2011年07月06日

GMが建設的にしゃしゃり出る方法について

 会話型RPG(TRPG)をプレイするにあたっては、ゲームマスター(GM)という存在が欠かせません。コーエン兄弟監督の映画を思わせるスラップスティックな物語を表現可能な『Fiasco』のようにGMレスのゲームも注目を集めてはいるものの、いまだ数多くの作品においてGMは必須となっています。

 このゲームマスターの「語り」(ナラティヴ)に、ホメロスの時代の叙事詩にも通じる、いわば口承伝統の技術の伝統に則った側面が存在することを否定する意見は少ないでしょう。しかしながら叙事詩のナラティヴ(語り方)と、近代以降の文化的なコード(共通項)に支配された私たちのナラティヴとの間には、少なくない距離感が介在しています。

 とりわけ近代の文芸批評は、ある意味、こうした距離感を認識するところから出発したものでした。文芸評論家のジェルジ・ルカーチは、叙事詩的な伝統に立ち返ることのできない近代文学の悲劇を「世界が神から見捨てられた悲劇」と呼んでいます(『小説の理論』)。

 近代以降の「ナラティヴ」が、一種の神なき時代の悲劇として措定せざるをえないのだとすれば、会話型RPGについて批評的に接するためには、当然、「ナラティヴ」のあり方について、いまいちど考えを進めることは必要な作業でありましょう。そこで「語り」に重きを置いたルールシステム、『クトゥルフ神話TRPG』(『クトゥルフの呼び声』)や『ワーウルフ:ジ・アポカリプス』の熟練ゲームマスター(ストーリーテラー)である汀亜号さまが、J・R・R・トールキンの『シルマリルの物語』を題材に、ゲームマスターの技術について、興味深いコラムをお寄せくださいましたのでご紹介いたします。

 『シルマリルの物語』は、同じ作者による『指輪物語』とは異なり、いわゆる近代小説のスタイルとは異質のナラティヴ、すなわち神話や叙事詩のスタイルを積極的に採用した作品です(*)。

 そのため、それ自体を(いわば直接の「模倣」の対象として)RPGで再現するには、いささかの困難が伴うのも事実です。汀亜号さまは、この問題をどのように考えたのでしょうか。(岡和田晃、下段解説部を含む)

(*)むろん、大江健三郎の『M/Tと森のフシギの物語』のように、両者を混淆させた作品も現代文学には存在します。『指輪物語』そのものにも神話的なナラティヴは部分的に介在しています。

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GMが建設的にしゃしゃり出る方法について

 汀 亜号

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■はじめに

 予め、ジャンルのお断りを。
 この覚書はTRPG(テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム)というアナログゲームの、特にGM(ゲームマスター)と呼ばれる、ゲームの筋書き準備や展開管理を担当する参加者について、その手管を少々書き留めたものです。AGSをご訪問の方々のほとんどにはご紹介は不要でしょうが、複数方面のゲームを扱っておられる都合上、飽くまで確認までに。

 さて、こうして寄稿の機会を頂きましたものの、私は批評をするでなく、ゲームをデザインするでもなく、単にGMを務めるのが好きなだけの者です。TRPGに対しては単に消費者の立場にあります。ですから、高尚な何事かを期待なさっておられる皆様には、予めお詫びしておきます。私が書きますのは一料理のレシピ水準のメモでして、包括的な研究は他の皆様にお任せいたします。分析や総論からはほど遠うございますので、気を楽に読み流して戴ければ幸いです。


■『シルマリルの物語』を表現する

 きっかけは、Twitterをぼんやり眺めていて、ジャーマンメタルバンド「Blind Guardian」の話題をとっかかりに、岡和田さんと交わした雑談でありました。

 「Blind Guardian」はファンタジイ文学に造詣の深いバンドで、アルバム第8作『Nightfall in Middle Earth』(中つ国の夕暮れ)は、J・R・Rトールキンの『シルマリルの物語』を題材にしたコンセプト・アルバムとなっておりますが、その13曲目「Time Stands Still(At The Iron Hill)」は、『シルマリルの物語』で描かれる「俄かに焔流るる合戦」(ダゴール・ブラゴルラハ)においてなされた、「黒き敵」こと悪のヴァラール(唯一神イルーヴァータルに仕える天使のような存在)である“モルゴス”と、ノルドール・エルフの上級王“フィンゴルフィン”の果し合いを歌ったものです。

Nightfall in Middle Earth [CD, Import] / Blind Guardian (CD - 2007)新版 シルマリルの物語 [単行本] / J.R.R. トールキン (著); John Ronald Reuel Tolkien (原著); 田中 明子 (翻訳); 評論社 (刊)

 この曲に代表されるように、『Nightfall in Middle Earth』では、音楽という表現型式で『シルマリルの物語』が演出されるのですが、TRPGにおいて『シルマリルの物語』で描かれるかような場面を表現するにはどうしたらよいか、その際の手管について由無く話をしておりました。

 一騎打ちにおいてフィンゴルフィンは敗退を喫します。そして一方のモルゴスも、『シルマリルの物語』(や続く『終わらざりし物語』等において、さまざまな挿話が語られながら)滅びを迎え、時代が下った『指輪物語』では過去の話として語られる対象となります。

 それでは『シルマリルの物語』を、TRPGでどのように表現できるでしょうか。キャンペーン(連続セッション)を前提にした話です。

 私が即興で考えた演出の方向性は次のようなものでした。

1) GMに対し「GMよ、あなたはモルゴスだ」と告げ、モルゴスの視点から話を語らせる

2) 全ての話は断末魔のモルゴスが見る走馬燈として描く。である以上、シナリオの順番は時間に従っていなくてよい。むしろ、後から見れば決定的瞬間だった時と場だけを辿らせてよい

3) セッションによって確定した事実が、その世界の辿ってきた歴史的事実となり、かつ、最後に描かれる(最初は陰に隠れている)モルゴスの末期を変えていく

4) 末期が決定されるたびに、GM(モルゴス)は次のセッションの展開を軌道修正する

5) PCの成長はシナリオ終了ごとに起こしてよい。時間的には不整合が出るけど気にしない。死亡した場合のみ、復活のコストを追加ルールとして定めておく。フィンゴルフィンが死んだらキャンペーンは失敗、終了でも構わない

 このようにすれば、GMが『シルマリルの物語』について抱いている印象を建設的に語りに組み込めます。また、思い出話だった筈のものが、参加者によって修正され、その修正がいつの間にか現実を変更していく、という不思議な感覚を味わえると考えました(百物語の頃からある、話が現実を侵すという、魔法的な愉悦ですね)。

 これは、「皆でやる思い出話」をTRPGに応用したものです。集団で昔に思いを馳せる時、私たちがよくするのは「納得する思い出を組み立てること」であって、正確なデータを復活させることではありますまい。参加者の思いに従って過去は変わっていくものですし、それで構わない。

 では、TRPGのセッションにおいてもそれで構わないとしてしまえば、整合性やらに縛られずに大きなドラマを遊べるのではないかと思います。


■GMが個性を出すには?

 実は私が文字に起こせるレベルで考えたのは最初のアイデアだけです。この先は由も無い語りとなりましょうがご容赦を。やや一般に、GMが個性を出す手管について、今回のアイデアを起点に短くまとめておこうかと存じます。

 原作や緻密な世界設定があるゲームを遊ぶに当たって、GMが苦労する事柄の一つとして、雰囲気の演出があります。情景を見ているのは通例PCですから、そこにある情感をGMが描いてPLに押しつけてしまうのは大抵愚策です。しかし、叙事的な語りだけでPL諸氏を共感せしめるには話芸が要り、これも大変です。では、何故ここが悩みになるかと問うと、それはGMが中立たらんとしてしまうからです。

 中立者たるGMでは情景が描けないというのならば、語り部としてのGMもまた個性的であることを積極的に受け容れていけばよい。何に対しても全く客観的で中立な人、などという気持ち悪い何かを(失礼、口さがないもので)目指すのはいったん止めて、嘔吐感を伝えようとしたサルトルのように、その人らしく語っていいではないか、と私は思います。ただ、単に建設的かつ個性的であれと言われても却って困ってしまう。

 そこで、主要NPCにGM自身を投影せざるを得ないように仕組むのが、セッション全体に対して建設的な手の一つであろうと思います。そのNPCはキャンペーン全体の流れに添え遂げる事が予め分かっている人物でなければなりませんし、PLの気紛れで舞台から抹殺される危険が少ない立場と能力を持たないといけません。そのために私が思いついたのは、悪のヴァラールたるモルゴスによる、断末魔の走馬燈でした。

 GMを投影するNPCの設定方法は、他にも色々あり得るのだろうと思われます。そこはGM諸氏の愉しい妄想にお任せすることになりましょう。

 悪文を充分に長く書きすぎましたので、これにて筆を擱きたいと存じます。半端な覚書にお付き合い下さった皆様、有り難うございました。ご参考とまで行かずとも、暇潰しになりましたならば誠に幸いです。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
GMが建設的にしゃしゃり出る方法について by 汀亜号 is licensed under a Creative Commons 表示 - 改変禁止 3.0 非移植 License.
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 本コラムではゲームマスターの技術について語られましたが、ルール・メカニズムの内部においても、RPG側はこうした問題については試行錯誤を重ねてきました。

 『指輪物語ロールプレイング』においては、舞台となる「中つ国」の歴史的背景の表現に集中することで、こうした幣を乗り越えようとしてきました(『指輪物語ロールプレイング』では、地域ソースブックの情報を活用し、『シルマリルの物語』の主たる時代背景「第一紀」で冒険を繰り広げることができます)。

 近年発売されたシステム、たとえば『ダンジョンズ&ドラゴンズ』第4版では「神話級」というゲーム・スケールを採用することで、近代以降のナラティヴ(語り方)では表現が難しいとされる壮大なストーリーを自然に表現することが可能となっています。

 また『ブルーフォレスト物語』第3版においては、キャラクターを「亜神」と規定しつつ、近代的理性では代補しきれない人間表現のあり方に焦点を当てた「権現」システム等、種々の画期的な試みを取り入れることで、既存の物語構造やアーキタイプとしての無自覚な反復に留まるのではなく、主眼たるゲームマスターのナラティヴそのもののあり方の認識に焦点を当てる設計がなされています。

 今回ご紹介する汀亜号さまのコラムは、こうしたルール・システムの冒険ともリンクしうる、優れた提言になっているものと思います。(岡和田晃)
posted by AGS at 15:53| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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