2012年08月02日

アナログゲームのユニヴァーサル・デザインに向けて――RPGのナラティヴとコミュニケーションを考える――

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アナログゲームのユニヴァーサル・デザインに向けて
 ――RPGのナラティヴとコミュニケーションを考える――


 冠地情(ピアサポート・グループ「イイトコサガシ」主宰)×岡和田晃(Analog Game Studies代表、ゲームライター/文芸評論家)

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 去る2011年11月23日に「Mission Imposible 01――発達障害と想像力の世界」というイベントが開催されました。
 こちらは、「会話型RPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム、TRPG)が好き、もしくはRPGに興味のある発達障害の当事者、発達障害支援に関わる支援者・専門家と、RPGの専門家とが一堂に会し、会話型RPGを楽しむコラボレーションイベント」のことを意味します。

 ピアサポートグループ・イイトコサガシ、そして、広汎性発達障害に関わる精神医療の専門家が参加する明神下ゲーム研究会(旧称:明神下TRPG研究会)の共催となっているこのイベントに、アナログゲームのクリエイターや研究家からなるプロジェクト、本Analog Game Studiesも協力させていただきました。

 Analog Game Studiesでは、明神下ゲーム研究会に参加し、「会話型RPGと教育」、「会話型RPGと発達障害」、「会話型RPGとナラティヴ」などの観点から、ゲスト講師を交えつつ、さまざまな議論を重ねてまいりました。その経験を実地で活かそうというのが、今回実現した「Mission Impossible 01――発達障害と想像力の世界」というイベントなのです。

 「Mission Impossible」では、Analog Game Studiesからは岡和田晃、齋藤路恵、田島淳がゲームマスター、八重樫尚史がプレイヤーとして参加しました。またAGSからの協力者はイベントの開催に先駆け、ピアサポートグループ・イイトコサガシの代表、「冠地情」(かんち・じょう)さまの主宰する発達障害ワークショップに参加し、発達障害の方々と現場でコミュニケーションを交わしてきました。

 ※以下の記事は、発達障害および精神保健について、読者がある程度の関心と基礎知識をお持ちいただいていることを前提に書かれています。下記の『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?』など、各種資料等をあらかじめご参照のうえ、読み進めていただけましたら幸いです。
 また、以下の記事は各種アナログゲームを治療行為に使うことを一般に推奨するものではありません。Analog Game Studiesの情報をご利用になったことによって生じた損害・トラブル等に関しまして、Analog Game Studiesおよびイイトコサガシは一切賠償責任を負いかねますことをあらかじめご了承ください


アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー) [単行...
アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー) [単行本(ソフトカバー)] / 米田 衆介 (著); 講談社 (刊)


 イイトコサガシのワークショップは、「コミュニケーション能力向上ワークショップ」と題し、演劇的な要素を交えながら、発達障害の当事者と支援者が対等な立場でコミュニケーションを楽しく試す、というものです。

 ワークショップの流れは下記のとおり。

・参加のしおりの説明(10分〜15分)
・自己紹介(15分〜20分)
・アイスブレイキング(コミュニケーションのウォーキングアップ)(30分)
・休憩(5分)
・ワークショップの説明(30分)
・会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップ:二人バージョン(50分〜60分)


 アイスブレーキングでは「アイコンタクト」や、「昨日あったことを15秒でまとめて話す。そして話が途中でも、体内時計で15秒だと思ったところで手放す」。会話によるコミュニケーション能力向上ワークショップでは、与えられたテーマで相手に2回共感し、2回質問するという目標。そして、他人の会話でよかった点をわかりやすくほめるというような内容が行なわれました。

 特に興味深いのが、ワークショップで学習できる楽しくコミュニケーションを進めるための方法論が、会話型RPGのテクニック、とりわけ「ナラティヴ」(語り)のあり方に深くつながりそうなところです。

もちろん、RPGの「ナラティヴ」が治療行為ではないように、イイトコサガシのワークショップも治療行為ではありません。イイトコサガシのホームページでは、ワークショップの形式について、下記のような説明がなされています。
形式:当事者会(自助会)であり、セルフケアグループ(ピアサポート)です。
トラブルが発生しない運営を*最優先*しています。
ワークショップ内でトラブルが起きたことは一度もありません。

【お願い事】後々のトラブルを回避する意味で、このワークショップに参加した場合の影響について、事前に主治医、専門医に相談していただくことを強く推奨致します。
(当事者が主催している会であること、当事者同士で行うワークショップであること、支援する専門職の同席が原則ない等を、ワークショップ資料(http://iitoko-sagashi.blogspot.jp/2010/11/blog-post_23.html)を基に説明していただけると助かります。参加の是非、参加した場合の影響はイイトコサガシでは判断できませんし、その後の責任も負いかねます)。
 未診断の方もご参加いただけますが、イイトコサガシでは参加後一切の責任を負いかねます。あらかじめご了承の上、ご参加下さい。

 そこで、2011年10月23日に東京都練馬区で開催された第151回イイトコサガシ・ワークショップ終了後、イイトコサガシの代表である冠地情さまに、「発達障害当事者会のワークショップと会話型RPG」という観点から、お話をうかがってみました。ちなみに冠地さまは、『ルーンクエスト』など、海外ゲームを遊びこんできたベテラン・ゲーマーでもあります。
 ※すでにAnalog Game Studiesでは、顧問の草場純氏による「会話によるコミュニケーション向上ワークショップ(イイトコサガシに参加して)」を公開しております。併せてご覧ください。


■イイトコサガシの出発点

岡和田:はじめてイイトコサガシのワークショップに参加させていただき、とても感銘を受けました。とりわけ、日常生活で意識を向けることのない「話し方」(ナラティヴ)のあり方について、改めて考えなおすきっかけとなったように思います。
冠地:ありがとうございます。
岡和田:このようなワークショップを企画された背景は?
冠地:中学3年生の時に演劇のワークショップに参加したのが出発点です。宮沢賢治の「ツェねずみ」という作品を発表するワークショップでした。そこに参加して良かったのは、親以外の大人とコミュニケーションできたことですね。高校では、「青梅青年の家」というところで、『竹取物語』を全12回で上演するという宿泊型のワークショップに参加しました。そこで、「あーでもない」「こーでもない」と試行錯誤してかぐや姫のいち場面を創り上げるのがとても楽しかった。こうした活動が、僕の原点です。
岡和田:演劇経験を福祉の分野に活かそうという意識は、いつ芽生えたのですか?
冠地:僕が32、3歳の時に「燃え尽き症候群」的になって、偶然『ジャイアン・のび太症候群』という本を表紙だけ見て「中味を見たいけど、開けたらブラックボックスを覗いてしまう」という恐ろしさを自覚したのが最初です。その本についてネットで調べたのですが、そうしたら「発達障害」の説明に行き当たって、まさに「俺じゃん」と。つまり、発達障害を自分の問題として捉えられるようになったのですね。その後、発達障害関連のオフ会に出るようになって「コミュニケーションに関して言えば、僕は経験も素養も恵まれていたんだな」と思うようになりました。出会いや自分を試すチャンスに恵まれていたんです。そこで、僕のような相対的に言えば「恵まれている」人間が動く必要があるだろうと。自分のコミュニケーションのベースを活かして、当事者会をやるべきだろうと。
岡和田:立ち上がられたわけですね。
冠地:ええ。僕をオフ会に誘ってくれた人は「コミュニケーションが苦手だけれども、そのような自分をどうにかしたい」という動機で、オフ会をずっと継続開催していたんです。その人がある日、僕を遊びに誘ってくれて、何も言わず2時間くらい歩きました。その後に、「情さんはなぜ当事者会をやらないのですか?」と言われたんです。
岡和田:冠地さんが適任だと見込まれたわけですね。ただ、試行錯誤をしていくうちに、おそらく、さまざまな問題も生まれてきたと思うんですが……。
冠地:トラブルが起きて、運営が疲弊して、当事者会が解散して……。という流れを、僕らは1年半の準備期間のうちに、すごくたくさん耳にしていたんですね。そうならないようにするにはどうしたら……という点からイイトコサガシの運営はスタートしました。
岡和田:イイトコサガシは何年から始まったのですか?
冠地:2009年の11月ですから、まだ2年経っていないんですが……。
岡和田:それで151回のワークショップ開催ですから、アクティヴなミュージシャンのライブ本数みたいですね。(編注:※2012年7月現在で250回以上。)
冠地:9都府県ですから、さしずめツアーといったところですか(笑)。で、トラブルが起きないようにと気を配りつつ、「なぜそもそもトラブルが起きるのか?」という点を追究していくと、「ルールが曖昧だから」という点に行き着いたんです。発達障害の当事者会って、よく言えばフリーダムなルールで運営していたところがほとんどなんですが、それだと問題が起きた時に、当事者会の運営にぜんぶしわ寄せが来ちゃうんですよね。(※2012年7月現在で28都道府県で開催。)
岡和田:運営側の監督問題にされてしまう。
冠地:ええ。口幅ったい言い方かもしれませんが、僕はトラブルシューターとして当事者会に参加したいわけじゃありません。カスタマーズ・サポートをしているわけでもありません。当事者の中には往々にして「無意識に、自分を被害者にして、ある誰かを加害者にすることで、自分に興味を持ってもらう」という処世術をとってしまう人がいます。もちろん悪気があってのことではないのですが、そういう人が入ってしまうと、トラブルが起きる頻度が上がります。だからルールを明文化して、「こういうことが起きたら、こういう対応をしますよ。それに納得した人だけ参加してください」と方針を、リスク・ヘッジの基本として掲げてきました。納得した人に来てもらうことで「ワークショップを楽しくやりたい。安全にやりたい」という理念を守ることができます。
岡和田:よくわかりました。それでは、当事者会に参加することで、発達障害の当事者の方には、具体的にどのようなメリットがあるとお考えでしょうか?
冠地:人に共感してもらうことができます。イメージでいえば、アルコール依存症の「断酒会」のようなものですね。心に傷を持っている同士が、そこで癒されます。「自分と同じように苦しんでいるんだなあ」と。発達障害の人は、極端な思考に走ってしまう部分がありますが、それを、みんなで話すことで、和らげるという効果があります。
 ただ、最初はいいんですが、共感してもらうだけだと、苦痛を和らげる効果しかありません。次のステップに行けるかというと、難しい面があります。最終的には、個人の「能力」の話に行き着いてしまいます。就職するのは能力だし、恋人とうまくやるのも能力だし……といった具合に。
 だから僕は「次のステップ」へたどり着くための場として、イイトコサガシがやっているような演劇の要素があるワークショップを提示しているのですね。それと、イイトコサガシが発足する当時、オープンでやっている当事者会って少なかったんです。同じ思いを抱く仲間を見つけるまで苦労したので、「イイトコサガシ」で検索すれば、すぐに出てくるようにしたかったのです。
岡和田:「次のステップ」について、もう少し詳しくお聞かせください。
冠地:みんな就労支援や(具体的な)能力開発を期待してしまうんですが、うちのワークショップに出ることが直接就労に結びつくことは、普通に考えてありえません。でも、逆にいえば、うちのワークショップで行なっているようなコミュニケーションを楽しめないと、友だちができる可能性も、就労ができる可能性も少なくなってしまうと思います。
 僕がいつも説明しているのは、ワークショップで養成されるのは「自分のことを、わかりやすく相手に伝える能力」。自分の思っていることや考えていることを正しく説明することへの気付きになるんですね。それが不十分だと、社会生活を行なううえで、いつもすれ違ってしまいます。
 もう一つは、「自分のわからないことを質問して埋められる能力」。これができると、職場や友だちとの人間関係もうまく築けるようになります。この2つの力をいかに養成していくかが、ワークショップのテーマになっています。


■ナラティヴ・スタイルに必要なもの

岡和田:ところで、冠地さんはイイトコサガシでのファシリテーター(促進役)経験を生かす形で、ナラティヴ(「語り」)を中心に据えた会話型RPGのデザインや運用について考えておられるとお聞きしました。奇しくも門倉直人さんの『ローズ・トゥ・ロード』の最新版など、リアルに物理的事象を表現するだけではなく、「語り」を通して私たちの世界観を異化させ、「リアル」の定義を刷新させるタイプのRPGが、近年注目を集めつつあります。こうしたスタイルを私は「ナラティヴ・スタイル」と呼んでいますが、この点、いかがお考えでしょうか。
冠地:まず「語り」を大事にするという意味合いからすると、「ルールシステムを理解できないと参加できない」という敷居の高さは無くしたいところです。
岡和田:なるほど。ナラティヴの観点からRPGを考えた際、まず共通した問題点として存在するのは、ナラティヴそのものに共通したノウハウそのものが、まだまだ足りていないということでしょうね。
冠地:ええ。それは結局、有能なマスターが個人の能力をもとに運営していく。ゲームマスターのパーソナリティに担保していたものとなっています。
岡和田:もっとコミュニケーションに寄り添った形で、マスタリング・テクニックを再整理していく必要性があるのかもしれません。
冠地:イイトコサガシのワークショップは、いわばナラティヴの枠組みを明文化する作業なんですね。
 会話型RPGは枠を作ります。ですが、枠を創ったから狭い世界というわけではなくて、枠を創ったからこそ世界が広がる面もあります。つまり枠そのものを、より「クリエイティヴ」なものとしていきたいんです。
岡和田:非常に面白い考え方です。壮大な作業が必要となると思いますけれども、まずは、相手に向きあって話すナラティヴ・スタイルでのプレイ経験を少しずつアウトプットしていくところから、始めた方がよいかもしれません。
冠地:機会を増やし、ノウハウを蓄積していくということですね。
岡和田:ええ、起こりうる行動パターンがルールにおいて網羅され、厳格に成否を判定できるルールが搭載されたゲームよりも会話を中心とするナラティヴ・スタイルのゲームのことを、より運用が難しいと思う人もいます。
冠地:確かに、そういう面がありますね。
岡和田:そのあたりの溝を埋めるために、コミュニケーションのためのガイドラインというものが存在していると思います。だとえば『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第4版の『ダンジョン・マスターズ・ガイドII』には、コミュニケーションのための手引きが沢山載っています。子どもと遊んだ例なども紹介されています。そうした実例も参考になりますし、一方で「コミュニケーションとはこういうものです」という一般的な規則や指針から、少し距離を置き、いったん深く潜ってものごとを考えてみるのも大事かと。
冠地:あるいは、コミュニティの安定感を保つためのルールと、コミュニケーションを促進させるためのルールを切り分けて考えることで、得られるものもあるでしょう。
岡和田:ええ。それに、冠地さんのように、発達障害当事者の方が、RPGをプレイして、「発達障害の人とコミュニケーションすることの意義」ことをアピールすることは、個々のプレイヤーにより向き合っていく姿勢にも繋がると思うんです。そうして「ナラティヴ・スタイル」の考え方が技術として共有されれば、もう成功したも同然です。
 今回はじめてワークショップで当事者の方と対等な立場でお話しましたが、当事者の方は、ともすると支援者の方以上に、「よりよいコミュニケーションとは何か」ということを考えていらっしゃいますね。そのような改善のための問題意識というものから――私たちが学べるものも大きいと思います。
冠地:アウトプットを蓄積していきましょう。マスターとプレイヤーに、楽しんでもらう。プレイリポートを書いてもらう。支援者さんに書いてもらい、当事者さんにも書いてもらう。そうして、どうすればもっと楽しくコミュニケーションができるのか考える。
岡和田:「Mission Impossible」コンベンションのような場が、そうしたきっかけになれば、嬉しいですね。
冠地:特に当事者と支援者、あるいは障害の立場、共有されたルールがどのようなものかを明確化したうえでのレポートがあればいいですね。
岡和田:障害の実体は、普段、関わる機会が少ない人には見えづらいと思いますので、余計に重要かと思います。
冠地:発達障害の人と支援者さんが同じ卓を囲んでRPGを遊び、そのフィードバックの積み重ねが、ナラティヴ・スタイルの「初級者コース」に連結できたらと思います。いきなり熟練者としての「語り」を求めてしまうから、ナラティヴ・スタイルが万人向けではない、ということになってしまう。しかし、ナラティヴの技術は上達できます。個人差はありますが、段階をふんで行けば、必ず。
岡和田:イイトコサガシのワークショップでは、「昨日は何をしていましたか」というように、自分のことを話す機会が多かったのですが、自分について語るのが得意な人もいれば、私のように(笑)、極端に苦手な人もいると思います。
 ただ、それらもいわば個性ですよね。そこから、新しい物語が生まれるとも思うんです。
冠地:標準的なコミュニケーションとは異なる視座から「キャラクター・メイキング」を行ない、仮想の人格を構築することで、話すということに意味が生まれることもあります。
岡和田:自分を掘り下げるという内省的なイメージと、自分を積み上げていくという構築的なイメージが交わる地点を会話で見つけ出すことでしょうか。
冠地:はい、積み上げていくことが、自分を掘り下げていくことと実はイコールということもありますから。


■クリエイティヴな雑談の形成

岡和田:能楽師として、引きこもりの青少年の支援をされてきた安田登さんの著作『身体感覚で「芭蕉」を読み直す。 『おくのほそ道』謎解きの旅』には、門倉直人さんの『ローズ・トゥ・ロード』が大きな影響を与えており、参考文献にも明示されています。同書についてはいずれ詳しく紹介したいところですが、実際、まったく分野で活躍しているように見えながら、安田さんと門倉さんの問題意識には共通した部分が、かなり多いように見受けられます。
 また、ゲームデザイナーの方で、昔から「ナラティヴ」と福祉の問題について、伏見健二さんが考えてこられました。お二人の問題意識にも相通ずる部分があります。
 ここで面白いのは、それぞれのお仕事を追求した結果、ナラティヴ・スタイルへたどり着いたという点ではないでしょうか。だから、冠地さんが考えるよきコミュニケーションのあり方が、より明確になっていけば、より緊密な連携ができるかもしれませんね。
冠地:伏見健二さんとは、普段からゲームや発達障害の話について、色々とお話をさせていただいています。(編注:そのひとつの成果が、伏見健二氏の新作『ラビットホール・ドロップス』に結集。クレジットにはイイトコサガシが「協力」として記載されています)
岡和田:まずはナラティヴ・スタイルの基本を第三者が理解できる形に技術としてまとめることが必要かもしれません。メンター替わりになるような、ナラティヴ・スタイルのマニュアルが必要かと思います。ナラティヴ・スタイルって良いことばかりではなく、きわめて抑圧的な部分もあると思うんですよ。
冠地:マスター主導で抑圧してしまって、プレイヤーが伸びなかったり。
岡和田:そうです。一方、うまいマスターは、相手から面白いリアクションを引き出すスキルに長けています。乗せ上手というか、絶対に技術があるんですよ。
冠地:技術論としてはピラミッド式のコースを考えています。「雑談がしやすい」がスタート。それが第一段階、次の移行手段としては「クリエイティヴな雑談」、ゲームの枠のなかで試行錯誤できる雑談がメイン。次は、「場面を創作できるような」RPG。
岡和田:そのステップアップ方式はわかりやすいですね。ジャン二・ロダーリという児童文学の作家が、机や椅子をゲームの道具に見立てる形でのお話の作り方をマニュアルにしています(『幼児のためのお話のつくり方』)。その延長線上で考えてもよいかもしれません。
 RPGという方法には、ともすれば自分の抱えた偏見を強化してしまうというマイナス面も、確かにあります。ですから、ナラティヴによって、個々の偏見に向き合いながら、お互いのスタンスの違いを「話合い」で解決するというのが……。
冠地:僕のイメージに近いんですね。
岡和田:イイトコサガシのワークショップでは「Yes, and……」という、相手が投げかけてくる質問をいったんは肯定するところから始めるコミュニケーションのトレーニングがありますが、これも、自分の殻を破るトレーニングになりますね。
冠地:RPGに近づけると、「Yes,and……」の方法論は「リアリティのある話をつくる」訓練かと思っています。話を振る方も、面白い、ウィットある振り方が求められます。面白い話を振って、面白い答え方を模索する。とにかく、そうした言葉の転がし方の検討から入って、馴染んでもらわないと、ナラティヴ・スタイルのRPGには行き着かないかもしれませんね。それがコミュニケーションをクリエイティヴしていく、クリエイティヴな雑談の形成能力の構築方法に繋がると思います。
岡和田:コミュニケーションに大事なのは、必ずしも流暢に話したり書いたりする技術ばかりではなくて、真摯さを伝えるのが大事かと思います。そう考えると、クリエイティヴな雑談とは、単にウィットの利いたことをいうだけじゃなくて、いかにして真摯さを伝えるのかという作業なのかもしれません。
冠地:発達障害の人は、相手の言っていることを受け止めたうえで、ユーモアを重ねるという形のコミュニケーションをしない(できない)ことが多いと思います。相手の意見を受け止めて円滑に会話を膨らませるという行為が必要なのかもしれません。
岡和田:コミュニケーションは、勝ち負けとは違いますしね。だから、譲るべきところは、譲ってしまってよいと思います。
冠地:ただ、折れてばかりでは傷ついてしまう面もあります。イイトコサガシでは、他人の良いところをふくらませる作業をみんなでやることで、コミュニケーションを創造的にしていく。その経験を共有するというのを目標としています。
 特に、発達障害の方とコミュニケーションをとったことがない方は、「障害者」というイメージを、頭の中で肥大化させてしまいやすいと思います。イイトコサガシのワークショップに参加し、当事者と対等な関係でコミュニケーションを試してみていただければと幸いです。

 発達障害の当事者として、コミュニケーション能力向上のためのワークショップを主催し、その技術のより普遍的な応用を模索している冠地さまのお話をうかがいながら、会話とコミュニケーションに焦点を当てた「ナラティヴ・スタイル」のRPGの理解を促進していくためにも、障害がある人も、そうではない人もともに楽しめる、いわば「ユニヴァーサル・デザイン」の発想が必要不可欠であると感じました。
 今回は会話形RPGを通して「ユニヴァーサル・デザイン」の必要性を考えましたが、この「ユニヴァーサル・デザイン」のあり方は、アナログゲームの今後を考えるうえでも、重要なものだと思います。
 先日、Analog Game Studiesでは、「Mission Impossible」参加のほか、すでにイイトコサガシの協力のもとで「現代によみがえるわらべ遊びの数々」というワークショップを開催しました。これは、当事者の方と支援者の方が、一緒にわらべ遊びを楽しみ、コミュニケーションを試すといったイベントでした。
 この「現代によみがえるわらべ遊びの数々」、来たる8月22日には、第2回の開催が予定されています

 今後の冠地さまのご活躍を期待するとともに、Analog Game Studiesにおいても、アナログゲームの「ユニヴァーサル・デザイン」のあり方について、思索を深めつつ、さまざまな活動を行なっていきたいと考えています。(岡和田晃)

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冠地情(かんち・じょう 本名)
 1972年生。東京都成人発達障害当事者会「Communication Community ・イイトコサガシ」代表。自分が対人関係を苦手なこと・同様のことで悩んでいる当事者が多いことを実感。過去に行っていた演劇表現ワークショップをヒントに、コミュニケーションを楽しく試す当事者会を立ち上げる。各種ワークショップの開催、発達障害ラジオ「ピカッと生きる!」等の啓発活動、全国各地の当事者会立上支援等、幅広い活動を行なっている。
 マンガと海外ドラマ、プロレスをこよなく愛する。
posted by AGS at 13:45| 対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月23日

【活動報告】Analog Game Studies第6回読書会報告&各種活動報告


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【活動報告】Analog Game Studies第6回読書会報告&各種活動報告

 岡和田晃

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 2012年5月某日、Analog Game Studiesの第6回読書会が開催されました。課題図書は、古井由吉『杳子』(河出書房新社ほか)、および草場純『ゲーム探検隊』(グランペール)の2冊でした。
古井由吉自撰作品 1 杳子・妻隠/行隠れ/聖 (古井由吉自撰作品【全8巻】) [単行本] / 古井 由吉 (著); 河出書房新社 (刊)ゲーム探検隊-改訂新版- / グランペール
 古井由吉『杳子』については、古井由吉を専門に研究したことのある会員によって、「私小説」の定義、「私小説」におけるナラティヴと表現、スペキュレイティヴ・フィクションとしての「私小説」、物語論とゲームの関係、そして「私小説」と会話型RPGにおけるナラティヴを通した近似という観点にまで、議論が広げられました。

 草場純『ゲーム探検隊』については、「ゲームの確定性定理と非確定性定理」、「読みと感覚」などの章を分析し、アナログゲーム批評に必要な各種の要件と批評の性質、すなわち通史や原理論としてのアナログゲーム批評の在り方について、改めて議論がし直されました。



・2012年6月26日のゲームコミュニティサミットにおけるAnalog Game StudiesのARG(Alternate Reality Game)の発表(http://analoggamestudies.seesaa.net/article/268860746.html)は、無事、成功を収めました。ご来場いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

・2012年6月21日に、Analog Game Studies顧問の草場純氏が、茨城県南学習センターの「アフターファイブサロン」(http://www.kennan.gakusyu.ibk.ed.jp/afterfivesalon.html)で、「虹の色は何色か」と題した講義を行ないました。
 「「虹は七色」とは今でもよく聞かれる言葉ですが、本当に虹は七色でしょうか。太古より人間を魅了しつづけた虹現象を通して、物理と心理の接点へ迫ります。」と題し、実験を交えて、多数の来場者の方に好評をいただきました。2012年8月5日のSF乱学講座にて再演される予定です(http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5302/)。ゲームと直接の関係はありませんが、AGS読者の方にはお楽しみいただけること間違いなしの、遊び心溢れる講義です。
IMG_0957.jpgIMG_0956.jpg
・グランペールより会話型RPG『ラビットホール・ドロップス』が発売されました。Analog Game Studiesメンバーはコンセプトワークや展開に協力させていただいております。
ラビットホール・ドロップス / グランペール
ラビットホール・ドロップス / グランペール
 『ラビットホール・ドロップス』の公式サイト(http://www.blueforest.jp/~fushimi/RHD/)には、髭熊五郎氏のシナリオ「おなかすいた」、仲知喜氏のアート「牛になった騎士」、両名の合作である「世界踊り」を掲載いただいております。

・その他、Analog Game Studiesメンバーは個々の名義で商業誌にて執筆活動を行なっております。AGS顧問の草場純氏は「ボードゲームナビ」(2012−2)にボードゲーム『サンタ・クルーズ』のレビューを寄稿しております。代表・岡和田晃の仕事は個人サイト「Flying to Wake Island」をご覧ください。
ボードゲームナビ 世界中のゲームファンをナビゲート! 2012−02
ボードゲームナビ 世界中のゲームファンをナビゲート! 2012−02

・日本SF作家クラブの公認ネットマガジン「SF Prologue Wave」http://prologuewave.com/)において、創作者集団NEO、および『エクリプス・フェイズ』翻訳チームのご協力をいただき、会話型RPG『エクリプス・フェイズ』のシェアード・ワールド企画にAnalog Game Studiesのメンバーが参加しています。岡和田晃によるコンセプト解説「シェアード・ワールドとしての『エクリプス・フェイズ』はこちら(http://prologuewave.com/ep_explanetion)。
 2012年6月5日〜7月20日の4回に分けて、2011年6月に限定発行されたファンジン『Eclipse Phase Introduction Book for 2011 Japanese』(Analog Game Studies & 戦鎚傭兵団発行)をフルカラーPDFにて再録いただいております。
 内訳は……。
「特異点への突入」(待兼音二郎)
「衛星タイタンのある朝」(蔵原大&齋藤路恵)
「DOG TALE 犬の話」(仲知喜&蔵原大)
「Feel like makin' love――about infomorph sex」(齋藤路恵)
「戦う『ショートショート』又はボーイ・ミーツ・ガール」(蔵原大)

 以上5作品です。

・『エクリプス・フェイズ』体験会、『ウォーハンマーRPG』体験会、ともに好評をいただいて参りましたが、2012年7月22日には「Role&Roll Station」横浜店のプレイスペースを貸し切って第12回『エクリプス・フェイズ』体験会が開催されました。
 2012年8月には「Role&Roll Station」秋葉原店において、第6回『ウォーハンマーRPG』体験会が開催されます。皆さま、ぜひご参加いただけましたら幸いです。
Role&Roll Vol.92 [大型本] / アークライト (編集); 新紀元社 (刊)

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2012年07月14日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第11回)――「マケドニア将棋」を分析する


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伝統ゲームを現代にプレイする意義(第11回)

 草場純

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第10回はこちらで読めます

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 今回は少し趣向を替え、最近発表された「マケドニア将棋」を考察してみる。
 「マケドニア将棋」とは、漫画家・岩明均がヘレニズム時代を扱ったコミック『ヒストリエ』で登場させたボード・ゲームである。『ヒストリエ』7巻の限定版には、このマケドニア将棋のルールブックと駒・盤が付属し、実際にゲームをプレイすることができるようになっていた。

ヒストリエ 7 (アフタヌーンKC) [コミック] / 岩明 均 (著); 講談社 (刊)

 マケドニア将棋は、岩明均が『ヒストリエ』という作品の中で、主人公の創案として登場させた(あくまでも)創作ゲームであり、歴史的な伝統ゲームではない。
 マケドニア将棋は、作中の小道具として作られたのであって、将棋の新案として作られたととるべきではない。これはほかならぬ作者自身がそう言明している。
 従って「もっと面白いものが作れる」という見解は、尤もではあっても批判にはならない。

 あまり知られていないことではあるが、一般に「自明でない将棋系ゲームは成立する」という命題があり、証明されている訳ではないが、まず正しいと言ってよい。
 この命題をおおざっぱに言い換えれば、「将棋やチェスや象棋のようなゲームを作れば、大概そこそこのゲームになる。」という身も蓋もない意味となる。

 二者完全情報零和有限確定ゲームは、囲碁や、連珠や、リバーシ(オセロ)や、ドラフツ(チェッカー)のようなゲームのことで、将棋系ゲームはその一つである。(軍人将棋やガイスターのようなゲームは、不完全情報ゲームであるからこの範疇には入らない。)
 アブストラクトゲームとも呼ばれるこの手のゲームは、意外に微妙なバランスの上に成立し、実は相当作るのが難しい。えてして簡単に必勝法の見つかるパズルになってしまうか、避敗法があっていつまでも勝負のつかない膠着ゲームになってしまうか、しがちなのである。これは、具象的な紛れのない、アブスラクトボードゲームの宿命と言ってよい。だからアブストラクトボードゲームの現状は、時代の試練を経た「よく知られたゲーム」が少数あるだけなのである。
 かつて日本棋院と任天堂が組んで、賞金付きで碁石と碁盤でできるアブストラクトボードゲームの新作を募集したことがあった。しかし残念ながら、受賞作ですら面白くないゲームだったという体たらくであった。繰り返すが、この手のゲームは、ゲームでなくパズルになってしまいがちだからである。
 ところが興味深いことに、将棋類はこの宿命を逃れているジャンルなのである。もっとも、将棋がアブストラクト(抽象的)ゲームかどうかは、若干議論のあるところだが。

 将棋類は殆どのものが、敵味方が同じ勢力であり、互いに一手ずつ指していくのが普通である。こうなると、初手で王が詰んでしまう(これを「自明」と言う)ような極端なものでさえなければ、完全情報だけに互いの先読みが無限の後退を続けていき、程なくそれは通常の読みの範囲を超えてパズルではなくなり、替わって形勢が成立してゲームとしての面白みが出てくる。
 つまりぶっちゃけて言えば、将棋みたいなゲームを作れば、自明でさえなければ、案外適当に作ってもゲームになってしまうのである。これが冒頭の「自明でない将棋系ゲームは成立する」という命題の意味である。
 裏を返せば、将棋みたいなゲームはいくらでも作れるということだ。

 このことは、現在の将棋類を眺めなおしても理解できるだろう。
 将棋の駒はなぜあの8種類40枚なのか? あの初期配置に必然性はあるのか?
 ――もちろん現在の初期配置で面白いことは認めるが、現在の配置が本当に最高かと言えば、誰にもそれは明言できないだろう。
 例えば、敵味方を一路近づけて9×8の盤で将棋を指すことを提案した人もいる。(熊谷2010)
私はたちどころに勝負がつくような気がしたが、やってみると少なくとも自明な手はない。するともう案外面白いゲームになってしまうのである。
 初期配置にしても、例えば金と銀の位置が逆だって、あまり問題があるようには思えない。日本将棋の飛車角は敵味方点対象の位置にあるが、あれをチェスのキングとクイーンのように敵味方線対称に置いたとしたら、相当戦法は変わっても(自明でさえなければ)、将棋に劣らぬ面白いゲームになりそうではある。
 結局、将棋の駒や盤や初期配置に必然性はあまりない。それは数々のミニ将棋や、中将棋、大将棋、そして世界の様々な将棋の存在が、それを証明していると言ってもよいだろう。

 だが、新たに創ったものが本当に面白いかどうかは、その先の問題になる。白石と黒石しか使わない抽象度の高いアブストラクトゲームほどは馬脚が出ない、と言うにすぎない。将棋類は簡単には成立するが、それだけに存在意義のあるゲームを作るのは、逆に難しいとも言える。

 ではマケドニア将棋は、(小道具としてではなく)将棋類としてはどうなのだろうか。
 結論から言えば、それなりに遊べるが、終局は冗長である。
 だが、冒頭に述べた繰り返しになるが、これは作者の製作意図である。冗長なゲームは悪いゲームではあるが、冗長に作ったゲームを冗長だと言っても批判にはならない。
 一方それなりに遊べる理由は、駒の再使用(取った駒を張って使える)にある。
 マケドニア将棋を(恐らく作中で)見ただけで(一度も指さないで)「こんなのは駄目だ!」と、頭ごなしに決め付けた人もいたが、指してみればそんなことはない。そこそこ楽しめる。

 終盤を冗長にしている原因は、第一に取った駒を敵地には張れないというルールにある。これは自陣の最奥に突然敵兵が降って湧くのは現実性がない、という尤もではあるがゲームの論理を越えたゲーム外の理由による。だが残念ながら、これでは詰めに決め手を欠く。プレーヤーは、敵陣外に張った駒をエッチラオッチラ敵陣に運ばなければならない。実戦から作ったという物語上の要請には確かに従ってはいるが、ゲームとしては何とも退屈となってしまう。
 第二の理由は、大駒の少ないことである。いわゆる「走り駒」と言えるのは、矢だけである。これはクイーン(飛車+角行)の動きなので、当初は強い駒と思われがちだか、弓兵と一体でないと使えないのが、文字通り使えない。クイーンとは言え、一発きりで回収しないと続かないのも弱い。矢を弓兵の上に張ったり、矢の受け渡しなど面白いルールもあるのだが、あまり使えない。するとルークもビショップもないマケドニア将棋では、ピンをしたり、紐をつけて尖兵を派遣するなどの手が使えず、詰めあぐむことになりがちなのである。
 第三の理由は作者自慢の「譲位」にある。これは結局敵の王(位)を二度、あるいは三度詰めなければ勝てないということであり、一局に二局分の時間がかかるということである。すなわち、ストーリーの上では(多分)重要なルールなのであろうが、ゲームの上ではあらずもがなのルールである。
 また、これは終盤だけではないが、横に利く駒が少ないのもじれったい。

 とは言え、終盤を少々我慢すれば結構楽しめる。
 弓矢は、シャンチーの砲やチャンギーの砲ほどは面白い駒でも使える駒でもないが、それなりに楽しめる駒である。弓矢を持ち駒にしたりすると結構楽しい。
 重歩兵は初めはたいしたことはないと思ったが、二枚重ねると後ろの駒の利きの範囲で前の駒が進め、追って後ろの駒を進めるなどといった、他の将棋類にあまり見られない展開があったりするのが楽しめる。
 譲位ルールも、終局の欠点ではあるが、中将棋の太子よりはずっと使える。作者には悪いが、譲位はそれほど独創的なルールというわけではなく、昔の中将棋以上の大きな将棋では、王将が取られても太子があるうちは負けではない。とは言え、実際問題として太子を作るのは相当に大変なので、その意味では譲位ルールは使える。可笑しいのは、たとえ王将を詰めてはみても、王子に譲位されたら途端に王将が詰まらない(笑)駒になっていまうという点だ。その王将を取ることは再度の譲位を防ぐことになるので悪いとまでは言わないが、例えば将軍との交換は将軍側の損かも知れない。なぜなら将軍は持ち駒になるが、王将は(張れないので)持ち駒にはならず、「使えない」駒になってしまうからである。この価値観の転換は、確かに他の将棋類では味わえない。

 昔、E.R.バロウズの『火星シリーズ』にジェッタン(火星将棋)というのが出てきた。私の印象では、ルールも(当時の訳では)分かりにくく、何とかやってみてもそう面白いものではなかった。それに比べればマケドニア将棋は、作中創作物としてはなかなかいい線を行っているように、私には思える。

 私の提案としては、「持ち駒はどこにでも打てる」、あるいはせめて「二十手以降は持ち駒はどこにでも打てる」(二十手までは敵陣には打てない)、程度にすることである。これで終盤の冗長性はかなり軽減される。
 実戦でも、王の寝室に突然敵の刺客が現れる事だってあるではありませんか。

ヒストリエ 7 (アフタヌーンKC) [コミック] / 岩明 均 (著); 講談社 (刊)


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第12回はこちらで読めます

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2012年06月26日

第25回遊戯史学会例会を聴講して――将棋の初心者、教えます

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第25回遊戯史学会例会を聴講して――将棋の初心者、教えます

 蔵原大

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 2012年5月26日、遊戯史学会の例会(第25回)にいってきました(http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/yugishi.htm )。
01遊戯史.JPG
 三軒茶屋でおこなわれた例会での発表は、将棋と囲碁がテーマ(http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/yugisi03.htm )。

 ● 「将棋における超初心者の上達過程」(by 堀口弘治〔日本将棋連盟棋士七段〕)
 ● 「囲碁家元本因坊文書の基礎的研究」(by 高尾善希〔立正大学文学部史学科非常勤講師〕)

 うち前半の方は、堀口氏が幼稚園や高校で将棋を教えているその体験をもとにしたものでして、初心者教育の点ですこぶる実践的(http://www.shogi.or.jp/player/kishi/horiguti-kou.html)。せっかくなので、いただいたレジュメの要旨を一部ご紹介します。

 ☆初心者に対する精神的サポート

 初心者の多くは、「将棋は難しい」と思っている。ある意味それは、正しい感覚である。私達将棋関係者は普及のため、「将棋は誰でも出来て、とてもやさしいゲームですよ」とよく言うが、実際将棋を教えてみて様々な壁があることもよく知っている。

 まずは、駒の動かし方やルールの説明に最低でも30分以上はかかる程教えることが多い。そして、そのあと初心者がどのように駒組みを進めていけばよいのか、適切に説明することは至難の業である。つまり、初心者の大きな壁の1つは、「何をどのように、何の目的で指すのか」見当もつかないことである。人間は、わからないとつまらなくなる。さらに、失敗するこわさ、負ける悔しさ、自己嫌悪・バカにされる恥ずかしさが加わり、ここで多くの人が脱落してしまう。

 また実際考えることは、面倒でかなり疲れる作業である。本将棋において考え、神経を使わなければいけないことは、数々あり緊張・集中した時間はそれほど長くは続かず、混乱と挫折感だけ残り、ここでもやはり将棋は敬遠されてしまう。

 そこで、生徒の「やる気」を引き出し、持続させる指導者の技術と創意工夫と熱意が必要となる。

 まず大切なことは、指導者が使う言葉は、シンプルに分かりやすくすることである。たとえば、「角の斜め右前の歩を動かして角を使えるようにしましょう」「角の横に金が移動して角の頭を守りましょう。」など動作と目的を分かりやすく伝えることである。専門的に言えば、もっと細かく説明する必要はあるところではあるが、この段階では、そうするとかえって混乱させてしまう。そして、普通の手が指せたら、ほめてあげることである。なぜなら将棋のほとんどの手は悪手なので、私達プロから見れば、当たり前の手であっても、悪手の山から普通の手が選べたことは多いに評価すべきことだからである。初心者が矢倉や美濃囲いが出来たという事は、凄いことなのである。「出来た」という達成感、「わかった」「ホメられた」という喜びの体験を積み重ねていくことは、将棋を続ける上で大切なことである。

 そして実戦の指導において心がけることは、失敗をおそれさせず、のびのびと指させることである。本来初心者には、失敗という概念は必要ない。失敗がなければ初心者ではないからである。すべてが「成長途上の手」であり、「貴重な体験」だ。次から改善して指せるように気がつかせるため、その都度指摘してあげることが良い。

 指導者は決して、早く強くさせようとして焦ってはいけない。根気よく相手の理解度を見ながら、ステップバイステップ、繰り返し、繰り返し、行きつ戻りつで十分である。

 ときには勝つ喜びを与えるため、指導者は上手に負けてあげることも必要だ。

 また、自分がどのレベルなのか級の認定も大事な動機づけになる。子供の場合、賞状・認定証・スタンプ・テストの花丸など、小道具やちょっとした工夫でとても喜ぶ。

 そして、なにより「棋は対話なり」将棋はコミュニケーションのゲームなので、勝負に集中するときとは別に、生徒同士・先生と生徒、和やかな雰囲気を作ることも続けられる要因となる。『指導法
ベストはないが ベターあり』である。時には、目先を変えてリレー将棋・青空将棋・トランプ将棋やミニ将棋・パズル・駒遊びなども取り入れても面白い。欲を言えばこのほか、将棋の歴史の話や礼儀作法なども指導できるとなおよい。将棋の面白さと楽しさ、素晴らしさを知ってもらうためにも、指導者の柔軟かつ幅広い知識と豊富な経験に裏付けられた、人間的魅力が大きく物を言う。


 このなかで紹介されている「生徒の「やる気」を引き出し、持続させる」工夫は、将棋だけでなくゲーム、武道、技術全般を教えるのにも応用できそうな内容です。難しい知識をレクチャーされる場合に、こうしたテクニックが参考になれば幸いです。

 ところで話は変わりまして、近年では将棋・囲碁のプレイ能力と論理力との関連性が注目され、各大学がそうした知的スポーツを講義として取り込んでいます。いわゆる「シリアス・ゲーム」系にも関係してくる話かと。

 ○ 青山学院大学で囲碁授業を開始:
 http://www.nihonkiin.or.jp/news/2012/02/post_390.html

 ○ MNC科目「囲碁で学ぶ数理科学入門」:
 http://www.waseda.jp/mnc/letter/2010jun/teachers_column.html

 ○ 全学共通科目|大東文化大学: (「囲碁と将棋A・B」という科目があります)
 http://www.daito.ac.jp/education/whole_university/common.html

 ゲームとは単なるエンターテイメントではなく、公共に資するものでもある、という現代社会の一面がこんなところからも垣間見えます。

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★【余 談】(酔った象さん=王子さま)

 なお例会では、将棋や囲碁についての発表に関連して、さまざまな将棋のバリエーションが展示されていました。
002中国軍人将棋.JPG
 中国製の「軍人将棋」というのは初めて見ましたが、なるほどコマの種類が見やすく、けっこう使い勝手が良さそうです。
003中国将棋.JPG
 中国の将棋「象棋」は日本のとは異なり、コマは丸く、盤の真ん中に「河」があったりします。
004朝鮮将棋.JPG
 朝鮮の将棋では「漢」「楚」の二つの陣営に分かれてたたかうのだそうです。古代中国の、秦帝国がほろんだあとの項羽と劉邦のあらそいをモチーフにしたと言われています。

 そして極めつけがこれ。
005酔象.JPG006太子.JPG
 いわゆる「古将棋」というやつの駒でして、「酔象」が成ると「太子」に変わります。「太子」は「王将」の代わりとして機能する優れもの。とはいっても「古将棋」は駒が多すぎ。ほかにも「仲人」とか「麒麟」とか......おぼえきれません。誰が気合いの入った方、挑戦してみてくださいな。

posted by AGS at 17:07| レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月12日

日本シミュレーション&ゲーミング学会2012年度春季全国大会参加報告


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日本シミュレーション&ゲーミング学会2012年度春季全国大会参加報告

 小春香子

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 2012年6月2日―3日に流通経済大学で行われていた「日本シミュレーション&ゲーミング学会」(以下、JASAGと表記)2012年度春季全国大会に参加してまいりました。仕事の関係上、きちんと参加することが出来たのは一般学術セッションのU〜V(懇親会を除く)のみで、メインであるパネルディスカッションにはラスト20分しか参加できませんでした。面白そうなテーマだっただけに残念です。

NPO法人 日本シミュレーション&ゲーミング学会 公式サイト
http://jasag.org/

 パネルディスカッションの参加者は30人程度でした。広い会場でしたので、実際の参加者数以上に閑散としてしまっていた印象があったのですが、一般学術セッションでは各部屋に15〜20人程度集まって発表を聞いたり議論をしていたりしてかなり盛況だったように思います。大学教授や学生などのほか、ゲーミング教材の制作会社の方、地域づくりや開発教育関係のNPOで活躍されている方、中高教員など参加者層も幅広めであったように思います。学術セッションに、国際政治のダイナミズムをシミュレーション&ゲーミングで学ばせる、という実践の発表があったせいか、ムスリムの留学生が学生ボランティアから同時通訳を受けていたのが印象的です。

 一般学術セッションでは、私の専門がシミュレーション&ゲーミングによる教材活用なのでそうした系統ばかりを聞いていましたが、数年前に始めて論文集を見たときよりかなり幅広い専門性の方が集まっている印象です。またシミュレーション&ゲーミングのテクニックにしても、過去のJASAGの論文集やセッションで紹介されたものを自分の教材に落とし込んで新しい発見や手法の深化を行っている実践の紹介が多かったので、学会の中での学びが深まっていることに感動しました。シミュレーション&ゲーミングがテーマのセッションでは、どのセッションでも必ず「複雑な現実をどこまでシミュに落とし込み、ゲーム性(数値パラメータ)だけを追う現実から乖離した展開を防ぐにはどうしたらいいか」といった議論が形を変えて行われていましたので、シミュレーション&ゲーミングの永遠の課題はやはりこの問いに集約していくではないでしょうか。「何のためにこの現実をシミュレーション&ゲーミングにするのか」という意識がはっきりしている実践が成果を挙げている報告が多かったです。

 いろいろな実践報告を受けて、共通していたのは「そのゲームの対象について全く知らない状態ではなく、ある程度の予備知識を得た状態(学習の入門期の集大成)で行う」実践、「たとえシミュレーションが現実と違う展開になったとしても、それを踏まえてさらに学びを進化させられる体制が整っている」実践がこの問いをクリアーできている(出来そうである)のではないかと考えられる学会でした。


posted by AGS at 18:36| レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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