2011年01月11日

『秘身譚』とルナー帝国(第1回)

 Analog Game Studiesは、アナログゲームとそれ以外の社会的要素を取り結ぶことを大きな目標として掲げています。

 この問題意識に則り、現在「マガジンイーノ」(講談社)で連載中のコミック作品『秘身譚(ウィタ・アルカーナ)』(伊藤真美)と、この作品と共通したモチーフを採用した幻想世界である「グローランサ」とを題材として、「『秘身譚』とルナー帝国」という主題でテーマ連載を行なうこととなりました。
 「グローランサ」とは各種の神話素を混交させた独自の色調を有していますが、そのなかでも多民族・多宗教の巨大帝国として君臨するルナー帝国の退廃的な魅力は数ある創作世界の中でも異彩を放ち、洋の東西を問わず熱心なファンを有しています。

 第1回目は、『秘身譚』の担当編集者K・Nさま(ご本人の希望により、イニシャル表記とさせていただきます)が『秘身譚』と「ルナー帝国」に共通するモチーフについて記事を書いて下さいました。

 ところで「グローランサ」については、Wikipedia日本語版の記述が充実しています。ご存知ない方は、まずはリンク先の解説をご覧下さい。(岡和田晃)

・グローランサ(Wikipedia日本語版)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B5


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【テーマ連載】『秘身譚』とルナー帝国(第1回)
 『秘身譚』担当編集K・N

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 つい先日、ツイッターの一角で、ある漫画作品が、(会話型RPG「ルーンクエスト」の背景世界である)幻想世界グローランサに登場するルナー帝国を想起させる、という話題がのぼりました。その作品の名は、伊藤真美氏によって描かれている『秘身譚』です。この小文では、この『秘身譚』と「グローランサ」(ルーンクエスト)について触れていきます。

秘身譚(1) (KCデラックス) [コミック] / 伊藤 真美 (著); 講談社 (刊)

『秘身譚』は、紀元3世紀の古代ローマ帝国を舞台に繰り広げられる、歴史と神話が入り混じった冒険活劇です。物語は、ローマ皇帝カラカラの暗殺で幕を開け、シリア属州都アンティオキアを舞台に、月の満ち欠けにより半陰陽に変化する少年・エラと、彼の庇護者である軍士官、グナエウス・D・ポリオを中心にして、ローマ帝国の帝位を巡る争いが話の軸となり、展開していきます。太陽神「エラガバル」を奉じ、帝位奪還を狙う前帝の外戚の一族や、ポリオが率いる秘密結社「夜の辻」の幹部の面々、野心的な女性医師など、彼らを取り巻く人々も、『秘身譚』では生き生きと描かれています。


 作品内でも見られるように、広大な版図を持つローマ帝国の領域内では、(ギリシア化された)ローマ古来の神々や、ギリシアの密儀宗教、オリエント諸都市の神々、ガリア(ケルト)やゲルマンの自然神、原始キリスト教、ミトラ教など、様々な神々や宗教が同時並列的に信仰されていました。作中にも、アンティオキア市の守護神である、幸運の女神テュケー(ローマ名:フォルトゥーナ)、死と月の女神ヘカテー、シリアの太陽神エラガバルなど、幾柱かの神々の名前が登場し、物語の中で重要な役割を果たします(因みにキリスト教も、新興宗教としてほんの少しだけ触れられています)。ローマ人はこれらの宗教を受容しながらも、思考と理性を重んじるギリシア哲学もよく学び、文化や慣習が異なる多様な地域を支配する必要から、万人に共通して適用するルール=「法」を最重要視して、その体系の整備に努め、帝国内の安定に努めました。

 一方で、自らが誇る「文明」を許容しない国家や文明に対しては、非常に冷酷に対応し、大規模な破壊や残忍な処刑や虐殺を全く厭いませんでした。領域内に組み込んだ地域では、ローマ風の都市計画を推し進めて道や建物を建設し、ラテン語を支配階層への教育で広めて、生活環境や思考方法での「ローマ人」化を一方的に推し進めました。そして何よりもローマ本国の皇帝への忠誠を、現地の神々や信仰よりも上位に置くように強く求めました。ユダヤ民族やゲルマン民族は、この政策にたびたび反発してローマに戦いを挑み、大規模な反乱や戦争を何度も引き起こしてきました。


「中世以前の技術・文明段階の世界で」「自文化の受容を強制し」「古来の信仰や習慣を守ろうとする民族を抑圧する」「様々な神々が住まう地における巨大帝国」……。グローランサ世界におけるルナー帝国が、『秘身譚』の舞台である古代ローマ帝国と重なるのは、当然のことだと思われます。ですが奇妙なことに、グローランサの創造者であるグレッグ・スタフォードは、「ルナー帝国のモチーフはササン朝ペルシアである」と述べているのです。しかしササン朝ペルシアはローマ帝国と時代こそ重なりますが、ペルシア民族主義を打ち出して独自の文化を優遇した王朝でした。ところで、ササン朝ペルシアが創成した場所であるイラン高原中部もまた、アレキサンダーの東征の範囲に含まれており、したがってササン朝もヘレニズム文化の影響を免れ得なかったと考えるほうが自然でしょう。では何故、我々は古代ローマ帝国のイメージをルナー帝国の中に見るのでしょうか? 私が考えるに、『秘身譚』の舞台である「ローマ帝国東方」に、その答えはある様に思われます。

 ローマ帝国における東方とは、小アジアやシリア、パレスティナ、アラビア、エジプト、メソポタミア等にある属州や皇帝直轄領で構成され、現代では「中近東」とされる地域にあたります。ここで重要なのは、これらの場所がアレキサンダー大王が征服してギリシア文化と融合して初めて「西洋」に組み込まれたのであり、それまではアッシリアやヒッタイト、新旧バビロニア、アケメネス朝ペルシアなどの、古代オリエントの諸帝国が何千年もの間、興亡を繰り広げた場所だったということです。

 専門家ではない我々一般の人々が「ローマ」という言葉から想像するのは、多分に古典古代や現在のイタリアから得られる“西洋的”なイメージでしょう。確かに古代ローマは、建築や法体系、言語などで、現代西洋文明の重要な基層を成す文明でしょう。ですが、東方においては、ローマの支配下にあっても、(ヘレニズム化されてギリシア文化を融合した形での)古代オリエントの影響が、非常に強く残っていました。中でも支配者の頂点たる王や皇帝を、地上に存在する神そのものとして崇拝する習慣は根強く、東方においては、ローマ皇帝の偶像をたて、神として崇めたという記録は数多く残っています。

 中央集権支配を容易にするこの思想は、ローマ中央政府にも受け入れられ、ディオクレティアヌス以降及び東ローマ帝国においては、支配原理として採用されることになります。因みにローマなどのイタリア諸都市や西方の属州では、皇帝を地上に居る神として崇拝する習慣は、そこまで強く根付かなかったようです。

 また、ササン朝ペルシアの王朝創成の場所であるイラン高原中部も、アレキサンダーの東征の範囲に含まれ、ヘレニズム文化の影響を免れ得なかったと考えることが自然でしょう。そもそも前王朝のパルティアは、ギリシア文化を積極的に受け入れており、「ペルシア文化の独自性」はどのようなものかは、不明な点は多いと思われます。

 上記のことを考え合わせると、ルナー帝国は、「オリエント化されたローマ」のイメージと、「ヘレニズム化されたオリエント」のイメージを併せ持った、文字通り「幻想の帝国」である、と言うことができるのではないでしょうか。我々の感覚とグレッグの発言に相違があるのでは無く、ひとつの曖昧なイメージを、別々の側面から見ているともいえるでしょう。

 『秘身譚』は、ローマ帝国を舞台としていますが、東方における「古代オリエント」の部分が、強く描かれている作品です。伊藤氏が描く、緻密且つ濃密な古代世界を、今後とも是非ご堪能ください。

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『秘身譚』担当編集K・N

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
『秘身譚』とルナー帝国 by K・N is licensed under a Creative Commons 表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本 License.

秘身譚(1) (KCデラックス) [コミック] / 伊藤 真美 (著); 講談社 (刊)

【オビの紹介文】
「紀元217年、皇帝カラカラの暗殺を機に、世界最強の帝国ローマは大きく揺らぎ始める。帝位を簒奪した新帝マクリヌスは、東方の要アンティオキアで地位を安定させるべく、街を闇から牛耳る軍士官、Cn・D・ポリオを逮捕せんと画策するが!? 爛熟と退廃そして神秘と幻想に満ちた古代地中海世界を、美麗なビジュアルで描く、歴史ロマン幻想譚、堂々の開幕!!」

【Wikipedia日本語版より】
主人公の少年(または両性具有)のエラと、エラの保護者であり、街を闇から牛耳るローマ軍団士官グナエウス・ドミティウス・ポリオは、次第に皇帝の座を巡る陰謀に巻き込まれていく。

【参考】
「秘身譚とコンシューマーゲームのコラボ」4gamer.netの記事
http://www.4gamer.net/games/096/G009649/20091221006/


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 本コラムをきっかけとして「大規模な破壊や残忍な処刑や虐殺を」厭わなかった軍国主義帝国ローマをもっと知りたくなった方向けの参考書二冊をご紹介いたします。

○『戦略の形成』(上)
戦略の形成〈上〉―支配者、国家、戦争 [単行本] / ウィリアムソン マーレー, アルヴィン バーンスタイン, マクレガー ノックス (著); 石津 朋之, 永末 聡, 歴史と戦争研究会 (翻訳); 中央公論新社 (刊)
 同書の第二章で、古代ローマ共和制を地中海世界全体の覇者にのしあげた社会的メカニズムとしての「軍国主義体制」が解説されています。

○『図説 古代ローマの戦い』
図説 古代ローマの戦い [単行本] / エイドリアン ゴールズワーシー (著); ジョン キーガン (監修); Adrian Goldsworthy, John Keegan (原著); 遠藤 利国 (翻訳); 東洋書林 (刊)
 良くも悪くも古代ローマの象徴である軍事システムについて、その誕生から滅亡までの千年近い歴史をまとめて解説しています。(蔵原大)

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 今回のテーマ連載では『秘身譚』とルナー帝国の歴史的な背景の関わりが指摘されていますが、一方で『秘身譚』は二〇世紀文学の傑作、アントナン・アルトーの『ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト』とも背景設定を共有した文学的な裏付けを持つ作品でもあり、ジェンダー論、あるいはある種のオリエンタリズムの観点からも魅力ある読解可能性を有した優れた作品です。
 単行本は一巻が発売されたばかりですが、その鮮烈な表現は読者に衝撃を与えました。コミックという表現を通し、既存の方法では成し得なかった新たな文学性へ突き抜ける予感をもたらす逸品だと言えるでしょう。
 どうぞ、「己が宮殿の厠の中で己が護衛の兵士らによって殺された墓場なき死者、ヘリオガバルスの屍をめぐって、血と排泄物がおびただしく流れたと同様に、彼の出生のときにもその揺籃をめぐっておびただしい精液が流れたのであった」というアルトーの文(多田智満子訳)を念頭に置き、『秘身譚』の頁を繰ってみて下さい。絢爛たる性と血の饗宴が、トリマルキオの晩餐のごとく、あなたを待ち受けています。

ヘリオガバルスまたは戴冠せるアナーキスト (アントナン・アルトー著作集) [単行本] / アントナン アルトー (著); Antonin Artaud (原著); 多田 智満子 (翻訳); 白水社 (刊)

 さて、「グローランサ」を背景世界として採用した『ルーンクエスト』や『ヒーローウォーズ』などの会話型RPGは、その誕生時からSFやファンタジー文学等の物語ジャンルと密接な影響関係を有してきました。世界最初の会話型RPGにして、現在でも世界最大のプレイ人口を誇る『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D)が、J・R・R・トールキンの『指輪物語』やロバート・E・ハワードの「コナン」シリーズ、ひいてはマイクル・ムアコックの「永遠の戦士エルリック」シリーズといったファンタジー小説群に多大な影響を受けていたことは広く知られる通りです。
 またモチーフのみならず物語構造の観点から見ても、『幻影都市のトポロジー』のアラン・ロブ=グリエ、『宿命の交わる城』のイタロ・カルヴィーノに『334』のトマス・M・ディッシュ、あるいは『帝都最後の恋』のミロラド・パヴィチといった20世紀文学の優れた書き手の方法に、RPGにも通じる相互干渉性(インタラクティヴィティ)を見出すことは容易でしょう。
 さらには『トンネルズ&トロールズ』の一人用アドベンチャー『恐怖の街』やスティーヴ・ジャクソン&イアン・リビングストンの手になる『火吹山の魔法使い』といった「ゲームブック」はいまだ人気を博していますし、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』シリーズの一つ『アドバンスド・ダンジョンズ&ドラゴンズ』の背景世界を活用した小説『ドラゴンランス』シリーズのように、RPGから生まれ、広い読者に感銘を与えた小説群は数多く存在します。
 近年においては、ドミニカ出身の作家ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(邦訳は新潮社から近刊予定)のように、ドミニカの独裁者ラファエル・トルヒーヨの治世に象徴される――自然主義の方法における表象を拒否した――圧倒的な政治的現実のうねりを描くにあたって、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をはじめとしたRPGの方法が効果的に活用され、高い評価を受けた小説作品すら現れました(2008年ピューリッツァー賞受賞)。

 かようにモダニズムを引き継いだ新たな形式の物語表現とRPGには切っても切り離せない影響関係が存在しています。そしてRPGには、物語世界の持つ特性や手触りのようなものを活かしつつ、コンセプトをダイレクトに反映した独自の因果律を有した世界観を構築していくことが可能なところに、重要な特性が根ざしています。イメージや幻想性――詩心(うたごころ)と言い換えてもよいかもしれません――を掬い上げながら、その中で人間が生きて動いて、ドラマを乗せていくことのできるような背景世界の存在。RPGと物語表現の交点を考えるにあたり、この部分を軽視することはできません。
 それゆえRPGの背景世界である「グローランサ」と物語表現としての『秘身譚』が交わる地点を考えることは、RPGの可能性を広げることにもなるでしょう。

 なお批評の現場にいると、(相互干渉性を前提とした)背景世界の充実に代表されるRPGの構築性については、まだまだ批評の言語が追いついていないという思いを日々強くします。ゲイリー・ガイギャックスは(背景世界を的確に踏まえた)RPGのシナリオが文学として評価される日の到来を夢想しました(『実践ゲームマスターの達人』)が、物語表現の未来を考えるためには、ガイギャックスの憧憬についてきちんと向き合う必要があると私は確信しております。そのための第一歩として、『秘身譚』は優れた思考の種を与えてくれるでしょう。

 最後になりましたが、ルナー帝国の設定については、グレッグ・スタフォードの手になる『グローランサ年代記』にも詳しい記述が存在します。入手が難しいかもしれませんが、図書館に入っていることが多い作品ですので「グローランサ」にご興味をお持ちの方はぜひお読み下さい。
 会話型RPG『ヒーローウォーズ』も、ルナー帝国の解説は充実しています。こちらはまだ比較的入手が容易なはずです。(岡和田晃)

幻想神話大系 グローランサ年代記

ヒーローウォーズ―英雄戦争 (TRPG series) [単行本] / ロビン・ロウズ, グレ...
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