2021年03月02日

『ウォーハンマーRPG』を愉しもう! Vol.3.5

本日2021年3月2日配信の「FT新聞」No.2960に、連載「『ウォーハンマーRPG』を愉しもう!」Vol.3.5が掲載されています。なぜ端数かというと、読者の方からの応答によって、多様性についての議論を掘り下げる回となったからですね。Analog Game Studiesでもアーカイビングいたします。

『ウォーハンマーRPG』を愉しもう! Vol.3.5 No.2960
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『ウォーハンマーRPG』を愉しもう! Vol.3.5

岡和田晃
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 魔狩人フレイザーは、ずっとわたしを付け狙っている。
 わたしが「混沌」そのものだと疑っているのだ。それも無理もない。当時、帝国暦2512年。わたしの実年齢は7歳だった。けれども、外観は12〜3歳にしか見えていないはずだ。わたしは、それが呪いの賜物だということを知っているが、それを告白するということは、魔女として火刑に処されることを意味する。
 しかし、今回、フレイザーの口から出たのは、それとは無関係のようだった。
 ユングフロイト家。ここユーベルスライクを治める名家だ……。
 −−魔女レジーナが書き遺した手記「ありえざる遭遇」の章より

 本連載の前回では、『ウォーハンマーRPG』と多様性について取り上げましたが、読者の方々から、Twitter上で、とりわけ興味深い応答をいただきました。
 そこで今回はいささかイレギュラーですが、補足を兼ねて、「多様性」の問題をもう少し深く掘り下げてみたいと思います。

●キャラクター・シートに「性別」欄がないということ

 まず、「鋼の旅団」さんからは、「『ウォーハンマーRPG』第4版はこれまであった「性別」の記入欄が無くなっています。髪の色や瞳の色の欄はあるのに肌の色を記載する欄もありません。つまり、どれだけウォーハンマーRPGがオールドなファンタジー作品であるにも関わらず、先進的で大人のゲームなのかをわかりやすく説明して下さっています。」とのコメントを頂戴しました。
 はい、そうなのです。もちろん、これはセクシズムやレイシズムにゲームを悪用させないための配慮の賜物でしょう。
 例えばキャラクター・シートから「性別」欄を撤廃するというのは、『ウォーハンマーRPG』のみならず、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第5版等、最近の海外RPGでは珍しいものではなくなっています。
 なぜそうなのか? キャラクター・シートに書かれている内容は、ゲーム世界においての客観的な事実だからです。

●主観的な真実ではなく、客観的な事実を書くものとしてのキャラクター・シート

 ゲーム・セッションでは状況によって、他のプレイヤー・キャラクターあるいはノン・プレイヤー・キャラクターに「嘘」をつかねばならない場合があります。シートに記載されている事実とは異なる内容を話して伝えることで、交渉を有利に進めようとする場面などですね。
 ただ、現在のデータについて、キャラクター・シートに虚偽を書き込んではなりません。本当は「耐久値」が10なのに、(単に死にたくないからと)ルールを無視して20と書き込んでしまっては、ゲームが成り立たなくなってしまうのは自明ですね。
 一方で、性別を書き込まないということは、事実としての「性」の多様性を固定化してしまわない、ということを意味しています。
 本人が公言していないマイノリティ性を暴露(アウティング)する行為は犯罪ですから、そうはならない雰囲気づくりという配慮もあるのでしょう。
 多様性(ダイヴァーシティ)をめぐる議論が進んでいるとはいえ、まだまだ差別や偏見は社会に根強い状態ですから、ゲーム・キャラクターをネタにかこつけた差別を認めない、というスタンスが大事になってくるわけです。
 そういった意味で、「本連載の前回、『ウォーハンマーRPG』の各キャリアには、それぞれ味わい深いイラストが添えられていますが、描かれるキャラクターの男女比は、ほぼ半々になっています」というのは、厳密に言えば正確ではありませんでした。
 説明の便宜のため、あえて単純化していたとご理解ください。要するに、イラストで表象された身体的な「外観」のバランスが取れていた、という話です。

●『エクリプス・フェイズ』とジェンダー・アイデンティティ

 もちろん、キャラクター・シートに性別欄を設けない、というのは、あくまでも一つの方法論にすぎません。
 別のやり方もあります。参考までに、『エクリプス・フェイズ』というSF-RPGの例を見てみましょう。
 この作品では、人間の精神がデジタル化され、肉体は義体(モーフ)として取替え可能になっているという未来の世界観が採用されています。
 演じるキャラクターはトランスヒューマンと呼ばれます。「超人(トランスヒューマン)思想=トランスヒューマニズム」とは、遡れば19世紀後半の神秘思想に由来します。
 大雑把に説明すれば、修行によって精神を上昇(アセンション)させることで、肉体を超えた存在になることができる、という人神思想です。
 しかし、コンピュータ・サイエンスをはじめ科学技術が極限まで発展した未来においては、AI(人工知能)が人間の予測もつかないレベルにまで到達し(技術的特異点【シンギュラリティ】の到来)、既存の人間観を抜本的に変容させてしまいました。つまり、技術がトランスヒューマニズムを常態化させたわけです。
 ゆえに、『エクリプス・フェイズ』のキャラクターは、外見では性別の見分けがつかない場合がままあります。
 義体も生体義体(バイオモーフ)と合成義体(シンセモーフ)に大別され、合成義体の場合、脳はサイバー・ブレイン、呼吸・睡眠・飲食不要となるのです。
 こうした世界観ですから、『エクリプス・フェイズ』では、キャラクター・シートに「ジェンダー・アイデンティティ」という記載欄があります。外観とは無関係に、どのようなジェンダー(社会的性)を自認しているのか、ということを記述するわけです。
 私がゲームマスターをする時には、『エクリプス・フェイズ』は、魂(エゴ)の性別、義体(モーフ)の性別、ジェンダー・アイデンティティ、性的指向のそれぞれにおいて、男性・女性・中性・両性・無性の5つから、選んで記述してもらう、という形にしています。
 ジェンダーをめぐる現実世界の複雑な状況を、SFの世界観としての思考実験という形で、応用しているわけです。実際、『エクリプス・フェイズ』のゲーム・セッションでは、ごく自然にアイデンティティをめぐる問いが発生する仕掛けになっています。
 「FT新聞」をお読みの皆さんはソロアドベンチャーがお好きだと思います。
 月刊アナログゲーム総合情報書籍「Role&Roll」(アークライト/新紀元社)のVol.193では、私が書いた『エクリプス・フェイズ』のソロアドベンチャー「流れよわが涙、と監視官は言った」が掲載されています。
 簡易ルール付きですので、ぜひプレイしてみてください。

●多様性(ダイヴァーシティ)をめぐる2つの位相

 『ウォーハンマーRPG』と多様性について、仲知喜さんからは、「今回、岡和田さんはWHRPGの多様性に注目して紹介しておられます。そうくると「仲間」ではない存在、ゲームに欠かせない存在である「敵」にも関心が向かいます。オールドワールドにおける「敵」はどう現れ、描かれ、何を持って敵だと解釈されるのでしょうか。今後の連載で解き明かされるのでしょうか」とのコメントをいただきました。
 これまた興味深いご指摘です。
 RPGにおいて多様性(ダイヴァーシティ)という言葉が使われる際、大きく分けて2つの位相が念頭に置かれるものと思います。
 第1の位相はゲーム内の世界。つまり『ウォーハンマーRPG』で表現されるオールド・ワールドのことですね。
 第2の位相は、ゲーム外の世界。現実世界においてテーブルを囲む、プレイヤー同士の人間関係です。
 ことRPGが特異なのは、こうした2つの領域が、必ずしも截然(せつぜん)と分かたれているわけではない、ということです。
 学術的なゲーム研究では、例えば「魔法円(マジック・サークル)」という概念をめぐる議論として、話し合われている問題です(ご興味のある方は、ケイティ・サレン&エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』【山本貴光訳、ニューゲームズオーダー】をお読み下さい)。

●卓を囲む人々の間においては「敵」を作ってはならない

 もちろん、プレイヤー・キャラクターとプレイヤーは別人格であり、極端な話、ゲーム内のキャラクターが死んでもプレイヤーまでが死んでしまうわけではありません。そういう意味では、ゲーム内とゲーム外は別で、両者を混同してしまうのは危険です。
 しかし一方で、『ウォーハンマーRPG』の世界は、参加するゲームマスターとプレイヤー同士の相互作用(インタラクション)によってはじめて成立する、という性格を持ちます。その相互作用の前提となるのは−−世界観やコミュニケーションの作法をも包含するという広い意味での−−ルールなのです。
 こと、ルールがあるからこそ、現実と架空の世界は区別されるわけですが、そのルールは参加するプレイヤーたちの自主的な管理によって成り立つという性格を持つもので、金科玉条というわけではありません。
 実際、ゲームマスターは、それによってゲームがより面白くなると判断したのであれば、ルールを曲げてしまうことすら許可されているのです。
 つまり、現実世界とゲーム世界の境界は常に曖昧であり、プレイヤー・キャラクターの性格は、必ずどこかの面でプレイヤーの性格の投影になっているものです。
 前提として、現実世界で卓を囲む相手に、差別やハラスメントを行うことは、あってはならないことです。
 気心の知れた友人に限るならばともかく、コンベンションやオンラインセッション等で、見知らぬ人と一緒にRPGをプレイする機会は少なくありません。
 本人がカミングアウトしていないだけで、同卓している人は何らかのマイノリティ性を孕むかもしれません。
 そして、そのマイノリティ性をカミングアウトしろと強要することは許されないため、多様性(ダイヴァーシティ)を確保できるような環境づくりが求められるわけです。
 平たく言えば、卓を囲む人々の間においては「敵」を作ってはならない、というわけです。

●ゲーム世界における明確な「敵」とは

 今回、仲さんがおっしゃっているのは、あくまでもオールド・ワールドのなかにおいての「多様性」であり、では、それを裏切る「敵」というのはどういうものかを問うておられます。
 RPGの中では、「多様性」からいったん棚上げされるような、明確な「敵」が設定されているシステムも少なくありません。残虐非道な、討伐されるべき絶対悪というわけです。
 『ウォーハンマーRPG』にも、ルールブックには明確な「敵」として使われるべき、凶悪なクリーチャーが多数、記述されています。
 知性がなくコミュニケーションが取れない、それこそ相手を食用としてしか思えないようなクリーチャーも、少なからず存在します。
 珍しいところでは−−ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に出てくるジャバーウォックを、さらに凶悪にさせたような−−ジャバースライスという、見るだけで相手を狂気に陥らせ、ほとばしる血液が敵を腐食させる力を有したクリーチャーさえいるのですから。

●初版にあった属性(アラインメント)というルール

 初版の『ウォーハンマーRPG』では、属性(アラインメント)という概念が存在しました。この属性(アラインメント)という概念は、興味深い論点を提供してくれています。
 すべてのキャラクターは、「混沌」−「邪悪」−「中立」−「善良」−「秩序」といった、直線上に並ぶ5つの属性のいずれかを有します。自分と同じ属性ではないキャラクターと交渉する場合、1段階離れるたびに−10%のペナルティがかかるというわけです。
 面白いのは、同じく属性(アラインメント)のルールがある『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(AD&D)では、「混沌」と「秩序」、「邪悪」と「善良」はそれぞれ別枠だったのに、『ウォーハンマーRPG』初版ではそうなっていなかったことです。
 属性のルールは、しばしば世界を善悪二元論(もしくは秩序と混沌の二元論)的に単純化していると批判されますが、実のところ、単なる単純化と受け止めることはできません。
 ゲーム内世界を一つの宇宙だと捉えると、その宇宙に、各属性の場所をしっかりと与えることで、単純化しつつ多様性を担保しているとも言えるのです。
 「混沌」と「秩序」は決して、真の意味で互いを理解することはできません。しかし、理解しえないながらも、世界においては共存しえているのです。
 他者を生半可にわかったふりをしない、けれども他者は確かにそこにいる……そうした思想を、属性(アラインメント)のルールからは読み取ることができます。
 そして『ウォーハンマーRPG』世界においては、「邪悪」も「善良」も、結局のところは、「混沌」と「秩序」のどちらかに至る一プロセスにすぎない、というわけです。

●「内なる敵」を適切に演出するために

 『ウォーハンマーRPG』の第2版からは、属性(アラインメント)のルールはなくなりました。初版回帰の色合いが強い第4版においても、このルールは復活していません。
 それでは、『ウォーハンマーRPG』における「敵」はどこにいるのでしょうか?
 ルール上では、「混沌」という存在が、究極の悪だとされています。ただ、究極の悪というのは、あくまでも到達不可能な理想の裏返しにすぎません。
 いくら混沌の神々の寵愛を受けても、ケイオス・チャンピオンという強力な存在にはなれるかもしれませんが、神々そのものと化すことはできないのです。
 さらに言えば、オールド・ワールドは中世から近世にかけてのヨーロッパをモチーフにしています。当然、近代以降に確立された人権概念、というのはありません。
 世界は不条理に満ちており、社会格差もすさまじい。
 こうしたなかで、いちばん恐ろしいのは、理解したかに思えていながら、その腹の底までは読みきれないという「内なる敵」という存在なのではないでしょうか。
 『ウォーハンマーRPG』では、混沌のミュータント、スケイブン(スケイヴンとも、ネズミ人間のこと)、グリーンスキン(ゴブリン類)等、多様な敵役が設定されています。
 ただ、実際のところ、いちばん頻繁に出逢う敵は、「人間」そのものです。
 オールド・ワールドでもっとも勢いがあるのは人間ですが、「混沌」よりも恐ろしいのは、マジョリティである人間である、というわけです。
 初版の有名なキャンペーン(連続)シナリオ群の−−4版対応で順次、英語版が刊行されていますが−−サブタイトルが「内なる敵」と題されているのは、謂れなきことではないのでしょう。
 つまり、人間と人間同士の、エゴのぶつかり合いや善意のすれ違い。そして、私利私欲のための日常化した裏切りと陰謀。
 絶対悪としての「混沌」は、そこに巧妙に入り込む存在という形でデザインされています。世界観の基本には「内なる敵」があるとすると、単に倒されるべき「悪」というだけでは、その特性を充分に描き出すことはできません。
 そして、こうした世界観を演出するためにも、それこそ成熟した大人のプレイヤーによる、充分な配慮が求められるというわけです。


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