2013年10月29日

Analog Game Studies、サイト移転のお知らせ

 【サイト移転のお知らせ】

 このたびAnalog Game Studies(アナログ・ゲーム・スタディーズ)は、独自ドメインを取得しました。
 それに合わせて、サイトを移転いたします。
 大変お手数ですが、今後は新サイトhttp://analoggamestudies.com/)をご覧いただければ幸いです。
 なお、いまだコンテンツの移行が完全ではないため、こちらの旧サイトはアーカイブを兼ねて残しておきますが、今後は新サイトhttp://analoggamestudies.com/)を、何卒よろしくお願い申し上げます。

posted by AGS at 14:24| ごあいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月15日

SF乱学講座 沢田大樹「(批評のための)捏造ドイツボードゲーム現代史」聴講記


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SF乱学講座 沢田大樹「(批評のための)捏造ドイツボードゲーム現代史」聴講記

 草場純 (協力:沢田大樹、井上彰人、岡和田晃)

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 去る2013年6月2日(日)、東京・杉並の高井戸区民センターのSF乱学講座にて、沢田大樹氏の講演「批評のためのドイツゲーム現代史」が行なわれた。少々大げさかも知れないが、私は歴史に残る講演と評価したい。

 SF乱学講座とは、毎月第一日曜の午後6時15分から同所で、SFにかこつけて何でも講演してしまおうという会である。前身の「SFファン科学勉強会」が、柴野拓美氏、大宮信光氏、石原藤夫氏、大田原治男氏らによって始められたのが45年も前という、こうした会としては老舗中の老舗である。
 Analog Game Studiesでも、蔵原大氏のウォーゲームの歴史についての講演の聴講記や、門倉直人・小泉雅也氏のポストヒューマンについての講演の聴講記が掲載されているので、興味のある向きは参照されたい。

 この講義はドイツのボードゲームを語る言葉がない、という問題意識のもとに準備されている。この問題意識に私は大いに共鳴するし、Analog Game Studiesの問題意識とも強くリンクするものだ。
 沢田氏は冒頭「歴史を捏造する」と語った。これはもちろん韜晦ではあるが、今まで「歴史」のなかった(意識されなかった)ボードゲームの世界を、歴史の眼差しで読み解く営為は、確かに捏造としか言い得ない作業であるかも知れない。ただ、それは沢田氏が言うように、個々人の「A History」を、「The History」へと変えていくために必要な作業でもあろう。こうした実験的な論考を展開するには、ある意味でSF乱学講座はふさわしい舞台であったとも言えよう。
 SF乱学講座はいつも大体10数名の参加であるが、この時はどこで評判を聞きつけたのか30名を越す聴講者で席が埋まり、急遽会場を二倍に広げる事態になった。主催者側としては嬉しい悲鳴であったろうが、そのため最終的に時間が不足気味だったのは、仕方がないとは言え、少々もったいなかった。

 講演者の沢田大樹氏、および講演の撮影を行なっていた井上彰人氏から許諾を得たので、講演の動画を紹介させていただく。まずはこちらをご覧いただきたい。




 さて内容については、とても簡単には語りきれない。そもそも今述べたように、ボードゲームに歴史の眼差しを当てるという営為そのものが、前例のないことであり、その評価は簡単ではない。沢田氏は二冊の洋書を参考文献として挙げられたが、海外でもその程度の先行する試みがある程度だと察せられる。逆に言えば、今回の公演が日本発の論考の嚆矢と言ってよいかも知れない。
 そこで、私も不定期に何回かの論評を加える心づもりであり、以下に展開するのは、試論や序論以前の覚書の一つである。

 私が、この講演で印象深かったことは多くあるが、その一つが「伝統ゲーム由来の近現代ゲーム」というカテゴリーである。
 沢田氏によれば、ドイツゲーム・ユーロゲームの成立前夜、「伝統ゲーム由来の近現代ゲーム」が数多くつくられているというのである。時期としては19世紀から20世紀の前半に当たる。例としては、インドの伝統ゲームパチシ由来のルードやコピットゲームのほか、ハルマ由来のダイヤモンドゲーム(チャイニーズチェッカー)、などが挙げられた。
 これに私が実例を補足するなら、アフリカのマンカラ由来のワリやオワール、インドネシアのスラカルタ由来のラウンドアバウト、マダガスカルのファノロナ由来のワルツなどと、大きくは広まらなかったものを含めて、多数見出せるのである。
 さらにオセロの名で日本では広く知られているリバーシも、1888年にロンドンで特許が取られている。これも、典拠は不明だが田中潤司氏によれば、ハンガリーの民族ゲームが更にその元であるという。

 私は、その昔アヴァロンヒルがオワリを作っているのを知って意外な感に打たれたが、こうした文脈で考えるなら、すんなりと理解できる。
 確かに、著しい魅力を放つドイツゲーム・ユーロゲームであっても、それが全くの虚空から生み出されたものでないのは当然と言えば、当然であろう。とは言え、チェスやチェッカー(ドラフツ)、ドミノやトランプと、モノポリー、アクワイア間の溝は小さくない。そのような溝を埋める役割の一端(特に前半の)を担ったものが、こうした「伝統ゲーム由来の近現代ゲーム」ととらえるならば、時間的にも論理的にも納得しやすい。
 そこには歴史の必然とまでは言わないまでも、明確な時代の流れがあったと認めることができるのである。

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【関連資料】

■講座の音声ファイル(mp3ファイル、音声のみの形で講義をお聞きしたい方のために)
こちらからダウンロードできます。

■講座に使用されているスライド(PDFファイル)
https://docs.google.com/file/d/0B2fXntLkQD05TFZ4bEVmX1BpcVU/edit

■沢田大樹氏のウェブログ「実録:食卓遊戯密着大本営発表廿四時」より、今回の講義の原型になった記事。

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part1)
http://toccobushi.exblog.jp/13792804/

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part2)
http://toccobushi.exblog.jp/13804985/

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part3)
http://toccobushi.exblog.jp/13868416/

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part4)
http://toccobushi.exblog.jp/13994149/

・重要タイトルで振り返る捏造ドイツボードゲーム20年史(part5)
http://toccobushi.exblog.jp/14041350/

■今回の講義のモデルとなった岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』(中公新書)
西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書) [新書] / 岡田 暁生 (著); 中央公論新社 (刊)
posted by AGS at 22:47| レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月29日

【テーマ連載】『ファンタズム・アドベンチャー』を語ろう(第2回)わたしと『ファンタズム・アドベンチャー』

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【テーマ連載】『ファンタズム・アドベンチャー』を語ろう(第2回)
 わたしと『ファンタズム・アドベンチャー』

 仲知喜 (協力:岡和田晃、田島淳、齋藤路恵、高橋志行)

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 学生時代、ぼくは会話型RPGに夢中でした。放課後セッションにとどまらず、登校前に友人宅でダンジョン探索。ぼくと同世代の方々――現在30代後半から40代――共通の思い出だと思います。その頃遊んでいたゲームは、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(クラシック)、『ストームブリンガー』(第2版)、『クトゥルフの呼び声』(第2版)、『指輪物語ロールプレイング』(MERP)、『トンネルズ&トロールズ』(第5版)……。懐かしい名作・傑作ばかりです。そんなゲームの中でひときわ記憶に残る作品があります。それが『ファンタズム・アドベンチャー』です。
ファンタズム・アドベンチャー (ファンタズムアドベンチャーベーシックルール) [大型本] / トロイ クリステンセン, 草山 浩章, 清田 充規, 武田 邦人, 小島 豊喜 (著); 大日本絵画 (刊)
 『ファンタズム・アドベンチャー』は、1988年、大日本絵画から出版されたファンタジーRPGです。 このゲームのメイン・デザイナーは、トロイ・クリステンセンさん。当時、大日本絵画は、「ゲームグラフィックス」というアナログゲーム雑誌を出版しており、『ファンタズム・アドベンチャー』は「ゲームグラフィックス」の看板ゲームでした。
 ルールブックの裏表紙には次のようなうたい文句が書かれています。

 地球から遠く時と時空を隔てた惑星モノカン。そこには様々な形態から進化した知的生物と、彼らをはるかに上回る種類の生物が棲んでいます。惑星上の小さな大陸アニス。そこがロールプレイの出発点になります。あなたは、存在する多くの知的生物の中から、好きな種族をキャラクターとして選んで下さい。そして、そのキャラクターを第2の自分として、血に飢えたキャラクターや死の罠の数々が待ち受けている果てしない冒険へ挑んでゆくのです。ファンタズム・アドベンチャーは、大いなる危険と終わることのないスリルに満ちたファンタジー・アドベンチャーです。


 『ファンタズム・アドベンチャー』はどいうゲームか、一言で言い表すのは難しい。
 プレイヤー・キャラクターとして選択可能な種族はエルフ、ジャイアント、ピクシー、セントール、オーク、ガーゴイル、トレント(!)、マンティコア(!!)、スリッジ(アメーバ……)など基本ルールブックだけで79種類。キャラクターは「氏族」という中世のギルドのような同業者組合に所属することで、いわゆる『クラス』のような特徴を持ちます。同時に、キャラクターのレベルアップは「氏族」内の地位の上昇として表わされます(地位が上がるにつれ、使用可能な武器やサービスなどさまざまな恩恵が解除される仕組み)。すべてのスキルには決定的成功と致命的失敗表が設けられ、戦闘には鎧や武器の消耗、ダメージによるショック、特定部位への攻撃、大きさの違いによるダメージの変化や命中修正など細かいルールがあります。魔法使いは独自の魔力獲得パターンや行使のスタイル(ジェスチャー、詠唱、踊り、歌唱など)を自由に選択できます。いくつもの「神話」が共存するエキゾチックな宗教設定。そして、ファンタジーゲームの世界設定といえばトールキンに代表されるハイ・ファンタジーが多い中、大勢の異種族と社会体制、魔法と異形の科学が共存する惑星モノカンは、ジャック・ヴァンスの『終末期の赤い地球』 M.ジョン・ハリスンの『パステル都市』のようなサイエンス・ファンタジー色の濃い世界設定でした。
Pastel.jpg
 「異色」。『ファンタズム・アドベンチャー』にふさわしい言葉です。

 わたしのゲーム経験でもファンタズム・アドベンチャーは特異な位置を占めています。そもそも、異種族(デミヒューマン)といえばエルフ、ドワーフ、ハーフリングぐらいしか遊んだことがなかったのに、いきなりスリッジやマンティコアが選択可能になるのですからね。身長3メートルのジャイアントがどれだけひっそり行動するのに不向きなのか身を持って体験したり、トレントの盗賊が鍵明けに挑戦するさまを想像してみんなで大笑いしたり、このゲームは強烈な印象を与えてくれました(笑)。  

 でも、失礼を承知のうえで言わせてもらうと、『ファンタズム・アドベンチャー』は謎の多いゲームでした。その頃、遊んでいたゲームの中では飛び抜けて個性的なゲームでありますが、振り返って考えると自分がその魅力を理解していたとは言い難いのです。

 このたびのトロイさんへの質問には、そういった疑問をぶつけてみたいという気持ちがありました。「ファンタズム・アドベンチャーとは一体なんだったのか?」

 トロイさんの回答は、残念ながら、ぼくが予期していたものでありませんでした。例えば、「ファンタズム・アドベンチャーの種族の多いところはラリー・ニーヴンの『リングワールド』に影響を受けたんだ」そういうデザインコンセプトの答えを予想していたのです。ですから、しばし、悩んだんですよ。なんだろうこれは、と。この人はなにを隠してるんだ(笑)。

 もやもやした気分のまま数日が過ぎ、気が付きました。古いRPG雑誌に載ったキャンペーン設定の作成に関する記事を思い出したのです。そこで紹介されていたのは、「世界設定を自作するにあたり、いきなり膨大な設定を決めたりせず、最初はプレイヤーの暮らす村や町など(いわゆるホームタウン)周辺のみの設定にとどめ、その後、キャラクターの行動範囲が広がるのに合わせて(GMのシナリオの展開にあわせて)どんどん設定を拡張していく」という手法です。

 そこでパッと閃いた。つまりトロイさんは最初から、今ある形の『ファンタズム・アドベンチャー』を想定してデザインを行なったというよりも、プロトタイプでのプレイを重ねながら、少しずつ手を加え、『ファンタズム・アドベンチャー』を仕上げていったのではなかろうか。実プレイの積み重ねによって生まれた記録の集合体が『ファンタズム・アドベンチャー』なのかも知れない。

 そういえばわたしにも似たような経験があります。むしろ、手元にあるのは一冊のルールブックだけ、世界設定も追加ルールも英語版で入手するのも読むのも夢のまた夢なんて状況では、ゲームのプレイはそうせざるを得なかったんですよね。名前も考えてなかった小さな村がホームタウンになり、ふとした拍子に登場したNPC(ノンプレイヤー・キャラクター、GMが演じるキャラクターのこと)がその後重要な役割を持つようになり、全滅寸前のパーティへの救済策として都合主義もはなはだしいオリジナルのマジックアイテムを登場させて後付で隠された伝説をひねり出したり、あるシナリオで救出した伯爵の娘とキャラクターの一人が婚約したり……。

 あの当時の記録を集大成したら、ちょっとしたD&Dの自家製ルール集兼キャンペーンガイドできるかもしれません。あの当時は多くのゲームマスターがそうだったように記憶しています。何層にもなる手書きダンジョンマップ、部屋ごとの細かい描写、NPCのリスト、人間関係図、王国とその近隣国の設定など、ノートにまとめていませんでした?
 というか、あのグレイホークやフォーゴトンレルム、グローランサだって、そういう過程を経て創られていったんですよね! 

 トロイさんの発言から『ファンタズム・アドベンチャー』の成り立ちについて想像を膨らませるうちに、だんだん『ファンタズム・アドベンチャー』に不思議な親近感がわいてきました。同時に、昔懐かしいゲームをもう一度じっくり遊んでみたいという気持ちが高まりました。

 しかし、この年齢になると、学生時代のようにはゲームに時間を割けません。それに、人生には「ゲームどころではない」という事態が人生には思いのほか多いです。

 昔のようには遊べないかもしれません。でも、ある時期、ある世代、RPGを遊んだ人たち、自作の世界設定を作り、壮大なキャンペーンを行なっていた人たちがいた。そんなゲームの「達人」――彼らのような人をこう呼ばせてください――が、腕を錆びさせてしまうのはあまりにももったいないんじゃないか。

 最後に、唐突になりますが、わたしの体験談をお話しさせてください。わたしのゲーム関係の知人に東北地方太平洋沖地震で被災した方がいます。彼の家は、地震の被害は最小限だったそうです。それでも、断水や停電が1週間以上続いたそうです。彼とオンラインで連絡が取れたのが震災発生から2か月以上後のことでした。心配する私に彼が笑ってこう言っていました。「なんとかやってる。いやー、ゲームどころじゃないよ」。そのあとでいつものようにゲームの話題になりました。わたしから見た彼はいつもの会話ができて心底ほっとしているようでいて、どこか、なんといえばいいのか、壮絶でした。それ以来、ぼくの中にある考えが浮かぶようになりました。

 「ゲームのある日常とは何か」
 
 実のところ、まだ、答えは出ていません。
 「ゲームどころではない」という事態が人生には思いのほか多い。という事実は40年も生きていれば身をもってわかっているつもりでした。でも、その時初めて、我々がゲームを楽しんでいる日常っておそろしくあっさり崩壊するもんなんだと、痛感したのです。

 そこで、こう自問する。 

 「だからこそ平凡な日常で、ゲームにしかできないことはないだろうか?」

 難しいです。
 だが、やってみないことにはならないと思うようになりました。少なくともその価値はある。なにより、ゲームの素晴らしさは自分が一番よく知っているからです。

 「ここらでいっちょう時間も手間のかかるゲームにしっかり取り組んでみよう」

 そう考えながら、数年ぶりに押入れから出してきた『ファンタズム・アドベンチャー』を手近な本棚に 戻したのでした。

 「忙しい」を口実に楽な方に逃れてはいないかと自戒の念も込めつつ。

2013年04月23日

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第15回)

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伝統ゲームを現代にプレイする意義(第15回)
 草場純 (協力:岡和田晃、高橋志行、八重樫尚史)

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◆第14回はこちらで読めます◆

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 伝統ゲームを考える上で欠かせないのはその受容の問題である。これは何も伝統ゲームに限らないが、最近の新しいゲームと違って、広く一般化した伝統ゲームは、けた違いに多くの人々と層に深く受け入れられているということが、しばしば見られる。そのようなゲームは、独特の「相」を形成していると見ることができる。

 そうしたゲームには、囲碁、将棋、麻雀のように、現在もまたおそらく将来も、多くの担い手(プレーヤー)のいる(であろう)ゲームもあれば、連珠のようにそれほどはたくさんのプレーヤーが(現在は)いないのではないかと思われるゲームもあり、盤双六や地方札のように現在はプレーヤーのいないゲームまで、さまざまな様相を見て取ることができる。だがそうしたこととあまり関係なく、このような伝統ゲームに共通する特色もある。

 現在、日本にはしっかりしたシャンチー協会があるが、かつてはそうではなかった。40年〜50年前には、日本で象棋(シャンチー)の指せる人は、留学生や「華僑」の人々を除けば珍しい存在であった。だが、ゲームを研究する人々はその時代でも少数ながらいて、中国語の本を読み解いて覚えた人もいた。私のゲームの師の一人である、故・丸尾学氏もそうした一人であり、私は丸尾氏と中将棋やら大将棋、大々将棋、広将棋、シャンチー、チャンギ、マックルックなどを指したものであった。その丸尾氏から聞いた逸話であるので、伝聞であるが、興味深い話があるので紹介したい。

 丸尾氏の更に先輩に当たるような人々が、内輪の「シャンチークラブ」のようなものを作り、仲間内で対局していたそうだ。丸尾氏も囲碁のプロになるか、将棋のプロになるか迷ったというほどの人で、そのクラブの人たちもそれを上回るような人たちだったので、みなそれなりに上達し、仲間内の名人戦なども開催し、「名人」を選んだりしていたという。周囲への普及も試みたらしいが一向に広まらず、また自分たちの実力もいかほどであるか、定めがたい。そこでこれは一つ本場に行って、腕試しをしようということになり、「名人」はじめ何人かが、あまり「つて」も求められぬまま、訪中したそうである。当時の旅行事情がどうだったか私にはよくわからないが、上海かどこか(場所は定かではありません)に行って、そこのホテルに泊まったそうである。ところがたまたまそのホテルのボーイが、「象棋? 指せますよ。」てな話でさっそく「名人」と対戦したそうである。すると「名人」は、手もなく捻られたそうなのだ。

 話はここまでで、その後どうしたかまでは聞き漏らしたが、考えてみればありそうなことである。

 例えば、遠い外国で、日本の将棋を紹介記事かなんかで覚えた人たちが、これは面白いとクラブを作り、仲間内で指し合って名人を定めたとして、その人が日本に来て、ホテルに泊まり…… と考えてみると考え易い。

 これはある程度確立した伝統ゲームには共通した特色で、そうした伝統ゲームのプレーヤーは、幅広い層まで高い技量を保持していることが多いのである。

 逆に言うと、ゲームはルールを理解できる能力さえあれば、だれでも試みることはできるが、それだけではかなか高い技量は得られないということであり、伝統ゲームではそれが露わになるのである。


 例えばチェスは国際大会が非常にたくさん開かれるゲームではあるが、日本の成績は振るわない。日本にはグランドマスターはもちろん、まだ一人のインターナショナルマスターもいない。 『ヒカルの碁』をもじって「ヒカルのチェス」と呼ばれた中村光氏も国籍については私はよく知らないか、少なくとも文化的には私の身の回りのいわゆる日本人と全く同様とは言えないように思う。

 だがこれは奇妙なことである。前回にも述べたように、中国人の頭脳がシャンチー向きにできているとか、ロシア人の頭がチェス向きだとか、日本人は将棋に適性があってチェスには向かない、などということはあり得ない。それは前述の中村氏に照らしても明らかだろう。

 であるなら、上記のよう現象はなぜ起こるのだろうか。「民族音楽」というジャンルがあるが、「民族ゲーム」という概念は果たして成立するのだろうか。それが無理だとしても、多少誇張した不正確な印象論にはなるが、「中華民族は象棋が強い」と見えるような、前述した類の現象があると感じられるのは、一体なぜなのだろうか。


 現在、人種や民族の問題は極めてデリケートで扱いに慎重を要する話題である。確かに生物学的には人類は一属一種であり、その故郷がアフリカ中南部であることは学界の定説である。その意味で人類は一つであり、「人種」が観念の産物であることは明らかである。ましてや「民族」は、極めて政治的で相対的な概念でしかない。さはありながら、かたやいわゆる民族紛争やら、領土問題、はては「民族浄化」に至るまで、「民族」概念が猛威をふるっているように見えるのも、また現実である。すなわち「民族」が虚構であるのは確かだが、それは決して絵空事ではなく、現にリアルな力を持ち得る虚構である。では、それはなぜなのだろうか。

 これに対して、前回までに縷々述べたように、ゲームも構造を持つある種の虚構そのものである。ここで私が試みたいのは、「民族ゲーム」というような概念を持つことによって、二つの虚構の関係性から逆に、両者それぞれの構造が見て取るのではないか、という仮説なのである。社会とゲームの通時的・共時的な関係性を「ゲームの相」と呼ぶならば、社会的虚構である「民族」からは、ゲームの相はどう見えるのだろうか。
 なお、「民族」という概念のうちには、例えば「人種」や「エスニシティ(出自を軸にした文化的規範)」といった要素が分かちがたく結びついている。ただ、本稿では、敢えて日常的かつプレーンな文脈を第一に想定して「民族」の用語を用いることにしたが、「人種」にまつわる差別の容認や助長を意図したものではまったくない。本稿が目指すのは、ゲームとの関係性から逆説的に「民族」という観念に迫っていくことで、ゲームを通じた「エスニシティ」の特性を素描するとはどのようなことかを考える、一種の文化論である。


 ここで問いを繰り返すならば、「民族」と言語や音楽が結びつくように、ゲームもまた「民族」と結びつく(ように見える)のは一体なぜなのだろうか、ということである。

 そしてそれに対し、答えを先に言うならば、そこが「受容の問題」なのである。


 「民族」と言語や音楽が結びつくように、「民族」とゲームも結びつくと仮定したとしても、前回述べたようにそれらの結びつき方は同じとは言えない。それは、言語・音楽・ゲームの内実が同等でないので、それぞれと「民族」との結びつきが同等ではないのは当然ではある。ではそれらはどう違うのだろうか。

 私は日本語を母語にするが、当然だが先天的に日本語をしゃべるわけではない。私が日本語環境の中で育ったから、日本語を操るのであって、それ以外の理由ではない。同様に私は納豆が好きなのだが、それは納豆環境に育ったからというのが、最大の原因の一つであろう。こうした環境の総体が「民族」なのかも知れない。一つ一つは個人的な受容であるが、それがある共同体内に繰り返されることによって、一見したところ世代を超えて存在し続けるように見えてしまうのだから。
 しかし、特に注記しておきたいのは、これは単にパトリオティズムの説明でしかないという一点である。このようにして、確かに民俗あるいは「民族」の一部は形成されるものかも知れないが、それと国民国家としての民族ナショナリズムとの間には、似ているように見えて大きな飛躍がある。言語や音楽に関しては、より両者の親和性が高く、より両者が混交して考えられやすい。その点、ゲームはその後天性(後述)によって、この結びつきから比較的自由であり、新しい視座を与え得るのではないかと、私は考えるのである。

 食文化は幼少期の体験が大きいので、その意味では言語と似ているかも知れない。一方音楽はどうだろうか。私は雅楽は嫌いではないが、民謡や浪花節などのいわゆる邦楽(の一部)はあまり好きではない。この例はもちろん、文化のあくまでも個人的な受容の話である。当然、邦楽の大好きな人々もたくさんいるだろう。だが当たり前だが、日本語を話す日本人に比べれば、邦楽好きの日本人は圧倒的に少ないように思える(ここで言う「邦楽」に流行歌やJ-POPなどを含めれば、また様相は異なるかも知れないが)。すなわちここには、個人的な受容を超えた、社会的歴史的な受容の問題がかかわっていると、私には思えるのである。そこに、前回の漢詩かるたと百人一首の交代劇で述べたような、文化の歴史的軋轢を感じるのだが、いかがだろうか。

 私は長年小学校の教員をやり、低学年では音楽を教えたこともあるので、よく知っているが、「学校唱歌、校門を出ず。」という言葉がある。現在では邦楽も見直されているとはいえ、学校教育の音楽科の基本は、井沢修二以来の洋楽である。音楽室の壁の語るところによれば、音楽は長いこと鬘をつけたバッハ・ヘンデルから始まることになっていた。思えば、学校(と軍隊)は、近代の「装置」である。漢詩かるたを捨てて百人一首を受け入れたのは、いわば民衆だが、音楽は制度として装置に組み入れられたのである。学制が敷かれたとき、三味線や琴は捨てられ、足踏みオルガンがこれに替わったのである。

 明治五年末に春節を捨てたとき、日本の暦は脱亜を果たした。だが同時に、日本は東アジアの時制から引き裂かれてしまった。同様に、日本の音楽は、校門の内と外に引き裂かれてしまったと言えよう。もちろん、その善悪をここで問うものではない。そうした歴史性を踏まえて、考えを進めようと言うのにすぎない。


 興味深いのは、この同じ井沢修二が、方言撲滅に血道を上げたということである。近代国民国家は、国境を欲し、国旗を欲し、国歌を欲し、国語を欲し、以て国民を創ろうとする。日本の小中学校で教えられるのは、いまだに日本語ではなく、国語である。だが、面白いことに、「国ゲーム」は作ろうとはしない。 全ての言語は本質的に方言であるから、「標準語」に意味はないが、均質な国民を夢想する近代国家は、均質な国語を強制する。学校が装置たる所以である。

 ではゲームにおける方言とはなんだろうか。それはローカルルールであり、地方札であり、伝統ゲームが比定されるかも知れない。だがありがたいことに、これらは制度的に標準化を強制されることはない。なにしろ「国ゲーム」はないのだから。

 前回まで述べた、日本各地の伝統ゲームのいくつかは、地理的に隔離されたところで発達している。例えば掛合トランプが遊ばれている土地は、今はよい道路がたくさんできているが、昔は訪ねていくのにそれなりに苦労したであろう内陸である。白久保のお茶講は、文字通り山ふところだし、ウンスンカルタは人吉盆地の中で保存されていた。グールドの進化論ではないが、一定程度交流の制限されたところで、独自性のある豊饒な文化が育つのである。方言も伝統ゲーム(の一部)も同様である。

 このことは、地域共同体のゲーム受容という観点で、先へ行ってもう一度振り返ろう。


 さて、文化には様々な領域があるが、言語、音楽、ゲームと並べてみると、共通するところと、先に少し触れたようにそれぞれ違うところがあるのに気づく。これにさらに衣・食・住などを加えて考察しても面白いかも知れないが、あまりに回り道になるので、ここは先を急ごう。

 これまた繰り返しになるが、言語は後天的に得るものであるが、個人的には先天的に得たものとの区別はつきにくい。私は気が付いたらこの顔だったが、同様に気が付いたら日本語話者であった。これを今、仮に「後天性が弱い」と表現してみよう。後天的に得られるものであるが、あんまりそんな感じはしない、という意味である(後天的に得たのだと強く思えるものが、後天性が強い、というわけだ)。

 音楽は後天性が言語よりは強い。食文化も言語より強いと思うが、発酵食品などは後天性が弱いのかも知れない(笑)。ゲームは、「ゲーム」の意味を囲碁・将棋・麻雀・トランプなどのような具体的なアナログゲームに限るなら、これらに比べて後天性がずっと強い。前回述べたように、将棋を指さなくても日本で生きていけるが、日本語を話さずに日本で生きていくのは相当に困難だろう。しかし、ゲームの後天性は非常に強いわけではない。そうでなければ、冒頭で述べたような逸話は起こらない。ゲームの後天性が極めて強ければ、日本人のチェスのグランドマスターが輩出されていてもおかしくないし、インド人の将棋の名人がいても変ではない。スポーツでは相当程度そのようなことが起こっているが、それはスポーツの後天性が強いからである。だがそれでも、例えば大相撲の横綱を輩出している背景に、モンゴル相撲の「伝統」があることは疑えないだろう。後天性が最強と言うわけではないのだ。

 ブラジルがサッカーが強いとか、キューバが野球が強いとかが、いみじくも「伝統」と呼ばれたりする。それは実は受容の構造を指しているのである。


 では、後天性のほどほど強いゲームは、そのほどほどの強さからどういう性質がもたらされるのだろうか。

 これも結論から先に述べるのなら、受容の偶然性、一回性、歴史性がもたらされるのである。

 次回から、世界の様々なゲームの、「民族」的受容の相を、具体的に見ていくことにしよう。

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