2011年03月31日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第8回)

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第8回)

 草場純


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 「闘茶」は、長い伝統のあるゲームである。ルールが確立されてからだけでもその歴史は五百年を下らない。しかも現在でも細々とではあるが、その命脈を保っている伝統的なゲームでもある。

 「利き茶」なら現在でも茶の品評会などで行われることがあるが、これはゲーム性はあるもののゲームではない。なぜならそれは、プレーヤーの勝敗を決めるようなものではないからであり、きちんとしたルールが成立しているものでもないからだ。ただし、闘茶の歴史を紐解けば、その初めは飲んで産地を当てる「利き茶」(本非茶)であったことが知られる。時間の経過を経、多くの人の工夫があって、ゲームとして成立していったのである。


 ではその闘茶のルールはどのようなものであるだろうか。

 闘茶にも多くの種類があるが、その代表的なゲーム「十種茶」を例にとってそのルールの構造を見ていこう。

 まずプレーヤーは車座に座る。そこに茶碗に入った茶が、三服回ってくる。即ち、一、二、三、であり、これを「試し茶」と呼ぶ。プレーヤーは、初めに少しずつ試し茶を飲んでその味を覚えるのである。次に十服の茶が回ってくる。それは試し茶として飲んだ三種の茶が三服ずつと、試し茶になかった「客茶」が一服であるが、この十種がランダムに回ってくるわけだ。プレーヤーは飲んで判断し、用紙に、一、二、三、またはウと記入する。「ウ」というのは、ウ冠(うかんむり)のことであり、「客」の字、即ち試し茶になかった第四のお茶を意味する。

 全ての記入が終れば採点である。採点は簡単で、当たっただけが点になる。全てが当たれば十点、全て外れれば零点である。


 追体験してみたい人のために、出題側から上記を書き直せば以下のようになる。

 伝統的な構成とは異なるが、濃茶風の回し飲みを嫌がる人もいるだろうから、ちょっと現代風にアレンジしてみよう。

 まず大量の紙コップ(人数×11個が必要)を準備する。次に、四種類のお茶(A,B,C,D)を用意する。産地の違いでもメーカーの違いでもよいのだが、淹れた時に明確に色が異なるようなのはよくない。

 茶碗に、一、二、三と記した紙コップを人数分ずつ用意し、それぞれ一にはA、二にはB、三にはCというように等量を入れ、順番に出して飲んで味を覚えてもらっては回収する。次に一人宛、Aを三つ、Bを三つ、Cを三つ、Dを一つ入れて、ランダムに混ぜて(ただし順番は記録しておく)出しては回収する。この場合全員に同じ順番で出すことが重要である。プレイヤーには予め記録用紙を与え、それに渡されて飲んだ順に、試し茶と心の中で比較してもらい、例えば「二三二一二一三ウ一三」のように記入してもらって回収する。十服出して回収した後、みんなの用紙の回答を記録と比べて採点すれば、十分遊べるゲームとなる。

 細かい作法は省略したが、ルールとしてはよく出来ている。これなら立派にゲームとして現代でも通用しよう。

 実際これは、「伝統ゲームを現代にプレイする意義」を感じるためのサンプルゲースの一例であり、本当に追試したところ参加者からは大変好評であった。


 私は、『ザップゼラップ』とか、『イグルーポップ』、『アロザ殺人事件』のように、音を聞いて(聴覚を用いて)プレイするゲームや、『プシケー』(編注:異名の可能性あり。現在調査中)のように香をかいで(嗅覚を用いて)プレイするゲーム、『イースター島』のように手で重さを量って(触覚を用いて)プレイするゲーム、などを纏めて仮に「感覚ゲーム」(フィーリングゲーム)と呼んでいるが、闘茶は味覚を用いた感覚ゲームなのである。


アロザ殺人事件 / Zoch
(参考:アロザ殺人事件)


 そして闘茶は、ありがたいことに室町時代や江戸時代の対戦記録が残っている。それを見ると全問的中はかなり難しいようで、5問以下の正解が多い。これは確かに追試してみた私の実感でもある。


 さて次に問題になるのは、このように完成されたルールが一体どのように成立したのか、どこからやってきたのか、である。意外なことにこれも簡単に解明できる。その元は聞香である。十種茶は、聞香(組香)の十炷香からきているのである。即ち、利き茶は聞き茶であったわけである。

 聞香は、現在でも行われている伝統的な「遊び」である。現在では殆ど遊ばれることのなくなってしまった十種茶と違って十炷香や間垣香、源氏香などは現在でも遊ばれ、道具も売られている。しかしゲームというにはあまりにもその格式は高く、ゲーム用具というにはあまりにも香道具は高価である。聞香は、ゲームとして意識されないまま、別の意味で瀕死であるとすら言える。しかしその本質は歴としたゲームであり、現代に伝わる伝統ゲームの粋という言い方もできるかも知れない。貴方にお金がたくさん有ったら、ぜひ試してみて欲しい。


 しかここで私の注目したいことは、聞香の現在ではない。室町時代末に、十炷香で用いられたシステムが、そのまま十種茶で応用されたという点である。逆に言えば、十種茶は十炷香に学んだわけである。時間的には飛躍するが、ここに私は現代に伝統ゲームをプレイする意義を見出すのである。

 即ち、以前にも述べたように伝統ゲームは一面では過去のシステムのタイムカプセルであって、異なった環境(社会)にもたらされれば、また異なった蓮の花を咲かせてくれる可能性を秘めている、と考えることができるのである。

 ここは入れ子のようになっているので、くどくなるのを厭わず繰り返せば、「室町末期に、聞香のルールが闘茶のルールに応用されたように」過去のゲーム文化を現代に応用することが可能で、我々は伝統ゲームを遊ぶことで、現代のゲーム文化にそれを生かすことができるに違いない、と言いたいのである。


 昨年私は『大奥』という時代劇SF映画を見たが、そこに三炷香という遊びが出てくる。これは間垣香を源氏香方式の記号で記録するという、歴史的に実在したとは考えがたいゲームだが、きちんと「感覚ゲーム」にはなっていた。これはスクリーンの中のこととは言え、十炷香などの伝統ゲームに学んだ生きた実例と言えそうである。


 さて、聞香は滅びたゲームではないが、あまりにもお高くなりすぎてしまって、その意味で瀕死と言えるかも知れないと述べた。一方、闘茶の方は瀕死ではあるものの、冒頭にも述べたように現代まで細々と命脈を保ってもいる。それには二つの流れがある。

 第一は七事式の中の茶かぶきであり、もう一つは白久保のお茶講である。


 七事式というのは茶道の定式化された手前の七つのシリーズで、茶かぶきはそのうちの一つである。具体的な茶かぶきの作法は、上記の十種茶を簡略化したような手順になる。茶かぶきでは、プレイヤーの回答は聞香で用いられるような回答札を、折末(おりすえ)と呼ばれるコンパクトな袋に入れて示すなどというように、用具の進化が見られる。しかし残念ながらゲームとしての迫力は、大きくそがれている。それはなぜだろうか。

 私はその原因を、茶聖 千利休にみている。再び、話を「戦国末期から近世初頭」の頃に戻そう。


 これは再びゲームの受容にわたることであるが、ギャンブルとして猖獗を極める闘茶に対し、いかに侘び茶を確立するかというのが利休の課題であった。現代では忘れられていることであるが、利休は侘び茶を、闘茶に対して提示したのである。

 そういう意味では、利休はゲームの敵であったと私は考えている。利休は茶の湯の持つ精神性に注目し、ギャンブルのような「下賎な」娯楽性を排し、新しい文化として世に訴えようとした。

 侘び茶そのものの淵源は茶祖 村田珠光に発し、武野紹鴎の醸成を通じて千利休に伝わる。一方、栄西以来の台子の茶の禅宗的精神性は、もう一人の師 北向道陳から利休にもたらされ、利休はそれを援用、両者を統合して侘び茶の完成を成した。そして利休は、侘び茶の精神性を過度に強調し、政治力を駆使して闘茶の駆逐を図ったのだと、私は考えている。そうして、この意図は利休の死を超えて成就していった。それは武力支配を補完する文化的支配の道具として、為政者側に取り入れられたからである。闘茶の伝統は排され、干からびた干物のようになって茶かぶきの中に僅かに痕跡をとどめるに過ぎなくなってしまった。

 こうして近世以降、少なくとも上層階級の闘茶の伝統は衰退していき、地方に少しずつ残っていた伝承も、近代に至ってすっかり絶えてしまった。ただ一箇所を除いては。

 その、現代日本にただ一箇所残る闘茶の末裔が、白久保のお茶講である。


 「お茶講」は、群馬県中之条町白久保で、年に一度、二月二十四日の夜に行われる闘茶である。もちろんギャンブルではなく、神事であり村の催しである。

 これはあたかも、熊本県人吉にうんすんかるた、島根県掛合に絵とり、石川県宇出津にごいた、愛媛県田ノ浜にくじゅろく、が残ったように、かつてはもっと広い地域で遊ばれていたものが、歴史の偶然と土地の人の努力でそこだけに残った貴重な伝統ゲームである。

 だがここではそうした歴史的背景は措いて、ルールの構造のみを見ていこう。


 簡単に言えば、白久保のお茶講は七種茶である。十種茶が3+3+3+1=10という構造を持つのに対し、お茶講は2+2+2+1=7となるわけだ。茶の種類も銘茶などではなく、煎茶、甘茶、珍皮などを別の割合で配合した、子供にも飲みやすいものとなっている。すなわち、十種茶の簡略化だが、こうした群馬の山間の村で、村人が子供も含めて(厳密に言えば12歳以上の女性は参加できなかった)こぞって参加し、ギャンブル性を脱した村の催しとして楽しむには、よい改良だと思われる。

 また、各人が書き込む用紙や、配合した茶を包む包み紙を順に畳に立てた竹の棒に突き刺していく方式などは、ゲームとしてとても工夫されている。成績を、全部当たれば「花担ぎ」、全部外れると「逆さっ花」、その他「ひょうすべ」「鉄砲」など、絵で表現するのも楽しい。ギャンブル性はないと言っても、当たったら飴を配るなどの遊びの味付けがあり、「花担ぎ」も「逆さっ花」もともに縁起がいい(豊作を予告する)というのも「田遊び」に通ずる神事(予祝)と遊びの融合を感じて感心する。

 すなわち、土地の条件に合った洗練を施されているのであり、繰り返し述べるが、これが時代というテストプレイを繰り返した、伝統ゲームの深い魅力なのである。


 伝統ゲームを現代に遊ぶことの意義は、こうした忘れられた過去の知の集積を現代に生かすことであり、また単にそれにとどまらず、例えば侘び茶に奪われた遊びのエネルギーを庶民のもとに取り戻すというような、今日的課題であるとも思われる。


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草場純(くさば・じゅん) 
 1950年東京生まれ。 元小学校教員。JAPON BRAND代表。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年〜2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。『子どもプラスmini』(プラス通信社)に2005年から連載している「草場純の遊び百科」は、連載40回を数える。
 遊戯史学会員、日本チェッカー・ドラフツ協会副会長、世界のボードゲームを広げる会ゆうもあ理事、パズル懇話会員、ほかSF乱学講座、盤友引力、頭脳スポーツ協会、MSO、IMSA、ゲームオリンピックなどに参画。
 著書に『ゲーム探険隊』(書苑新社/グランペール(共著))、『ザ・トランプゲーム』成美堂出版(監修)、『夢中になる! トランプの本』(主婦の友社 )
夢中になる!トランプの本―ゲーム・マジック・占い (主婦の友ベストBOOKS) [単行本] / 草場 純 (著); 主婦の友社 (刊) ゲーム探検隊-改訂新版- / グランペール

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