2011年02月24日

もう一人の自分 ―ANOTHER SELF― 〜AD&D(R)におけるキャラクター・ジェネレーションへの一考察〜

 Analog Game Studiesは過去の優れた論考やTIPS等をも積極的に紹介していくことで、アナログゲームにまつわる言説と環境がさらに豊かなものになることを願っています。
 そこで今回ご紹介するのは、P・ローランさまによる「もう一人の自分」という、会話型RPG『アドバンスト・ダンジョンズ&ドラゴンズ』(AD&D)初版をベースにしたキャラクター論。初出はD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)とAD&Dの専門情報誌「ドラゴン・マガジン」(「F・Gジャーナル」)Vol.3(新和)、1987年。著者の許可を得てここに再掲させていただきます(なお再掲にあたってP・ローランさまは、もとの原稿の表現をさらに磨いて下さいました)。

 今回ご紹介する論考はキャラクターを創造し、それを“演じる”行為について、現在でも有効かつ普遍的な示唆を多数、内包している文章です。会話型RPGのキャラクターの位置づけとそれを“演じる”ことについての総論として、思考の基礎となりうる文章ではないかと考えます。

 本稿はAD&Dがベースになっていますが、以下の2点を押さえていただきさえすれば、AD&Dについて詳しくなくとも内容を理解することは可能です。

・AD&Dは、ルールに従って自分の演じるキャラクターを創造するところから始まる。
・AD&Dは『指輪物語』式のハイ・ファンタジーな世界観を、その色調を活かしつつ手軽に表現するゲームであり、ファイター(戦士)、マジックユーザー(魔法使い)、クレリック(僧侶)、シーフ(盗賊)の4種類の基本クラス(職業)や熟練者向けのサブクラスが用意されている。キャラクターはクラスのいずれかを選択し、駆け出しの冒険者から偉大な英雄へと成長していく。


 1987年といえば、日本にRPGが本格的に紹介されてからいまだ数年。そうしたいわば黎明期に、商業媒体においてかくもレベルの高い論考が著されていたことに私は驚きを隠せません。
 皆様がRPGについて、創作について、そして広く人間と“演じる”ことについて考えるための、ご参考にしていただけましたら幸いです。(岡和田晃、文責は下段の但し書きをも含む)


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もう一人の自分 ―ANOTHER SELF―
〜AD&D(R)におけるキャラクター・ジェネレーションへの一考察〜
(初出:「ドラゴン・マガジン」(「F・Gジャーナル」)Vol.3(新和)、2011年2月改訂)

 P・ローラン

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Advanced Dungeons & Dragons Players Handbook: Special Reference Work [ハードカバー] / Gary Gygax (著); D.A. Trampier C. Sutherland (イラスト); Wizards of the Coast (刊)Advanced Dungeons and Dragons [ハードカバー] / Gary Gygax (著); Wizards of the Coast (刊)Advanced Dungeons and Dragons Monster Manual [ハードカバー] / Gary Gygax (著); Wizards of the Coast (刊)

1.イントロダクション

 架空世界における自分のもう一つの存在――AD&Dではこの存在のことを“キャラクター”と呼ぶ。このキャラクターは人によっては自分自身であったり、また自分とは別の人格であったりするのだが、自分自身で己を演じるのならいざ知らず、全く、自分とは異なった新しい人格を一つ創り上げるのであれば、少なからぬ困難を伴う。もっとも、この困難の大部分はロールプレイングにまだそれほど熟達していないビギナーが最初から小説等にあるような複雑な人格と設定を持ったキャラクターを創ろうとすることから生じる。

 しかし、自分で設定した別の人格をプレイングするのがAD&Dの醍醐味であるのならば、その願望を実現し、面白さを体験する手助けを差し上げたいと思う。

 では、具体的にどうすれはよいのか。


2.個性

 多くのプレイヤーにとって、その方の初めの何人かのキャラクターが自分自身と同一であること、――つまり“プレイヤー=キャラクター”の図式となる事は自然なことである。最初から自分に無理をしてまで別の人格を設定してプレイングする必要は無く、あくまで初めは“楽しく遊ぶ”事にこそ集中すべきだろう。しかしながら、自分のプレイングするその初めの何人かのキャラクターに、出来れば最低一つ以上の自分とは異なった特徴を持たせておきたい。この特徴も、初めは自分が無理なくプレイングできるような簡単なもの、たとえば“好き嫌い”等に留めておく事をお薦めする。いずれ、慣れてきたのであれば、もう少し複雑な特徴付けを試みてもよいだろう。

 こうして自分の設定した幾つかの特徴が、自分のキャラクターにおいて本来の自分とは異なった人格を演ずる際の足掛かりとなる。この特徴をキャラクターにおける「個性」と呼ぶが、プレイヤーはこの自分が付けた個性をどんなことがあろうとも守るようにしたい。そして、それを恙なく実践する為にも、最初の何人かのキャラクターは基本4クラス(ファイター・マジックユーザー・クレリック・シーフ)に限定する事をお薦めする。


3.目的

 キャラクターに「個性」を持たせられるようになったのならば、次にはキャラクターに「目的」を与えたい。各状況においてキャラクターの思考基盤が「個性」であるならば、ストーリー中でキャラクターの行動に方向性を与えるのが目的である。キャラクターは、この目的を付与されて初めて、自分の持つ個性とあいまって、RPGの世界に於いて確かな地歩を占められるのである。

 もっとも、この目的も当初は大掛かりなものとはせずに、自分に遂行可能な手近なものから設定することをお勧めする。たとえば名剣を捜す、お金持ちになる、或いはいずれどこかの姫君と結婚したい等々。重要なのは、まず自分の出来そうなことを目的とすべきだということである。もちろん、以前に自分の設定した自分のキャラクターの個性とこの目的が矛盾したものであってはならない。自分が自分のキャラクターをプレイング中にこの目的を自然に見出していくのが最良だと考える。目的が実現するまでの期間の問題もあるが、やはり初めは短期間でかなう目的から始めて、序々に長期にわたるものへと変えていくのが良いだろう。


4.背景(バックグラウンド)

 キャラクターに自分が設定した個性と目的を遵守しているかぎりにおいて、プレイヤーは自分のキャラクターが少しずつであっても、一人歩きを始めたことに気付くだろう。これが所謂「プレイヤーとキャラクターの分離」の第一歩であり、キャラクターが架空世界において独自性を持ち始めた明白な証なのだ。遅かれ早かれ、この域に入ったプレイヤーが必要と感じるものがキャラクターの「背景」(バックグラウンド)である。これまで“プレイヤー=キャラクター”段階のプレイにおいては、プレイヤー本人が無意識にこの背景を補完していた。だが、ひとたび自分とキャラクターの相違を感じてしまったならば、キャラクターに独自の背景――どこで生まれ、育ち、家族構成はどうか、その者の置かれている社会的状況、地位等――これを与えたいと思うのが自然である。

 個性に目的、そして今や背景を得たキャラクターは架空世界においてしっかりとした基盤を築きあげ、自分とは異なる新たな人格として確立されるに至る。これは、これまでの努力が実を結んだということであり、またこの三点を苦労なく設定・実行できるようになれば、初めて基本4クラスから離れ、幾つかの特殊なサブクラスを試みることも可能となるだろう。ただし、サブクラスはいずれも独特な各位制限事項を数多く含んでいるために、よく自分のDM(編註:ダンジョンマスターの略称。他のRPGでのゲームマスターに相当)と相談することが必須である。


5.再融合

 プレイヤーがキャラクターと自分との相違を認識し、その結果としてキャラクターが独自に歩き始めるに至ると、プレイヤーはある認識に辿り着く。個性・目的・背景により自分のキャラクターが八方から縛られ、以前のように自由な行動を取ることが出来なくなっている。これは特殊なサブクラスであればなおさらだ。一体、どうしてこのような感覚が生じるのか。

 これまで“別の人格”を創ることに主眼をおき、まずは個性、次いで目的、最後に背景をキャラクターに与えて設定してきた。しかしながら、この設定するという行為はあくまでも論理(ロジック)を基本に築き上げてきたものである。その結果、確かに別の人格を演じられるまでにはなった。しかし――何が足りないのか。

 ロールプレイングをする際に、キャラクターが何故も容易く自分から遊離すると感じるのだろうか。答えは一つ――それは自分とキャラクターの相違は理解しつつも、キャラクター自体の“存在”を自分が感じていないからではないだろうか。

 自分とキャラクターの相違を認識した後。プレイヤーにとり必要とされるのは別人格となったキャラクターを感じとること、そして再度分かれてしまった“もう一人の自分”を自分の内に再び受け入れること――すなわち「再融合」である。

 すでに一個の自己として完成しているキャラクターならば、この融合により消滅してしまうことはありえない。むしろ自分の創りあげたキャラクターと自分とが同化することにより、一層そのキャラクターが理解できることであろう。更により重要なことに、この行為によって徐々に「意識したロールプレイング」から「自然なロールプレイング」へと移行して行くと考えられるからだ。一見すると、これは初期の“プレイヤー=キャラクター”と同一のようにも見える。しかし、自分自身が違いを認識した上で、別の自分を自然にロールプレイングする点において、格段の相違が彼我の間に横たわっているのである。

 いずれの段階を自分にとり最良とするか。それは各プレイヤーの選択であり、それにどうこう言うつもりは無い。しかし、努力により何かの結果が生ずることを信じているならば、そしてAD&Dプレイヤーとして生を受けたのであれば、一度は知性でなく、感性をもってファンタシイ・ストーリーを感じてみたいものだ。そう考えたい。

 何にせよ、この実践がこれまでのロールプレイイングで感じられなかった新たな陶酔と感動を与えてくれると愚考する次第だが、如何なものであろうか。

-Fin-


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P・ローラン

(C)P・ローラン(1987/2011) All Rights Reserved.
F・Gジャーナル3号.jpg

※P・ローランさまの商業誌におけるほかの仕事に「AD&D(R)に対する一考案」(「ドラゴン・マガジン」Vol.1、新和、1986年)があります。入手が難しいかもしれませんが、ご興味のある方は、併せてご覧下さい。
※「ドラゴン・マガジン」誌は4号まで発刊された後、5号から「F・Gジャーナル」と改称しています。その後、バックナンバーの表記も増刷にあたって「F・Gジャーナル」と改称された模様です。ただし今回の底本に使用した「F・Gジャーナル」Vol.3の奥付に増刷や改訂は明示されていなかったため、「ドラゴン・マガジン」(「F・Gジャーナル」)Vol.3と、双方の名称を並行して表記することにいたしました。追って、Analog Game Studies記事内の雑誌名も双方を並行表記しています。ご了承下さい(2011/02/25追記)。
※本稿はP・ローランさまのご厚意のもと、岡和田晃がAnalog Game Studies(AGS)の代表としてAGSに所属している間に限り掲載されるものです。岡和田晃がAGSから何らかの形で離れる場合、岡和田晃の責任を持ってP・ローランさまの本文と本文関連の文書全ては削除されます。岡和田晃がAGSの主幹を誰かに委譲する場合は、委譲された方をP・ローランさまにご紹介の上で、改めてP・ローランさまの掲載許可をいただくという形を取ります。
※趣意書にもありますが、本稿を始め、当サイトに掲載している文章等のすべては、営利妨害や著作権侵害を意図したものではございません。著作権等を有する方からの警告を頂いた場合には直ちに該当記事を修正・削除いたしますので、お手数ですがanaloggamestudies1★gmail.comまでご連絡をお願いいたします(★→@)
posted by AGS at 12:24| コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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