレイヤーは最大12個のユニットを駆使して戦います。ゲームの流れは原則として一方のプレイヤーがまず先に「移動−戦闘」を行い、もう一方が同じことをするという簡単なもので、1回のプレイ時間は通常1〜2時間です。
DBAの紹介は以下のウェブページをご参照のほど。
○ "DBA Tips and Guides." ( http://www.fanaticus.org/DBA/guides/index.html )
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■ ジョバンニ・アラーリ氏(Mr.Giovanni Allari)
ジョバンニ・アラーリ氏はDBAのベテランで、ご自分が製作した沢山のユニットを所有しています。今回のプレイに登場したものを含め、所有しているユニットの画像は「DBA Armies of the Allari Brothers」で公開されています。氏は「West Tokyo Wargamers」で新人ゲーマーを募集していますよ(多摩で活動中です)。
○ West Tokyo Wargamers. ( http://westtokyowargamers.blogspot.com/ )
○ "DBA Armies of the Allari Brothers." ( http://www.fanaticus.org/DBA/armiesofthefanatici/AllariBrothers/index.html )
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■ エジプト文明 (Egyptian Civilization)
アフリカ大陸を流れるナイル河(River Nile)の下流域にあたるエジプトでは、すでに紀元前3000年頃(日本の縄文時代に相当)には農耕文化を基盤とする王国が形成されていました。
今回使用した「エジプト軍」は、紀元前16世紀〜紀元前11世紀にかけてエジプトを統治した「新王国」(New Kingdom)の軍隊を模擬しています。エジプト新王国はヌビアやパレスチナなどエジプトの周辺に遠征を繰り返しましたが、やがて神官と軍人の台頭による内部抗争によって衰えます。新王国期は「ツタンカーメン」(Tutankhamen、BC.14世紀の人物)や「ラムセス2世」(Ramses II、BC.13世紀の人物)などの太陽王こと「ファラオ」(Pharaoh)が登場した時代でした。
エジプト文明については、下記サイトで解説されています。
○ "Ancient Egypt." The British Museum. ( http://www.ancientegypt.co.uk/menu.html )
○ "Culture & History." EMBASSY AVENUE(在日大使館) 在日大使館オフィシャルサイト. ( http://www.embassy-avenue.jp/egypt/history-j.htm#1 )
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■ ヌビア (Nubia)
ヌビアは、現在のスーダン(その一角がダルフール地方)に相当するナイル河中流域の古名です。エジプトの南に位置するため、エジプトの支配者とヌビアの勢力との間には古来いくども戦いが行われてきました。古代のヌビアは金・黒檀・象牙を産出したばかりか、ヌビア出身の傭兵たちの働きぶりによっても有名でした。
古代ヌビアとその現状については、下記サイトで解説されています。
○ "スーダンの国情報." スーダン共和国大使館OFFICIAL PAGE. ( http://www.sudanembassy.jp/sudan_info.htm )
○ "終焉にはほど遠いダルフールの危機." 国境なき医師団日本. ( http://www.msf.or.jp/files/Image/sudan_darfur1/index.html?id=0 )
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最後に多摩の"Good Gamers’Group"もよろしく!:http://homepage2.nifty.com/ggg2/