2012年04月13日

【レビュー】エドワード・ミード・アール編『新戦略の創始者 マキアヴェリからヒトラーまで』


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【レビュー】エドワード・ミード・アール編『新戦略の創始者 マキアヴェリからヒトラーまで』

 岡和田晃

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 今回はエドワード・ミード・アール編『新戦略の創始者 マキアヴェリからヒトラーまで』Edward Meard Earle(ed), Makers of modern strategy: millitary thought from Mahiavelli to Hitler (Prinston: Prinston University Press, 1943)という、戦略研究の分野における古典をご紹介いたします。

 ルドロジー(ゲーム学)の重要な立役者の一人であるゴンザロ・フラスカは、ゲームを定義づけるにあたり、ゲームとパズルを明確に区分しました。その基準を平たく言えば、双方向性(インラタクティヴィティ)を有するか否かというものでした。自分と相手の駆け引きということです。当然そこには何らかの戦略があるとしても言い過ぎではないでしょう。ゲームの達人たろうとすれば、まず戦略の実例を学ぶことが求められます。

 今回レビューを行なう『新戦略の創始者 マキアヴェリからヒトラーまで』は書名の通り、近代の戦略研究を築き上げてきた思想家たちについて論じた「国際的・学際的戦争研究の古典」として知られており、戦略の実例の宝庫といえるでしょう。

新戦略の創始者 〜マキアヴェリからヒトラーまで 上 [単行本] / エドワード・ミード・アール (著); 山田積昭 (翻訳); 原書房 (刊)新戦略の創始者―マキアヴェリからヒトラーまで〈下〉 [単行本] / エドワード・ミード アール (著); Edward Mead Earle (原著); 山田 積昭, 石塚 栄, 伊藤 博邦 (翻訳); 原書房 (刊)

 戦略という概念はその成立にあたり、とりわけ近代の戦争形態の変化と密接な関わりを持っていました。こうした広義に渡る戦略観を概説できるように、本書はルネッサンス期からナチス・ドイツの戦略に至るまで幅広い論考を集め、戦略概念の形成と拡張の過程を体系的に理解できるようになっています。
 そして本書の頁を繰るうち否応なしに伝わってくるのは、各々の書き手が戦略論の立役者たちの読み直し(リ・リーディング)を経ることで、戦略というものをよりアクチュアルに捉え直そうとしていることです。


■本書の構成

 それでは、具体的に本書の構成を見てみましょう。

 序言(抄訳)

 第I部 近代戦の原点――一六世紀から一八世紀まで
 第1章 戦術のルネサンス マキアヴェリ
 第2章 戦争に及ぼした科学の影響 ヴォーバン
 第3章 王朝戦争から国民戦争へ フリードリヒ大王 ギベール ビューロー

 第II部 一九世紀の古典――ナポレオンの解説者たち
 第4章 フランスの解説者 ジョミニ
 第5章 ドイツの解説者 クラウゼヴィッツ

 第III部 近代戦の開花――一九世紀から第一次世界大戦まで
 第6章 軍事力の経済的基盤 アダム・スミス アレクサンダー・ハミルトン フリードリヒ・リスト
 第7章 社会革命の軍事的概念 マルクス エンゲルス
 第8章 プロイセン流ドイツ兵学 モルトケ シュリーフェン
 第9章 フランス流兵学 ド・ピック フォッシュ
 第10章 フランス植民地戦争の戦略の発展 プジョー ガリエニ リヨテ
 第11章 軍事史家 デルブリュック

 第IV部 第一次世界大戦から第二次世界大戦まで
 第12章 文民による戦争の主宰 チャーチル ロイド=ジョージ クレマンソー
 第13章 ドイツの総力戦観 ルーデンドルフ
 第14章 ソ連の戦争観 レーニン トロツキー スターリン
 第15章 マジノ リデルハート
 第16章 地政学者 ハウスホーファー

 第V部 海戦と航空戦
 第17章 シーパワーの伝道者 マハン
 第18章 大陸におけるシーパワーの教義
 第19章 日本の海軍戦略
 第20章 航空戦理論 ドゥーエ ミッチェル セヴァースキー

 終章 ナチスの戦争観 ヒトラー

 解題 国際的・学際的戦争研究の古典としての『新戦略の創始者』 中島浩貴

 文献解題
 索引

 最後「ナチスの戦争観」で締めくくられるのは、本書がナチス・ドイツが引き起こした第二次世界大戦の真っ只中でまとめられたものだからです。

 本書に収められた論考はそれぞれ、1943年に行なわれたプリンストン大学高等研究所軍事ゼミナールでの議論がもととなっています。

 1943年、ナチス・ドイツが引き起こした第二次世界大戦は、独ソ戦におけるドイツ軍の大敗・イタリア戦線の開始など、泥沼の一途を辿っていました。日本では国家総動員法が施行され、総力戦体制が敷かれつつありました。そうした現在進行形の状況を理解し的確な判断を下すためのアクチュアルな研究として、本書がまとめられたことは疑いがありません。とりわけナチス・ドイツによる迫害を逃れたドイツ人研究者たちの仕事は、本書をより意義のあるものとしたと言われています。

 本書は1978年に原書房より刊行された後、長らく絶版となっていましたが、このたび中島浩貴氏による訳文見直し・訳語統一・文献解題の確認、および詳細な解説を添えたうえでの復刊と相成りました。

 中島氏によれば、本書に収録された論考の多くは1986年に発表された新版にも引き継がれているとのことです。これは、本書は第二次世界大戦中に刊行されたものですが、戦後の社会変化や研究の進展を経てもなお、収録された論考の多くに高評価が与えられているということを意味します。


■本書の特徴

 戦略論に関する著作はいくつも刊行されていますが、本書はその歴史的意義のほかにも、下記のような特徴を有しています。


 ●1:戦略論の古典的な思想が、的確に要約されている。

 本書を一望してわかるのは、マキャヴェリから始まる近代戦の原理を構築した思想家、そしてクラウゼヴィッツなど、ナポレオン時代に活躍した戦略論の古典的思想家が、簡潔に紹介されていることです。


 ●2:戦略論の受容史を知ることができる。

 戦略論の古典がいかに読まれてきたのか、そうした受容史を学ぶためにも、本書は活用することが可能です。クラウゼヴィッツ一人とっても、長い解釈の歴史があり、それを抜きにして戦略を語ることはできません。


 ●3:思想家の意外な側面を知ることができる。

 アダム・スミスやマルクス、ロイド=ジョージなど、主に経済学的な見地から語られることが多い思想家の仕事が、本書では戦略論の観点から紹介されています。思想家の多角的な顔を知り、あるいは戦略論という分野の応用性を知るためにも有用です。経済史や政治史に興味がある方が、軍事史へ射程を伸ばそうとした際、本書はまたとない見取り図を提供してくれます。


 ●4:日本では馴染みの薄い思想を学べる。

 ヴォーパン、ジョミニ、デルブリュックなど、戦略研究に馴染みがない読者にとっては触れる機会が少ないであろう思想家・軍事史家の思想が、本書は明確に要約されています。その意味で、本書は日本人の読者にとって貴重な資料ともなっています。


 ●5:各国の兵学や戦争観を概観できる。

 モルトケやシュリーフェンらのドイツ兵学やルーテンドルフらドイツの総力戦観、ド・ピックやフォッシュらのフランス兵学、あるいはレーニン、トロツキー、スターリンらソヴィエト連邦の戦争観を概観することができます。とりわけ総力戦についての記述は圧巻です。最終章のナチスの戦争観と併せ読めば、本書が二次大戦中、実践的な必要性で編まれたものであり、何よりも戦略論という分野がアクチュアルな必要性をもって求められていたことがよくわかります。


 ●6:戦略論の新たな潮流について知ることができる。
 
 本書の下巻では、地政学・シーパワー論や航空線理論など、今日の戦略研究の基盤を形成する重要な主題についても、充実した研究が寄せられています。こうした新しい潮流についての基礎を知るためにも本書は有用です。


■終わりに

 そもそも戦略を研究することは、再現しようとする戦争行為の内在的論理を探るということを意味します。ひとえに戦争といっても、時代や社会状況、あるいは参加する兵士たちや指揮官の質によって、その性質や展開は千変万化します。

 それゆえに、どのような戦略が功を奏し、いかなる戦略が愚策に終わったのかを精査し考察を重ねることは、特定の戦争における煩瑣な事実を集積するのみに終わるものではありません。いささか大仰な言い方が許されるのであれば、戦略の研究はそのまま、(予想しがたい)未来を切り拓くための術(すべ)を探りゆくことにも繋がるのではないでしょうか。『新戦略の創始者』は、私たちが未来を考えるための、またとない手がかりを提供してくれることでしょう。

新戦略の創始者 〜マキアヴェリからヒトラーまで 上 [単行本] / エドワード・ミード・アール (著); 山田積昭 (翻訳); 原書房 (刊)新戦略の創始者―マキアヴェリからヒトラーまで〈下〉 [単行本] / エドワード・ミード アール (著); Edward Mead Earle (原著); 山田 積昭, 石塚 栄, 伊藤 博邦 (翻訳); 原書房 (刊)
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2012年04月02日

【ニュース】日本アーカイブズ学会「デジタルコンテンツのアーカイブ化の現在とその課題――文化政策論の視座から」のご案内

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【ニュース】日本アーカイブズ学会「デジタルコンテンツのアーカイブ化の現在とその課題――文化政策論の視座から」のご案内

 蔵原大、岡和田晃

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 AGSメンバーの蔵原大と高橋志行氏が、「デジタルコンテンツのアーカイブ化の現在とその課題――文化政策論の視座から」という学会発表を行ないます(4月22日(日)の日本アーカイブズ学会〔 http://www.jsas.info/ 〕発表/学習院大学にて)。

 http://www.jsas.info/modules/news/article.php?storyid=101

 ところで皆さんは「アーカイブズ」という言葉をご存知でしょうか? 平たく言えば、図書館のように公共の場における情報が保存され、それを誰もが自由に閲覧できる場所や制度のことです。もちろん図書館はあちこちの町にあります。でもこれが「ゲームの図書館」となると、どうでしょう? ゲームは今や立派な文化に位置づけられていますが、放っておけばいずれ消えてしまいます。インターネットの世界でさえ、データに無限の寿命があるわけではないのです。

 ちなみに「ゲームアーカイブ」という産学官が連携した先駆的試み(1998年以来)はありますが、本格的な展開はまだこれから、という段階と言えるでしょう(2012年時点で)。
 http://www.gamearchive.jp/

 例えば1980年代に大流行した携帯デジタルゲーム「ゲームウォッチ」。任天堂から発売され、あんなに有名になったのに、今ではどの量販店でも扱われておらず、リサイクル店に出ることも稀です。それから家庭用ゲーム機の「ファミリーコンピュータ」や「メガドライブ」はどうでしょう? 同じように、幾百万円、幾千万円をかけてつくられたゲームも、どこかの公的機関できちんと保存され、みんなが見られるようにしておかないと、本当に消え去ってしまうのです。それって(特に商品開発のコストなどを考えると)もったいない話だと思いませんか?

 そういうわけで、本発表では、デジタル情報のアーカイブズ、特に「デジタルコンテンツ」と呼ばれる、社会に流通するひとまとまりの情報をアーカイブズの対象として見なすことの意義を、文化政策論とメディア論の双方の見地から明らかにします。その上で、物理的個体として扱うことの難しいそれらのアーカイビングを今後どのように行なっていくべきかを論じながら、いくつかの事例を踏まえてその方向性を検討することになります(多少ですがウォーゲーミング等も言及するつもりです)。

 今回は(時間の都合上)アナログゲームにはあまり触れませんが、ゲーム文化の保存、利活用という点で関係あるかと思い、お伝えした次第です。
posted by AGS at 18:16| ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)& イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN 豊島区心身障害者福祉センターを開催します!


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Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)& イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN 豊島区心身障害者福祉センターを開催します!

 草場純、岡和田晃

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 Analog Game Studiesでは、ゲームとそれ以外の社会的要素を繋ぐことを大きな目的としています。
 アナログゲームは、人と人とのコミュニケーションを促進し、よりよい社会参加を可能にするツールとして、大きな可能性を秘めていると私たちは考えています。そのため、福祉分野への応用可能性を研究し、ささやかながら実践に移してまいりました。

 今回はその一環といたしまして、“東京都成人(大人)発達障害(アスペルガー・ADHD等)当事者会「Communication Community・イイトコサガシ」ピアサポート・グループ”(以下、「イイトコサガシ」)さまと協力する形で、発達障害当事者(アスペルガー、ADHD、高機能広汎性等自閉症スペクトラム)にとって、コミュニケーションを試せる心地のよい「機会」となることを目標とするイベント「現代におけるわらべ遊びの数々」を開催することとなりました。

 講師を務めるのは、Analog Game Studies顧問にして、「伝統ゲームを現代にプレイする意義」を連載した草場純氏となります。発達障害当事者の方々、支援者の方々、あるいは発達障害当事者の方々との楽しいコミュニケーションのチャンスを持ちたいと思われている方々、この機会にぜひお越しください。

 イベントの詳細、および申込み方法や諸注意などは、「イイトコサガシ」さまのWebサイトをご覧ください。

 ※Analog Game Studiesでは、申込みを受付けておりません。あらかじめご了解をお願い申し上げます。


・2012年3月29日(木)Analog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)&イイトコサガシ交流ワークショップ「現代によみがえるわらべ遊びの数々」IN豊島区心身障害者福祉センター
http://iitoko-sagashi.blogspot.jp/2012/03/2012326analog-game-studiesin.html


 「わらべ遊び」(童遊び)とは、伝統ゲームの一種で、昔ながらの子どもの遊びのことを意味します。
 慌ただしい日常、一時、童心に帰ってみるのはいかがでしょうか。いずれもゲーム性に優れたものばかりで、子どもの遊びだからといって、決して侮ることはできません。
 現在、童遊びの中には、その遊びを知っているお年寄りが亡くなってしまうことで、遊びの継承が途絶えてしまうことが多くなっています。この機会に、ぜひ皆さまも童遊びを体感してみてください。

 当日は、次の童遊びをみんなでやりながら覚えていただく予定です。覚えたらよそでも遊んでみてくださいね。

 童遊びは童歌と強く結びついています。というより、古い童歌はみな遊びが付随していると言うべきでしょうか。遊びの名前とそれがどんな遊びなのか、簡単なリストを用意いたしました。
 これ以外に歌のない遊びがたくさんあります。
 一回ではとても遊びきれないので、このうちいくつかをプレイすることになります。


【童遊びの紹介】


『黒猫』  鬼交代の遊びです。鬼交代というのは、プレ鬼ごっこ、鬼ごっこの前段階の遊びです。
『鍋々』  ミキシングの遊びです。よく知られているナベナベとは二番が少し違います。
『青山墓地』 東京の手合わせ遊びです。これは知っている人も少しはいるかな?
『あんた嫌い』 罰遊び。今の言い方だと罰ゲームですね。
『お爺さんお婆さん』 鬼交替です。掛け合いがあるので黒猫より少し高度。
『蛍来い』  鬼交代ですが、輪も動くのでかなり高度ですね。
『なかなかほい』 リズム遊び・動作遊び
『お茶を飲みに』 ミキシング。
『烏・数の子』 増やし鬼。盛り上がります。
『堂々巡り』  文字通りどうどうめぐりの遊びです(笑)
『つうながれ』 いわゆる蛇ごっこです。
『竹の子』 これは身体接触の遊びですね。
『おてぶし』 当て物遊びです。古くは臓鉤と言った遊びです。
『今年の牡丹』 演技と問答の遊びです。
『子取ろ鬼』  子取り鬼とも言います。これは江戸時代の本にも載っているので知ってるかな?
『えべっさん』 鬼決めです。
『つる』 蛇ごっこですが、鍵遊びにも使います。
『どんど橋』 橋落としです。ロンドンブリッジと伝承関係があるのかも??
『初めの一歩』  動作遊び。よく「だるまさんがころんだ」と呼ばれる遊びです。
『あぶくたった』 創作問答の遊び
『花一匁』 人取り遊び。
『たまりや』 守り鬼遊び。
『釜鬼』  留守鬼遊び。
『梅と桜』 問答遊び。
『いっちくたっちく』 鬼決め。
『げっくりかっくり』 縄跳び遊び。
『くまさん』 縄跳び遊び。
『いろはに金平糖』 障害物。
  
 (リスト作成:草場純)


 なお、本イベントの開催に先んじて、Analog Game Studiesの有志は、「イイトコサガシ」さまの主催する「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」に参加し、発達障害の方々とコミュニケーションを楽しむ機会を得ました。

 まず、「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」についての説明は、お手数ですがイイトコサガシのウェブサイトの紹介文をご覧ください。

・「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」の説明
 http://iitoko-sagashi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_23.html

 そのうえで、以下の「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」に参加した草場純氏のレポートをお読みくださり、「現代によみがえるわらべ遊びの数々」参加にあたっての参考としていただければ幸いです。(岡和田晃)

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「会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ」(イイトコサガシ)に参加して

  草場純

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 他人とコミュニケーションをとりにくい人に、ワークショップ、アイスブレイク・ゲームなどを通して、コミュニケーションの手がかりやコツを提供していくというのは、とても有意義な営みだと思いました。

 展開されたアイスブレイク・ゲーム(導入のための簡単なゲーム)の一つ一つもよく発案され、よく工夫されていました。


 またファシリテーターの説明は、言葉も明瞭で、指示が大変具体的で分かりやすく、次に何をやればいいかが参加者にはっきりわかって感心しました。指示が曖昧ですと、不安になったり意図せずイレギュラーな行動になったりしがちですが、明確なめあてと見通しがあれば、人はその能力を十分に発揮できるものだと認識を新たにしました。


 一番感心したのは、一つ一つのアイスブレイク・ゲームの後に、それが何の練習であったか、何のために行われたかの狙いについて、逐一詳しい説明がなされたことです。この解説を通して、何が養われたかが再認識されるだけでなく、参加者にとっても、いわゆるアスペルガーと言われたりする人たちが何を問題として抱え、何が越えにくい障壁として感じ、そしてそれを越えるためにはどうしたらいいかが、具体的な道筋と方法によって示されることになります。つまり具体的な行為を通して、参加者の抱える問題のありどころが解析されていくことになるなるのです。

 理解は超克への第一歩だと言われます。自分の、あるいは仲間の抱える共通の問題は何かを理解することは、それを乗り越えていくことの第一歩なのだと深く感じとりました。

 と、同時に、こうしたアイスブレイク・ゲームの一つ一つが、逆に発達障害当事者の方々の困難さを解析し逆算して、「こういう困難を抱えている。それは例えばこんなことが原因の一つになっている。ではその原因に対処するアイスブレイク・ゲームとしては、こんなことではどうだろうか。」と工夫し、考案されたものだということが、見て取れます。すなわち一つのアイスブレイク・ゲームの背後には、そうした考察と工夫と実践とそのフィードバックがたくさん潜んでいるのだと思われるのです。



 互いに肯定しあい、認め合い高めあう傾向にも感心しました。決して批判しないというのは、案外難しいことです。自らの梁には気づかず、他人の塵にはよく気づくのが人間の性です。しかし絶対批判しない、必ず褒めるとなれば、人間の性に寄りかかってはいられません。他人の褒めるべき点をどうあっても探さなければならないわけです。これは他人への肯定的な眼差しを生みます。肯定的な眼差しは人に安心感を与えるでしょう。

 逆の方面から見てみると、絶対批判されないとわかっているからこそ、安心してアイスブレイク・ゲームに取り組むことができ、安心して自分を出すことができるのだと思います。肯定的な眼差しの中でこそ、人はのびのびとできるのだと思います。特に傷を負ってきた人は、深く癒されることでしょう。


 ただし、強いて言うなら、実は褒めることは難しいことなのだと思います。

 例えば自分に即して考えて見ましょう。自分が自負していること、自身が努力したこと、などを褒められるととても嬉しいものです。しかし、そうでないことを褒められると、ちょっと複雑です。もちろん自分の新たな良さを見つけることもあるでしょうが、ピント外れだと感じたり、ひどい場合にはからかわれたと感じることすらあるかも知れません。

 これは、決して褒めることを否定しているのではありません。褒めることには、前述したような様々な効果があります。ですから褒めるなと言いたいのではなく、褒めるためには、本当によく相手を見なければならないと言いたいのです。それを促すためには、ファシリテーターは、時に褒め方を褒める必要があるでしょう。なかなか難しいことですが。



 最後に童遊びとの関連を述べてみます。

 日本の童遊びは、日本の文化の中で伝承されてきたものです。しかしながら、戦災や、戦後の混乱、そして高度成長による社会の変容の中で、多くは失われ、忘れ去られ、今消え去る寸前です。では単にそれを復興すればよいかというと、それほど単純なものではありません。

 童遊び喪失の背後には、それを支えてきた遊び集団の消失があります。これはもうおいそれとは戻ってきません。みんなで多数集まって遊ぶ遊び集団ではなく、みんなで少数集まって銘々携帯デジタルゲームをやる時代なのです。とするなら、童遊びは既にその役割を終えたと言うべきなのかも知れません。


 けれども、童遊びの中には我々(の前の世代ぐらい)が伝承してきた、日本文化の知恵が詰まっています。上記の文脈でそれを捉え返すならば、それは集団コミュニケーションの手段であり、ツールなのです。そうした意味で現代に生かせるならば、それは生きた伝承と言えるのではないでしょうか。願わくば童遊びの中から、新たなアイスブレイク・ゲームの素材を見出していただきたいものです。

 もう一点問題なのは、童遊びは古くからの口承伝承という側面があり、現代の観点からすると、時として差別的であったり、あるいは悪口雑言に近いものが混じっていたりすることがあります。童遊びはコミュニケーション・ゲームなので、こうしたものをどう捉えるのかという点においては、難しい問題を孕んでいます。

 まずは大前提として、ゲームによって差別が容認されること、差別が助長されることは、あってはなりません。そのうえで、参加者の心情をいたずらに傷つけないよう配慮をしつつ、童遊びの歴史的な意義を学んでいくことが大事になります。これについては、今後とも、皆さんと一緒に考えていきたいと思う次第です。

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2012年03月08日

【レポート】学会報告「ウォーゲーミングの政治利用」そのあとで

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【レポート】学会報告「ウォーゲーミングの政治利用」そのあとで

 蔵原大

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 立命館での報告は、テーマが「面妖」なだけに人気ないかなと思っていたら、30人分用意したレジュメが全部はけるほど、聴衆の方々にめぐまれました。以前の「SF乱学講座」においでいただいた方が再来くださった他、報告後になっても「レジュメが余っていたら、くれませんか」とのお申し出があるほど(残った下書き分をお受け取りいただき、恐縮です)。

http://seriousgames.jp/2012/02/digra-japan-1.html
http://togetter.com/li/97626

 みなさんにお楽しみいただき、有難いことです。

 今回の報告では、史学者っぽく「通時的」(ウォーゲーミング百年史)と「共時的」(現代の政治的動向その他)の両視点を盛り込んだことが、好印象に受け止められたようです。また「プロパガンダ」的ゲームについて言及したさい、引用しました山本武利先生の、まさにその門下生の方からご質問をいただき、かなりビックリしました。こういうハプニングがあるから、学問はやめられない。

 報告後、司会をつとめていただいた藤本徹先生ほかの方々から、

○ テレビなど既存メディアにだって政治利用された歴史があるのだから、今後はゲームの政治利用だってありえる、という今回の発表には説得力がある。
○ ゲームはメディアなのだし、メディアとしての歴史の繰り返しを感じる。
○ オウムなど宗教カルトの宣伝としてゲームが使われるかもしれない。


等々、学会でも大きなテーマとなっている「ゲーム・メディア・リテラシー」に付随したコメントをいただきました。

 本報告では、経産省メディアコンテンツ課さんへのインタビュー結果を踏まえ、ゲームにおける「シリアス」と「ホビー」との境目はデジタル化に伴ってさらに曖昧となっている、と述べました。どうやらこの度の学会大会の「ゲーミフィケーション」をめぐる論議(井上明人・深田浩嗣・藤本徹のお三方)をうかがっていると、企業人や研究者をふくめたイノベーターのかなりが、その先を見据えた思考をめぐらせつつあるようです。しかしこの件は長くなりますので、またの機会ということで、ご勘弁ください。

 しかし学会の話はこれくらいにして、あとは京都西本願寺の画像をお楽しみください。朝の七時に行ったのですが、無料でお堂が開放されていて、お坊さんが礼儀正しいところです。さすが織田信長と天下を争い、大谷光瑞探検隊を送り出しただけのことはあります。南無阿弥陀仏。(2012.02.28. 蔵原大)
K3300238.JPGK3300239.JPG
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2012年02月21日

【ニュース】日本デジタルゲーム学会(DiGRA Japan)2011年次大会で、研究発表「ウォーゲーミングの政治的活用:デジタル化による新領域開拓の実態」が行なわれます!


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【ニュース】日本デジタルゲーム学会(DiGRA Japan)2011年次大会で、研究発表「ウォーゲーミングの政治的活用:デジタル化による新領域開拓の実態」が行なわれます!
 
 岡和田晃

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 AGSメンバーの蔵原大氏が、このたび立命館大学で学会報告をすることになりました(2012/02/26)。


■日本デジタルゲーム学会(DiGRA Japan)2011年次大会でのゲーミフィケーション・セッション
 http://seriousgames.jp/2012/02/digra-japan-1.html


 日本デジタルゲーム学会(DiGRA Japan)は、日本国内における(公共教育など「シリアスゲーム」を含めた)デジタルゲーム研究の発展およびその普及・啓蒙を目指し設立された団体で、2006年04月に発足しました。国内には、AGS顧問の草場純氏が所属する日本遊戯史学会をはじめ、日本シミュレーション&ゲーミング学会、ゲーム学会など幾つかのゲーム研究学会がありますが、そうした中でも、DiGRA Japanは特にビデオゲーム産業に焦点を当てた研究活動がすでに多く蓄積されており、近年産官学の各分野から注目を集めています。たとえば過去、AGSメンバーの高橋志行氏は、「ゲームプレイ経験における設計・運用・受容」と題し、DiGRA JAPANで発表を行なったこともあります(2010年12月)。


 蔵原氏の発表テーマは「ウォーゲーミングの政治的活用:デジタル化による新領域開拓の実態」です。近年とりあげられている「ゲーミフィケーション」の延長として、各国行政府で(いままさに)活用されている各種「ゲーム」(という体裁で、実態は軍事演習・広報活動・プロパガンダなど諸々)の内実に触れたものです。アプローチとしては政治学・戦略学ですが、デジタルコンテンツ市場につながる関係省庁へのインタビューを踏まえた報告となっています。かつてAGSでもレポートしたSF乱学講座の内容ともリンクする発表になると思います。詳細は以下のウェブページをご参照ください。皆さま、お誘い合わせのうえ、ぜひ、お越しいただければ幸いです。(岡和田晃)


 DiGRA JAPAN 関連 : 日本デジタルゲーム学会2011年次大会の開催詳細を公開いたします
 https://www.digrajapan.org/modules/news/article.php?storyid=376
 (*参加費や参加方法等の詳細にふれています)

 立命館大学 衣笠キャンパス
 http://kyotoshugakuryoko.jp/experience/detail.php?nid=353

 Googleマップ(立命館大学 衣笠キャンパス)

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