2010年12月09日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第1回)

 ゲームとそれ以外の社会的要素との関わりについて考えるにあたり、ゲームという文化がどう受け止められ、いかなる発展を遂げてきたのかを知ることは極めて重要です。
 それゆえAnalog Game Studiesでは、プロジェクト「JAPON BRAND」で日本の優れたゲームを海外に紹介するとともに、浅草でアナログゲームの総合イベント「ゲームマーケット」を2000年から2009年まで主宰されてきた、草場純さまにお願いしまして、「伝統ゲームを現代にプレイする意義」というテーマで連載をしていただくことになりました。
 石川県能登町に伝わる伝統ゲーム『ごいた』が2008年のシュピレッタ賞(ゲームマーケットの来場者たちが決めるゲームマーケット大賞)に選ばれた事態に象徴されるように、伝統ゲームが熱い注目を集めるようになってきています。
 いま一度、知っているようで意外と知らない、あなたの近くの伝統ゲームを見つめ直してみませんか?(岡和田晃)

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伝統ゲームを現代にプレイする意義(第1回)
 草場純

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「伝統ゲーム」とは何のことを言うのだろうか。単に古いゲームのことを言うのだろうか。案外そうかも知れない。


 伝統ゲームとしてイメージされるものには、どのようなものがあるのだろうか。思いつくままに並べてみよう。

 囲碁、将棋、連珠、双六、麻雀、花札、かるた、などは「日本の」伝統ゲームと言ってあまり異論はないだろう。これにトランプのいくつかのゲームを加えてもいいかも知れない。もっとも、これらも古い時代に伝来してきたことが逆に確実で、そういう意味からはむしろ「伝統」とは何か?という問題を孕む。

 例えば麻雀は百年ほど前に伝来したものである。一方『モノポリー』は五十年ほど前には伝えられている。では『モノポリー』も伝統ゲームなのだろうか。それとも、五十年と百年の間のどこかに線が引かれるものなのだろうか。

 『オセロ』が商標を取ったのは四十年ほど前だが、リバーシが「返し碁」などという名で日本に伝わったのは明治期であり、その後「源平碁」の名で広まった時期もある。筆者も子供の頃にやった覚えがある。リバーシがロンドンで特許を取ったのは1888年のことだから、百年を越えている。すると『オセロ』(リバーシ)は伝統ゲームなのだろうか。

 トランプは、三度ほど日本に伝えられた。16世紀にポルトガルから、18世紀にオランダから、19世紀にイギリスやアメリカから。だから第三波から数えてさえ、軽く百年を越えている。だがトランプ全体を日本の伝統ゲームと言うのは、何となく抵抗がある。これはなぜなのだろうか。


 上に挙げたゲームは、どれも日本ではそれなりに広く知られている。例えばいかに『カタンの開拓者たち』がブームになったとは言え、日本全国つつうらうらまで知れ渡り、子どもから大人までこぞってやるというようなことはない。一方、退潮傾向にあるとは言え、将棋を知らない日本人は少ないのではないだろうか。もちろんここで言う「知っている」は「存在を知っている」ということであって、「ルールまで理解して普通に指せる」ことを要求してはいないが。

 だが、必ずしも伝統ゲームが、「よく知られている」とは限らない。例えば盤双六は江戸時代末には忘れ去られてしまったし、藤八拳は滅びてこそいないが、殆ど知られていないのではなかろうか。

 つまり、一口に伝統ゲームと言っても、広く膾炙されているものあり、忘れられようとしているものあり、滅んでしまったものありで、その相は多様である。だから「伝統ゲームをプレイ」する場合も、そのゲームがどのような相にあるゲームかによって、意味づけは大きく異なることになるだろう。


 似たような位置にあるのが「外国の」伝統ゲームである。

 本来ゲームは、国家などとは無関係であるはずだ。インドで2から8世紀の間に生まれたとされる将棋(チャトランガ)は、国境も民族も越えて世界中に広まった。例えば古代ギリシアでアストロガロスと呼ばれていたダイスゲームは、殆ど同じものがブリューゲルの絵にも描かれ、モンゴルで現在も遊ばれていたりする。

 ところが逆に、世界の多くの国で遊ばれているチェッカー(ドラフツ、ダーメ)は、日本ではあまり遊ばれない。こうした外国の「伝統」ゲームは、また少し違う相にあるとも言える。同様に日本で知られていないが外国では盛んな伝統ゲームの例としては、天九牌、マンカラ、などが挙げられる。

 更に、外国の伝統ゲームで、衰亡しているものもあり、これらはまた別の相のゲームと言える。名前をあげても仕方がないかも知れないが、ファノロナ、スラカルタ、六博などがその例になろう。

 こうした、あまり知られていない「外国の伝統ゲーム」を遊ぶことに、何か積極的な意味があるのだろうか。 そこを考察してみたい。


 ゲームの概念は近年大きく変わってきた。現代日本で「ゲーム」と言えば、一般には電源ゲームと言ってよさそうだ。伝統ゲームは少なくとも電源ゲームではない。(例えばコンピュータ将棋などを、どう考えるかの問題はあるにしても。)そればかりか「ゲームの理論」などというときの「ゲーム」は、それ以前のゲームの概念より広く捉えている節がある。ではそうした現代において、「伝統」ゲームはどのような意味を持つのだろうか。


 私はそれには二つの側面があると考える。一つはゲームの内実の面であり、もう一つはゲームの受容の面である。

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◆第2回はこちらで読めます◆

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草場純(くさば・じゅん) 
 1950年東京生まれ。 元小学校教員。JAPON BRAND代表。1982年からアナログゲームサークル「なかよし村とゲームの木」を主宰。2000年〜2009年までイベント「ゲームマーケット」を主宰。『子どもプラスmini』(プラス通信社)に2005年から連載している「草場純の遊び百科」は、連載40回を数える。
 遊戯史学会員、日本チェッカー・ドラフツ協会副会長、世界のボードゲームを広げる会ゆうもあ理事、パズル懇話会員、ほかSF乱学講座、盤友引力、頭脳スポーツ協会、MSO、IMSA、ゲームオリンピックなどに参画。
 著書に『ゲーム探険隊』(書苑新社/グランペール(共著))、『ザ・トランプゲーム』成美堂出版(監修)、『夢中になる! トランプの本』(主婦の友社 )
夢中になる!トランプの本―ゲーム・マジック・占い (主婦の友ベストBOOKS) [単行本] / 草場 純 (著); 主婦の友社 (刊) ゲーム探検隊-改訂新版- / グランペール
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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