2011年04月11日

“人とは異なるもの”はロールプレイ可能?――『スケイブンの書』における可能性

 アナログゲームの大きな楽しみとして、情報やリソースを管理するだけではなく、無機質とも思える数字や設定に参加者が意味を与え、能動的に参与していく部分が挙げられます。
 会話型RPGにおいて、それはしばしば「ロールプレイ」という形で取り扱われます。

 そこで今回は、『ウォーハンマーRPG』や、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のサプリメント、あるいは「GAME LINK」「GAME JAPAN」などアナログゲーム専門誌でライター活動を行なっている戦鎚傭兵団から、翻訳家にしてベテラン・ゲーマーの鈴木康次郎さまがお出まし下さり、『ウォーハンマーRPG』の人気サプリメント『スケイブンの書』を例に、「ロールプレイ」について考察をしていただきました。

 本記事はそれ自体として実践的なだけではなく、なかなか明晰に言語化が難しい「粋」の問題についての提示にもなっており、議論の出発点は、日本的な感性を、西洋の伝統的な知の文法のうちに明確に位置づけようとした書物である九鬼周造の『「いき」の構造』の問題意識にも、どこか相通じる部分があるのではないかと私は考えています。

 加えて、サプリメント紹介、ならびにサプリメントの内容を受け手側でいかに咀嚼するのかの実例としても優れたものになっています。

 なお『ウォーハンマーRPG』とは、ドイツ三十年戦争近辺のヨーロッパを模したケルト的な多神教的世界を舞台に、「混沌」と呼ばれる存在との戦いをライトモチーフとした会話型ロールプレイングゲームのことを指します。現在でも第2版の日本語展開が継続しています。

 この『ウォーハンマーRPG』についての情報は、

・『ウォーハンマーRPG』日本語版公式ページ
http://www.hobbyjapan.co.jp/wh/

・Wikipedia『ウォーハンマーRPG』:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BCRPG

・TRPG.NET Wiki『ウォーハンマーRPG』
http://hiki.trpg.net/wiki/?WarhammerFRP

 以上のサイトから概観をつかむことが可能です。(岡和田晃)

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“人とは異なるもの”はロールプレイ可能?――『スケイブンの書』における可能性
 鈴木康次郎

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 会話型RPG(TRPG)には色々な楽しみが詰まっています。物語に参加し作り上げていくアドベンチャーゲーム的な楽しみ。戦術を駆使して戦うウォーゲーム的な楽しみ。単に気の知れた仲間と飲み会のようにわいわい騒ぐことも楽しいですね。


 また、大きな楽しみの1つに“自分以外の誰か”を演じることがあります。まさに、RPGはRole(役割)Playing(演じる)Game*。大なり小なり誰もが持っている変身願望を満たしてくれるのです。

*このロールプレイの定義については人それぞれで、システムによっても様々な部分があるのですが、今回は「そのキャラクターの性格に沿った、発言や行動をゲーム中に行なう」としておきます。

 ただ、誰もがどんなキャラにもなれるのでしょうか? “はい”であり“いいえ”でもあると思います。プレイヤーはシステムやGMが許す限り、どんなキャラクターにもなれます。老若男女問わず、人間以外の生命体でもOK。運命と死を司る女神ですら選ぶことができるかもしれません。ただ、キャラクターの設定を作ることと、実際に運用することは別なのですね。


 例えば「粋な怪盗」という設定。セッションでそのキャラを「粋な怪盗」として運用するには、“粋な行為”をする必要が強いわけです。キャラクターは“形容詞”じゃなくて、“動詞”で示すものです。「かわいそうな少女がいるんだね。じゃあ、僕のキャラは粋な台詞と行動で彼女を笑わせて好意を持ってもらうよ」とか発言しても、他のプレイヤーはそのキャラクターを「なるほど、粋な怪盗!」とは思わないわけですね。“粋な台詞”と“粋な行動”を具体的に示して「なるほど、それならその少女も惚れるぜ!」と思わせることができたら「粋な怪盗」のロールプレイは大成功なのですが、なかなかどうして大変なものです。「その行動は粋である」と判断できるのと、「粋な行動を思いつく」は別なことで、後者はもちろんセンスが必要ですよね。

 では、本人が“粋な人”じゃないと「粋な怪盗」は演じられないのか? これも一概にそうとは言えません。そのキャラクターらしいロールプレイするためのテクニックがあり、またそれを助長してくれるシステムもあるからです。自分が“粋だ”と思った漫画や小説のキャラクターの行動をストックして分析し、「それを真似る」、「それを応用」するなどがテクニックになります。これらをアドリブに活かすのには慣れが必要なのですが、システムによってはどういうシチュエーションが起こるかを明示したり、シチュエーションのセッティングについての大きな権限をプレイヤーに持たせるなどして、それらを行ないやすくしているものがあります。


 でも、テクニックとシステムでもってどんなキャラクターもロールプレイ可能かというと、それはちょっと言いすぎかなと思っています。

 結論から言うとロールプレイするためにはそのキャラクターに対する“納得感”が必要だと思います。イメージがほとんど沸かないような理解不能なキャラクターや、自分が否定したいキャラクターはロールプレイするのは大変困難になるということです。

 「粋な怪盗」で言えば、“粋な行為”というもののどこがいいのかよく判らない、無関心な人はロールプレイが困難ですね。やはり、心のなかで響くもの、リンクするような題材じゃないと辛いでしょう。ただ、それが自分にはないものでも関心のある題材なら問題ないでしょう。例えば、男性プレイヤーが乙女をロールプレイできないこともない。乙女に関心があるならば、心の中に「乙女とはこういうもの」という少女のイメージを持っているはずだからです。逆に関心が薄く、心の引き出しにイメージを構築するパーツの少ない題材は、どういうロールプレイをしていいのか判らなく、動かしづらいということになります。


 ただ、イメージ可能な題材でも、プレイヤーにそれを否定したい場合もロールプレイが困難になるでしょう。例えば「臆病さ」を否定したい人は「臆病なキャラクター」はやろうとしない、しても楽しくないだろうということです。

 イメージを持てるまでその題材を理解し、感情的な納得感を持つことが大切なわけですが、後者はシチュエーション次第な部分もあります。TRPGは勧善懲悪こそ王道と思っているプレイヤーにとっては、腹黒いPCは否定したいものです。そのプレイヤーにとってPCとは正義の英雄であるべきなのです。しかし、システムが勧善懲悪の時代劇の悪役をプレイする悪代官RPGみたいな、勧善懲悪ものとはPCの立場が明らかに違うものなら? 勧善懲悪ものが好きならば悪役のイメージも豊富に持っているかも。「悪役が憎たらしいほど、最期が盛り上がるからね」とか言って案外ノリノリでプレイして楽しんでもらえるかも知れません。


 やはり、イメージが持てるまで題材を咀嚼することの方が、ロールプレイできるかできないかの肝になるかと思います。つまり、当然ながら具体的なイメージを結べず、かつ感情移入がしにくいキャラクターの扱いが困難ということですね。



 ということで、ようやく今回のテーマの“人とは異なるもの”のロールプレイです。

 「“人とは異なるもの”のロールプレイは可能か?」を突き詰めて考えると、人間には理解できないレベルで異なった存在のロールプレイは不可能だと答えざるを得ません。

 例えば「感情を持たない知的生命体」などを考えてみましょう。「感情を持たない人工知能」などはありふれたテーマですが、実際自分が動かすとなればどうでしょう? 人間は感情を排除した知的活動なんてできません。「心はないはずだけど、実は情緒的なアンドロイド」などならば、クールを装っているだけのキャラクターの変化球として扱えるかも知れません。しかし、本物の「感情を持たない人工知能」となればお手上げです。SF小説などには、これらのキャラクターをもっともらしく動かしている作品もあります。しかし、自分たちはSF作家ではないですし、SF作家もアドリブで動かすとなると手に負えないのかも知れません。


 人間は「人知を超えた存在」という概念を創造することはできても、厳密に考えればその概念を運用はできないと思います。例えば、「人知を超えた存在」である神が、敬虔な信徒を不幸にする。これに対して人間は、「これは神の試練である」などというふうに自分たちが咀嚼可能な範囲で理解しようとします。本来は人知を超えた意図があり、それは人間に理解できないからこそ神意なのでしょうが、やはり理由づけができる範囲で解釈しようとするのが人間の性だと思います。人間は不条理な行為を自覚的に行うことは不可能かもしれません。例えば、行動をランダムで決定するキャラクター。呪文で混乱状態にされているなどプレイヤーが納得できる理由がなく、またギャグでもなければ、そのようなキャラクターはロールプレイできないでしょう。理由もなく「仲間を攻撃」したり、「戦闘中にダンスをする」という行為はプレイヤーには納得できないもので、少なくとも何からの理由づけをしてしまうものではないでしょうか?


 結局のところ人間が扱えるのは“人間”だけというのが大前提なのかも知れません。例えば、ファンタジー世界で異種族が定番ですが、これらも“人とは異なるもの”ほどのものではなく、“人間のバリエーション”と捉えた方が妥当でしょうね。ドワーフは背の低い太った髭親父。エルフは耳の尖った青年たちという具合に。TRPGのエルフといえば、ルーツは『指輪物語』のエルフですね。神秘的で超然とした存在が出発点なのですが、最近は日本も海外も含めて等身大のエルフのキャラクターが増えたと思っています。これも、フランクなエルフの方が演じやすいからでしょうね。



 しかし逆に考えれば、人間は結局“人間”だけしか扱えないとしても、人間が理解可能なパーツさえあれば人間からかけ離れた存在は演じることができるということではないでしょうか? 「その行動のイメージがつかみやすく、感情的な納得感も持てるけど、人間からかけ離れた存在」ならロールプレイ可能ですね。


 では、このような“人間が理解可能なパーツでできた人間からかけ離れた存在”というものは、ありえるものなのでしょうか? SF小説のエイリアンや、漫画のモンスターなどを考えてみてください。一部の例外を除いて、それらの“人間からかけ離れた存在”はこのように作られてはいませんか? 攻撃性が異常に高かったり、高度に論理的だったりはするものの、それらは人間が本来もっているパーツではないでしょうか?


 そしてTRPGにおいては、“人間が理解可能なパーツでできた人間からかけ離れた存在”が扱いやすい形で提示されているケースが多いと思います。GMが扱うモンスターなどは人間とは異なるもののどう扱っていいのか判りにくいという存在ではないと思います。“人間が理解不能な邪神”などの設定などについても、邪神は謎めいた存在にしつつ邪教徒たちにスポットを当てることによってシナリオを運用するなどのメソッドがあるわけです。もちろん、GMの扱うものだけでもありません。エルフなどの異種族よりも人間からかけ離れたキャラクターをPCとして扱うメソッドがあるのです。


 そして、それらのエッセンスがつまったTPRGの傑作の1つとして紹介しますのが『スケイブンの書』です。


スケイブンの書−角ありし鼠の子ら (ウォーハンマーRPG サプリメント) [大型本] / スティーブ ダーリントン, ロバート J シュワルブ (著); 待兼 音二郎, 鈴木 康次郎, 阿利浜 秀明, 見田 航介, 岡和田 晃 (翻訳); ホビージャパン (刊)
【参考:『スケイブンの書』プレビュー(PDFファイル)】

 本書は『ウォーハンマーRPG』のサプリメントで、敵役の鼠人間種族スケイブンを扱ったものです。「世紀末人喰いネズちゃん」という感じの表紙のイラストのとおりスケイブンは極悪な種族です。地下世界に帝国を築き、世界の根幹を齧りつくそうとする飢えた者たち。世界を征服すべく陰謀をめぐらす彼らの最大の武器は圧倒的な繁殖力。それ故か個々の命の価値など認められず、上司は部下を文字通り使い捨てにします。彼らの辞書には「慈悲」などなく、敵だけでなく同胞さえも文字通り貪り喰らいます。彼らの世界征服を阻害している最大の要因は、種族内の抗争。常に飢え、常に悪知恵を働かすのがスケイブン。ラブリー(?!)な外見とは裏腹に、正に獣人であり、人間とはかけ離れた“人とは異なるもの”です。


 しかし、その設定を読み解いていくと、スケイブンのコアの部分は人間の一部の特性を肥大化させたものです。そして、価値観や行動様式を人間からかけ離れたものにすることにより、差異を際立たせていることが判ります。


 まずは、メンタリティから見ていきましょう。スケイブンの性格は小悪党的要素を肥大化させたものです。スケイブンたちはすべて自分が最高のスケイブンであると自惚れており、自分の思い通りにならないのは、すべて敵対種族の抵抗や、同胞の無能や陰謀のせいだと信じています。また、非常に臆病が故に慎重であり、リスクは他人に取らせ、手柄はすべて自分のものにしようとします。そして、彼らの社会は強固なヒエラルキーが存在するために、上位者に対してはおべんちゃらを使って媚びへつらいますが、常にその地位を狙っています。何たる小物臭。スケールは規格外かもしれませんが、基本的にせこい悪党なわけですね。

 これは秀逸な設定だと思います。まずはドブネズミのイメージに合っていますし、数で優位に立っているのにそれを活用しきれないという弱点にもつながります。また、「足の引っ張り合い、責任のなすりつけ合いが絶えない社会」は、「憎しみや闘争しかない社会」よりもイメージがしやすいでしょう。デーモンなど“憎悪”や“闘争心”しかない生命体が形成する社会というものは、何となくイメージはもてるものの具体的に運用していくのには非常に疲れるはずだと思います。“憎悪”というものは誰でも持っている感情でしょうが、これのみで行動するということはあまりないでしょう。それとは逆に、上司におベちゃんらを言ったり、自分の失敗を他人のせいにしたりするというものは、日常でもよくあり、その部分を拡大することは比較的想像しやすい部類ではないでしょうか?


 このようにスケイブンは人間臭い側面がありますが、人間との差異を際立たせている要素も持ち合わせています。そして、それらの異質な部分は、人間がまったく理解できない代物ではありません。それらの多くは動物的な要素であり、人間社会にはないものの説得力を感じるものになっているわけです。

 例えばスケイブンのヒエラルキー。スケイブンの地位は毛皮の色で選別されます。白または灰色が一番偉く、特徴のない一般鼠は消耗品のような扱いを受けます。スケイブンの雌は仔鼠を産むことだけしかしない、巨大な仔鼠製造機械のようなものです。当然、社会の概念、性の価値観など人間とは異質なものになりますが、このヒエラルキー自体は蟻や蜂のものを連想させそれほど理解不能という感じではないですね。後、恒常的な飢えや、食糧を貯蓄することはなくて食べることができる物が手に入ったのならば奪われないように可能な限り早く食べるというものの、鼠としては説得力のある設定です。『ジョジョの奇妙な冒険』に「鼠は常に何かを食べないと短時間で餓死する」みたいなことが書かれていましたしね。また、個人的に凄いアイデアと思ったのは、スケイブンの「部下に自分の糞尿をなすりつける」という行為。人間社会ではありえない変態行為なのですが、これは“臭いつけ”であり犬のマーキングと同じようなものなのですね。犬が自分の縄張りを示すために電信柱におしっこをひっかけるように、スケイブンは自分の臭いを部下に染み込ませる。人間社会なら構成員の帰属意識をはっきりさせるために制服を着させるなどの行為が、スケイブンでは糞尿をなすりつけるになるわけです。ある行動の仕方を変えてしまうことにより、まったくベクトルの異なる感じのものにしつつ、“獣人”らしさや滑稽さ、不潔さなども同時に表現していますね。秀逸だと思います。


 『スケイブンの書』にはこれらのスケイブンたちをPCとして扱うスケイブン・キャンペーンを提案しています。所謂モンスター・セッションです。モンスター・セッションでは、基本的にプレイヤー全員が英雄とは異なる立場のキャラクターを扱うことになります。英雄パーティにモンスター種族のキャラクター1人が混じっても、そのキャラクターは英雄キャラクターのメソッドで動くことになりがちで、ユニーク以上の存在にはなかなかなりえません。それと比べるとモンスター・セッションでは、勧善懲悪の英雄ものという文法がひっくり返ることが多いので、従来とは異なるユニークなロールプレイを楽しめる可能場合が高いはずです。スケイブン・キャンペーンの場合、それに秀逸な設定が加わり更に個性的なベクトルのセッションが行われる可能性が高いかと思います。

 前述のとおりスケイブンの基本は小悪党です。この基本方針に従ってキャラクターを動かすことはそれほど難しくはないはずです。次にスケイブンの常識をつかんで下さい。スケイブンの常識は人間にとっては異常なものですが、これによってスケイブンの行動が人間と異なるものになるのです。「心地よい場所は、隠れ場所の多い暗くてじめじめした地下」とか「大切な物は生存を確実にしてくれる地位」などです。これらの設定を理解していくことで、目的や動機が同じでもスケイブンの場合取りえるアクションが人間とは異なることが判ってくると思います。例えば、通常の英雄ものキャラクターは、モンスターを倒した後に戦利品を漁ります。それは、通常はお金やアイテムですね。スケイブン社会にはお金はありません。貨幣経済というものがないのです。通常のスケイブンの一生は短く、備蓄という概念が薄く、また種族内で貨幣経済を育めるほどの信頼関係を築くことができないからかもしれません。では、何を漁るかと言うと、死体をその場で貪り食うのですね。飢えを満たすことが彼らの最大欲求の1つであり、手にした食料はその場で奪われないうちに直ちに食らうのです。そして、彼らは死体に敵と味方の区別はしません。仲間のPCが死ねばどうなるか? この流れで考えると明白ですね。


 スケイブンの行動原理は確かに人間臭いものです。しかし、彼らの立ち位置が、悪役であり、動物的なものであるために、その行動は従来のキャラクターとは異なっていくわけです。異常な世界では異常が正常です。そこを納得することができれば、スケイブンのロールプレイは比較的簡単なものかもしれません。そして、それができたのなら、この“人間には見えない人”による歪んだ人間社会の魅力を存分に味わうことができるものと思います。


 TRPGには、小説や漫画などの他の創作活動にも資料として役立てるレベルのものがあります。『スケイブンの書』は、比較的運用し易い“人間には見えない人”の設定集です。本書に詰められたエッセンスは、TRPGのロールプレイの可能性を深めるばかりではなく、他の創作活動にも役立つものであると思っております。

スケイブンの書−角ありし鼠の子ら (ウォーハンマーRPG サプリメント) [大型本] / スティーブ ダーリントン, ロバート J シュワルブ (著); 待兼 音二郎, 鈴木 康次郎, 阿利浜 秀明, 見田 航介, 岡和田 晃 (翻訳); ホビージャパン (刊)

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鈴木康次郎(すずき・やすじろう)
 1971年大阪生まれ。関西大学卒業。関大RPG同好会で会話型RPGを始め、主に『ウォーハンマーRPG』、『シャドウラン』、『アースドーン』、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』などの海外RPGに没頭する。脱サラ後、『ウォーハンマーRPG』や『ダンジョンズ&ドラゴンズ』などの翻訳に関わる。
 翻訳書(共訳)に『魔術の書:レルム・オヴ・ソーサリー』、『スケイブンの書――角ありし鼠の子ら』、『秘術の書』、『ダンジョン・デルヴ』など。
【Blog(大槌ぶんぶん)】http://d.hatena.ne.jp/Yasujirou/

Creative Commons License
“人とは異なるもの”はロールプレイ可能?――『スケイブンの書』における可能性 by 鈴木康次郎(Yasujirou Suzuki) is licensed under a Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivs 3.0 Unported License.

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 Analog Game Studiesでは、以下の記事においても『ウォーハンマーRPG』とロールプレイについての考察が行われております。併せてご参照下さい。

・『ウォーハンマーRPG』リプレイ「魔力の風を追う者たち」ウェブ再掲記念;非公式対談――遊んでみて“改めて/新たに”わかった、会話型RPGの批評性
posted by AGS at 19:04| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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